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第74話 不穏な気配

 レイはケリーの潜伏先を出てから、木箱を集めたジャンク山の横を通って歩いた。日が傾き始めても、恐らく近所に住んでいるだろう子供たちの遊ぶ声が聞こえ、レイはその声に誘われるように足を向けた。 だだっ広い空き地で、子供たちがへこんだボールを蹴っているのが見える。飛ばないようにわざわざ空気を抜いてあるのか、単純に破けてもなお使い続けているのか分からないボールが、重い音と共に蹴られて宙に舞い、地面に落下しても大して弾まず、べしゃりと地面の上で動かなくなる。子供たちは、流石にそのボールを蹴るのも飽きてきたのか、ボールの周りに集まって、へしゃげた姿の物体と化したそれをつついていた。  その姿を遠目に見ていたのは、レイだけではなかった。ボールで遊んでいる子供たちの兄貴分にあたるのか、十五、六歳ぐらいの少年が、空き地の隅の方で木箱に腰かけ、その様子を眺めていた。その少年は、やや疲れているようにも見える。おそらく、親の仕事の手伝いに駆り出されているのだろう。若く細い体に、無理をして鍛えられたような逞しさがあり、くたびれたシャツとズボンではそれを隠してきれていない。仕事終わりに弟妹たちに付き添っている姿を見ると、なんとも歯痒い気持ちになる。 「……あのボールは、直してもいいものか?」  レイは、少年に問いかけた。話しかけられると思っていなかったのだろう、驚いた少年の表情は年相応のあどけない顔を向けてきた。問いの意図が掴めなかったのか、黙ってこちらを見つめてくる少年に、レイは子供たちが囲んでいるボールを指差した。 「わざと飛ばないように、破いてあるのか?」 「いえ……そういうわけでは」  おずおずと答える少年に、レイはニッと笑ってみせた。 「ちょっと直せるか見てもいいか?」  そう聞くと、少年は困惑顔で頷き、レイと一緒に子供たちの方へ向かって歩き出した。近付いてくるレイに子供たちは不思議そうな顔をしているが、少年と共にやってきたことで警戒はされていないようだ。 「見せてもらっていいか?」  レイはそう言って、子供たちに潰れたボールを指差した。「いいよー!」と快く返事をして、汚れたボールを渡してくる。レイは色々な角度から丸くないボールを観察した。空気を入れる部分は丈夫に作ってあるのか、機構は生きていそうだ。だが、丈夫な機構付近のゴム生地に亀裂が入っている。ボールを押すと、僅かにその亀裂から空気が漏れてきているのが分かった。 「誰か、このボールが入るようなバケツを持ってきてほしい。水が溜めておけるような、穴が開いてないやつだ」  そう言うと、子供たちが一斉にジャンク山まで走って行った。「気を付けろよ!」と少年が子供たちの背に向かって声をかけている。レイは、魔力を練って慎重にゴムの亀裂部分を溶かして亀裂を塞いだ。簡単な応急処置でも、ゴムに熱が入った匂いがプンと鼻につく。溶けたゴムは簡単に固まったが、念のため冷やしたほうがいいだろう。本当なら、亀裂を覆えるような素材を溶かして貼り付けたいところだが、先ほど通ったジャンク山から、あるかどうかもわからないそれを探すのは、なかなか骨が折れる。  確認できる傷を塞ぎ終えると、子供たちが取っ手のない歪んだバケツを持ってきた。凹むたびにハンマーで叩いて直していたのだろうと思われるバケツは、地面に置いてもグラグラと揺れているが、見る限り穴も開いておらず、問題なさそうだ。  持ってきてくれた子供たちに礼を言うと、子供たちは嬉しそうに笑顔を浮かべた。レイは初級の水魔法をアレンジして、攻撃性を完全に除いた、ただの水をバケツの中に注いだ。魔法を見たことが無いのだろう、子供たちからわっと歓声が上がる。  レイは、子供たちの素直な反応にはにかみながら、水の中にボールを沈めた。ボールに付着していた汚れが水の中に広がっていくが、それに構わず空気入れの穴へ風魔法をアレンジして空気を送り込んだ。ボールが張りつめる手前で空気を入れるのをやめ、水の上に浮こうとするボールを押し込むように水に沈める。空気がどこからも漏れていないことを確認して、レイはそのままボールを洗った。  濡れたボールを取り出して、ポンポンと地面の上で跳ねさせてみる。破損せずに弾むのを確認して子供たちに手渡すと、元気のいい「ありがとうございました!」という声が返ってきた。 