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第65話 温度差
出てきた人物名に、レイの頬に赤がさす。この反応もいけなかった。自称するほど嫉妬深い男が、しかも苦手としている男の名前に過剰反応する恋人を見て、何の行動も起こさないわけがなかった。
「……確かに、私がタールマンを“奴”と呼称したら、諫められたな」
「ち、違っ! そういう意味で言ったんじゃない!」
クラウスの言葉に、レイは慌てて弁解した。疑惑の目を向けられたら、全てが怪しく見られてしまう。レイは努めて冷静に返そうとした。
「俺にとってタールマン様は天上の人だよ。そんな人に指導してもらえたのは貴重な経験だったし、指摘も的を得ていると思った。言い方ぐらい許容するさ」
その回答すら不服らしく、クラウスはじっとレイを見つめてくる。たっぷり二呼吸分ぐらい観察するような視線をレイに向けてから、クラウスは小さくため息をついた。
「羨望が羨望じゃなかったことが最近あったから、つい、な」
自嘲するような一言が、今度はレイの癇に障った。唯一、レイが嫉妬した相手であるオリンのことを仄めかす恋人に、酔った勢いもあったのだろうが、心がざわついた。
「――俺って、そんなに信用ない?」
口をついて出てきた感情的な言葉に、その場にいた全員が驚いた。普段そんなことを言わない人物の吐露に、視線が集まる。一瞬、しんと静まり返る場の中で、レイはグラスの中身を一気に呷った。たんっと大きな音を立てながら空になったグラスをテーブルに置いて、レイは口を開いた。
「ばあちゃん、とりあえず、皆元気だから」
「あの、レイ? そう怒らず――」
「また今度話そう。じっくりと、ね」
そう言い放って、一方的に通信を切った。集まっている視線をそのまま利用するように、レイはにっこりと笑顔を浮かべた。
「マルキオン教授」
「……はい」
普段お茶らけているマルキオン教授ですら、レイの圧に思わずそう返事をした。
「俺、シーズン行きます。教授の鞄持ちさせてください」
「えっ」
「待て、レイ!」
各々の反応に対し、レイはクラウスにだけはキッと鋭い視線を向けて黙らせた。
「むしろ国外にいた方が安全かもしれないですし、俺の研究を後押ししてくれる“パトロン”がついたみたいですので、もちろん応援してくれることでしょう」
語気を強めてそう言い切ると、クラウスの瞳が大きく開かれた。それを見て見ぬふりをして、レイはそのままマルキオン教授に向き直った。
「大学の研究費から補助が出るにしても、旅費は抑えるに越したことはないですし? ホテルの部屋も、別段一緒で構いませんよ?」
「待って待って! それこっちにも飛び火するから!」
マルキオン教授がサルベルト教授の視線を気にしながら反論する。それでも、レイの勢いは止まらない。
「まだ俺、退学届は出してないから手続きはできますよね? じゃ、俺今日はもう酔いつぶれそうなんで、部屋に引っ込みます。明日また話を詰めましょう。――アルさん、申し訳ないですが、お客様のこと頼みます」
壁際で静かに立ってこちらの様子を見ていたアルに、レイは声をかけた。アルは涼しげな顔で微笑むと、恭しく頭を下げた。
「客室の準備は整ってございます。レイ様がお作りになった、二日酔いに良いドリンク剤も、各お部屋にご用意済みです」
「ありがとう、助かります」
レイは立ち上がった。それに反応するようにクラウスも腰を浮かす。
「レ――」
一言を発するだけで、レイの鋭い視線がクラウスを射抜く。それだけで、クラウスは押し黙った。
「それでは、お先に失礼します。おやすみなさい」
そう言い放って、レイはダイニングルームを出た。
――この話が、つい三日前の晩のことだった。自分から言い出した手前、レイはクラウスのベッドで安眠枕役として横になって眠ってはいるが、その時から会話らしい会話を交わしていない。ベッドで横になっていると、そっとこちらを窺うようにクラウスの魔力と腕が寄ってくるが、それ以上のことはなく、冷戦状態が続いている。いや、恐らくクラウスの溜飲はすでに下がっており、レイの怒りが収まるのを待っているのだろうことは充分に理解していた。また、レイはレイで、自分の感情がここまで乱れたことが無かったために、折れ時を見失っていた。
