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第67話 名前

 レーヴェンシュタイン公爵家に到着し、馬車から降りると同時にラーディーンが声をかけてきた。 「ヴェルノット卿」 「……呼び方の問題が残ってたか」  レイは眼鏡の位置を直しながら、振り返った。後ろからついてくるラーディーンが眉を顰めている。 「まさか、私にファーストネームで呼び捨てろと言うつもりか?」 「そのまさかだったら?」  出迎えてくれたアルが鞄を受け取ろうと手を出してくるが、二人して断り、屋敷の中に入っていく。そもそも、レイは学生証と財布ぐらいしか持っていかなかった。今思えば貴族にあるまじき行為だったかもしれない。ラーディーンが来るからと、クラウスがいつの間にか誂えていた秋用のベストとスラックスを着ていたから、それで許してもらいたい。 「私はただの雇われだ。命令とあって言葉遣いについては了承したが、それだけだ。それで仲が良くなったと勘違いさせたなら元に戻させてもらう」  彼にとっては当たり前の価値観で、使用人としての線引きなのだろうが、レイにとっては薄ら寒い敬称を付けられることの方がストレスだった。加えて、名も顔も変えてはいるが、相手はクラウスの兄にあたる人だ。蟠りをなくしたいと思うのは、自然なことだろう。何かしらの折衷案はないだろうか。  執務室のドアを開けながら、レイは考えた。 「逆に俺は卿のことをなんと呼べばいい? ウィルヒム卿?」 「好きに呼べ」  自身のデスクに鞄を置きながら、ラーディーンが疲れたように言い放った。レイは肩をすくめて、向かい側にあるクラウスのデスクに寄りかかりながら腕を組んだ。 「じゃあ、ディーン」  ラーディーンがこちらを向いたときの表情があまりにも形容しがたく、思わず噴き出して笑った。流石に親密さが過ぎたか。向けられる視線が鋭くなったところで、レイは咳払いをして続けた。 「では、ラーディーン卿。折衷案として家名で呼び捨てていただきたい。しかしながら、俺が結婚した暁には、ファーストネーム呼びになることを了承してもらわねばならない」 「その時は名すら呼ばなくなるさ。“(さや)様”」  鞘様。それは男性同士が婚姻を結んだ際の相方を指す敬称だ。第八代オルディアス国王の王弟であるデライド様が同性婚をされた際に、そのパートナーである魔法使いを「王弟の配偶者」から「配の君」と呼ぶようになった。その後、同性婚をした相手の呼び名を改める世論が強まり、デライド様が騎士であったことから、剣の対となる鞘の名が使われるようになった。ちなみに女性同士の場合はいまだに「奥様」と呼ばれており、王族から女性の同性婚者が現れるまでは、もしかしたらこのままなのかもしれない。  手強いな。レイは肩をすくめた。 「で、俺に何か聞きたいことが?」  玄関で声をかけられたことを踏まえてそう聞くと、ラーディーンはやっと話が進むと言いたげに息を吐いた。 「冒険者登録の際に申請した所持武器欄に、魔法薬以外に『銃』とあったが……銃を扱えるのか?」  ラーディーンの問いに、レイはポケットから一発分の銃弾を取り出した。親指で弾き、ラーディーンの手元までの足りない飛距離は浮遊魔法で補った。ラーディーンは手の中に落ちてきた銃弾にじっと目を落として観察する。 「……いやに冷たいな。まるでこちらの体温を奪おうとしているようだ。細工が施されているのだろうが……紋が刻まれているわけでもない。中に何が入っている?」  解析魔法が使えない魔法使いで、肉眼からの推察ならこれが限界だろう。レイはにやりと笑って答えた。 「氷属性の中級攻撃用魔法薬」  ラーディーンの眉間に皺が寄り、もう一度弾丸を指で摘まみながら、色々な角度から観察し始める。やはり俄かに信じがたいのだろう。 「……まさか。こんな大きさできちんと発動するわけがない」 「発動限界まで濃縮してある。そして、空気との反応速度や拡散性を調整して、問題なく発動することは実証済みだ。逆に言うなら、弾丸という檻の強固さが無いと、これは不可能だった。