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第64話 すれ違いの夜に
レイ・ヴェルノットは、気を揉んでいた。自身のせいではないと思っているが、かといって完璧にそうかといわれると全く自信はなかった。まだ婚約段階であるので、こう表現するのは些か早いのは承知の上だが、魔法使いとしては「家庭内不和」は早めに解消しておかなければならない問題であった。──レイは、初めてクラウスと喧嘩になった。売り言葉に買い言葉であったのはお互いに分かっている。しかしその仲直りを、どうすればいいのか分からなかった。二十八歳(アラサー)になってまで、こんなことで悩むことになるとは全く思っていなかった。いったいどう対処すればいいのか。恋愛経験の浅さと、クラウスという男への理解の足りなさで、レイは動こうにも動けずにいた。
──事の発端は、公判の勝訴祝いに遡る。
王都フィルドンにあるレーヴェンシュタイン公爵家のダイニングルームに、マルキオン教授とそのパートナーであるサルベルト教授、レイと同じマルキオン・ゼミに所属している先輩のフォルトンが会した。本当なら、同じ原告側として共に戦った国家安全保健機構のマーベック氏も同席いただきたかったが、丁寧な断り文が送られてきて、婚約の祝いとこれからの繁栄の祈念が添えられており、マーベック氏の人柄の良さが垣間見えた。
会は和やかな雰囲気のまま始まった。マルキオン教授は公判の話よりもレイとクラウスの馴れ初めの話を聞きたがり、レイはむしろマルキオン教授とサルベルト教授が今後どうするつもりなのかを聞きたかったが、まだ二人の中でも答えが定まっていない可能性を考慮して聞くことができなかった。
「──俺、レイが呑んでるとこ久しぶりに見たかも」
フォルトンが突然そんなことを言うので、レイはワイングラスをそっとテーブルに置いた。不思議そうな顔をするフォルトンと、恐らく違う意味で不思議そうにこちらを見てきたクラウスの視線が集まって、レイは小さく首を傾げた。
「……酒って、抜けるまで魔力のコンディションを悪くするじゃないですか」
「コンディション?……あー、調律。そっか、レイは魔力回路の問題があるんだった。俺最近まで知らなかったからさ」
レイが苦笑しながら答えると、フォルトンが少し申し訳なさそうに呟いた。隠していたのはレイ自身なので、そこですまなそうにされるとむしろこちらの立つ瀬がない。
「その割には、私と初めて飲んだ時はレイから誘われた気がするが」
クラウスがそう口にしたことで、フォルトンが面白そうに声を上げる。
「へー! 宅呑みすら断ってた男が! 自ら! 積極的じゃん!」
「俺だって飲み会参加してるでしょう」
「ゼミの新歓だけじゃないか」
レイの答えに、フォルトンは不服そうだった。それを横目見ながら、レイはワイングラスを傾け、ルミアの家でクラウスと初めて酒を飲んだ時の事を思い出していた。確かに、あの時はあくまでクラウスを患者としか認識していなかったはずだ。普段だったなら、絶対酒を入れようなんて思うことは無かっただろう。
「……あの時、なんで酒に誘ったのか俺も分かんない。なんか、ハイになってたんだろうなぁ」
「ほら、やっぱ積極的になってたんじゃん!」
フォルトンの言葉に、酔った頭でレイは笑った。正直そんなつもりは全くなかったが、出会って間もない相手にあそこまで気を許したのは、自ら思い返してみても珍しいとは思う。そんなことを考えていると、マルキオン教授がグラスの中身を飲み干して、スッとサルベルト教授の方へ差し出した。今回は気軽に自分たちで注ぎ合う形をとっているので、サルベルト教授に暗に注げと言っているようなものだったが、それが分かってか、サルベルト教授も何も言わずにワインボトルに手を伸ばした。
「ま、レイ君はさ、なんとなーくそういうのが分かっちゃう体質だからね、あんまりピンと来ないかもしれないけど。僕らの出会い方だって、近くにいると気分がいいとか、調子がいいとか、気分が高揚するとか、そんなところから始まってるよ。思うに、魔力が知らず知らずのうちに惹かれてそうなるって感じじゃないかな」
マルキオン教授の言葉に、サルベルト教授はグラスにワインを注ぎながら口の端を吊り上げた。
「……我々の出会いをそんな綺麗な言葉で形容する神経の図太さは変わらんな」
「お褒め戴き光栄の至り、Sir?」
「その呼び方は辞めろ」
軽口で返され苦々しく言うサルベルト教授に、マルキオン教授はいつも通りけらけらと笑った。二人にしか分からない会話はサルベルト教授のその一言以降は続くことはなく、レイとフォルトンは互いに首を傾げ合った。
「まぁ、レイ君も婚約となると……あの話は難しいか」
マルキオン教授が一頻り笑い終わった後、目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら言い放った。
「あの話? 何のことです?」
