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第70話 旅の朝
ザルハディア王国へ旅立ったのは、晴れているのに底冷えするようなある朝だった。一行は、ザルハディア王国がオルディアス王国よりも立地的に温かいことを見越し、脱ぎ着しやすい服装で出発した。寒がりのマルキオン教授に、早速バレた寄付の件をねちねちと言われながら、空調が完備されているレーヴェンシュタイン公爵家の紋が入った馬車で転移港へ移動していた。
「レイ君、ちゃんと贈賄罪って言葉知ってるよね?」
「だからグレーゾーンなところ狙ったじゃないですか。大学に対する寄付ですし。通話もわざわざ秘匿回線を使ったじゃないですか」
「個人じゃないにしても黒に近いよ! もう君からの秘匿回線通話はとらないからね!」
馬車が石畳を走る音にも負けないぐらい声を荒げるマルキオン教授だが、レイはその内容よりもマルキオン教授の魔力の状態をずっと観察していた。今回ザルハディア王国で開催される魔法薬学集会シーズンの準備と、社交会シーズンが被っていることもあり、恐らくサルベルト教授と会えていないのだろう。隙間風の音でも立てそうな魔力を纏っているマルキオン教授が不憫でならなかった。隣に座るクラウスをちらりと見てから、レイはタールマンの部屋で行った翻訳の途中経過と、原文の写しを鞄から取り出した。
「教授、これなんですけど」
「君から見せられるものはもう全部怖い」
「そう言わずに」
そう言って、レイはマルキオン教授の隣に席を移った。一瞬だけクラウスの目が見開かれたが、平静を装うように無表情になってしまった。仕事中の鉄仮面は、やはり感情を表に出さないようにするための手段でしかないのだろう。
レイはまずマルキオン教授に原文の写しを差し出した。ちらりと視線を落とした後、「え?」と小さく声を上げて写しを受け取った教授に、レイは少し自慢げに笑って見せた。
「エルフ文字……にも見えるけど、これは古代エルフ文字? レイ君、これどうしたの?」
「伝手でいただきました。今翻訳中です」
「翻訳!? まさか古代エルフ文字まで手を広げるとはね。うわ、いいなあ。翻訳見せてよ」
「まだ途中ですよ。この写しの範囲を翻訳して提出するのが課題です」
そう答えながら、レイは翻訳の途中経過を渡した。原文の写しと翻訳を見比べながら、マルキオン教授が黙々と読み始める。なんで馬車に乗りながら酔わずに文字が読めるんだろうか。貴族はそういう訓練でも受けているのだろうか。
「エルフのお国柄なのか分かんないけどさ。こういう『毒を以て毒を制す』っていう考え方の処方、多いよね。逆にこういうのができるのって、魔力操作や魔法薬の加工が上手くないとできないよ」
「俺もそれは思いました」
今回見せてもらった魔力回路の発熱についての記述は、先天的欠陥による魔力回路の発熱ではなかったにしろ、その対処法に関するものだった。発熱している魔力回路は早期回復をさせる必要があり、医療魔法であれば簡単に行える“冷やす”処置が一般的だ。しかしながら、現状魔法薬においては、魔力回路のみに絞って“冷やす”効果のあるものは見つかっていない。一方で、タールマンから示された文献に書かれている魔法薬では、魔力回路のみを『眠らせる』作用があり、それが有効とされている。しかも、そこに用いられる薬草と鉱物に含まれる毒が作用し合い、その効果をもたらすという。いったいこれらが何なのかが見当もつかない。古代エルフが使っているものの名前と、現在の名前が一致している同じものの場合もあれば、そうでない場合もある。
「挿絵も転写してもらったんですけど、流石にわからなくて……教授は見当つきます?」
「さっぱり。エルフが住んでいた森があるザルハディア王国に行くんだから、せっかくなら調べたいところだね」
「ですよね!」
意気揚々と応えて、はっとクラウスを見る。涼し気な鉄仮面が、レイをじっと見ている。気まずくてぱちぱちと瞬きをしながらクラウスを見ると、ついっと視線を逸らされた。これはきっと悶々とさせてしまっているなと思いながらも、レイはこれから二週間、マルキオン教授の鞄持ちとして走り回ることになる。今のうちに慣れておいてもらわないと困る。
次に、レイは鞄から魔法薬学集会の進行表を取り出した。教授から事前に挙げられていた拝聴予定の発表は、前回よりも減っている気がする。だが、レイが聞きたいと思っていたものは全て網羅されており、もしかしてそれも含めて提示されたのだとすると、この人の優しさは留まるところを知らない。
「今日は移動日だけど、どこか寄りたいところはある?」
「ザルハディア王国で、ですか?」
マルキオン教授の言葉に、レイは思案してクラウスを見た。詳細は知らされていないが、クラウスは諜報部としてザルハディア王国へ渡航する。仕方ないとはいえ護衛として雇い入れている以上、レイやマルキオン教授が移動するとなったら、便宜上、同行せざるを得ない。彼の仕事の性質上、予定を聞くわけにいかないだろうと思い、特に予定を詰めるようなことはしていなかった。レイの視線に気付いて、クラウスの視線が再びこちらを向く。そのままゆっくりと頷かれるので、合わせるということなのだろう。――しかし、レイは余計に悩んだ。
「魔術師二人を連れていける場所……」
レイの悩みは、唯一ザルハディア王国の好きになれないところでもあった。――ザルハディア王国は、魔術師に対する嫌悪感 が酷い。例えば、オルディアス王国では、魔法医はその専門性と高度な技術力を求められる関係で魔術師でしかなれないが、ザルハディア王国はそうではない。そのため、ザルハディア王国での治療は非魔法使いである医師にかかるか、魔法薬を使うのが一般的だ。だからこそ魔法薬士大国として名を馳せ、研究に力を入れられる文化圏でもある。