「あんまり乱暴に扱うと、また破れるからなー」  走っていく子供たちの背に声をかけるが、聞こえたかは定かではない。再びボールで遊び始める子供たちの元気な声を聞きながら、レイは微笑んだ。 「あの、お礼が……その……」  おずおずと声をかけてくる少年に、レイは驚いて首を振った。 「要らない。ただのお節介だ。応急処置だから、またどうせ破けてしまうだろうし」 「でも」  申し訳なさそうな顔をする少年の顔に西日が差す。むしろレイは、少年の目元に滲む重い疲れの方が気になった。眉間の皺は、陽のまぶしさで顰めたせいではないだろう。年齢に似つかわしくない疲労を抱える姿が、気にかかって仕方がなかった。 「……体調が悪いのか?」  直球で聞くのもどうかと思ったが、この年頃の子に回りくどい言い方をしても、こちらの意図が伝わらないかもしれない。しかし、大人びた少年は首を横に振り、一歩距離を置いてきた。 「大丈夫です」  警戒されているというよりは、これ以上踏み込まないでほしいという意思表示に、レイは眉根を寄せた。どうしたものかと思案していると、不意に子供が蹴ったボールが緩やかな弧を描きながら、少年の頭上へと飛んできた。少年は、とっさにボールを受け止めようと手を伸ばし、視線を上げた。――その瞬間、レイは少年の目が虚ろに彷徨ったのを見逃さなかった。ぐらりと倒れそうになった少年の上半身を支えて、飛んできたボールを片手で弾き飛ばす。腕力がないレイでは少年を支えきれず、全身の力を使ってゆっくりと地面に下ろした。  意識はあるものの、何が起こったのか分かっていない少年に、レイはゆっくりと声をかけた。 「大丈夫だ。深呼吸をしよう。吸って……吐いて……。そう、続けて……気持ち悪いとかは、ないか?」  ぱっと目があった少年は、すぐに起き上がろうとしたので、レイは少年の胸元に手を置いてそれを制止した。 「ゆっくりだ。急いで上がると、また目が眩むぞ」  少年の背を支えながら、ゆっくりと上半身を起き上がらせると、遊んでいた子供たちが駆け寄ってきた。だが、事態がすぐに飲み込めなかったのか、静かにこちらの様子を窺っている。その聡明さに、レイは思わず感心した。  許可を得ず行うのは倫理的に良くないと分かっているが、レイは少年へそっと解析魔法をかけた。ただの疲れなら休めばいいが、炎症反応があるならすぐにでも医者にかかるよう伝えた方がいいとの判断からだ。――そして、驚愕する。少年へ魔力をそっと流した瞬間、鼻がもげそうなほどの悪臭を感じた。  人間には、大なり小なり魔力がある。魔力量が多ければ、魔法使いへの道を志すこともあるが、非魔法使いだからといって魔力が全く無いわけではない。その少ない魔力に、呪いがかかっている。こんな年端もいかない少年が、呪われるほどの恨みを買うとは到底思えない。一瞬、クラウスのように自責の念からくる呪いかとも思ったが、そう判断するのも早計だ。 「……体調の悪さは、いつから?」  レイが厳しい表情で見つめると、少年は首を傾げるだけだった。確かに、魔法を使う習慣がない非魔法使いにとっては、魔力の呪いは自覚しづらいだろう。そして、通常の医者にかかったところで、魔力の呪いであることには気付けない。魔法医が医療魔法を使って初めて分かる病状だ。だが、平民が魔法医にかかるというのは、金銭的にもなかなか難しい。 「親御さんは、君の体調が悪いことをご存じなのか?」  そう聞くと、少年は静かに首を振った。 「……親父が、一番体調が悪いんだ。だけど、仕事しないとくいっぱぐれるからって、休もうとしない」  少年の言葉に、レイは深いため息を吐いた。魔法薬士として無償で施すわけにはいかないが、かといってこのままこの少年を放っておくわけにもいかない。送り届けるついでに母親に会えれば、話をしてみよう。ただ、呪われているということを伏せた状態で、どこまで伝えられるかが問題だ。  レイは、周りにいる子供たちに視線を向けた。 「そろそろ、夕飯の時間じゃないか? 家に帰ろう。このお兄ちゃんも、疲れたみたいだから。な?」  そう声をかけると、子供たちは互いに顔を見合わせてから、小さく頷いた。わらわらと自分たちの家へと帰っていくのを見届けて、レイは少年に「立てるか?」と問いかけた。少年は、多少ふらつきながらもしっかりと立ち上がり、小さく「すみません」と謝ってきた。 「心配だから、送り届けるよ。