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番外編1 親友の話 後編
ジト目でセリルを見やると、居たたまれなくなったのか、「だって!」と声を荒げた。
「諦めきれませんよ!」
「お前、思いっきり振られてたじゃねぇか!」
「お付き合いしている人がいるからって理由じゃ、納得なんてできません!」
いや、しろよ。納得しろよ。充分だろ。そう思ったところで、気が付いた。そうか、コイツは振られている最中にあの襲撃事件が起こったから、ちゃんとレイに振られてないんだ。レイが使う常套句、『君をそういう対象として見ていないし、今後見ることは一生ないだろう』という言葉。これを、あの芯の強い光を宿す目で言われたら、心が折れない者などいない。
「お前……そんなこと言ってると、クラウス卿に殺されるぞ?」
俺がレイの婚約者の名前を出すと、セリルの顔が一気に蒼くなった。あぁ、クラウス卿のことは怖いんだ。確かに、あの人の強さは俺のポンコツな魔法使いとしての勘じゃ測れない程だ。きちんと魔法使いとして訓練を受けただろうセリルには、もしかしたらその怖さがきちんと伝わっているのかもしれない。
「……まだ、婚約ですもん。結婚したわけじゃないですし」
それでもめげずにそう言うセリルに、俺と後ろにいたゼミの後輩は、深くため息を吐いた。だが、クラウス卿がプロポーズの後、すぐに入籍という運びをとらなかったのは、俺も驚いていた。レイが言うには、結構嫉妬深いタイプで、あわよくばレイを囲おうとしていたという。変な虫が寄りつかないようにする最高の囲い込み方法 だろうに、それを強行しなかった。やはり、お貴族様としては少し間隔を開けておかなければいけないなどの暗黙のルールでもあるんだろうか。
「もういい加減、諦めとけって。お前は知らないだろうけど……レイとクラウス卿、二人から漏れ出る甘い空気に、俺、ちょっと耐えられなかったもん」
そのあといろいろあったけど。そんなことはおくびにも出さずに平然と伝える。黙って聞いているセリルの眉がぴくりと動いたが、残念ながらそれだけだった。……まだ足りないか。
「レイなんて、クラウス卿が隣にいるからって、ワインかぱかぱ飲んでたし」
「え!? あのレイ先輩がですか!? ゼミの飲み会でだって、ほぼ飲まないじゃないですか!」
後輩がナイスなアシストを入れてくれたので、俺もにやりと笑って続けた。
「そう、聞いて驚けよ。あの二人の馴れ初めを聞いたんだけどさ、レイの方から酒に誘ったらしいぞ」
「うそぉ!?」
お、いいぞ後輩。その調子だ。わざとらしくないテンションで合いの手を入れてくる後輩を、俺は心の中で褒めた。今度昼飯を奢ってやろう。
「いやいやホントなんだって。でも分かる。俺も最初信じられなかった」
「いやー普段のレイ先輩を知ってる人が聞いたら、そりゃぁ眉唾モンですよ」
「だよなぁ」
俺はちらりとセリルの方を見た。悔しそうにぷるぷる震えて俯いている。どうするかな、もう一押ししておくか?
