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第49話 手掛

 レイはデリンの小さな研究室の机に向かって立ち、手元の素材に目を落としていた。昨夜の貸倉庫潜入時に使用した魔法薬の補充を行うためだ。デリンに頼んで調達してもらった攻撃用魔法薬の素材を、二人で手分けして砕いていく。 「じっちゃんが攻撃用魔法薬の調薬に不慣れなのは、ちょっと驚いたな」 「うっさいわい! そんなことできようモンなら、裏の世界のドンパチに巻き込まれてとっくに死んどるわッ!」  唾を飛ばしそうな勢いで話すデリンの口には、もちろん特殊マスクが装着されているため、飛沫が飛んでくることはなかった。そう聞くと、確かに何でもできすぎるというのは、こちらの世界では自身の命をも脅かすことになりかねないのか、とレイは静かに悟った。 「まぁ、それでもお前が作ろうとしている物ぐらいは分かるぞ。中級攻撃用魔法薬の氷属性じゃろ」 「うん。火事になったりしないしね」  デリンの言葉にそう答えながら、レイはこの魔法薬の使い方に悩んでいた。魔法薬を仕込んだ弾薬は数発分返されたが、銃は没収され手元にない。そもそもこの弾薬も、レイ一人では作れない。通常の弾薬を改造するにしても、弾頭部分の改造は、“彫金魔法”に長けている必要がある。  攻撃魔法薬はその特性上、専用の強化された入れ物に封緘しなければならない。一旦、攻撃用魔法薬瓶の中に封緘したとして、取り出す時には発動させないようにするため調薬魔法を行使して取り出すしかない。強化した鉛玉の中に調薬魔法で移すことはできても、弾頭として問題なく使用できるように封緘するのは、流石に専門分野の人に任せるしかない。前回は国のお抱え彫金士を派遣してもらい、調合台の隣で作ってもらった。失敗を繰り返しながら、なんとか成功させたのが20発分の弾薬だった。それも、前回の貸倉庫の無力化で使用し、もう残りは6発しかない。 「……じっちゃん」 「なんじゃい」  レイは、頭の中で立てた予想に確信が欲しくて、デリンに声をかけた。 「魔法薬士が魔術師に戦闘で勝つには、どうしたらいいと思う?」  乳鉢でシルフロス結晶体をごりごりと砕いていた手を止め、デリンはまっすぐレイを見据えた。髪と同じ深い紫色の目がレイの瞳を捉え、こちらの問いの裏を探ろうとしている。 「ふむ……」  デリンは、冗談めかすこともなく手元の乳鉢に視線を落としながら答えた。 「1体1では戦わない」 「どうしても1対1でやりあわなきゃならない時は?」  重ねた問いに、デリンは迷わずに答えた。 「罠にかける。決して相手の土俵で戦わない。可能なら魔法を使わせぬよう、策を練るしかない。先手必勝。それ以外に道はないじゃろ」  淡々と語るデリンの視線は乳鉢に注がれているはずなのに、どこか遠くを見ているようだった。まるで、特定の誰かを想定して話しているかのように。 「突発的な戦闘を想定しているのなら、勝ち目はまずないじゃろな。そうでなくても、できるかできないかでいったら、ワシにはきっとできん。……理想論じゃ」  回答終了とでもいうように、デリンはまた乳棒を持ってシルフロス結晶体を砕き始めた。レイは自身の手元にある乳鉢に視線を落としながら、やはりそうなるよな、と心の中で呟いた。    4日ぶりのリャンディン・タウンは、夜のリャンディン・タウンとはまた一味違う喧騒に包まれていた。転移港から流れてきた旅行客が、手ごろな買い物と異国の文化が入り混じるこの場所を訪れることは知っていたが、すれ違うのも困難な程の人混みとなるとは思っていなかった。  オリンは隠密魔法を使い、バネッサは観光客に扮してリャンディン・タウンを出ようとする辻馬車を見ていた。 「どうするんスか? こんなの、認識阻害と変装して紛れられたら、出られちゃいますよ。そもそも、まだここにいるとも限らないじゃないスか」  小声で隣にいるバネッサに声をかける。バネッサはハンカチで汗を拭う仕草をしながら口元を隠し、隠密魔法を使っているオリンと話していることを悟られないように、ため息交じりに答えた。 「ただ、レイ君にとって、都合のいい場所っていうのも否めないのよ。貸倉庫の一件、貴方も見たでしょう? いくつも反り立つ氷柱、縛られて眠る男たち。