通信魔法機器に送られてきたフォルトンからのメッセージにも、「婚約までしてるんだから迷惑かけずに解決しろよ」と、らしからぬ内容が入っていた。先日から心配ばかりかけているせいなのか、それとも前よりも近くにいられなくなるからなのか、はたまた婚約者であるクラウスへの配慮なのか、何かしらの意図があるのだろうとは思う。しかし、恋愛経験が無いに等しいレイには、なかなかハードルの高い問題であった。
見て見ぬふりをするように、レイは家主であるクラウスがいない書庫で、没頭するように書物を読み耽っていた。一冊読み終わるたびに、クラウスの顔がちらつく。それを忘れたくて、また違う書物へ手を伸ばす。それを繰り返しながら時間をつぶし、クラウスが帰ってくるよりも早くベッドに入る。毎晩、クラウスがそっと寝たふりをするレイの頬にキスを落とし、胴を抱えるように腕を回してきて眠りにつく。その度に耳の奥に響く共鳴音に、レイは寂しさを感じていた。
冷戦開始から一週間が経ち、秋の気配を感じ始めた頃に、彼はやってきた。
家主であるクラウスが不在の中、通信魔法機器にクラウスからメッセージが入り、挨拶は交わしてあるとのことだった。短い文の最後に「犯人は君か?」と書かれていたので、恐らく彼の正体が分かったのだろう。続けざまに入ってきたメッセージの短い一言で、レイはすとんと溜飲が下りた。――「ありがとう」ただ、それだけのことだったのに。
玄関でアルと話す彼を見ながら、レイはどの立場で話をすればいいか迷った。後継者の婚約者が、大きな顔でこの家にいるというのが、そもそもおかしい状況なのだ。正直、囲われていると揶揄されても仕方がない。むしろ先日、祝勝会でクラウスに自嘲したところだった。
さて、クラウスが気を回してレイの状況を説明してくれているかは分からないが、客人として世話になっている以上、挨拶はしておくべきなのだろう。気が重いが、レイは一歩前に踏み出した。
ルミアから連絡があった通り、まるで武人のように短く切られた栗色の髪の彼は、クラウスとは似つかない大きな目をしていた。瞳の色は魔法薬を使って変えているのか、深い青色に変わっている。鼻の形が少々鷲鼻になっており、顔の輪郭一つとっても、顎のラインがしっかりとした形に変わっていた。
深い青色の瞳がこちらを向く。レイは緊張しながら彼の前に立つと、そっと右手を差し出した。
「レイ・ヴェルノットです。……はじめまして」
そう言うと、彼はレイの手をそっと握り返した。その表情は複雑で、少しばつが悪そうだった。
「……ラーディーン・ウィルヒム、と申します。よろしくお願いいたします。……そして」
ラーディーンと名乗った男は、レイの前に膝をついた。握手だったはずの手は握られたまま、彼の額の前に掲げられた。
「――『謝罪は結構』とのことでしたので……ありがとうございます。心からの、感謝を」
最高位の感謝を示され、レイは目を丸くした。――あぁ、これが、ディートリヒとしての、最期の言葉なのだろう。レイはそう理解した。レイはラーディーンを立たせ、固く手を握り返した。
「どうぞ、よろしくお願いいたします……まだクラウスの婚約者でしかない立場で、こんなことを言うのもおかしな話ですが」
「いえ……早速ですが、仕事にとりかかろうと思います」
そう言って、ラーディーンは足元に置いた鞄を持ち上げた。レイは絶対不要なはずの案内を買って出て、共に廊下を歩いた。
執務室に案内すると、公爵が座る高級デスク以外に、恐らく以前はディートリヒが使っていただろうデスクと、補佐として派遣されたラーディーンが座るパートナーデスクがあった。おそらく、今後はディートリヒが使っていたデスクは、クラウスが座ることになるのだろう。
ラーディーンは、一度ぐるりと部屋を見渡してから、パートナーデスクの足元に鞄を置いた。それを見届けて、レイは「それでは」と立ち去ろうとした。
「ヴェルノット子爵」
「やめましょう、その呼び方」
唐突にそう呼ばれ、レイは間髪入れずに答えた。焦りながら執務室のドアを閉め、振り返る。困惑した顔のラーディーンに、レイは首を振った。
