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第56話 理念

 レイは、アルが持ってきてくれたテーブルの上に、洗って軽く水気を切られた薬草を並べた。風魔法で完全に表面の水気を飛ばした後、滅菌魔法をかけた。 「……見られていると思うと、結構恥ずかしいんだが」  そう言うと、ベッドの上でこちらを見ていたクラウスが微笑んだ。 「いや、君の白衣姿を、懐かしく思ってしまって」 「そうか。ばあちゃんち以来か」  言われて、苦笑する。初めて会ったときのクラウスの表情や態度が脳裏に浮かび、当時はここまで心を開いてくれるようになるとは思っていなかったな、などと思った。  ミルヴァの花を切り落として、細く丸い葉をむしり取って山を作った。茎の部分からはあまり欲しい成分が抽出できないので、今回は花と一緒にテーブルの隅の方に寄せた。セリアの香花は大きな濃い青色の三枚の花弁から構成されているため、切り取るのはとても楽だ。花なのにもかかわらず、わざわざ「香花」と名前がつくだけあって、その匂いが特徴的な花だ。一般的に想像するようなかぐわしい香りとは違い、触ると炒ったナッツのような香ばしい匂いが付着する。そして、これがなかなか取れない。レイは器具に付着するのが申し訳ないので、使い捨てにしてもいいともらえた手袋を使ってちぎり取った。  ループタイの魔力石でできたチャームを持ち上げて裏のくぼみに魔力を流し込む。チャームの中の魔法陣が浮かび上がり、テーブルに照射された。角度と距離を調整して、固定する。魔法陣の状態を確認して、レイは悩んだ。有効成分のみを抽出してみるかどうか。ちらりとクラウスに視線をやるが、天蓋で暗く映るクラウスの表情では、香りが問題ないかの判断ができなかった。 ――やってみるか。レイは決心して、マグカップをそっと簡易調合台の脇に置き、魔力回路の発熱抑制剤を口に放り込んだ。  セリアの花弁を6枚、手袋をしたまま両手で掬うように持ち上げて、簡易調合台の上でかざす。調薬魔法を行使すると、花弁はふわりと浮かび上がった。空中で踊るように回り始める6枚の花弁を見ながら、レイは簡易調合台に通す魔力の出力を上げた。回る花弁のスピードが上がり、乱回転する花弁から白い粉のようなものが零れ、回転の中心に集束していく。  セリアの花弁から抽出する作業自体は、魔力回路にそこまでの負担を強いるものではない。ただ、通常の調合台と違い、動力となる魔力石が照射する方にも使われているため、出力を上げて使う場合は、術者の負担となる。魔力量は魔術師と同等にあるレイだが、その出力を維持するのに、魔力回路に負担がかかる。徐々に熱を帯びていく魔力回路に耐えながら、レイはそのまま行使を続けた。――大丈夫。これぐらいなら、問題ない。  有効成分が抽出されきった花弁から、はらりとレイの掌の上に舞い落ちる。最後の花弁を受け止めると、レイは抽出した成分をマグカップの中に落として調薬魔法を解除した。一度簡易調合台も出力を止めて、手の中の花弁を手袋の内側に包み込むようにして脱ぎ、テーブルの隅に置いた。  レイはそっと自身の手を鼻の前に持ってきて嗅いだ。――うん、微かにナッツの匂いがする。やはりそのまま使っていたら、健康体でなら「とても美味しそうな香りの薬剤」が出来ていただろう。  次にレイはループタイのチャームの魔力貯蔵量を確認した。簡易調合台を起動するのに問題ないぐらいの貯蔵量はありそうだ。一度首を回し、ローテーブルに用意してあった冷えきったお茶を一気に呷る。さわやかな香りが鼻孔をくすぐり、冷たい感触が喉を通って胃に落ちていく。息を吐いて、レイはカップをソーサーの上に置いた。調合するためにテーブルの前まで移動する。 「よし」  気合を入れ直して、腕まくりをした途端、クラウスから鋭い視線が飛んできた。レイの魔力が一瞬震え、クラウスの方を見る。じっとレイを見つめるクラウスの瞳に、レイは訳が分からず瞬きを繰り返しながらクラウスの視線を受け止めた。  沈黙が場を支配する。クラウスの視線が飛んできた直前の行動を思い返し、レイは恐る恐るまくった袖を元に戻した。クラウスの視線の鋭さが消え、レイは驚いた。 