あれをタールマンは『魔法はほぼ使っていない』と言っていた。となると、攻撃用魔法薬を使用していることになる。一人で活動しているレイ君に、あれだけのものを作る素材を集められて、かつ作る環境を整えられる場所って、結構限られるわ」  闇社会の入り口ともいえる、リャンディン・タウン。確かに、ここなら揃えられないものはないのかもしれない。だが、それはレイが闇社会との繋がりを持っているということに他ならない。そんな人物が、レーヴェンシュタイン公爵家に入っていいものなのだろうか。それこそ、ディートリヒに問うている『資格』の話になりそうだが。  バネッサは荒れた唇を指先で弄りながら、ぼやくように続けた。 「今、ここら辺を牛耳ってる組織に入り込んでる間者から連絡待ちよ。……まさか、レイ君がリャンディン・タウンの『皆さん』とオトモダチだとは思ってなかったわ」  そう、事の始まりは1時間程前に遡る。朝から開いているリャンディン・タウンのコーヒースタンドに入り、オリンが薄茶色の髪をした男を探していることをほんのり匂わせた。聞き方ももろバレな探り方ではなく、観光客を装い、オルディアス国の性質を使って「男と寝に来たけど、いいところを知らないか」という会話からのスタートだった。聞かれた側にとっては日常茶飯事のようで、すぐに何店舗か紹介をもらって世間話に花を咲かせた。仲良くなったところで、こっそりと「自分よりも背が低くて、薄い茶色の髪色の男が好みなんだけど、どの店にいる?」と聞いた。その瞬間だった。店員である営業スマイルを張りつかせた男が出した気配と、その男の後ろに立っていた女性の視線。その一瞬をオリンは見逃さなかった。そして、こちらがそれを気取ったことも出さないように、笑顔を保った。 ――「流石にそこまでは知らんなぁ」  コーヒースタンドの男が顎に手を当てて、たっぷり一呼吸おいてそう答えた瞬間、リャンディン・タウンに軽快な音楽が爆音で流れ始めた。通りに設置されている古びたスピーカーから流れたそのメロディは、通りを歩く人の足を一瞬ぴたりと止めるには充分な大きさで、コーヒースタンドにいたオリンも一瞬身を震わせた。スピーカーが音を奏でたのはたったの5秒ほど。コーヒースタンドの男は、より深い営業スマイルを浮かべて、オリンに言った。 ――「いやぁ、驚きましたよね。誰が間違えて昼時を知らせる時報をこんな時間に流したんだか。すみませんね、たまにあるんですよ」  その言葉に乾いた笑顔を浮かべて、オリンは礼を伝えると足早にコーヒースタンドを出た。ポケットに入れていた小型通信魔法機器が、ブブッと細かく二回震えたのだ。撤退せよという合図に、受け取ったコーヒーを片手に携えながら、人混みでごった返す大通りを縫うように歩いた。さっと裏道に入ってコーヒーを道端に捨て、隠密魔法を行使する。ほんの数秒後、オリンの後を追ってきた何者かが、捨てられたコーヒーを見つけて舌打ちをし、「探せ!」とあわただしく去って行った。周りの気配が消えたところで、何もない空間から静かにクラウスの声が聞こえた。 「コーヒースタンドの女の方が棚の裏を探った途端、あの音が鳴った。おそらく店ごとに曲が違うのだろう。追ってきた男たちはコーヒースタンドから出てきたお前を見て追跡を開始した。……タイミングとしても、薄茶色の髪の男を探りに来たことが、リャンディン・タウン中に知れ渡ったと考えた方がいいだろう」  隠密魔法でオリンに同行していたクラウスが言うのだから、まず間違いない。オリンは小型通信魔法機器を耳に付けながら、自分の失態を恥じた。 「すみません」 「謝るな。あれは不可抗力だ。むしろ収穫もあった。……レイは、ここにいる」  普段と同じ声のトーンなのに、クラウスの言葉には期待を込めた明るい響きが滲んでいた。  それからは、顔が割れたオリンは隠密魔法を使用したままバネッサと合流し、今に至るという訳だった。辻馬車から降りてくる者、乗り込む者、徒歩で移動するものなど。人の波は、途切れる気配すら見せなかった。  そんな折、オリンは一人の見知った姿を見つけた。乗合馬車に乗るための列の最後尾に並んだその明るい茶色髪の男に、オリンはそっと近付き、静かに肩を叩くと、その男は後ろを振り返ったが誰もおらず驚いていた。