そして、檻を強固にしすぎると、発動時にきちんとガワが壊れず意味を成さなくなってしまう点についても、火薬による着弾速度を高める銃という機構も含めて、この形がベストだと判断した」  レイの説明に、ラーディーンはあんぐりと口を開けた。その反応に、レイは思わず苦笑を浮かべた。 「まさに、兵器だろう?」 「量産できる技術ができてしまったら、戦争の在り方が変わってしまう」 「その通り。だが、中級攻撃用魔法薬は中級結界で防がれてしまう。上級攻撃用魔法薬の濃縮化は、危険が伴い過ぎて魔術師でないと不可能だが……魔術師なら、素直に上級魔法を使ってしまう方がはるかに楽だろう。コストもかからないしな」 「……連射性と中級魔法のストックという観点から見ても、驚異的だ」  そっと弾薬をデスクの上に置いて、ラーディーンは重たいため息を吐いた。 「逆に、今までこれが世に出てこなかった理由は?」 「コスト面と手間。あとは、残念ながら魔法薬士の人材不足だろう。調合魔法における濃縮過程と魔力加工は、術者にとってかなりの負担となる。攻撃用魔法薬の製造を得意とする魔法薬士が少ないのもの理由の一つだろう。そして、これは魔法薬士だけでは完成しない。彫金士が必要になる」  レイの回答に、ラーディーンは呆れたようにこちらを見てきた。 「彫金士……魔法薬を使って加工を行う技術屋か。魔法薬が無ければ仕事にならないくせに、技術料だけはしっかり取るので有名な職種じゃないか」  悪意のある言葉に、今度はレイが眉を顰めた。 「ピンからキリだよ。それに、彼らの彫金魔法はセンスの塊みたいなものだ。きっとラーディーン卿も見れば納得するさ」  彫金士が世にもたらした影響は計り知れない。以前はあらゆるものに魔法陣を刻み込む仕事をしていた彫金士も、技術が進歩したことで、魔法機構を製作するにあたり、加工全般に関わるようになっている。しかしながら、魔法薬と彫金魔法が扱えれば誰でも彫金士を名乗ることができるため、腕の良し悪しの差が激しい業界でもあるのは確かだ。 「前回は国のお抱え彫金士に依頼したが……今思えば、魔法技術部の人だったんだろうなぁ。きっと魔術師の魔法薬士もいるだろうし、彫金士が調合魔法をどこまで理解したかは分からないけど、レシピが盗まれてるかもしれないと思うと、余計に腹立たしい」  レイがため息交じりに言った言葉に、ラーディーンは手帳を開きながら考え始めた。 「一度にどの程度作れる?」 「俺の魔力回路だと、三十発分が限界かな。前回は彫金士も試行錯誤しながらだったから、ロスも含めてそれぐらい。実弾として出来上がったのは二十発分だったよ」 「ということは、ノウハウが分かっている彫金士であれば、三十発分確保できるんだな?」  ラーディーンの言葉の意図が分からず、レイは首を傾げながら頷いた。ラーディーンが真剣な顔でレイを見つめながら続ける。 「藪をつつく結果になるかもしれないが、『彫金士と連絡を取りたい』と伝えてみればいい。実用化しようと画策されているのであれば、もう一度君の調合を見たいと思うのが職人魂では? 一緒に魔法薬士がついてきたら実用化しようとしていると見ていいだろう。この短期間であちらが予想できるぐらいのレシピであったなら、意味がないだろうがね。こちらとしても量を確保しておきたい。連絡するに越したことはないだろう。……で、これは、何という商品名だ?」  先ほど投げて渡した弾丸を摘まむように見せられながら名を聞かれ、レイは視線を宙に彷徨わせた。名づけなどしようとすら思っていなかった。 「試作弾・二号……」  そう言うと、ラーディーンは再び形容しがたい表情をレイに向けた。  さて、これはどうしたことだろうか。通信魔法機器に入ってきたマルキオン教授からのメッセージを、開いては閉じ、また開いては閉じて、レイはクラウスのベッドの上で唸っていた。  そのメッセージは、ザルハディア王国への渡航が禁止されたことにより、魔法薬学集会シーズンに参加できなくなったと書いてあった。俄かに信じられず、何度も読み返す。いったい何のために冒険者ギルドまで足を運んで登録をしてきたと思っているのだ。