それくらいはさせてくれ」  レイの言葉に、少年は困ったような表情を浮かべたが、観念したようにこくりと頷いた。  体のだるさをそのまま表したかのような歩き方をする少年の隣で、倒れても支えられるよう距離を保ちながら、レイは周囲の建物を観察していた。どうやら、少年の家は貧困層が住むエリアとの境にあるようだ。もしかしたら少年の母親もまだ働きに出ているのかもしれない。そうすると、少年は家で一人になってしまうだろうか。  案の定、少年は灯りが付いていない家のドアへ鍵を差し込んだ。くるりと回そうとするが、鍵は動かない。不思議そうにドアノブを押した少年が、小さく「ただいま」と声をかけながら扉を開いた。 「――親父ッ!?」  少年が慌てて家の中へ入っていくので、レイは驚きと不安を胸に、急いでその後を追って家の中を覗き込んだ。暗い部屋のリビングテーブルの近くで床に男性が横たわっている。その肩を、少年がおろおろしながら揺すっていた。 「入るぞ」  短くそう告げて、レイは家の中へ踏み込んだ。素早く男性に近付き、脈と呼吸を確認する。幸いどちらも正常だったが、体がひどく冷え切っている。秋口の冷たい床の上にどれくらいこうしていたのだろうか。  レイは、素早く魔力を練り上げ解析魔法を行使した。男の体へ魔力を流した途端、少年に解析魔法を行使したときと同じ悪臭を感じ、顔を顰めた。 「……寝室は?」  レイは重い男性の上半身を持ち上げながら、少年に問いかけた。少年は不安で震えながらも奥の部屋のドアを開け、すぐさま戻ってきた。男性の足を持ち上げてくれたので、二人で引きずるように寝室のベッドへ運んだ。薄い掛布団をかけると、レイは部屋の隅にあった小さな薪ストーブに手を伸ばし、指を鳴らしながら魔法で火の粉を飛ばした。ストーブにボッと炎が灯るのを見届けて、少年がよろよろと立ち上がり、キッチンから水が入ったやかんを持ってきて、薪ストーブの上に乗せた。レイは薪ストーブに近寄り、そこに置かれたやかんを一度持ち上げた。ストーブの天板は、まるで誂えたように平らで、鍋が載せられるような構造になっている。 「加湿は大事だが……普段からこのやかんを乗せているのか?」  レイが指でやかんの表面を弾くと、水が入っている分ずしりと重たいが、軽い音が響いた。材質的にはおそらくこのストーブに乗せるには、あまり向かないように思える。少年は首を横に振った。おそらく持ち運びしやすい方を選んだのだろう。 「体調が悪いのに申し訳ないが、普段使っている方を持ってきてもらえるか? 水はやかんの中身を使おう。そうすれば運ぶのも少しは楽だろう? ……俺が行ってもいいが、部外者がキッチンに入るのは憚られる」  そう伝えると、少年は頷いてもう一度キッチンへ姿を消した。しばらくして、少年は黒く煤けた鉄製の鍋を持って寝室に入ってきた。ストーブの上に置かれた鍋に、レイは持っていたやかんの中身を静かに注いだ。空になったやかんを、体調不良の少年に片付けさせるのも悪いので、レイはそのままベッド脇のサイドテーブルに置いた。 「……お母さんは?」 「もうすぐ帰ってくると思います」  少年は三つ並んだベッドのうち、一番右のベッドに腰かけた。おそらくそこが彼のベッドなのだろう。別段椅子があるわけでもないので、レイはストーブの近くの壁に背を預けて立っていた。 「君もご両親も、同じところで働いているのか?」 「はい。西の森の近くにある、薬草畑で」  少年の言葉を、レイは腕を組みながら聞いていた。 「その年で働いているのは、立派だな。だが、大人に混ざって働くのは大変だろう」 「でも、短い時間だけですから。俺が、子供だから」  少年の瞳は暗く陰り、俯いてしまう。早く大人にならねばならないという気持ちが伝わり、レイは痛々しい気持ちで胸が締め付けられた。  どこの国も、平民が通える学校は義務教育課程までとなり、十二歳で卒業と相場が決まっている。それ以降となると、魔法使い学校か貴族が通う学園に編入と言う形となるのが通例だが、どちらにせよ特待生でもない限り金銭的負担は免れない。 「……職場の様子はどうだ? 誰かがいがみ合っているとか、陰湿な行為があるとか」 「ないですよ。みんな、必死に働いてます。最近は特に、ルーアリリィを欲しがる人が多いみたいで、廃棄が出せないから神経を使います」  その言葉に、レイは眉を顰めた。ルーアリリィは、魔力回路痛に最も使われる薬草だ。――主に、魔力の呪いによる魔力回路痛に。  