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第69話 ある日常
翌日、レーヴェンシュタイン公爵家の使用人たちと朝のお茶をした後、執務室のラーディーンを訪ねた。冒険者ギルドで受けた依頼品を調合するにあたり、素材の調達について相談するためだった。物によっては大学を経由して個人名で購入するわけにはいかない危険物もある。そうなると、正規ルートで卸してもらうためには国に研究所か魔法薬店登録をする必要があり、それが適わないなら裏ルートで手に入れるしかない。ルミアの魔法薬店として取り寄せるとしたら、レーヴェンシュタイン公爵領まで取りに行かねばならなくなる。一番楽なのは、一時的にどこかの研究施設を借り、素材ごと買い取ることだが、攻撃用魔法薬の素材があるかどうかも正直わからない。
ああでもないこうでもないと二人で頭を悩ませていると、不意にポケットに入れていた小型通信魔法機器が小刻みに震え始めた。初めての反応に、レイはその場で軽く飛び跳ねた。突然の行動にラーディーンの目が丸くなったのが見え、レイは恥ずかしそうに小型通信魔法機器をポケットから取り出した。トンッと軽く指で叩いて応答した後、左耳にひっ掛けるように装着する。
「はい」
端的に応えながら、ラーディーンに席を外すと目配せしてから、レイはクラウスの部屋へ走った。
「久しぶりですね。お元気ですか?」
左耳からタールマンの声が聞こえ、レイは驚いた。正直、自分に用がある人物といえば、クラウスぐらいしか思い浮かばなかったためだ。そして、意外な人物からの第一声が、こちらを気遣う一言だったというのが、あまりにも恐ろしい。
「はい。おかげさまで元気です」
諜報部の誰が聞いているか分からない。レイは身を固くしながら答えると、「そうですか」とあまり気のない相槌が返ってくる。
「クラウスから聞きました。ザルハディア王国へ行くそうですね?」
本題はこれか、と思いながら、相手には見えないのにレイは頷きながら答えた。
「魔法薬学集会シーズンに参加します」
「それ、クラウスは同行できますか?」
意味が分からなくて、レイは眉を寄せた。黙って聞いていると、更にタールマンが続けてくる。
「名目はなんでもいいです。『テロの声明が出ているから婚約者が心配でついてきた』でもいいですし、『護衛』でもいいです。こちらの事情で申し訳ないんですが、少々困っています」
困っているという割には淡々と言葉を連ねるタールマンに、レイは困惑しながら眉間を押さえた。これは、無理だとは答えられない圧を感じる。
「……表立って動いてもいいんですか? 『婚約者が心配で』という名目なら、レーヴェンシュタイン公爵家の後継者としての同行になります。それに、他の人もいる手前『護衛』という名目が使えるかも分かりません……少し相談させてください」
「色よい返事を期待しています」
そう言われ、聞こえないように静かにため息を吐いた。そのまま通話を終わろうと小型通信魔法機器に手を伸ばす。
「あぁ、そうそう」
突然始まるタールマンの言葉に、レイはすぐさま手を下ろした。
「クラウスから聞きましたか?」
言われた言葉に、レイはきょとんと宙を見た。タールマン関係の話は一切聞いていない。諜報部の話もないし、いったい何のことだろうか。
「魔法回路の発熱に関する文献の件です」
「おいクラウス。聞いてないぞ」
絶対聞いているだろうと踏んだクラウスから返答がない。その代わり、コツコツと鈍い音が響き始めて、バネッサが噴き出す声が聞こえた。
「『今話せない』『謝意』『謝意』二回も謝ってるわ。あのクラウスが。おもしろい」
コツコツという音は、何かしらの暗号だったのだろう。バネッサがレイにも分かるように訳してくれた。
まさかと思うが、ルミアの口から出たタールマンの名前に嫉妬してわざと伝えなかったわけじゃないよな? などと勘繰ったが、流石にそこまではしないだろうとつまらない考えはすぐに打ち消した。
「話す間もないぐらい家業が忙しいなら、私が行きましょうか?」
諜報部で忙しいはずのタールマンがそんなことを言い出し、素早くコツコツという音がまた響く。バネッサの訳が入らず、クラウスが何を言ったのかは分からないが、レイは無視して答えた。
「俺一人で伺いますよ。いつがご都合よろしいですか?」
またコツコツと音が響くが、タールマンは被せるように声を発した。
「そうですね、明日の午後から。一人で出歩かせるとクラウスが怒りそうなので、迎えに上がります」
「タールマン!」
話せないはずのクラウスの声が響いて、レイへの通信はぷつりと切られた。音を発しなくなった小型通信魔法機器をそっと耳から外し、手の中の機械に目を落とす。魔力石の魔力残量も充分あり、恐らくあちら側からレイの小型通信魔法機器だけ切断されたのだろう。
今日帰ってきたら、じっくり言い訳を聞いてやろうじゃないか。レイはそう思いながら小型通信魔法機器をポケットの中に突っ込んだ。
問い合わせたところ、魔法薬学集会シーズンに参加できるのは大学ではマルキオン・ゼミだけらしい。ゼミからの参加も「最少人数で」と言われているとのことで、恐らく国内でも参加できるのはここだけだろうとのことだった。
レイは特別扱いに眩暈を覚えながら、「テロの声明が出ている場所に婚約者を一人行かせるわけにいかない」とクラウスが聞かず、このままではシーズンに参加できないという建前で、マルキオン教授に相談した。頭を悩ませながら「護衛」という形で正式にクラウスを雇う方向で話を進めると言ってくれたマルキオン教授には感謝しかない。私費で行くとなると、おそらく一般渡航者と同じ扱いになってしまうだろうという配慮からだった。