「できれば敬語も外していただきたい。ウィルヒム伯爵家に入ったのでしょう?」
「名ばかりの没落貴族です。公爵家に仕えるにあたり、平民では流石にまずいとの配慮であって、実権も何もありません。むしろ、ゆくゆくは公爵配となる貴方が私に敬語を使う必要がありません」
公爵家の後継者だったはずなのに、ラーディーンとしてのふるまいがすでに板についている目の前の男と、貴族として扱われることに慣れていないレイの差は一体何なのだろうか。レイはこめかみに手を当てながらため息をついた。
「であれば、ヴェルノットだって同じようなものです。領地もない名ばかり貴族ですから。本来なら公爵家に入るには不釣り合いな身分です」
レイはラーディーンのいるパートナーデスクにゆっくり近付いた。ラーディーンの視線がそのままレイについてくる。ラーディーンの前に立って、一度廊下の方を確認し、誰も来ていないことを確認してから口を開いた。
「クラウスには自ら伝えたんですか?」
「いえ……貴方がそう言うなら、恐らく勘付かれたのでしょう。完璧に振る舞ったつもりでしたが、これからもこうやって自身の影に怯えながら暮らしていくことになるのでしょう」
あくまでもラーディーンとしての仮面を外そうとしない徹底ぶりに、レイは感服した。
「……なら、何で分かったのか聞いておきます……たぶん、すぐには無理ですが……」
レイはおずおずとそう切り出した。ラーディーンが訝しげにレイを見るので、レイは「恥ずかしながら」と冷戦状態の話を打ち明けた。一気に呆れ顔になるラーディーンに、レイはただ項垂れた。
「恐れながら、一言よろしいでしょうか」
「互いに敬語を外すことを許可していただけるなら」
ラーディーンの言葉に、レイはそう答えた。ラーディーンは一瞬考えたような顔をしたが、切り替えるのも早いようで、そのまま続けた。
「……思春期のカップルか?」
「反論の余地もない」
レイの返答に、ラーディーンは顎に手を当てて何やらそのまま考え始めた。レイはその様子を見ながら、考える仕草がクラウスにそっくりだな、とぼんやり考えた。不意にラーディーンの視線がレイに向けられる。
「一応確認するが、魔法薬学集会シーズンへの参加はそのまま決行する予定でいいのか? 当て付けるために言ったことは分かるが、貴方が本当に行きたいのであれば、それ相応の準備が必要になる」
まさかの前向きな回答に、レイは驚いた。その反応に、むしろラーディーンがさらに困惑したようだった。
「主人より、レーヴェンシュタイン公爵領は魔法薬研究に力を入れていきたいという希望を聞いております。……であるなら、貴方はむしろ行くべきだ。この施策は、貴方がいないと始まらない」
ラーディーンの答えに、今度はレイの眉が寄った。
「……こんな、俺のための施策、領民の理解が得られるわけがない」
レイの言葉に、ラーディーンはじっとこちらを見てきた。何かを探るように思案し、「まさかと思うが」と口を開いた。
「この施策の意図を、聞いていないのか?」
まさかの言葉に、レイは衝撃を受けた。この施策に、レイが研究できる場所を確保する以外に意図があるというのか。
「ただ、魔法薬士が自立して研究できるような環境を整えたいということしか」
レイの答えに、ラーディーンは呆れたようにため息をついた。レイはただその様子を見て、ラーディーンが答えてくれるのを待ったが、それは叶わなかった。
「これは、本人から聞くべきだ。そして、貴方がザルハディアへ行くにあたり、色々とクリアしておかねばならないことがある。……時間が惜しい、行きながら話そう」
そう言ってラーディーンは、置いた鞄を再び持ち上げた。一度鞄の中身を確認し始めるラーディーンに、レイは戸惑いながら問いかける。
「えっと、どこに?」
鞄の中身を確認し終えたラーディーンが、鞄を閉じながらこう答えた。
「冒険者ギルドだ。貴方は冒険者としての資格を取得してもらいたい」
突拍子もないその一言に、レイはますます困惑するばかりだった。
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