「こ、これもダメか」 「ダメだ」  クラウスの即答に、レイは必死に笑い声を噛み殺した。確かに、貴族の間では肌の露出はタブー化されており、腕まくりすらする人は居ない。だが、平民では当たり前の光景だ。目くじらを立てて怒るようなことだろうか。 「貴族は、袖が邪魔だと思うようなことはないのか?」  カフスで留めるにしても、袖自体が膨らんでいるデザインのシャツだとか、作業する場合は邪魔で鬱陶しいと思わないのだろうか。すると、クラウスがよろよろとベッドから降りようとしたので、レイは慌てて駆け寄った。ベッドの端に座るクラウスがレイの腕を持ち上げ袖を伸ばし、ため息を吐く。 「サイズが合ってない」 「これが一番合っている。これより小さくすると、肩が窮屈で」 「何故仕立てない?」  言われて、レイはぽかんとした。白衣を? 仕立てる? わざわざ? 「白衣は、エプロンのようなものだ。汚れたら分かるようにするためのものだし、わざわざ自分の体に合わせて仕立てない」 「君の場合はシャツもだろう。余る袖をカフスで留めるから、袖が擦れて邪魔に感じる」  クラウスの主張に、自分の体に合わせて仕立てるというのは機能美も含めてのことなのか、と納得した。納得したうえで、腕まくりが一番楽なのに、と思わなくもなかった。  レイは少し苦い顔でクラウスに言った。 「お互い、こういった価値観の違いが多そうだな」 「これから知っていけばいい……幻滅などしていないからな?」  唐突に、取り繕うように放たれたクラウスの言葉に、レイはふと記憶を遡った。この話の流れで『幻滅』などと言う単語が出てくるのは何故だろうか。以前そんな話をしたような覚えもあるが、どうにも思い出せない。  クラウスが曇ったままの表情で、再び口を開いた。 「……モートン氏が用意してくれたディナーを食べ終わった後に、『互いを知らな過ぎて、幻滅される自信がある』と言われた」 「あっ」  レイは思い出した。グランディールが送ってきた洗髪剤の印象が強すぎてすっかり忘れていた。いや、その時飲んでいたワインのせいかもしれない。  クラウスがじっとこちらを見ながら、真剣な面持ちで続けた。 「君は、あの時私が言った『オーバーヒート時の顔を、他人に見せないでほしい』という言葉を、律儀に守っている」 「……バネッサさんから聞いたのか?」  調薬時にマスクをするようになったのを、クラウスには伝えていない。それでも把握しているとしたら、バネッサがクラウスに伝えるとしか思えなかった。  クラウスがレイの腰にそっと腕を回し、縋るようにレイのみぞおちに頭をこすりつけてきた。 「私は、君に我慢を強いすぎて、幻滅されていないか不安だった。そのあとに、任務における調律のことで一方的に別れを告げられたが、本当は我慢が爆発したのではないか、と」  クラウスの告白に、レイは驚きを隠せなかった。まさか彼の中でそんなこじれ方をしてしまっていると思っていなかった。そして、こちらが促さないと基本的に思ったことを口にしなかった男が、自ら打ち明けてきたことに少々感動を覚えた。いや、もしかしたら体調が悪くて、心が少し弱っているせいかもしれない。そう思ったら、たまには弱らせるのも悪くないのかもしれないと、少し悪戯心が芽生えた。いや、実際にはしないと思うが。  レイは、そっとクラウスの綺麗な白金髪を撫でながら思案した。体調が悪い相手に、深い話をするのも憚られるし、かといってここでただ簡単に安心させるのも、かえってクラウスの不安を増長してしまうのではないかと思う。 「……我慢と捉えるかそうじゃないかは、結局俺の気持ち次第だろう? むしろ、これまでのやり取りは、俺の中では新鮮な価値観の芽生えだった。一つずつお前のことが知れるのは、飽きがこなくて面白いよ」  クラウスの魔力が、遠慮がちにそろりとレイの手に添えられる。今の言葉が本当か探りを入れてくるかのようなそれに、レイは思わず笑みをこぼした。 「我慢できなかったら、言うよ。というより、行動で示しただろう? だから、現に君は体調を崩している。それでも俺は離れなかった。それじゃ、答えにならないか?」  昨夜の昏倒剤使用の一件を持ち出すと、腹に押し付けられたクラウスの顔が笑って震えた。 