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第72話 魔法薬士

 タウンハウスに戻ってきて、流石に夕食までお世話になるわけにいかないのでは? などと話をしていたところに、クラウスが所要で外出すると言ってきた。諜報部として仕事に行くのだろうと思い、見送りに出ようとすると、「実は」と前置いてクラウスは事情を話してきた。 「怪我人がいるのに日中こっちの都合を優先させていたと……?」  レイは静かに怒りを滲ませながら、クラウスを睨みつけた。一瞬視線を泳がせた後、レイを見つめてクラウスはしれっと言ってのけた。 「どれくらいの怪我かも聞いていないし、負傷から既に二週間経っている。流石に手当てはされているだろう」 「以前、タールマン様から諜報部に医療魔法を使えるのは祖母とバネッサさんしかいないと聞いた。処置は外部の者か?」  クラウスが黙っているので、知らないのか答えられないのか分からないが、レイはじっとりとクラウスを睨みつけた。 「確認しろ。さもなくば俺も行く」 「レイ」 「教授にはデートだと言えばついてこない。それにここは公爵家のタウンハウスだ。護衛であるクラウスが付いていなくてもマルキオン教授も安心だ。何かあった場合のことを考えて、俺たちをここに押し込めておくつもりだったんだろう? つまり、ここの安全は担保されている。違うか?」  そう矢継ぎ早に伝えると、クラウスは観念したようにポケットから小型通信魔法機器を取り出した。左耳に装着し、耳の後ろを指先でノックするようにトントンと音を立てて会話を始める。魔術師であることを隠さねばならないため、防音結界が張れないのが大きな理由だろう。  その間に、レイは自分の鞄の中身を確認し、簡易調合台として使う魔法陣が封じ込められたループタイを締めた。行った先に薬の材料があるかどうかは分からないが、まだ日は高いため薬草市場も開いているはずだ。ザルハディア王国は豊かな土壌に恵まれ薬草が育てやすい環境にあり、そのため大きな薬草市場がある。これが、ザルハディア王国が魔法薬士大国として栄えられた理由でもある。  外出の準備が整ったと同時に、クラウスが小さくため息を吐いたのが見えた。 「……レイ、一緒に来れるか?」  その一言に、レイは詳しい症状の説明を求めた。負傷箇所は左足。屋根伝いに追手から逃げていた際、急激に魔力が不調となり、身体能力強化魔法も結界も行使できないまま屋根の上から転落したとのことだ。魔術師が任務中に魔力の不調をきたすなど、通常ではありえない事態だ。負傷した足は、非魔法使いである医師が骨の位置を整え、固定してあるという。外傷について処置が済んでいるのであれば、レイが調合することはないかもしれない。 「すぐ行こう」  レイは肩掛け鞄を担ぎながら、そう言った。  ケリーという名の諜報員が潜伏しているのは、平民の居住区だった。呪いの浄化薬の大量輸入について、貴族層と平民層の二つで調べていたのだろう。ただ、貴族層の方が秘匿性が高く、調べるのは難航していそうだ。平民層へ馬車で乗り付けるわけにもいかず、レイとクラウスは乗合馬車を乗り継ぎながら向かっていた。途中、レイとクラウスは、ザルハディア王国の平民が着ていそうな服を調達し着替えたが、それでも、クラウスから滲み出る貴族の品格は、どうにも隠しきれなかった。 「これだから美形(イケメン)は」 「顔に傷のある私より、何故自分を棚上げできるのか全く理解できない」  白金髪を隠すために髪を束ね、前つばの長いワークキャップを目深にかぶりながら、クラウスが軽口を返してくる。レイはその言葉に肩をすくめた。 「不本意ながら、かわいいとしか言われたことがないな。主に君に」  そうと言うと、クラウスに呆れたように視線を向けられた。小型通信魔法機器を隠すために横髪を少し垂らすと、せっかく束ねた髪が帽子の中からするするとこぼれ出てきていた。