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第50話 潜入

 その一報は、遠く微かに聞こえた音楽の後に、デリンの元に届いた。研究室の中に赤いランプがちかちかと点滅し、デリンは年の割には軽い身のこなしで立ち上がると、すぐに出入り口に向かっていった。赤いランプは、どうやらレイが先日入るときに使った、消火栓の後ろのボタンが三回押されたときに光るらしい。  デリンが研究室に戻ってくるのが予想よりも早く、ボタンを押した人の姿もなかった。デリンは手の中の紙切れに目を落としながら、研究室に入ってきた。 「レイ……お前の客が、おいでなすったようじゃよ」  デリンの一言に、レイは即座に立ち上がった。促されるままにデリンの手の中にある紙切れを覗き込むと、走り書きされた内容を読み上げた 「……『黄色い髪、長身の男、コーヒースタンドにて』……オリンか」 「知り合いか?」  レイの言葉にデリンが反応する。レイは片眉を上げながら口の端を吊り上げた。 「俺の彼氏に懸想してる奴だよ。オリンが表立って『ノルド』を探しに来たのであれば、きっと近くにクラウスがいる。そろそろ来るかなとは思ってたけど……まったく、予想通りすぎて怖いね」  紙切れから視線を上げると、デリンが心配そうにこちらを見ていた。レイはにこりと笑って、デリンに言った。 「じっちゃん、本当に悪いんだけど――」 「かまわんよ。大事なものはすでに次の場所(ハコ)に移してある。派手にやれ」  不敵に笑うデリンに、レイは苦笑して両腕を広げた。デリンは少し戸惑ったように身じろぎしたが、そのままレイのハグを受け入れた。ぎゅっと固い抱擁を交わし、デリンは声をわずかに震わせながら口を開いた。 「……本当に、大丈夫なんじゃな?」  隠し切れない心配を、デリンは吐き出した。レイは笑いながらデリンの背を撫でる。年相応の細い体をした老人にかける心配ではないのは重々承知のことだった。 「大丈夫、俺が死ぬことはないよ。俺に何かあったらクラウスが黙っていないからね。……ありがとう、本当に楽しかった。何かないとここに来られないのが惜しいぐらいに」 「ハハッ! ルミアとの約束のことか。バレんように来い。無理じゃろうがな」  軽口をたたき合って、自然と二人は離れた。お互いの目はすでに心が決まったようにまっすぐ向かい合っていた。 「元気で」 「お前もな」  短い別れを交わし、デリンは白衣を脱いで机に丸めておくと、通路の奥へと姿を消した。その後ろ姿を見送って、レイは深呼吸をした。静かに早く脈打つ鼓動を感じながら、気合を入れて、レイは迎撃準備に取り掛かった。  密偵からの連絡により、一行はデリンの隠れ家の一つに辿り着いた。隠れ家の入り口を見下ろせるような位置の一室を間借りし、入手したデリンの地下施設を手掛けた着工当初の計画書を見ながら、三人は突入するための作戦を練っていた。  さびれたシャッター街を一本裏通りに入ったその場所は、入り口こそ一階にあれど、長い通路は緩やかな下り坂となっており、地下に研究所が構えられていた。入口は全部で二つ。一つは消火栓のすぐ近くの壁に偽装した棚をずらすことで入れる。もう一つは地下水路から入る方法だが、これは中からしか開閉できないような魔法機構が組まれており、ほぼ脱出用となっているのが見て取れる。 「密偵からの連絡よ。デリンと呼ばれるモグリの魔法薬士はすでにあの研究所にはいないらしいわ」  バネッサが通信魔法機器を開きながらそう伝えると、オリンが「俺の名前に似てるから一瞬びっくりするんですけど」などと茶々を入れるので、「慣れなさい」とぴしゃりと言い放って話を続けた。 「単独で外に出たと言っているけど……レイ君は隠密魔法は使えないので、合っているのよね?」  バネッサの質問に、クラウスが頷いた。 「数秒の行使なら可能だろうが、魔力回路がもたない。中級魔法以上のものを使うと、しばらく動けないようだ」 「なら、脱出してないとみてよさそうね。認識阻害魔法と違って、隠密魔法の外部補助機構についてはまだ研究段階だし」 「むしろこの研究施設、隠密魔法を解除する魔法陣が出入口に刻まれてるっスね。これ、中から外に出る人も対象っぽいっスから、使用してたとしても見張ってる密偵が気付かないわけないっスね」  クラウスの答えに、バネッサとオリンが続けたが、オリンの言葉にバネッサが釘を刺した。 「あくまで着工時の情報よ。今どうなっているかも分からない。