「……違いない」 「だろ?」  笑い合って、クラウスの腕が解けた。レイはクラウスの額に軽くキスを落とすと、 「待ってろ。もうすぐできるから。あぁ、念のため夕食は病人食だからな? 無理はするなよ」 と言い置いて、テーブルに戻った。ループタイについている魔力石を再稼働し、調合台の魔法陣を照射して、固定する。マグカップを魔法陣の中央に置いて、レイは調薬魔法を行使した。  ミルヴァの静葉がふわりと宙に舞い上がり、レイは掌から液状の魔力を放出した。とぷりと葉が浸かって、魔力の液体の中で撹拌が始まる。何度も渦を作るように魔力がうねり、葉が完全に魔力に溶け込んだところで、マグカップからセリアの香花から取り出した吐き止めの有効成分を混ぜ込む。白い粉が一瞬で溶け込むと、魔力の透明度が増した。レイは翳した手をゆっくりと閉じながら、魔力加工で濃縮を開始した。なるべく早く効いてほしい。その一心で、クラウスの魔力に溶け込みやすくなるように加工を施していく。魔力回路が熱を帯び始めるが、調律後の魔力のためか、普段よりも熱くならないそれに、レイは少し戸惑った。  簡易調合台で調薬物を液体に固定すると、マグカップに調薬物を注ぎ込み、レイは調薬魔法を解除した。少し体がぽかぽかと温まる程度に済んで、レイは少し肩透かしを食らったように感じながら、念のためマグカップの中身に解析魔法をかけた。――きちんとできている。ここまで調律の効果を実感すると、魔力回路の先天的な欠陥を治療しようとしている身としては、まるで自分が追い求めてきた答えが少し霞んだように感じ、複雑な気持ちになった。しかし、調律だけでは根治には至れない。冷静に受け止めて、レイはマグカップを持ち上げ、ベッドで待つクラウスに持って行った。  差し出されたマグカップを覗き込み、クラウスはそのまま一気に中身を呷った。上下する喉仏を見ながら、クラウスの隣に腰かける。空になったマグカップがサイドテーブルに置かれ、クラウスはとんとんと自分の胸元を指先で叩いた。 「……気分は?」  レイが話しかけると、クラウスはレイの方を向いて穏やかに微笑む。 「すこぶる良くなった。お代は?」  軽口なのか本気なのか一瞬判断できないようなことを言われ、レイは苦笑した。 「お前、一応被害者な?」 「それでは私は、加害者の薬を飲んでしまったことになるな」  元気に話すクラウスに、レイはほっとしてクラウスの肩に頭を乗せた。 「……ごめんな。苦しかったろ」  今回使用した昏倒剤は一度自分で試していた。あの悪夢もなく、ただ気持ち悪さと頭痛で起きた時には、成功だと思った。それでも8時間ぐらいは時間が経っていたことを考えると、副作用が無かったらいつまで眠り続けることになるのか不安で、今度は副作用を消すのが怖くなった。それ以外の睡眠作用のある薬剤では、使用してからの即効性を乾燥エルヴァンローズ程早くすることができず、そして、乾燥エルヴァンローズと同等の即効性を出そうとすると、今度は麻酔薬に使われるような薬剤を採用することになる。それは、魔法薬士として私的使用ができない薬剤だった。 「仕方なかったとはいえ、あんな薬作るのはもう勘弁だなぁ。先輩にも謝らないと。……こういう薬作るの、下手くそで泣けてくる」 「……いや、充分すごいと思うんだが」 「もっとね、こういうの上手い人はいるんだよ。ここまでくると、閃きとセンスの問題になってくる。理論とかの問題じゃない。あとは、そうだな……乾燥エルヴァンローズの花びら単体の服用で、悪夢はあれど起きたタイミングを計算すると……」 「レイ」  有無を言わさない声音でクラウスが名前を呼ぶ。レイはのそりとクラウスの肩から頭をどかした。藍色の瞳が、レイをなだめるように見つめてくる。 「君の薬は、本当に君自身を表していると思う。どちらも効果としては申し分ないのに、人に優しい薬を作った後の君からはそんな弱音を聞いたことが無い」  そっとクラウスの唇が額に落ちる。 「君が、優しい人間だという表れだ。誇っていい」  優しく降る言葉に、レイは少し甘えて、もう一度クラウスの肩に顔をこすりつけた。

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