仕方なく耳元でそっと囁く。 「フォルトン」 「ふぁっ!?」  フォルトンが素っ頓狂な声を上げ、周りの者から白い眼で見られていた。耳を塞ぎながら顔を赤らめるフォルトンの袖を掴んで、バネッサの方に誘導するとフォルトンはあっさりついてきた。 「……オリン、さっきのあれは、ちょっと謝ってほしい」  フォルトンはオリンに囁かれた耳を擦りながらそう言うので、オリンは静かに笑いながら小声で「悪ぃ悪ぃ」と呟くように謝った。  バネッサの前までたどり着いて、フォルトンは笑顔でバネッサと挨拶を交わした。そしてそのあと、フォルトンが思いがけない一言を口にした。 「……レイを、捕まえに来たんですか?」  静かに放たれたその一言で、オリンとバネッサの二人の間に緊張が走る。言葉もなくにフォルトンを見ていると、当の本人はため息をついて後ろ頭を掻き始めた。 「大学戻ったら、連絡取ろうと思ったんですけどね。冷静に考えたら、俺、皆さんの連絡先知らないし、レーヴェンシュタイン公爵家に俺が直接乗り込んでいったって、門前払いされるのが関の山だろうなって思ってたから、二人がここに来た時『俺が言わずとも来てくれた』って、ちょっと安心したんですよ」  フォルトンの瞳が、少し寂しそうな光を灯す。その光に、彼の中の葛藤が見えたような気がした。バネッサがフォルトンの肩に手を置いて、呟くように語り掛けた。 「……彼に、会ったのね?」  バネッサの問いに、フォルトンは静かに頷いた。 「アイツ、クラウス卿に会いたがってます。口では言ってませんでしたが……それでも何も言わずに全力で逃げようとしてます……いったい、何があったんです?」  フォルトンの言葉に、バネッサは静かに首を振った。 「私たちも、きちんと把握はできてはいない。彼が何を思って逃げているのか。でも、離れなくてはいけないと、思っているのかもしれないわね」  答えにもなっていないバネッサの言葉は、フォルトンの眉間に皺を寄せ、目を伏せさせた。 「……レイは、もう髪色も変えていると思います。薄茶色の髪はまた変えると言っていました。……それを俺に言ったのは、きっと隠れ蓑になってた奴を追わないようにするために、わざと……何も言わないで欲しいって言うくせに、俺が、クラウス卿に情報を渡すことすら、きっと織り込み済みで……」  フォルトンの言葉に、深い遣る瀬無さが宿っていた。疲れたようにしゃがみ込むフォルトンを追うようにバネッサもその場に膝をついた。 「俺が……俺がレイの色仕掛けなんかに引っかからなければ!」  ザワリと、上空から肌を撫でるような殺気を一瞬だけ感じた。それはバネッサも感じたのか、オリンを見上げながらひきつった表情を浮かべている。 「えっと……何があったの?」  聞くのも嫌だと言わんばかりのバネッサが、フォルトンに続きを促す。フォルトンは先ほどの殺気に気付いていないのか、ため息をついて答えた。 「その、隠れ蓑になってたやつが、レイに色仕掛けの方法を教えたらしいんですよ。あんなの、レイがやったらノンケだって落ちちゃいますよ。あ、俺は違いますよ? レイが俺にそんな気がないの知ってますから。そんなことしないはずのレイが俺にそんな感じで近寄ってきたのが心配になったというか、様子を窺おうとしたら薬嗅がされて昏倒させられただけなんで……おかげで丸一日吐き気や頭痛が酷くて……いや、そんなことはどうでもいいか。とにかく、油断を誘う方法として使ってるみたいです」  フォルトンの話を聞いて、オリンは先日尋問した私兵の姿を思い出した。なるほど、あの私兵がレイの色香に落ちた理由はそういうことかと、納得した。そして、貸倉庫で縛られていた私兵たちが起こした体調不良も、レイがその薬を使ったためだったのだと、ようやく腑に落ちた。 「他には? なんでもいいの。思い当たることは全部言ってほしい」  バネッサが、唯一手がかりを握るフォルトンの肩に手を置く。フォルトンはバネッサを見て、迷ったように視線を泳がせた。 「……デリン爺」  フォルトンは観念したように俯いた。 「モグリの魔法薬士です。ただの勘でしかないですが、レイはきっと、そこにいます」

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