ザルハディア王国の魔術師に対する差別はエルフとの共存文化が由来と謂われている。過去、エルフと交流を持った最初の人間は非魔法使いの商人だった。その商人の人柄により、閉鎖的な生活を送っていたエルフとの交流が生まれたことは喜ばしいことだが、最終的にエルフが選んだのは、人間の魔術師だった。生活の利便性が向上した後では、エルフの知識を理解できる良き友となれたのは、数少ない魔術師だけであった。しだいにエルフとの交流は魔術師が担うようになり、その羨望はいつしか、妬みへと変わっていった。――人間のつまらない一面が、この差別には詰まっている。
決して、オルディアス王国に差別がないという訳ではない。むしろザルハディア王国とは対極である。魔法使いが息をしやすい環境を整えることに力を入れている分、非魔法使いのヒエラルキーは下になりがちだ。それにより、魔法使いの教育では非魔法使いを尊重する教育がなされるが、庇護される側としては、それも面白くはないだろう。そして、ザルハディア王国で迫害され流れてきた魔術師が作り出したのは「魔術師じゃないくせに」という魔法使い全般を下に見る言葉だった。これが、オルディアス王国で魔術師の少ない魔法薬士分野が軽視されている所以でもある。
レイが頭をひねっているのを見かねて、マルキオン教授がため息交じりに口を開いた。
「今回、ホテルに泊まれなかった我々を受け入れてくださったのは、王弟陛下であられたケイデン様でしたよね?」
マルキオン教授の問いに、クラウスが静かに頷いた。
「ザルハディア王国のペリスコット公爵家の次女と婚姻を結び、現在ペリスコット領を治められていますが……大の社交嫌いですから、滅多にタウンハウスにはいらっしゃいません。使用人に仕事をさせないのも良くないからと、ご厚意に甘えることにいたしました」
クラウスがそう答えると、マルキオン教授の背筋がスッと伸びた。
「あの……大変申し上げにくいのですが……レーヴェンシュタイン公爵家の後継者であらせられるクラウス卿に、そう丁寧な言葉遣いをされると……」
「居心地が悪いかもしれませんが、私は雇われの身でございます。どうぞ呼び捨ててください」
「……無理ぃ」
最年長でいるはずのマルキオン教授が頭を抱えた。マルキオン伯爵家の三男としては、なかなか気を遣う構図となってしまうだろう。加えて、今回大学を経由して予約をしようとしたホテルは、口を揃えてテロを理由に外国人の宿泊拒否を行っていた。しかしながら、数年前の魔法薬学集会シーズンの時も、有事ですらないのに同じような拒否があったことがある。――つまり、テロなんてものは聞こえの良い口実で、ただの魔術師拒否というわけだ。ホテルが予約できず困っていた大学に手を差し伸べたのも、目の前にいるクラウスだったのだから、頭が上がらないのも無理はない。
レイは小さくため息を吐いて、隣のマルキオン教授を見た。
「教授は飽きてるかもしれませんが、ピトル広場でも行きます? 会場の下見がてら」
「いいね。きれいな街並みだし、非魔法使いが運営している広場だから、あんまり偏見もないし」
マルキオン教授が笑顔で同意したので、レイは念のため進行表をクラウスに渡した。事前に二週間の内、どの時間帯に会場にいるのかは伝えてあったが、きちんとしたものは見せていなかった。クラウスはそれを受け取って、上から下までさらりと目を通した後、口を開く。
「会場は『継智の塔』か。確かに、ピトル広場に近いな」
「行ったことある?」
「中に入るのは初めてだ」
継智の塔は、エルフと共存関係を結んだ際に建てられたものだ。かつては森から訪れたエルフが、塔の中でザルハディア王国に住む魔法使いたちに魔法や技術を教えていた学校のようなものだったという。今はその名残を残しつつ、何度か改修を重ねながら国の象徴として佇んでいる。塔の名にふさわしく、六階建ての建造物は、上から見ると美しい六角形をしている。ザルハディア王国で何か大きな催し物がある際は、この継智の塔が使われることが多い。近くにあるピトル広場は、エルフと初めて交流を持った商人ピトルが名前の由来らしい。広場の中心には大きな噴水と、エルフとアースドラゴンのモニュメントが立っている。広場には出店が立ち並び、継智の塔を見に訪れた観光客が、その足で買い物をしてくのが常だ。
「なら、タウンハウスに荷物を置いたら移動しようか」
マルキオン教授の言葉に頷いて、レイはそっとカーテンをずらして外を眺めた。目と鼻の先に、天へ伸びる八本の転移港が聳え立っていた。断続的に行使されている転移魔法の余波により、塔の先が僅かに歪んで見える。転移港の近くにいると、いつも肌がぞわぞわとして落ち着かない。これもおそらく、魔力の感知能力のせいなのだろう。
「エチケット袋持ってきた?」
揶揄うようなマルキオン教授の声が聞こえ、レイは半眼になりながらカーテンを閉めた。
「今日の俺は、一味違いますよ」
唇の端をつり上げながら、レイは不敵に笑った。面白そうに「へー」とマルキオン教授が相槌を打つので、苦笑しながら白状した。
「酔い止め、改良しましたから」
「……と、言いつつ?」
「持ってきてます」
ポケットからエチケット袋を取り出して見せると、マルキオン教授が噴き出して笑った。
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