ザルハディア王国へ行った時の自衛のためだろう。それが―― 「なんで行けなくなるんだよっ!」  ベッドに顔を埋めながら、レイは叫んだ。このままふて寝でも決め込んでやろうか。いやダメだ。皆に心配をかけてしまうし、そんなことでふて寝するなんてガキのようだと笑われたくもなかった。  レイは通信魔法機器のメッセージ履歴を少し遡り、ザルハディア王国の恩師であるタイアーニ・べイストン先生から送られてきたメッセージを開いた。ベイストン先生はザルハディア王国では非常に珍しい魔術師の魔法薬士であり、呪いによる諸症状の対処療法に使われる魔法薬の研究に、長く努められた研究者だった。魔力回路の発熱抑制剤の元となった薬の開発者でもあり、レイにとっては命の恩人と言っても過言ではない人物であった。  ご高齢ということもあり、ザルハディア王国から出ることはほぼない大物から、レイは幾度となくザルハディア王国で共に研究をしようと声をかけてもらっていた。そんな折、今年はザルハディア王国で魔法薬学集会が開催されるとのことで、ベイストン先生から「来れるのであれば、ぜひ会いたい」とメッセージを頂戴していた。レイとしても、魔法薬通信以外で顔を拝見できる貴重な機会を逃したくなかった。貴方のおかげで魔法薬士として歩んでこられたと、直接伝えられる学会だったのに!  重いため息をついて、レイはそのメッセージに返信をした。テロの犯行予告により、オルディアス王国から渡航することが叶わくなったことを含め、先生とご家族の無事を祈る内容を入力し、三度読み直してから送信した。送信完了の文言が表示され、レイは通信魔法機器を閉じた。ゆっくりとベッドから起き上がろうとして、そのまま力なく突っ伏する。立ち上がる気力も湧かなかった。    あぁだめだ、行かないと。流石にラーディーンが着任したその日に歓迎会もないのは可哀想だ。ラーディーンはきっと嫌がるだろうが、クラウスが夕食に間に合わないなら、自分が行くしかない。歓迎会というほどのものでもないが、クラウスは少しだけ夕食は豪華にすると言っていたし、もしかしたらワインを開けるつもりなのかもしれない。そうなったらもしかして、ワインのテイスティングを自分がしなければいけないのか? 「うわ、やっぱりふて寝しようかな」  そう言いつつも、レイはポケットに通信魔法機器をねじ込んで、ベッドから降りた。一度姿鏡の前で身なりを確認し、部屋を出る。最初はダイニングルームへ足を向けたが、ラーディーンはまだ執務室にいるのかもしれないと思い直し、執務室へと行き先を変更する。  汚れ一つない絨毯が敷かれた長い廊下を歩き、執務室をノックすると、中からラーディーンの返事が返ってくる。やはり夕食の時間になっても仕事を切り上げていなかったようだ。そのまま執務室のドアを開け、ラーディーンに声をかける。 「ラーディーン卿、夕食を共にしたいんだが、区切りはつきそうか?」  言われて、ラーディーンはやっと時計を見た。眉を寄せ、書類に目をやり、ため息を吐く。まだまだキリの良いところまでは程遠そうだ。正直、レイも研究途中に声をかけられるのは好きではないので、その気持ちは分からなくもない。だが―― 「住み込みで働いてもらうことになるんだ。初日ぐらい譲ってもらえないか?」  レイの言葉に、ラーディーンは苦い顔を向けてくるだけで、席を立とうとはしない。仕方なく、レイは執務室に入って後ろ手にドアを閉めた。ドアに寄りかかり、腕を組みながらラーディーンを見る。両者譲らない姿勢のまま、先に口を開いたのはラーディーンだった。 「……どの面を下げて」  そう呟いたラーディーンに、レイは苦笑した。 「少なくとも、ではないだろう?」 「言葉遊びは好きではない」  じっとりと重い視線をこちらへ向け、ラーディーンは真面目に返してきた。やはり、ディートリヒとしての自責の念はそう簡単には拭えなさそうだ。これは、クラウスを待たざるを得ないかもしれない。被害者二人がかりでないと、この堅物は折れてくれなさそうだ。  レイはため息をつきながら、ラーディーンの近くに寄った。