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第75話 仮説
レイがジャンク山の隣を通ってケリーの潜伏先へ戻っていると、クラウスがこちらへ走ってくるのが見えた。レイが笑って迎えると、クラウスは厳しい表情のままレイの肩を抱いた。
「あんなことを言うから、心配した」
「あ、深刻な状況と言うのは、俺の話じゃない。……すまない、誤解させたか」
申し訳なさそうにそう言うと、クラウスは静かに首を振った。
「君に危険が差し迫ったとは思わなかったが、それでも心配する」
きっぱりとそう言うクラウスの過保護さに、レイは呆れたように笑みをこぼした。こちらの会話は全て筒抜けだったはずなのに、それでも心配するというのか。
「そんな、子供扱いしなくても」
「恋人扱いしているんだ」
即答され、レイは耐え切れずに笑った。肩に置かれた手をそっと払い、歩きながらクラウスを見上げた。
「話は出来たか? こちらの会話を聞きながらだと、集中できなかったんじゃないか?」
レイの問いに、クラウスは苦笑しながらこちらを見て、短く「問題ない」と答えた。諜報部として並行した会話を聞き取り、処理できるように鍛えられているのか、それとも単純なクラウスの能力の高さなのか。少なくともレイがそれをしようと思ったら、出来たとしても高負荷がかかって、かなりストレスになるだろうと思った。
ケリーの潜伏先のドアを開けると、くつろぐようにベッドの上で欠伸をしているケリーの姿が見えた。そして、レイはふとベッド脇に視線を送った。何もない空間に、微かに魔力の気配を感じる。まるで“見られている”とでもいうような、肌にひりりと感じるそれに、レイは首を傾げながら黙ってクラウスの袖を引っ張った。それを受けて、クラウスの魔力が少し誇らしげに揺れた。
「コリント、見破られている」
クラウスがそう伝えると、ケリーがぎょっとしながらクラウスとレイを交互に見始めた。
「……本当に? なんで?」
澄んだテノールがレイの視線の先から響いた。やはり隠密魔法を使われていたようだ。コリントの隠密魔法は、クラウスのそれよりも分かりやすく、オリンよりは分かり辛かった。そう思うと、やはり感知できないタールマンの隠密魔法の完璧さには舌を巻く。
レイはほっと胸をなでおろし、木箱の上に腰を下ろした。
「ちなみに、今そっと三歩横にずれたのも分かってます」
「え、こわ」
そこまで言って、やっとコリントは隠密魔法を解除した。空気から溶け出るように現れたのは、声の印象をそのまま反映したような澄んだ水色の髪の男性だった。年齢は、恐らくクラウスとケリーの間ぐらいだろう。ケリーのようながっちりした体格ではなく、華奢な体つきのコリントに、レイはひそかに親近感を覚えた。
コリントがキッチンに入って、薬草籠を二つ抱えて持ってきた。
「頼まれたブルネア冷根と、フェルナの灰葉。……リュミナ苔は残念ながら品切れだそうだ」
「でしょうね。あれは呪いによる発熱にも使われる、鎮静作用のある苔だから」
レイは籠を受け取りながらそう言うと、コリントが眉を顰めた。まだレイの予想を話したわけではないので、当たり前の反応だろう。
籠を木箱の隣に置いて、レイは鞄からマスクと調合用の特殊手袋を取り出した。攻撃用魔法薬と比べると、さして大変なものではないが、ブルネア冷根から伸びている棘のような細い根は、指に刺さると末端冷え性の如く痛みを伴う冷えに襲われる。フェルナの灰草は、一気に魔法で乾燥させて使うことにより抗炎症作用を高める。しかし、乾燥させると皮膚に張り付きやすくなり、手の魔力に反応してゲル状になる。どちらも厄介なことになるので、取り扱いには手袋着用を推奨される薬草だ。
レイは天井にある魔力石に魔力を飛ばして、魔法の余波を外に漏らさないための魔法陣を起動させた。軽く空気を押しのけるような音を奏で、壁に刻まれた魔法陣が淡く光り出す。途端に魔力の流れが密封されたような閉塞感が空間を満たし、レイは息が詰まった。自分以外の表情が何も変わらないので、この感覚は魔力感知の感知ができるレイ特有のものなのかもしれない。――これは、クラウスの部屋に設置したらしんどそうだ。レイの思惑は敢無く崩れ去った。
息苦しさを抑え込んで、レイはフェルナの灰葉の籠を持ち上げた。浮遊魔法で中身を浮かび上がらせ、風魔法と火魔法を応用して一気に葉の水分を飛ばした。葉が乾ききって鈍い銀色に変化したところで、魔力反応が起きる前に解除した。空中からはらりと落ちる銀色の葉を籠で受け止め、また木箱の隣に置く。
ループタイについているチャームに裏側から魔力を通し、封じられている簡易調合台の魔法陣を木箱に照射する。だが、木箱のサイズがわずかに合わない。照射範囲が小さくなると、文字が潰れて効果がなくなってしまう。仕方なくレイは床に洗浄魔法と無菌魔法をかけ、膝をつきながら床に照射した。
