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第68話 知らない明日

 調合台を持たせてくれないクラウスにどこに据え置くつもりなのか聞くと、自室と答えられたので、流石にレイは待ったをかけた。可能なら別棟に移すか、吹き飛ばしても問題ない部屋に強力な結界を張っておけるような場所が必要だと伝えると、険しい顔で「魔力回路がオーバーヒートした場合に、早期発見できる場所でないと困る」と言われて、ぐうの音も出なかった。 「だが、失敗した時のことを考えると――」 「その時こそ、君の身の安全は誰が担保する?」  リスク管理と安全面において議論が平行線を辿ったまま、一旦クラウスの部屋に荷物を置きに戻る。普段レイが簡易調合台の魔法陣を照射している机の上に、クラウスは高級調合台が入った箱をそっと置いた。すぐに使いたい衝動を理性で押さえつけ、レイはクラウスの肩から垂れるマントをそっと引っ張った。 「……意地張ってごめん」  ぽつりと呟くように謝ると、クラウスが驚いたように振り返った。 「違う、レイが謝ることではない。今回のいざこざは、もとはと言えば私の狭量が招いた――」 「いや、もとはと言えば、ばあちゃんがあんな紛らわしいことを言ったのが悪い」  ため息とともに、レイはこめかみに手をやった。言うべきか、言わざるべきか。レイは自身の恥部を晒す勇気がこの一週間持てなかった。 「ばあちゃんが、あんなことを言ったのには……実は理由があって……」  しどろもどろになりながら、レイは腹を括った。大きく息を吸って、ぐっと息を止める。 「俺の……初恋が……」  羞恥で顔が熱くなる。俯いて、顔を覆う。言え、言うんだレイ! 「ヴェーゼルゴン様だったから!」  汗が噴き出る。言った。言ってしまった。恥ずかしすぎる。クラウスがどんな反応をしているのか気になるが見るのも怖い。自分で言っていて阿呆すぎる。幼少の頃の阿呆な行動を、二十八歳の今になって暴露せざるを得ない状況を作ったルミアを、レイはしばらく許せそうになかった。  場を沈黙が支配する。突然の告白に、クラウスだって戸惑っているに違いない。穴があったら入りたい。誰か介錯ついでに埋めておいてくれないだろうか。 「……初恋が……ブルードラゴンの王、か……」  噛み締めるように呟くクラウスの声に、レイはそっと視線を上げた。指の隙間から見るクラウスの表情は真剣そのもので、レイは逆に肩透かしを食らった。  クラウスが遠い目をしながら呟く。 「私は、どこまで強くならねばならないんだろうか」  その一言に、レイは笑みを噛み締めた。あぁ、好きだなぁ。思わず漏れそうになった声を、笑みと一緒に押し留めた。  執務室に戻り、クラウスがドアを開ける。ちらりとこちらを見たラーディーンが立ち上がり、頭を垂れた。 「おかえりなさいませ」  凛とした声でそう出迎えられ、クラウスの眉がぴくりと動いた。ディートリヒであることはすでに見透かされていることを伝えても、態度を改めないラーディーンに、レイは小さくため息を吐いた。クラウスはそのままラーディーンの元へ近寄っていったが、レイはそれを執務室のドア付近から眺めるだけに留めた。 「……ただいま戻りました」  そうクラウスが小さく呟くように言った声は、寂しさを伴って響いた。そのまま席に着こうとするラーディーンに、クラウスが夕食を共にしたいと声をかけた。「ご命令とあらば」と返すラーディーンを見つめるクラウスの瞳が、微かに揺れている。二人とも長身だが、僅かにクラウスの方が身長が高く、姿勢の良さもよく似ている。そんな二人の間に、見えない渓谷が横たわっていた。 「本日の業務報告は、夕食の後にさせていただく運びでよろしいでしょうか」  ラーディーンの声が、はっきりと届く。法廷で聞いたディートリヒとしての声よりわずかに低く、恐らく気にしてわざと声色を変えていることが伺える。クラウスの了承を聞き、デスクの上が片付けられるのを待ってから、レイは二人に近付いた。 「クラウスは、何で正体が分かった?」  部屋の外に漏れないよう小さい声で話したが、気になるだろうラーディーンにも伝わるように言った言葉に、彼の片付けの手が一瞬止まった。