一応部外者なので、レイが近くにいたら書類仕事はできないだろうと踏んだが、残念ながら覗いた書類はレイの関係のものだったらしい。 「……待った。いつの間にか俺の社交界シーズン用の一式が注文されている?」  ラーディーンが見ていたのは、請求書だった。但し書きにレイの名前も書いてあり、商品名のところにモーニングコートやテールコートなどを含む二十点ほどが記載してあった。それに対してラーディーンは、何故本人が知らないのかと言いたげに「知らん」と呟いた。 「出なきゃダメ?」  他人事のように書類の処理をしようとしていたラーディーンの顔が、レイのその一言で呆れ顔に変わった。その視線の圧力に、思わずレイの視線は宙を彷徨った。 「君は、何者だ?」 「……はい、公爵家の後継者であるクラウスの婚約者です」  情けなくて泣きそうになりながら、レイは声を絞り出した。 「でも俺、社交経験なんて一度もないし、幼少から通ってたのは平民もいる魔法使い用寄宿学校だぞ?」  その一言で、ラーディーンは頭を抱えた。 「まさかと思うが、あのタナート伯爵領にある魔法技術特化型の変人育成機関か!」 「あ、やっぱりすぐバレるか。あんまりないもんな~魔法使い用寄宿学校。でも、一見魔法と関係ない分野の授業でも、叩きこまれてよかったと思っている。物事の観察力が上がるというか……あ、マナー授業とか一応あった。十年近くいて一回ぐらいだけど」 「……流石伝説の魔術師の系譜だ……君の人生がこうも魔法に全振りされている理由がよく分かった」  愕然としながらラーディーンが呟いた。レイが苦笑いを浮かべた瞬間、執務室のドアがノックされる。 「クラウス様がお戻りになりました」  ドア越しにアルの声が聞こえる。レイは、存外早かったなと思いながらラーディーンを一瞥した。おそらく、ラーディーンのために仕事を切り上げて帰ってきたのだろう。後継者としての仕事を覚えるつもりでもいるクラウスにとっては、王城側も配慮があるのかもしれない。  すでに書類に目を移し、少しも腰を上げようとしない男に小さくため息をついて、レイは廊下に出た。アルと共に足早に廊下を歩くと、ちょうど馬車が玄関の前に止まったところだった。――レイにとっても、久しぶりに言葉を交わす瞬間になる。緊張で変な汗がジワリと背中を濡らすが、レイは努めて平静を装った。  アルが玄関の扉を開け、馬車の前まで行くのを、玄関ホールに立って見送りながら深呼吸をする。 「大丈夫ですよ」  後ろからリエカがそっと声をかけてきた。あの冷戦勃発を目の当たりにした使用人たちは、どうやらレイの味方になってくれていたらしい。情けなくなるが、少し気は紛れる。  クラウスが玄関のアーチをくぐって屋敷に入ると、申し訳なさそうな顔をしながら、手に持っていた大きな箱を前に差し出し、口を開いた。 「ただいま」 「お、かえり」  レイはぱちくりと瞬きをしながら箱を受け取ろうとしたが、クラウスは箱を離さなかった。おそらくこのまま開けろということなのだろうと、箱に掛けられたリボンに指をかける。蓋を持ち上げ、中身を覗いてレイは噴き出した。 「調合台! おま、これ! 馬鹿高い奴だろ!」  箱の中に入ったつるりと磨かれた新品の調合台を見ながら、レイは声を上げた。大きな魔力石がついた、ルミアの研究室にある調合台の最新版だった。 「ルミアに聞いたら、これはレイが喜ぶだろうと言っていた」 「喧嘩の詫びにしては豪華すぎるっ! 返してこいっ!」  レイがそう言うと、クラウスは静かに首を振る。 「違う、それはまた後日させてくれ。これは、遅くなったがオーナメントのお返しだ。重いから持たせられないが」  その一言に呆気に取られていると、クラウスはそっと微笑みながらこう言ってのけた。 「プロポーズが成功したら、買っていいといったのはレイだろう?」  艶やかに鳴る低音に、レイの頭は学会に参加できなくなった悲しみも吹き飛んだ。これで一番最初に何を作ろうかということで頭がいっぱいだった。

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