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第62話 祝福

 公判の再開日は、レイがクラウスに提示した三か月という期日の、一日後だった。まるで示し合わせたかのように指定された日に、レイは国王の意地悪さを感じて、眉を寄せた。――お前の覚悟を見せてもらおうか。まるでそう言われているように感じた。  クラウスに渡した菱形オーナメントに入っている魔法薬の使用期限は三か月。それを過ぎてもなお、気持ちが変わらなかったらプロポーズしろ、と言った手前、プロポーズがあるとしたら最速日が公判日となってしまう。そして、その日にクラウスが後継者としての指名を受ければ、レイは公爵配となることは、叶わなくなる。ただ、それでもクラウスの隣にいると決めたのだから、レイは迷うわけにいかなかった。 「もし、魔力回路の治療とクラウスを天秤に掛けろと言われたら、お前はどうするんだい?」  相談事のついでに、大学をやめようと思うと伝えた秘匿回線での通話で、ルミアが言った言葉を思い出す。そして、レイはこう答えた。 「俺は、クラウスを選ばなかったら死ぬことになる。それが今回身に染みた。個としての死か、生命としての死か。どちらかを選べと言われたら、俺はクラウスが生きる方をとるよ」  それを聞いたルミアが、頭の中で考えたことしか伝わらないはずの秘匿回線で器用にため息をつき、「なんでこう、上手くいかないんだろうね」とぽつりと呟き、通話を切った。  今思うと、ルミアが魔法薬店を開いたのも、それを個人所有ではなくヴェルノット子爵名義としていたのも、将来的にレイが魔力回路の研究をしながらも自立できるための基盤を作ろうとしてくれたのかもしれない。親が与えてくれるはずだった愛情を、まるで埋め合わせるかのように甘やかす祖母に、レイはいつ孝行できるのかな、などと考えた。  公判の再開日まで残り一週間。レイは、フォルトンからもらったメモを頼りに、「魔力の着色」の研究を行っていた。通信魔法機器が使えるようになり、フォルトンに依頼して大学で必要なものを取り寄せてもらい、アルに依頼して代金を振り込む手続きを行った。大学は個人研究の斡旋を行っており、倫理的に反するようなものでなければ私的購入をさせてくれる。  フォルトンのメモにあった材料は、藍紫甲虫の殻、ルナグラス液、そしてソレリウム粉末だった。藍紫甲虫の殻は、見た目とは違い、焼くと綺麗な青緑色の染料になるのは有名だが、それだけではレイの瞳の色には青すぎる。それに加えるというルナグラス液は、月明かりが入る洞窟にしかできないという月光晶に、絡むように生える月光蔓から採れる。透明な液体なのにもかかわらず魔力に触れると仄かに銀色の光沢を帯びる。そして、貴族が好きな金細工によく使われるソレリウム粉末は、太陽花の花粉を特殊加工して結晶化したものだ。これで「染色薬」を作った上で、液体化した魔力を染めろと書いてあり、恐らくこれが一番透明度を保てるとの判断だろう。レイはフォルトンの染色にかける情熱に感謝した。薬で染められた魔力は、あくまで「着色された製造物」であり、菱形のオーナメントの中に入れていたような薬としての効能をもった魔法薬ではないため、破棄の必要もなく、その色が退色するまで楽しめるというところも、配慮があって脱帽した。  メモ通りの基本の比率で調薬し、そこから調整をする日々が続いた。クラウスに見つかりたくない一心で、調薬した失敗作をせっせと廃棄するのにレーヴェンシュタインの使用人たちに協力を仰いだ。その際、「充分綺麗なのに」とぽつりと呟いてくれたリエカに少し救われた。  公判二日前、夕食前の時間にレイは簡易調合台で液体化した魔力に少量ずつ染料を混ぜながら色味を見ていた。簡易調合台の魔法陣が光っているため、実際の色と少し違って見えることで、状態固定した微妙に色合いが違うものを朝から大量に作り出しては、染色薬の量を書き留め続けた。今日は早く帰れそうだと連絡が来たため、恐らく今日はこれが最後の調合となるだろう。充分に撹拌した液状魔力を簡易調合台で状態固定し、ビーカーに注いで調薬魔法を解除した。ビーカーを持ち上げ、照明の光にかざす。 「……あ」  思わず口からそう漏れた。手鏡を持って、自身の瞳の色を見る。もう一度ビーカーに視線を移して、レイは心が震えるのを感じた。すぐに新しく取り寄せたデルタ多面体のオーナメントに注ぎ込む。クラウスにどれだけ「持ち運ぶな」と言ってもポーチに入れて持ち運ぶので、今度のオーナメントはきちんと強化付与されたものにした。デルタ多面体の蓋となっている正三角形のパーツを外し、ビーカーから少量の液体魔力を注ぐ。内側全面に行き渡るようにくるりと振って、漏れがないかを確認し、オーナメントの半分ぐらいまで注ぐ。以前菱形のオーナメントにも入れた銀色のルーセア鉱と虹色のヴェルサノバ貝の粉末を量を見ながらスプーンで入れていった。