ザルハディア王国へ大量に輸入された呪いの浄化薬に続き、呪いによる魔力回路痛の対処療法で使われる薬草の需要増加。そして、他者から呪われそうもない親子とケリーの呪い。これが示すのは一体何なのか。 「……大変だな。そんな中でお父さんがこうなっては、人手が足りないだろう」  そう言うと、少年は眉間に皺を寄せながらため息を吐いた。 「そうですね。今、西の薬草園で働いている人、みんな疲れてて……何人も“微熱が引かない”とか、“体がずっとだるい”とか、“痛い”とか言ってます。園主が協会に人員の派遣を頼むって話してました」  少年の言葉が、レイの脳裏に嫌な想像をよぎらせる。微熱も、だるさも、体の痛みも――どれも魔力の呪いによる諸症状ばかりだ。ここまで来ると、慢性的な疲れや季節の変わり目などという結論には至れない。だが、そんなことが可能なのだろうか。仮に可能だとしたら、それは一体どうやって? 何のために?  思考に没入していた時、家のドアが開く音がした。少年がベッドから立ち上がり、寝室を出て行こうとするので、レイもその後に続いた。帰ってきた母親に、公園で少年と出会ったこと、体調が悪そうなので付き添ったら父親が倒れていたことを説明すると、少年の母親は申し訳なさそうに頭を下げた。 「えっと……お貴族様でいらっしゃいますよね? 大変申し訳ありませんでした」 「いえ、そう固くならないでください。一介の旅行者です。レイと言います」  そう言って穏やかに微笑みかけながら、握手を求めた。一瞬戸惑いながらも、貴族からの握手を断るわけにもいかない母親は、その手を握り返してきた。その働き者の固くなった手をしっかりと握り、レイは即座に解析魔法を行使した。少年とその父親から感じたほどではないが、この母親からも同じ悪臭が感じ取れる。レイはそれをおくびにも出さずに、手を離した。 「お仕事、大変だと伺いました」 「えぇ、有難い話ですが」  そう母親が緊張した面持ちで受け答えするのを聞きながら、レイは頭を高速回転させて言葉を選んだ。 「……園主さんが、動いてくれるそうで?」 「はい。ここのところ、一気に寒くなりましたから、皆、体にガタが来たみたいで。年は取りたくないですねぇ」 「そんなご冗談を。お若いのに」 「あら、お貴族様でも、そんなお世辞を言われるんですね」  ほほほ、と笑う母親に、レイも笑顔を深くして口を開いた。 「どなたか医者にかかられたりは?」 「園主様はかかられたんじゃないですかねぇ」  ザルハディア王国の魔法薬市場を支える薬草園だ。園主はそれなりの懐具合の持ち主だろう。医者にかかっていると踏んだが、どうやらあたったようだ。 「でも、『何も言われなかった』?」 「たぶん……そう、だと思います」  何故そんなことを聞くのかとでも言いたげに、母親は首を傾げた。レイは内心ニヤリと笑った。この母親に、疑心を植え付けたかった。こんなに体調不良者がいる中で、医者にかかっても何も言われていないのか。――本当に?  レイは心配そうな表情を浮かべた。 「そうですか……園主さんは、“皆を代表して”きちんとお調べになったらいいのに。この際、魔法医にでも」 「魔法医、ですか?」  母親が怪訝な表情を浮かべる。ザルハディア王国では、魔法医は流行らない。分かっているが、こと呪いに関しては魔法医による診断が確実に必要だ。呪いの浄化薬の調達のためにも。  レイはわざときょとんとした表情を浮かべた。 「ご存じないです? 医療魔法は“診断に特化した”魔法があるんですよ」 「へぇ? 知りませんでした」  母親の眉が上がる。レイはその反応を見て、にっこりと微笑んだ。 「治療は魔法薬で行えばいいじゃないですか。でも、原因が分かった方が――従業員である皆さんは、安心ですよね?」  母親が何かを考えるように黙り込み、「確かに」と呟いたのを確認して、レイは満足げに頷いた。種は撒いた。あとは、芽吹くの期待しよう。 「よければ園主さんに進言なさってみてください。では、これで失礼します」  そう言って、少年の母親に見送られながら、レイは静かに少年の家を後にした。しばらく歩き、周囲の人気が途絶えたのを見計らって、左耳の小型通信魔法機器へそっと語り掛ける。 「――クラウス。これは思ったよりも、深刻な状況にあるかもしれないぞ」

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