クラウスはそれを受けて、ラーディーンにも自分が察していることが伝わったと判断したのか、そっと呟くように答えた。 「歩き方。記憶の中の姿と、一緒だった」  所作で分かるとは、流石諜報部員だ。だが、結局はクラウスが尊敬していた兄の姿を覚えていたという事実に他ならない。どこかで歯車が狂わなければ、何の蟠りもない、仲のいい兄弟でいられたのだろうと思うと、どうにも遣る瀬無い。  ラーディーンが少し不機嫌そうに、座ったままクラウスを見上げる。 「レーヴェンシュタイン公爵領の今後の方針について、パートナーの理解を求めずに進めるのは、些か問題かと存じます。喧嘩をしている暇があるなら、きちんと話しておいてください」  その一言に、クラウスの目がわずかに見開かれた。距離を置きながらも、言うことがまるで“兄”そのもので、なんとも不器用なことだ。流石にレイも、今のラーディーンの言葉には頬が緩んだが、せっかく話を振ってくれたので口を開いた。 「魔法薬研究に力を入れていきたいのには、何か意図があると聞いた」  その問いに、クラウスは深く頷いた。 「レイ、私たちが結婚するにあたり、抱えている問題があるだろう?」  優しく問い返され、レイは思案した。後継者の同性婚については、現在貴族院でも賛否が割れているそうだ。家の存続にかかわる問題と言うこともあり、様々な議論がなされているという。だが、国王が後継権を持つ者の同性婚を認める宣言を行ったため、決行は必ずされる。  レイは首を傾げながら、答えた。 「次代の後継者問題、か? だがそれが魔法薬士の自立を進める施策とどうつながる?」  現在、次代の後継者には傍系の者をあてがうのが有力な説となっている。レーヴェンシュタイン家の成り立ちは、はるか前の王家の傍系から派生した家柄だ。可能性としては、王族の傍系を養子縁組する可能性もある。レイはそう考えていた。  クラウスが大きく頷いた後、口を開いた。 「私は、領民から優秀な魔法薬士を育て、後継者に据えたいと考えている」  その重い一言に、レイは驚愕しラーディーンを見た。ラーディーンは涼しい顔をしながら書類をトントンとデスクの上で揃えており、長くレーヴェンシュタインを支えたクラウスの兄ですら了承済みという事実に、レイは更に驚かされた。 「平民から子供を迎え入れるのか!? レーヴェンシュタインや王族の傍系ではなく!? 公爵家だぞ!?」 「譲ってレーヴェンシュタインの傍系なら分かる。だが、王族はだめだ。初代レーヴェンシュタインは確かにオルディアス王国の王族出身者ではあるが、公に迎え入れればレーヴェンシュタインの中立という立場が揺らぎかねない」  レイは眩暈を起こしそうだった。この男は、どこまで大それたことをしようというのか。 「もし失敗した際には、レーヴェンシュタインの傍系を後継者へ据えることになる。そのつもりで親戚も動いているようだしな」 「そのようですね」  そう言ってラーディーンが差し出してきたのは、通信魔法機器に入ってきたメッセージを転写した紙の束だった。ざっと目を通すと、次代の後継者としての推薦状とともに、自身の子供たちの成績や容姿を添付されているようだった。まだ結婚もしていないのに、水面下で動いている未来の親戚たちに、レイはため息を吐いた。それを見たクラウスは、レイの手から紙束をそっと抜き取り話を続けた。 「後継者のことは、私としてはどちらに転んでもいいようにしておきたい、というのが本音だ。必ずしも平民である必要もないし、門戸は広くしようと思う。魔術師ではないにしろ、充分な教育を受けていないだけの才を持つ子に手を伸ばせば、将来的には必ずレーヴェンシュタイン領の利となる。それに、先日マルキオン教授も言っていたように、魔法薬士の存在が軽視されている現状が、私には君が軽んじられているように感じられてならない。……君は優秀な魔法薬士だ。そして、今回私と婚約を結んだことにより、オルディアス王国一の有名な魔法薬士となってしまった。これを、使わない手はない」  先日の祝勝会でクラウスが言った、『強み(アドバンテージ)』とはこのことか、とレイは目頭を押さえた。 