引き続きデリンの後は二重尾行するよう継続指示するわ」  バネッサは机の上に広げられた図面に目を落とし、眉を顰めた。  問題は、誰を送り込むか。レイだけがそこに残っているというのであれば、あちらは逃げるのをやめたと考えるのが妥当だ。となれば、ここまで逃げ続けた張本人がただで捕まってくれるのか――答えは、否だ。となると、必然的にバネッサは除外される。また、出口が二つある時点で、どちらにも人員を割かなくてはいけない。入口が一つである以上、そちらから侵入する限り、そちらから逃走される可能性はないかもしれないが、それでもやり過ごして逃走される可能性もある。逃走路としての可能性が高い方にも、戦闘力が高いものを配置したい。 「……オリン、貴方行ける?」  バネッサがオリンに声をかけた。オリンは驚いて一度クラウスの方に目をやった。自身の恋人を捕まえに行くのに、気持ちとしてはクラウスが名乗り出るのではと考えたのだろう。クラウスの表情は相変わらずの鉄仮面で、なんの感情を読み取ることもできなかった。  クラウスがオリンを一瞥し、すっと静かに地下水路へ降りる脱出口を指差した。 「私は、こちらから侵入できるか試せばいい、ということか?」  静かにそう言うクラウスに、バネッサは小さく息を吐いて頷いた。――夜な夜な亡者の如くレイを求めて徘徊していたこの男が、この局面で冷静でいるのが逆に気持ち悪い。 「その通りよ。内側からしか開かない機構さえ崩せれば、こちらの利は確か。挟撃が可能よ。もし魔法機構へ干渉できなかった場合は、破壊してでも侵入できるか試して。それも無理だった場合は、外側から封印。逆に開かなくしてから急ぎ戻って突入して頂戴」  説明をしながら、オリンに目を向ける。オリンの目は図面から外れなかった。オリンは、戦闘能力については申し分ない。だが、魔法機構への干渉は不慣れだ。つくづく、クラウスの底知れぬ万能ぶりに驚かされる。 『了解』  二人からの返事を聞いて、バネッサは図面を閉じようとした。その時だった。 「では、私から一つ」  突然バネッサの後ろから声がかかった。聞き覚えのあるいけ好かない丁寧な口調の存在に、三人が顔を上げた。視線の先に、隠密魔法を解いてタールマンが姿を現した。さも自分も最初から作戦会議に参加していたかのような態度で、ローブを揺らしながらオリンに近付いていく。 「オリン、これを付けて」  タールマンが差し出したのは、一つの小さなカメラだった。カメラの大きさに似合わない直径3センチメートル程の大きな魔力石がついたそれは、チョーカーのような小さなベルトがついていた。オリンが訝しげにカメラを受け取り、首に巻いてカメラの位置を調整した。 「ケイジン、見えますか?」  その一言に反応するように、耳に付けた小型通信魔法機器から国王の声が流れた。 『あぁ、見える。お前のローブが』  つまらん、とでも言いたげな声色に、タールマンは小さく息を吐いた。 「位置がどうしても視線よりは下がりますからね。あぁ、画面は反転して見えるはずですので、そこはあしからず」 『そんなことは構わん。では、オリンの目で私は楽しませてもらうよ。皆、励め』  そう言って、国王の音声は途切れた。オリンが煩わしそうにチョーカーの当たる首元を掻くと、タールマンが静かに声を上げた。 「ちなみにそのカメラ、音声も拾いますからね。ちょうどあなたが掻いたあたりです」 「そういうのもっと早く言ってもらっていいッスかね?」 「魔法技術部の試作機テストを兼ねさせてもらいますね」 「そういうことじゃないッス」  オリンが諦めたようにため息をつくと、タールマンは興味なさそうに視線を外し、クラウスを一瞥した。当のクラウスの表情は厳しく、タールマンを射抜くような視線を送っていた。 「――では、私はこれで。健闘を祈ります」  タールマンの姿が再び空気に溶けるように消えていったのを確認し、残された三人はまだいるかもしれないタールマンの視線を警戒しながら、またテーブルを囲んだ。 「では、作戦決行は一二〇〇(ヒトフタマルマル)。配置について!」  正午を知らせる音楽がリャンディン・タウンに流れ始めた時、デリンの隠れ家攻略は開始された。オリンは隠密魔法を行使した後、消火栓のすぐ近くにある棚を魔法でずらした。その魔力に反応してか、棚の裏側にあった魔法陣の起動音がする。棚が移動したことによって後ろに隠れていた穴のような通路に陽の光が入り、張り巡らされた透明な糸が照らし出された。 「全く、厄介な……」  オリンが独り言ちて、通路に一歩踏み出すと、足元から光が差した。