分からず聞くと、マルキオン教授がワインがなみなみと注がれたグラスを持ち上げながら続けた。
「シーズン」
「あっ! 今回はザルハディア王国で開催されるんでしたっけ……あぁぁ……」
レイは思わず頭を抱えてテーブルに額をこすりつけた。唯一話について来られていないクラウスだけが、見たことのないレイの反応に注目していた。解説をしないレイにやれやれと呆れを隠さず、フォルトンがそっとクラウスに説明をした。
「魔法薬学集会シーズンっていって、毎年秋に各国の魔法薬学者がこぞって研究発表する期間があるんですよ。二週間くらいなんですけど」
「なるほど。貴族社会における社交界シーズンとは違うものなのか」
「そうそう、社交界シーズンと開始時期がもろに被ってるんですよ。だから爵位持ちの人はとても大変みたいですよ? 学会の準備して、社交界シーズンの準備して――」
そう言うと、フォルトンはマルキオン教授の方へ視線を移した。マルキオン教授はその視線に気付いて、グラスに付けていた口を離すと、テーブルに静かに置いてから肩をすくめた。
「僕はしがない三男坊だからね、そこまでじゃないよ。現当主は僕と違って医者だから、学会のシーズンが夏なんだよね。なんとも羨ましい」
それを受けて、サルベルト教授が理由を付け足した。
「オルディアス王国では、魔法医は魔術師である必要がある。その分、この国において魔術師といえば魔法医を目指すか国防を目指すかの二極化する傾向にあるが、どちらにせよ“きちんと教育を施せる余力がある家柄”になってしまう。魔法医に貴族が多くなるのは必然と言えるだろう。となると、魔法医学集会シーズンと社交界シーズンを被らせるわけにいかないと考えるのは、妥当な判断だ」
「これだからオルディアス王国は魔法薬学会に魔術師が少ないんだよ。そりゃ医療魔法は高度な魔法だし、人の体を弄るんだから責任もあるよ。けど、根治に至らない症状については魔法薬や非魔法薬で経過を看るし、大手術では魔力と魔力回路の負担を減らすために魔法薬を使うわけだし、もっと研究に力を入れるべきだと思うよ」
酔いながらも、マルキオン教授は普段から口をついては出てくる話をしだした。耳に胼胝ができるほど聞いている面々は、「またか」といったところだが、クラウスだけが真剣に話を聞いていた。
「祝いの席でこんな話をするのはどうかとは思いましたが……」
突然そんなことを言い始めたので、レイが驚いてクラウスに視線を向けた。クラウスもレイをじっと見てから、マルキオン教授の方に向き直る。
「国立魔法大学魔法薬学部と提携して、レーヴェンシュタイン公爵領に研究所を作れないかと」
その一言に、レイとマルキオン教授が同時に立ち上がった。示し合わせたわけでもない互いの行動に二人で驚いてから、クラウスに向き直る。
「本当?」
「いつ?」
「専攻は?」
「王都じゃだめなの?」
怒涛の質問に、クラウスは落ち着くようにと手で示した。促されるままレイとマルキオン教授は自分の席に座る。
「すでに関係部署に打診はしてありますが、現在回答待ちです」
クラウスの回答に、マルキオン教授が深いため息とともに背もたれに体を預けた。それと同時に、クラウスがレイの瞳をじっと見つめて続ける。
「レイ、分かっていると思うが、これは君の研究所だ。大学へ行けなくなる分、研究できる場所を用意するのは至極当然のことだろう? だが、私の補佐役が派遣されてからじゃないと話は動かないし、それまでの間は、ここで我慢してもらうことになるだろう。そして、私が後継者として本格的に動くことになった場合、君も、レーヴェンシュタイン公爵領へ一緒に行ってもらうことになってしまう」
レイはクラウスが話すことに、まるで夢を見ているような感覚を持ちながら聞いていた。
「……専攻は、『先天的な魔力回路の欠陥に対する治療』で、時期も場所も未定、ということだな」
「だが、マルキオン教授の下で研究をしたいという君の希望にできうる限り寄り添いたい。ゆくゆくは国立魔法大学付置研究所の設立を視野に動くつもりではあるが、そのためには一定の成果を上げないと交渉することもできない」
クラウスの物言いに、レイはこめかみを押さえた。こいつは、自分がどれだけ大それたことを言っているのか分かっているのだろうか。
「まるで、金持ちの道楽だな。俺を囲うための事業なんて、領民に理解を得られるわけがない」
「違う、これは君をレーヴェンシュタインに迎え入れるという強み(アドバンテージ)があるからこそできる新しい事業だ」
真剣な眼差しに、レイは眉を顰める。
「強み(アドバンテージ)だと?」
「私は、レーヴェンシュタインを魔法薬研究に強い領地にしたい。貴族に囲われずとも、自立して研究できるような環境を整えたい」
レイはため息をついた。クラウスという男の考えることは、大抵レイに関わることが発端となる。わかってはいるが、それに無関係な領民を巻き込むのはいただけない。
――理由は?