仕方ないのでありふれた髪色であるレイが髪を下ろし、小型通信魔法機器を左耳に装着する。クラウスが小型通信魔法機器に魔力をそっと流し、レイの通信機器にも通話が飛ぶようにしてくれた。突然流れ始める聞いたことのない声に、レイは一瞬身を強張らせた。 「ケリーだ。よろしく頼む。ちなみに敬語は不要だ。逆に、貴族だろうがこちらも敬語は無しで対応させてもらう。これが基本的な諜報部のルールだ。気を悪くしないでくれると助かる」  通行人に怪しまれないように、レイはクラウスの方を向いて話しかけた。 「分かった。諜報部より依頼を受けただけの人間だが、有難くそちらの流儀に添わせてもらう。――こちらはレイ。改めて道案内を頼む」  潜伏中のケリーの声は寝起きのような声をしていたが、レイが話し始めると、少し話し声が固くなったように感じた。気を許した相手ではないからだろうが、そう対応されるとこちらも少し身構えてしまう。  ケリーの案内に従い、平民街の裏路地を足早に移動した。明るい表通りと打って変わり、裏路地は少しすえた臭いが漂っていた。レイは思わず眉を顰めたが、クラウスの表情は変わらない。おそらく、貧民街との境なのだろう。平民の中でも貧富の差があるのはどこの国でも同じだが、人目を避けて移動するにしても、あまり長居はしないに越したことはないだろう。  やっと裏路地を抜けたところで、ケリーの潜伏先についた。表通りからは見えづらい位置にあるドアの前に立ち、クラウスがノッカーを叩いた。中から「開いているぜぃ」と声がかかったので、クラウスを先頭に部屋に入った。  平民層に見合ったワンルームの部屋には、外界の光が入りづらい小さな窓しかついていなかった。寝るために戻ってくるだけの生活しかしていなかったのだろう。家具はほとんどなく、部屋の隅にはゴミが大量に溜まっており、空気はひどく籠っていた。  ケリーはベッドの上に座って、無精ひげが生えた顔をこちらに向けていた。 「よぉ、久しいな。クラウス」  ぼさぼさの暗めの茶髪を撫でつけながら、ケリーは親しげにクラウスに話しかけた。しかし、クラウスは表情一つ動かさず、小さくため息を吐いただけだった。レイは換気するためにドアを開けたままにしたかったが、流石にそういう訳にもいかず後ろ手にドアを閉めた。ケリーの視線が一度こちらを向き、またクラウスの方に向く。 「お前の婚約者なんだって? おめでとう。えらい別嬪さんだな」  そう言葉を続けても、クラウスは顔色を変えることなくケリーに近付いて、素早く洗浄魔法を行使した。平民街ということもあるし、確かに洗浄魔法ぐらいなら使用しても問題ないだろうが、突然話している相手に洗浄魔法をかけるのはあまりにも失礼な行為だ。 「……魔法が使えないのか」  小さく問いかけるクラウスに、ケリーは晴れない表情のまま頷いた。 「うまいこと魔力が練れねぇ。無理やり使おうとすると、全身に痛みが走る。ここ一週間ほど、体もずっとだるくてな」  ケリーの言葉に、レイはクラウスを仰ぎ見た。クラウスが小さく頷くので、レイはケリーに近寄った。 「お前さんが、レイか?」 「初めまして。残念ながら医者ではないですが、少し診させてもらいますよ」  ケリーの言葉にそう応えると、肩をすくめられた。 「敬語は不要だ」  その指摘にレイは苦笑した。流石に面と向かって目上の人に敬語を使わないのは、職業柄なかなか難しい。そして、以前にも隣にいる奴と同じようなやり取りをしたなぁと思い出して、少し心がくすぐったくなった。 「手を」  レイがそう言って手を差し伸べると、ケリーが訝しげにレイの手を一瞥してから手を重ねてきた。そのまま解析魔法を行使して、ケリーに魔力を流す。途端に感じる腐敗したような匂いに、レイは眉を顰めた。症状を聞いてまさかと思っていたが、当たり(ビンゴ)か。胸の内で舌打ちしながら、レイはそのまま解析魔法を行使し続けた。まだ炎症反応があり、固定されている足が腫れているか、他の症状があるのかもしれない。