「レイもさ、『自分でもなんで誘ったか分かんないぐらい、ちょっとハイだった』みたいなこと言っててさ。マルキオン教授が『魔力の相性がいい相手と一緒にいると、そんなもんだ』みたいに同意するし」
「もうそんなの、運命の相手じゃないですかー!」
ドッ
重い落下音が聞こえて、音が聞こえたセリルの方を見ると、荷物を地面に落として立ち尽くすセリルが見えた。
「う、う……」
「……う?」
セリルの口から漏れた呻くような声を反芻しながら覗き込むと、目に涙をたっぷり湛えながら小さく嗚咽を漏らしていた。……やり過ぎたか。
一抹の罪悪感を覚えて、仕方なくセリルに一歩近づいた。
「……ま、元気出せって」
セリルがレイにしたこと、しようとしたことを考えれば、あまり優しくもしたくはないが、泣かせたまま放置するのも後味が悪い。そう言ってセリルの肩に手を置こうとした、その時だった。
ぱんっ! という乾いた打音と共に、俺がセリルの肩に置こうとしていた左手が叩かれた。
「痛 って!」
この軍人家系男にとってはなんでもない行為でも、ひ弱な一般人には強烈に響く。手首までじんと痛みが広がった左手を抱えるように、俺はセリルを見た。セリルは俺をキッと睨みつけると、何も言わずに来た道を戻るように踵を返し、あっという間に走って行ってしまった。
「な、なんてやつ! せめて謝ってから行けばいいのに!」
後輩が憤慨しながら俺の手を覗いてくる。
「わ、めっちゃ真っ赤ですね。痛そう」
「いや、痛いよ。腫れてないのが不思議なぐらい」
「今から腫れ始めるんじゃないです?」
「うわ、嫌だな」
ジンジンと痛む左手を摩りながら、静かに息を吐いた。アイツに関わると碌なことにならない。そう思いながらも足元を見ると、セリルが落とした荷物がそのまま放置されている。
「……えっ……と?」
後輩の方に目をやると、その視線は「うわ、可哀想に」と謂わんばかりで、必然的に察してしまった。これ、俺が持ってくんですね。
「先輩、自分、この後用事があるんで」
「……薄情者め」
恨めしそうに後輩を見ると、そのままにっこりと微笑んで、「お疲れさまでしたー」と軽やかに別れを告げて颯爽と歩いて行ってしまった。
このままいても仕方がない。諦めるか。そう思って痛む左手ではなく、右手でセリルの鞄を持ち上げようとした時だった。
鞄の取っ手が、宙に浮いた。意味が分からない。そのまま目を見張ると、ゆっくりと鞄自体が宙に浮いた。まるで見えない誰かが、そのかばんを持ち上げているように。
脇から冷や汗がジワリと滲むのが分かった。でも、不思議と嫌な感じがしない。訳が分からない。でも、最近こんな悪戯めいたことをされた覚えがある。
「……オリン?」
そっと思い当たる名前を呟くと、小さく喉を鳴らしながら笑う声が聞こえた。
「なんだ。すぐバレちまうか。面白くない」
面白くないと言いつつも、面白そうに笑いながら、空気から溶け出すようにオリンが目の前に現れた。相変わらず髪の毛は黄色に染まったままだが、根元の綺麗な赤毛の幅が伸びている。すらりとした長身のその手には、セリルの鞄がしっかりと握られていた。
まったく、コイツの悪戯は毎度心臓に悪い。そう思いながらも、ふと抱いた疑問を口に出した。
「隠密魔法ってさ、触った物は見えなくなるんじゃなかったっけ? 何で見えてたの?」
「お? 流石に知ってたか。関心関心」
年下の癖に生意気にもそんなことを言うオリンは、意地の悪そうな笑みを浮かべながら種明かしを始めた。
「浮遊魔法で吊り上げた。最初は取っ手のところ。その次に全体。切り替える構成変更をなだらかにすることで察知されづらくしてみた。……でも、お前まずそういうの察知しなさそうだな」
「……芸が細かいことで」
口元を歪ませながらそう言うと、オリンはケケッと笑いながら見下ろしてくる。屈託のない笑みを見ていると、どうやらクラウス卿に振られた傷は癒えたらしい。
オリンは、ディートリヒ卿の裁判中に、レイの命が狙われる可能性を鑑みて、クラウス卿が雇った護衛の一人だ。もともとクラウス卿と知り合いらしく……むしろ恋心を持っていたらしく、ポッと出のレイに掻っ攫われた可哀想な奴ではある。だからといって、既に恋仲になっている相手に横恋慕するのはお門違いだと思うが。