菱形のオーナメントよりも体積が大きい分、前よりも少々多めに調整した。オーナメントを満たすまでビーカーで液体魔力を注ぎ込み、そっと蓋をした。パチリと軽い音を立てて蓋がはまり、外れないように魔法で溶接した。他の正三角形と比べると、蓋となっていたパーツが溶けて少し角が取れてしまった。敢えて他の角を取るか迷ったところで、部屋がノックされた。 「レイ様! クラウス様がお戻りになりました!」  リエカの声に、レイは慌てて片付け始めた。ここはクラウスの部屋なので、隠す場所がない。レイは染色薬とオーナメントを鞄の中に押し込んだ。机の上をパッと見て染色薬や他の材料が零れていないか確認し、失敗作が入った瓶を抱えてレイは部屋を飛び出した。廊下にいるリエカが瓶を受け取ろうと両手を広げていたので、レイは焦る気持ちを抑えてそっとリエカに瓶を渡した。視線で頼むと訴えて、リエカが了解と視線で受けると、お互い反対方向に走り出す。レイはクラウスを迎えるために玄関へ向かった。  玄関ホールの大階段から下を覗き込むと、ちょうど騎士服姿のクラウスが入ってきたところだった。オールバックの髪を戻そうとくしゃくしゃと頭に手櫛を入れている姿を見て、レイはちょっと残念に思った。その一瞬の間でクラウスがこちらに気付いた。 「レイ」  優しい声音がホールに響く。レイは階段を降りて、クラウスの前に立った。 「おかえり」  そう言うと、いつもならハグをしてくるクラウスが一瞬戸惑った。何故だろうと自分を見るが、別段何も変わった様子はない。もう一度クラウスを見上げると、一度視線を泳がせながらクラウスが口を開いた。 「ただいま……その、触れてもいいか?」  今まで聞かれたことのないハグの了承に、むしろこちらが戸惑いながら構わないと答えると、「いいのか」と呟いてハグをされた。 「どうした?」  クラウスの腕の中で聞くと、少し迷いながらクラウスが答える。 「……白衣姿の君を抱きしめていいか、分からなかった」  レイは言われて、急いでいたために白衣を脱いでくることを忘れたことに気付いた。なるほど確かに、白衣にはどんな薬剤がついているか分からない。そう思うと安易に触れていいと言わない方が良かったのかもしれない。 「今日は害のあるものを扱ってない。たぶん汚れてはいないと思うが……騎士服で抱きつくのはやめた方が良かったかもしれないな。以後気を付ける」 「いや、そう言う意味で言ったわけではなかったが」  背に回った腕が解かれ、少々困惑しながらクラウスを見上げると、クラウスがエスコートするために肘を差し出してきた。白衣を脱ぎ、ガントレットに触らないようにその腕を借りながら大階段を上がると、クラウスが呟くように言った。 「洗い立てだったら、触れてもいいのか?」 「え、白衣? 別段構わないが……さっきからどうした?」  煮え切らない答えに、レイは焦れて答えを促す。クラウスは自身の綺麗な顔に手を当てると、意を決したようにレイを見つめた。 「君の白衣姿は、まるで神聖なもののように思えてしまって。汚してはいけない領分のようなものなのかと」 「高々ハグの話で大げさな」  噴き出すように笑って見上げるクラウスの顔が一瞬固まったのを見て、レイは数度瞬きをした後、合わせようとしない藍色の瞳を追いかけた。 「……ハグの話だよな?」  返ってこない同意に、耳まで赤くなったクラウスを見て、レイは黙った。その後、床を見つめながら、ぽつりと「助平だなぁ」と呟いた。  公判の再開は、クラウスの証言から始まった。自身の呪いに気付いてから仕事を休み、自領のルミア魔法薬店を頼った。大きな病院に通うとなると、自身の身分を考え、病院に迷惑をかけることになるとの判断だったことを述べた。被告側から「呪いの原因は?」という問いに、クラウスは冷静に「今案件にそれを回答することの必要性についてお聞かせ願いたい」と突き返した上で、「現在魔力の呪いが無いことはすでに確認が取れている」と付け加えた。  幾度も無駄な質問がなされ、それをクラウスは冷静にいなして、尋問が終わる。あとは判決の後、控訴の権利について述べられ閉廷となるだろう。ただ、貴族裁判において『玉座の問い』があった裁判の判決が、控訴されたからと言って覆ることはほぼない。それでも、控訴が行われるのが虚飾の劇場と呼ばれる所以でもある。  クラウスが証人控室に戻ろうとした瞬間だった。 「オルディアス国王陛下」  凛とした声が響き渡った。皆の視線が声の主である被告席に集中する。控室に下がろうとしたクラウスでさえ立ち止まって振り向いた。  被告席で、ディートリヒが立ち上がった。傍聴席がざわめいたが、拡声器を使っているわけでもないディートリヒの声を聞き漏らさないようにと、瞬時に収まった。立ち上がったディートリヒを座らせようとする被告側の陣営に対抗するように、ディートリヒはさらに声を張り上げた。 