素早く足を引っ込めると、爪先で隠れていた魔法陣がまた光を失った。 「……着工当初に計画されていた魔法陣、改変されてるッスね。内容は隠密魔法の解除のみから補助魔法の強制解除に変更されてるッス。これ、気付かずに入ったら身体能力強化も外れた状態で最初のトラップ対峙ッスか。なんとも厭らしいッスね」  しゃがみ込んで魔法陣を観察し、分かったことを報告し終えると、腰についたナイフで、魔法陣の一部を削った。もう一度足を踏み出しても、魔法陣が起動しないことを確認して、オリンは自身の隠密魔法と身体能力強化魔法をかけ直した。  オリンは首を左右に振って伸ばそうとして、首についたカメラを思い出した。これも面倒すぎる。  通路に入った。透明な糸の前まで来て、壁に手を触れ、魔力を流しどんな罠か確かめようとしたが、魔法機構は何も見当たらない。 「ブラフ……?」  しかし、先ほど棚を魔法で動かした際に、確かに魔法陣の起動音がした。何かあると見ておくべきだろう。  先ほど取り出したナイフで試しに一番手前の一本だけ透明な糸を切った。その瞬間、ゴッという重い音とともに退路が閉じる。突然視界が闇に包まれ、すぐさま結界を展開した。四方八方から無数の針が飛来し、オリンの結界に弾かれて軽い音を立てながら地面に落ちた。視界を奪ってからのこれは、こちらを殺しに来ている。 「今時、物理トラップ……」 『魔術師じゃない分、そういった物理的な罠が多い可能性が高いわ。油断しないでオリン』  耳から聞こえてくるバネッサの声に、オリンは「へい」と応えて、照明魔法を発動した。指の先に小さな光が灯り、ふわりと宙に浮く。光源は小さくても、良好な視界の明るさは確保できた。これでカメラ越しに見ている国王からもブーイングは来ないだろう。  振り返って閉じた棚に目をやると、起動していた魔法陣は力を失っている。内容を見ても、動力を送るためだけの物のようで、罠の内容までは分からない。面倒だとは思いつつも、再び開いたときに罠が起動しても厄介なので、念のため魔法陣の一部を削り取った。 「ちょっと酔うかもしれないッスよ!」  糸の位置を確認し、オリンは壁と棚を蹴り上げながら助走をつけ、身をひねりながら糸をかいくぐり、着地した。糸のエリアを抜け、息をついて立ち上がるのに一歩踏み出した瞬間、足元が一瞬光ったように見えた。瞬間、体から身体能力強化魔法が解除された感覚がする。 「うぇっ!?」  上から降ってきた何かを間一髪で避けると、足元で瓶が割れる音がする。刹那、肌を刺すような寒さを覚えてオリンは前へ跳躍した。先ほどまで立っていた場所に鋭い氷柱が形成されていた。 「おいおいおいッ!」  身体能力強化魔法が無い状態で身をよじって回避しながら数歩進み、魔法陣がない場所に立った瞬間、結界を展開した。瓶が結界にぶつかり、瞬く間に周囲を凍てつかせる。  このままでは下手に進めない。オリンは魔力の出力を上げて、壁と床、天井に至るまで魔力を流し魔法陣の有無を確認した。確認できる魔法陣に風魔法で傷を与え、順に無力化していく。  結界を解除して、ドーム状に固まっている氷を風魔法で散らすと、オリンは自身の周りに纏うように結界膜を展開し、周囲に魔力を流しながら慎重に進んだ。  魔法陣の様子からして、これは最近追加された物だろう。照明魔法を床に少し寄せてみると、微妙にへこんでいるところや出っ張っているところが見える。こうしたものは物理罠として作動しているようで、この短時間で改変はできないだろう。ということは、魔法薬と魔法陣がレイによって追加されている罠の可能性が高い。踏みそうな位置を計算して配置された魔法陣が実に性格の悪さを表している。  進んで新たに見つけた魔法陣に風魔法で傷を与えながら無力化し進んでいくと、ついに目的の研究室前に到着した。ここまでで何回も魔法をかけ直し、継続して魔力を流し続けた。すでに消耗しているが、それでもまだ余力がある。  オリンは研究室の脇の壁に身を隠して、息をひそめた。背に当たる石壁の冷たさを感じながら、扉の向こうの気配を探るが、物音ひとつしない。 『――意味が分からない』  ポツリと呟いたクラウスの声が小型通信魔法機器から流れてくる。 『どうしたの? クラウス』  バネッサが驚いたようで、すぐに返答を促した。クラウスは少し迷ったように、間をおいてから話し始めた。 『……この魔法機構から、ルミアの癖のようなものを感じる』

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