それでも、気持ちを伝えた上で、一刀両断されて今に至るなら、先ほどのセリルなんかよりも見込みのある男かもしれない。
「で? 今日は何しに来たの?」
聞きながら鞄を受け取ろうと右手を差し出すも、オリンはひょいと鞄を遠ざけてしまう。また変な意地悪しやがって。持たせるぞこのまま。
「別に? 近くを通ったから揶揄いに来ただけー」
「はぁ?」
ニヤニヤとした笑みを浮かべるいたずら小僧に、俺は眉を顰めながら声をあげた。コイツ、ほんと俺のこと舐め腐ってやがる。
平均身長ぐらいしかない俺よりも、十センチぐらい? いや、八センチか? それぐらい高いオリンをジト目で見上げながら、俺は言い放った。
「……大学ぐらいしかないこの山を、通りかかった、ねぇ?」
一瞬わずかに視線が泳いだオリンは、そのまま何食わぬ顔をしている。仕方がないから、俺はそのまま追撃に出た。
「正直に、俺に会いに来たって言えよ」
ニヤニヤと見返すと、オリンの片眉が一度跳ね上がった。でもそれもすぐにやめると、小さく鼻から息を吐いてから、ぶっきらぼうに言ってきた。
「会いに来た」
「………………へ」
まさかの素直な反応に、むしろこちらが面食らう。いったいコイツに何が起こったんだろうか。思い当たる節が何もない。
なんだか今日は、こんなことばかりだな。自分で見つけた面白そうな疑問ならまだしも、こうやって投げかけられるのは正味好きではない。どう答えるのが正解なのかが分からない。
じっとオリンの顔を見つめていると、少々ばつが悪そうに視線が逸れた。
「前……途中で帰っちまっただろ」
そこまで言われて、合点がいった。確かに、クラウス卿に振られたオリンを慰める……ついでに、面白そうな店、面白そうな魔法薬の気配がしたから誘って飲みに行った。途中オリンに呼び出しがかかったせいで、結局慰めるも何もないような時間で終わってしまったが……なるほど、それのやり直しの誘いか。でも、もうオリンは立ち直っているようにも見えるが、必要だろうか。
「気にさせてたのか。別にいいのに」
「……良くねぇ」
またぶっきらぼうにそう答えるオリン。なんだよコイツ、かわいいところあるじゃん。
ニヤけていると、オリンの顔に不機嫌が張り付いた。
「ほら、行くぞ。案内しろよ」
オリンはそう言うと、乱暴にセリルの鞄の取っ手に指をかけて、振り回しながら歩き始めてしまう。
「は? え、何。どうした。寮まで運んでくれんの?」
先を歩くオリンの後ろを早足で追いかけながら聞いても、オリンは答えない。だがその横顔には「いちいち聞いてんじゃねぇ」とありありと書かれており、思わず噴き出した。横目でそれを見たオリンが、顎を前に出しながらぶつぶつと毒づいているのが見える。
「はーおかしい。ほんと、笑わせないで欲しい」
「勝手にテメェが笑ってるだけだろ!」
顔を朱に染めながら息を撒くオリンが、かわいくみえる。これは、そうとう脳が疲れてバグってきたとみた。やっぱりかえって風呂入ってビールだな。
「オリン、ビール好き?」
「……あれか。オレンジジュース割ったやつか」
俺の言葉に、オリンが思い出したように呟いた。確かに以前リャンディン・タウンで一緒に飲んだのはそんなビールだったな。
「この前飲んでたやつ? いや、あれはリャンディン・タウンで飲もうよ。今日は部屋にあるやつ」
「……俺、部外者だけど、お前ンとこの寮は、普通に入っていいわけ?」
突然至極まっとうなことを言い始めるオリンに、自然と笑みが零れる。なんで突然そんなことを言い始めるんだ。そんな常識的な思考回路があるのなら、まずはその口の利き方から直してもいいだろうに。
「窓、開けとくから」
「客を窓からもてなすんじゃねぇ」
オリンがぴしゃりと言い放つが、既に二回ぐらい、お前が好きだったクラウス卿が窓からお出でてますが? と思わなくもなかったが、そこは敢えて口に出さなかった。
すると、突然オリンが真顔になってこちらを見てきた。
「……ていうか、飲んで大丈夫なのかよ」
「ん? 何が?」
聞き返すと、オリンの顔が途端に険しくなる。