「私は、全面的に原告側の主張を受け入れます」  その一言に、レイは立ち上がった。それは罪を認め、実質的に控訴をしないという意思表示に他ならない。ディートリヒに詰め寄る被告陣営を見る限り、ディートリヒの独断だったのだろう。その顔には、「やっと終われる」と書いてあり、彼があらゆることからの解放を望んでいることがひしひしと伝わってきた。  勝利ムードに包まれる原告側の中で、レイだけがクラウスを見ていた。ここで裁判が終わってしまえば、現時点をもってクラウスの後継者指名がついてきてしまう。それは、レイにとっては望まない結末となる。  当のクラウスの貌に表情は無く、ただディートリヒの姿をその藍色の瞳へ収めていた。 「静粛に!」  進行官が木槌を打つと、オルディアス国王が立ち上がった。判決の瞬間である。皆が頭を垂れ、オルディアス国王の発言に耳を傾けた。 「……ディートリヒ・フォン・レーヴェンシュタインの後継者たる資質の是非について、本人が認めている以上、我が敢えて口にするのも憚られる。現時点をもって、ディートリヒ・フォン・レーヴェンシュタインの後継権を剥奪。並びに、その行いは人としての道理に反し、生命を弄ぶ行為は許せることではない。その生を閉じるまで、牢の中で自らの行いを省みよ」  終身刑。予想通りの刑であった。処刑とならなかったのは、一種の温情なのかもしれない。そして、国王の声が再び響く。 「そして、クラウス・フォン・レーヴェンシュタイン」  頭を垂れたまま、レイは小さくため息をつき、目を閉じた。 「そなたにレーヴェンシュタイン公爵家を任せる。よいな?」  視線は上げられずとも、皆一様に耳をそばだてた。証言台の拡声器が、クラウスの声を拾う。 「――拝命します」  重い一言が、レイの鼓膜を震わせ、全身の血が引いていくのを感じた。――終わった。クラウスの隣にいることに変わりはなくても、公爵配を望めない以上、それはただの愛玩動物(ペット)と変わらない。いつかくる公爵配の影におびえながら、捨てられないことを祈り生きることになる。  膝が震える。でも、決めたのだから、もう後戻りはできない。それでも精いっぱいクラウスを支える。逆に考えれば、それさえあれば、レイは生きていけるのだから。 「さて、クラウス。賭けの話をしよう。皆、楽にしたまえ」  一同が着席し、王の言葉を待つ。レイは凍える指先を机の下で擦り合わせながら、虚ろな心をそっと見ないふりをして集中した。  国王が肘をつきながら、クラウスを見下ろす。 「レーヴェンシュタインを望むと申したお主の希望は、図らずしも叶ったわけだ。……満足か?」  意地悪く言う国王を、クラウスは無表情で見上げていた。だが、一呼吸おいて、クラウスの口がニッと少し伸びた。 「もし叶うなら――」  拡声器がクラウスの声を法廷中に届ける。 「新たな後継者となった私に、祝福をいただきますよう、お願い申し上げます」 「……ほう?」  クラウスの言葉に、国王は面白そうに呟いた。法廷に会す皆がクラウスの意図が読めず、ただ訝し気な顔で証言台を見つめていた。 「いいだろう」  国王のその一言と共に、クラウスは歩き出した。静かな法廷に響くクラウスの足音。すっと伸びた姿勢で騎士服を揺らしながら歩く様は、まさに絵画から出てきたような麗しさがあった。  レイは目を見開いた。クラウスが、こちらに向かってきている。原告席に座るマルキオン教授たちが一瞬ざわめいた。迷いなくクラウスがレイの前に立ち、レイを穏やかに見下ろしている。 「……まさか」  レイがそう呟いた瞬間、クラウスがレイの前に膝をついた。ざわつく法廷を気にせず、クラウスはそのままレイの手を取ると、その手に菱形のオーナメントを乗せた。 「約束の期限は、昨日までであっていたな?」  クラウスが不敵に笑っている。その余裕が、むしろレイの心を大きく揺さぶった。視線は動揺で大きく彷徨い、脳が状況の処理に追いつかない。まさかこの男が、こんな大それたことを考えていたとは! 「私の気持ちは、あの日から一度も変わらない」  クラウスの声が、レイの虚ろだった心を満たしていく。 「どうか、私と人生を共に歩んでくれることを希う。――結婚してほしい」  その言葉に、熱がせり上がり胸が締め付けられた。喉が焼けるほど熱く、息ができない。レイは震える指でクラウスの手を握り返し、祈るように額に押し当てた。 「……はい」  そのか細い返答に、わっと原告側の席に着いていた面々が一斉に立ち上がる。あたたかく空気が波打つのを見下ろしながら、国王が高らかに笑い声を挙げた。 「新たにレーヴェンシュタインを導く二人を、第13代オルディアス王の名を持って祝福する!」  その宣言は、貴族の後継者が同性婚を許された歴史的な瞬間となり、後世に広く語り継がれることとなった。

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