少なくとも、衛生環境の悪いこんな場所にいたのであれば、風邪を併発していてもおかしくはない。  解析魔法を解除して、レイは眉間を押さえた。どう伝えるべきか逡巡し、ありのまま伝えるしかないと腹を括って、口を開いた。 「……呪われている」  呟くように言った言葉に、ケリーの目が見開かれた。 「訳が分からん。なんで俺が」  一瞬動揺したようだが、それでも平静を保っているケリーに、やはり諜報部は精神的に鍛えられているのだろうとレイは思った。  クラウスが顎に手を当てながら口を開く。 「諜報活動において、誰かに恨みを買うようなことは?」 「今回に関しては無いと言い切れる」  言い方に引っかかりを覚えつつ、レイは固定されているケリーの左足にそっと触れた。添え木に包帯を巻いただけの簡易的な固定で、触っただけで熱を持っているのが分かる。 「緩い」  レイは膝をついてケリーの包帯を解いた。足の裏に内出血が出来ており、ぷっくりと甲が腫れている。おそらく骨折したのは中足骨なのだろう。 「歩いたりは?」 「していない」 「食事は?」 「コリント……もう一人の諜報員が運んでくれている」  レイは包帯にも洗浄魔法をかけ、添え木を当て直して包帯を少し張りながら巻き直した。きゅっと端を結んで座っているケリーを見上げる。 「食べられてはいるんだな。患部以外に痛みは?」 「今のところはないぜ、先生」  軽口をたたくケリーに、レイは苦笑しながらベッドにも洗浄魔法をかけた。これで幾分か気持ちよく眠ることはできるだろう。  レイは小さな窓から見える外の明るさを見ながら、思案した。 「薬草市場はもうそろそろ閉まる頃合いか」  乗合馬車を使って向かってきた関係上、時間がかかり過ぎた。本当なら消炎鎮痛剤が処方されていてもおかしくなさそうだが、そのような薬は見当たらない。  レイの独り言に反応したのか、耳に付けていた小型通信魔法機器にノイズが入った。 「コリントだ。何が必要か教えてほしい」  コリントのテノールボイスが小型通信魔法機器に流れると同時に、レイが左耳に触れた。それを見て、話を共に聞くためだろう、クラウスも小型通信魔法機器を装着し始める。 「コリント、ブルネア冷根と、フェルナの灰草が一籠ずつ欲しい。可能ならリュミナ苔も。量について不安だったらもう一度連絡してくれ。単位については通常統一されているはずだから恐らく大丈夫だと思う。張り薬を作るから、それ用の布も欲しい。サイズは二十五かける二十五だ。最低七枚確保したい」 「了解した」  そう言うと、コリントからの応答はふっつりとなくなってしまった。ケリーがレイをまじまじと見つめたあと、クラウスに視線を向ける。 「……何者?」 「魔法薬士だ」  静かに告げるクラウスに、ケリーは納得といった顔をしながらベッドに横たわった。低い枕の下で手を組み、ため息を吐きつつ再び口を開く。 「調合するなら、ここでも大丈夫だぜ。魔法の余波が漏れねぇように、壁に魔法陣を刻んである。起動スイッチは照明の裏だ」  ケリーの言葉を聞いて、レイはすぐに壁を斜めから透かすように見始めた。見える範囲にはなく、部屋の隅のゴミをかき分けると小さく刻まれた魔法陣が見つかった。おそらく退去するときは切り取った上でパテ埋めするのだろう。  レイは嬉々として魔法陣を解読し始めた。これがクラウスの部屋にもあったならとてもいいのに、と思わずにいられなかった。 「起動した瞬間は、魔法の行使と同じような気配が出たりしないのか?」 「少しは出るな。でも、洗浄魔法と同じぐらいの気配しか漏れない」 「魔力石のランクは?」 「Aランクだ」 「Aランクかぁ……そうだよな、Bじゃだめだよなぁ」  残念そうにレイが声を絞り出すのを見て、ケリーがもう一度クラウスに視線をやった。その視線の意図を察してか、クラウスは何も言わずにただ静かに頷いた。

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