そう聞こうと口を開いた時だった。ポケットに入れていた通信魔法機器が音を出す。そのけたたましい音に、レイは驚いた。普段はこんな音量を出すことなど無い。テーブルについている皆が一様にレイを見つめはじめ、ポケットから通信魔法機器を取り出した。手の中にある通信魔法機器から青緑色の魔法陣が浮き出る。
「ばあちゃんからだ」
「え、ルミア様?」
マルキオン教授がすぐさま反応する。伝説の魔術師が魔法薬店を営んでいるというだけで好感度が高そうなのは知っていたが、実際の活動が魔法薬の研究ではないことを知ったらどうなるのだろうか。
「すみません、席を外します」
そう言って慌ててダイニングルームを出た。けたたましい音を早く鳴り止ませたくて、廊下に出た瞬間に通話を開始する。
「ちょっと待ってね、移動するから」
「いや、構わないよ。頼まれていたことは“完遂”した。それだけ伝えようと思っただけだからね」
挨拶もなく本題から入るルミアに、レイは人知れず微笑んだ。相変わらずのせっかちだ。
ルミアに頼んだことが達成したということは、つまり、ディートリヒはこちらの条件をのんだということだ。もうすぐ国からの派遣員として、こちらに来るだろう。とりあえず、当面は領地経営と内情を知った者の補佐がつく。それだけでも、レイとしては心が軽くなった。
「言わないとバレないぐらいに変わったの? 声は?」
レイはそっと通信魔法機器に話しかけると、ルミアの通る声も幾分かマシな音量で返答が返ってきた。
「正直、『北』の整形技術は恐れ入ったよ。目が少し大きく見えるし、唇が分厚くなった。ちょっと顔の形も違うし、知らん間に泣き黒子まで生えちまってる。流石に髪の色と声はどうにもならんが、オルディアスにはごろごろいる髪色さ。話し方さえ気を付けて、貴族らしからぬ短髪に変えてしまえば、分からんだろうね」
ルミアの言う「北」とは、オルディアス王国から霊峰ヘイムディンズを越えた先にある、北の大国ダルケーンのことだ。北の大国の整形技術はスパイ量産国家と揶揄されるレベルというのは聞いたことがあるが、ルミアが驚くほどというのは少し興味が沸く。
「会えるのを楽しみにしているよ。相手はどうか知らないけど。……じゃ、俺は戻るね。今、祝勝会をしてるんだ」
「へー? マルキオンの坊やもいるのかい? よかったら代わっておくれよ」
マルキオン教授も若くして教授になっている上、見かけも若く見えるが、それなりの年齢だ。坊やというほどの者じゃないはずだが、どうせ分かってやっているので指摘するのも野暮だ。
「他にもいるし、皆に聞こえるからね」
レイはそうルミアに釘を刺してから、ダイニングルームに再び入った。皆の視線がレイに集まったので、そのままテーブルの中央に通信魔法機器をそっと置いた。
「マルキオン、うちの孫が世話になったね。大けがしたって聞いたけど、その後はどうだい?」
本人にはもともと『坊や』を付けて呼んでないのか、それとも他の人が聞いていることを考慮してなのか、ルミアが少し気を遣ったことにレイは驚いた。それを受け、マルキオン教授がグラスを置いて、相手に見えないにも関わらず居ずまいを整えた。
「ありがとうございます。後遺症もなく、過ごせていますよ。レイ君のおかげですね」
「もともとはクラウスが蒔いた種さ。……クラウス、ちゃんと謝罪と礼はしたんだろうね?」
突然話がクラウスへ飛ぶ。クラウスがいつもの調子で顔に“鉄仮面”を張り付けて、小さく「あぁ」と答えた。通信魔法機器の向こうから、ルミアのため息が聞こえる。
「お前、早いところ社交性を身につけないと、レイに愛想をつかされちまうよ!」
その一言を、レイは噛み締めるように笑いながら聞いていた。レイとしても、将来クラウスが公爵になるにあたり、作り笑顔ぐらいはできるようになってもらいたいと思っていたので、内心もっと言ってやれと思いながらグラスに手を伸ばした。
「余計なお世話が過ぎる」
クラウスが苦々しく呟くが、それでも表情が変わらない。これでもルミアに心を開いているのが分かるのが、レイだけなのだからそこも問題だ。人間、好意は分かりやすくしておくに越したことはない。
「そんなことあるもんか。レイは思ったより惚れっぽい男だよ」
「はぁ?」
今度は自分に飛び火した。レイはせっかく持ち上げたグラスをそのまま乱暴に置いて、ルミアに噛みついた。
「意味が分からない! 俺がいつ――」
「ん? だって、お前の好みの男がこの間まで近くにいただろう? どうせ厭味の数々を言われても、好みの相手からの苦言なんて全部受け入れたんだろう?」
ルミアの一言で、沈黙が下りる。クラウスの視線がレイに突き刺さり、レイはこめかみを押さえた。
「待って、何の話?」
訳が分からなくて、そのまま聞き返した。――これがいけなかった。ルミアはそのまま平然と続けてしまう。
「タールマンだよ。お前、強い男が好きだろう?」
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