「レイ、私たちは今後出てくるだろう同性婚を考える者たちのロールモデルになるだろう。ならば、後続の者たちへの道を、我々が自ら閉ざしてはいけない」  クラウスの語る未来に、レイは自分のちっぽけさを思い知った。自分ひとりの未来で手一杯なのに、クラウスはいったいどれだけの人の幸せを考えているんだ。まったく、かっこよすぎて参ってしまう。 「……採算は、とれるのか? 初期投資だけでも、ずいぶんかかるぞ」  レイがそう言うと、ラーディーンが即座に「計算中」と答えた。 「ザルハディア王国は、魔法薬士の地位が高いそうじゃないか。ぜひ勉強してきていただきたい」 「あ」  ラーディーンの言葉に、レイは魔法薬学集会シーズンに行けなくなったことを思い出した。温まっていた心が急激に冷めてしまう。それを見たクラウスがラーディーンに事情を話そうと口を開いたところで、通信魔法機器の呼び出し音が鳴り響いた。驚いてポケットから取り出すと、黄みがかった赤色の魔法陣が浮かび上がっている。 「マルキオン教授だ」  通信魔法機器に表示されている名前を見てそう言うと、レイは部屋の隅へ移動した。話の内容はクラウスたちに聞こえてしまうだろうが、マルキオン教授とレイが魔力の相性がいいことを知っているクラウスに、隠れて連絡を取ったと思われるよりよっぽどましだった。  魔法陣に手を触れて通話を開始する。 「教授? どうしました?」  レイがそう言うと、マルキオン教授は開口一番ため息を吐いた。 「ちょっとレイ君、いったい何したの?」  まるで呆れて物も言えないといった風に、マルキオン教授の声が通信魔法機器から流れてくる。全く見当がつかなくて、レイは首を捻った。大学関係ではまだ何も手続きはしていないし、今日は冒険者ギルドに魔法薬士としては珍しい冒険者登録をした、というぐらいしかマルキオン教授が興味を引きそうなことはしていないはずだ。いや、魔法薬士協会と繋がりがあるマルキオン教授は、もしかしたら冒険者ギルドからの依頼の件で、教え子であるレイが勝手に協会へ話を流すよう取り付けたことを怒っているのだろうか。いや、しかしながらあれは正しい処置だったと自負している。 「話が見えないですよ。いったいどれのことです?」 「どれって何!? 他にも何かしたの!?」  通信魔法機器越しに狼狽えるマルキオン教授をなだめながら、レイは話を促した。「ちゃんと後で聞くからね」と釘を刺された後に、マルキオン教授は本題に入った。 「ザルハディア王国で開催される魔法薬学集会シーズンのことだよ」  レイはマルキオン教授の言葉を聞いて、余計に首を捻った。 「行けなくなったんですよね?」 「しらばっくれちゃって!」  マルキオン教授が嬉しさと呆れが混ざった声を出している。しかしながら、レイにはそれが皆目見当がつかなかった。黙って聞いていると、マルキオン教授がしびれを切らして、言った。 「レイ君がお願いしたんでしょ? ザルハディア王国の魔法薬士協会が、魔法薬学集会にレイ君が所属しているゼミの魔法薬士は参加できるように取り計らってくれたって、大学を通じて連絡が――」 「は?」  素っ頓狂な声を上げるレイに、遠くの方でこちらを見ていたクラウスが足早に近寄ってきた。 「ちょっと待ってください。俺、何もしてないですよ?」 「え……でも、べイストン博士が、レイ君が来れないって国に苦情を入れたって聞いたよ?」  あまりの荒唐無稽な話に、レイは愕然とした。ふと、通信魔法機器に目を落とすと、新着メッセージを知らせるランプが点滅しているのが見えた。通信を切らずにそのままメッセージを開くと、べイストン先生からのメッセージだった。――『私が何とかする。ぜひ、君とじっくり話をさせてもらいたい。期待して待っていてほしい』僅か一時間前に届いていた返信だった。たったこれだけの時間でザルハディア王国への渡航が可能になってしまうなんて、訳が分からない。 「え……ぇえー?」  相手を気遣っただけのメッセージが、まさかこんな事態に発展すると思っていなかったレイは、困惑の渦に突き落とされた。

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