お礼は何がいいか尋ねると、「怖いから要らない」と言われてしまった。前回渡したワインの一件が、どうやら尾を引いているらしい。流石にそれは申し訳ないので、護衛の依頼額と同じ金額をヴェルノット名義で大学の研究費に指定して寄付しておいた。バレたら確実に怒られるやつだ。
「貴方はきちんとこちらが要求したことをこなしてくれて助かります」
拉致されるように転移されて、タールマンの部屋のベッドの上に落とされたレイは、もう驚きもせずに眼鏡のズレだけを直し、事の顛末を伝えた。満足げに頷かれながらタールマンがそう言ったので、レイは暗にクラウスと比べるこの男に苦笑した。
個人的な伝言の伝え忘れすら引き合いに出されてしまうのか。クラウスを揶揄って遊ぶのが好きなのは分かるが、それが本人から苦手意識を持たれるということをそろそろ自覚してもいいのではないだろうか。
タールマンの部屋にテーブルや来客用の椅子などは無く、本人が机に座っている以上、レイは落とされたベッドの上に座っていた。部屋の雰囲気を見ても、どこかタールマンらしさを感じない。こざっぱりしているところはらしいといえばらしいが、置かれている調度品すべてに温かみを感じる。長年使われているようで、ところどころに魔法陣が小さく刻まれている。さらりと読み取ろうとしても、複雑な構成のそれは、高度な魔法が組み込まれているということしか分からない。ただ、結果を見るに状態を保存しようとしているのではないか、ということだけしか推測できなかった。
「さて、報酬というには微妙なものではありますが、これが魔力回路の発熱に関する記述があった本です」
そう言って差しだされたのは、古い装丁の本だった。膠で製本されていると思われる年季の入ったそれをそっと開くと、中に書かれている文字に驚いた。
「……エルフ文字。しかも、古代エルフ文字ですか」
「おや、読めますか?」
にんまりと笑うタールマンの意地悪そうな顔を見ながら、レイは苦笑した。
「分かってて聞いてますよね?」
「当たり前です。古代文字に適正があったとしても、文字自体が違うんですから。むしろ、これが古代エルフ文字だということが分かっただけでも驚きですよ。クラウスに聞きましたか?」
「いえ、平謝りされただけで詳しくは聞いてません」
クラウスがレイにこのことを伝えなかったのは、急ぎではないと判断したことと、レイがタールマンと二人きりで会わなくてもいいように手を打ってから話したかったとのことだった。「誓って、信用が無いという話ではない。私が二人きりになっていると思うだけで腹立たしく感じるだけだ」と、先日の冷戦の起爆剤となった要因を先回りして出してきたクラウスの周到さには舌を巻いた。しかし、現に二人きりになってしまっているのだから、そういった意味ではちょっと申し訳ないことになっているのだが。
レイは肩をすくめて答えた。
「エルフ語は齧った程度しか読めません。魔法薬の材料にはエルフから由来したものもありますし、この文字自体は過去の文献を漁った時に同じような文字を見たことがあるのと、昔父が似たような文字の本を持っていました」
一枚ページをめくりながら、やはりきちんと読めそうなところはなさそうだな、と思った。予想を立てることはできそうだが、そんな読み方は不本意だ。レイの答えに、タールマンは机から書見台をずらしながら不思議そうな声を上げた。
「ゼーハン・ゾ……ヴェルノットですか。確かに、魔法史の研究者なら造詣が深いのも納得ですが……ちなみに今その本はどこに?」
「分かりませんが……母曰く、本が溜まったら自分の実家に送っていたみたいなので、恐らくゾー家にあるのではないかと」
「『観測者の箱庭』ですか。なるほど」
タールマンの一言に、レイは頷いた。レイも最近知ったことだが、ゾー家は『観測者の箱庭』という名前の私設図書館を運営しているらしい。規模もおかしいぐらい大きく、まるで巨大倉庫のような図書館だそうで、ゾー家が世界中から集めたあらゆる記録が保管されているらしい。ただ、置かれている物自体が古いものが多く、むしろ古美術としての価値が高い図書が多いらしい。貸出は一切しておらず、その場で読むことだけが許された施設だ。
「確かに、あそこならあるかもしれませんね。機会があったら覗いてみます」
「タールマン様はエルフ語の本をお探しなんですか?」
レイがそう聞くと、タールマンの透き通った水色の瞳がじっとレイを見つめてくる。あぁこれは聞くなということか、と気まずく視線を泳がせると、タールマンは自身の机に紙とペンを置いた。
「私が翻訳するより、貴方は自分で読みたいタイプかと思いましたが、どうしますか?」
「お願いします」
提案を素直に受けて、ベッドから立ち上がった。レイは翻訳を読むのは個人的に好きではなかった。物語ならまだしも、論文は絶対に原文を取り寄せて読んでいた。翻訳と照らし合わせて、僅かなニュアンスの違いで解釈がぶれてしまうのが嫌だった。
タールマンが「時間です」と声をかけてきたときには、日はとっぷり暮れていた。続きはまた今度、と本が閉じられてしまい、レイは小さく唸った。しかし、忙しい中、長い時間をもらってしまったことに感謝を述べて、レイは案内されるまま馬車乗り場まで歩いた。遠目にも分かるほど背筋をピンと伸ばし、乾いた風に白金髪を揺らしながら、不機嫌そうに立っているクラウスがこちらを凝視しているのが見え、レイは肩を震わせて笑った。
「うまいこと言っておいてください」
「無茶言いますね」
レイがそう返してタールマンを見上げた時には、すでにそこに姿はなく、振り返れば足早に去っていく後ろ姿が見えた。まるで叱られるのが怖くて逃げだす子供のような様子に、レイはぽかんと口を開いて見送った。
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