「…………手」
長い沈黙の後、小さくそう口にするオリンに、俺は左手を持ち上げてみた。……あ、確かにちょっと腫れてきている気がする。というより、自覚したらなんとなく鈍く痛い。むしろ今の今まで楽しく話していたせいか全く気付いてなかった。なんで気付かせてくれてるんですか。
「……ま、大丈夫でしょ」
そう言ってコートのポケットに左手を突っ込むと、オリンが乱暴にポケットに手を突っ込んできた。
「ギャァ! ってか、冷っめた! お前、こんなに冷たい手してたのか!」
オリンが左手首をおもむろに掴んできたものだから、思わず悲鳴を上げたが、むしろその冷たさに度肝を抜かれた。まるで氷のように冷えており、体温のたの字も感じない。
俺の言葉に呆れたような表情を浮かべ、オリンが口を開いた。
「……お前、本当に魔法感知できないんだな」
「あ、これ魔法なんだ……。ていうことは、冷やしてくれてんの?」
言われて気付く。確かにこんな体温の奴、普通なら生きていない。魔法薬の気配ならなんとなく「あ、魔法薬だ」って経験上判るが、魔法の発動の感知に関しては、本当によく分からない。魔法使いとしての訓練を受けたら、分かるようになるもんなのだろうか。それは今からでも遅くないんだろうか。
「やっぱり、そういうのって訓練した方がいいもん?」
「しないよりかはいいんじゃね? ま、お前にそれがいるかどうかは分かんねぇけど……魔法薬士になる予定もないんだろ?」
オリンが視線をこちらに向けず、まっすぐ前を見ながらそう聞いてきた。おそらくオリンの中で『魔法薬士』という職業は、魔法薬店を営んでいたり、研究をしたりすることを指すのだろう。だが、魔法薬士の仕事は多岐にわたる。魔法薬に関わる場合は、魔法薬士の資格を有していなければならない。そのため、俺は国安保で魔法薬の抜き打ち検査や監査を担当する部門に配属される予定だ。確かに、人手が欲しい部署であるのは間違いない。平凡な俺でも、とりあえず体力と魔力が尽きない限りは、問題なくやっていけそうだ。
「ま、そうだね」
説明するのも面倒で、とりあえずそう答えた。そして、互いに話すこともなくなって、そのまましばらくは、二人とも黙って歩いた。
今、この光景を知り合いに見られたら、どう思われるんだろうか。仲良く隣同士で歩いているだけでなく、一人がもう一人のコートのポケットに手を突っ込んでいる状態。まるで恋人たちの甘い逢瀬のようではないか。
そう認識した瞬間に、左手首がじんと熱くなるのを感じる。そして、先ほどまではただ冷たいとしか認識していなかったオリンの手が、くすぐったくも感じる。
そのくすぐったさが、なんとも、心地いい。
「――ぜ」
「え?」
思考がちょっと余所に行っていたせいで、オリンの言葉を聞いていなかった。しかし、当のオリンはそれを気にも留めず、もう一度同じ言葉を話してくれる。
「今日は飲まずに、飯だけにしようぜ」
「え、あ、いいよ。それでも」
するりと口から出てきた言葉に、内心驚く。さっきまで風呂からのビールってもう決めてたはずなのに。なんだか胸が浮ついて、とっさにそう答えてしまっていた。
オリンがニッと口角を上げて、こちらを見てくる。少し茶色っぽい赤い瞳が細くなり、屈託のない光を宿しているのが見える。
「次の休みが被ったら、その時に飲みに行こうぜ」
「うん、分かった」
平静を装って、そう答えながらも、心の中では違うことを考えていた。オリンがわざわざ自分を訪ねて来たのは、先日中座してしまった飲みの席のやり直し、そのはずではなかっただろうか。――次。次とは?
あぁ、喉が締まる。なんだこれ。落ち着けよ、俺。コイツはただ、たぶん遊べる友達がいないだけだ。こんな時間にうろつけるってことは、きっと今日たまたま休みで、暇そうな奴を探してた。きっとそんなところだ。
「……次の休みは、いつなわけ?」
そう聞き返しながら、寮までの道を二人並んで歩いた。乾いた風が、熱い頬を撫でていく。――悪ぃけど、もうちょっとだけ、遅く歩いてもいいかな。今、そんな気分なんだ。
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