簡易調合台の魔法陣の角度と位置を調整し、固定する。調合魔法を行使しながら、レイはブルネア冷根を掴み、根の表面を勢いよく扱 いた。シャラッと薄いガラスが割れるような音と共に、簡単に棘のような細い根が元から折れて宙に舞う。簡易調合台の魔法陣に照らされ光る根が、揺蕩いながら魔法陣の上に収束していく。収束した根が宙で撹拌されながら細かく粉砕されていく。
さながらスターダストのように煌めくそれに、レイは乾燥させたフェルナの葉を混ぜ込んだ。途端に葉がゲル状に変質し、粉砕された根を巻き込みながら宙で練られていく。全体が銀色に光るゲルになったところで、レイは翳した掌から液状化した魔力を放出した。ゲル状になった調合物と混ぜ合わせると、ゲルの量が膨張し始める。人の顔の大きさほどまで膨らんだところで、ゲルの膨張も収まり、レイは簡易調合台の魔法陣に魔力を注いで状態を固定し、調合魔法を解いた。とろとろと用意していた瓶の中にゲルを注ぎ入れる。とぷん、と音を立てて全て注ぎきると、レイは簡易調合台の魔法陣を停止させた。
「クラウス、悪いがケリーの包帯をもう一度解いてくれるか?」
そう伝えると、クラウスは即座に頷き、ケリーの左足に巻かれた包帯を解いていった。「そっと解けよ!」と文句を垂れるケリーに、クラウスは眉一つ動かさず黙々と作業を進めた。それを横目に、コリントが鞄から貼り薬用の布の束を渡してきたので、レイは特殊手袋を外してそれを一枚受け取ると、スプーンで瓶からゲルをたっぷりと掬い、布に塗布していった。
ケリーの包帯が解かれたのを確認して、レイはクラウスと場所を交代した。そっと塗布したゲル面を患部に当てると、ケリーが「冷たっ!」と声を上げた。動くなよ、と謂わんばかりにケリーの肩をコリントが上から押さえている。空気を抜くように優しく布の表面を撫でながら、足の甲全体に貼り付けると、剥がれないように押さえながらレイは再度ケリーの包帯を巻き上げた。
「先生、すげぇ冷たいんだけど」
「“先生”と呼ばれると、やけにむず痒いな。……折れたところが熱を持っている間は、その熱も取ってくれる。患部の腫れが引いたらやめて良い。他に質問は?」
レイが問いかけると、コリントが控えめに手を上げた。視線で促すと、面白そうに笑みを浮かべながらコリントが口を開いた。
「貼り替えの頻度は?」
「一日一回。包帯の巻き直しはキツすぎず、緩すぎず。可能なら貼り替え前に包帯を洗浄魔法で綺麗にすることを勧める」
「注意事項は?」
「濡らすと冷えが入りやすくなる。冷えたことで痛みを感じることがある」
「布への塗布量は、さっき見たぐらいでいいのかな?」
「あぁ、構わない。あれより多くてもいいが、決して減らすな」
「足りなくなったら?」
ぽんぽんと会話が続いていく。中にはレイが付け足そうと思っていた話もあったので、聞いてもらえて助かった。レイは瓶の中にある多量の魔法薬を見て、眉を顰めた。
「あれで足りなくなることは想定していない。おそらく、使い切るころには、腫れは引いていると思われる。……歩いたりしない限りな?」
念を押してケリーを見ると、素知らぬ顔で宙を眺めていた。どうやら諜報部には、自分の体を労わるやつがいないらしい。
「……レイ」
話が途切れたところで、クラウスが声をかけてきた。レイはゆっくり頷いて、ベッドの近くに木箱を持ってくると、その上に腰を下ろした。
「できれば、この魔法の余波を閉じ込める魔法陣を切りたいんだが、ここの防音環境は? 防音結界は必要か?」
レイが天井を指差しながらそう言うと、クラウスが即座に魔力を飛ばして天井の魔力石を停止させた。途端に空気の閉塞感が減り、レイは胸いっぱいに深く空気を吸い込んだ。大きく息を吐いてから、マスクを外す。
「なら、遠慮なく話すが……。先ほど俺が会話していた少年とその両親、三人とも呪われていた」
諜報部の面々の表情は変わらないが、明らかに場の空気が張りつめたのが分かった。自身の言葉に、皆が注意深く傾聴しているのが分かる。レイは自身を見つめる三人の顔を順に見てから、改めて話し始めた。
「三人は西の薬草園で働いているらしい。少年と父親の呪いの進行具合と、母親の進行具合ではばらつきがある。個人差によるものなのか、それ以外の理由によるものなのかは分からない。また、その薬草園では体調不良者が蔓延しているようだ。その症状は、まるで感冒症状のようだが……呪いの諸症状とも合致する。そして、薬草園の園主が非魔法使いの医者にかかったものの、原因不明と言われたという話も確認した」
レイはケリーの方を向いて問いかけた。
「ケリー、西の方へ赴いたことは?」
「……西の方は、貴族のお抱え薬草園が多い。俺は中央の薬草市場へその薬草を卸す業者の手伝いとして日銭を稼ぐ役をやっていた。そういう意味では、ザルハディア王国へ入ってから何度も行っているな」
「そして、卸した薬草は、一部のものを除いて、全て貴族用へ流れている。先ほど名が出ていたリュミナ苔もそうだが、ルーアリリィ……もしかしたらフェオラディクスあたりも。違うか?」
ケリーの顔が曇り、眉が寄った。どうやら当たりだったらしい。
フェオラディクスは、フェオ草の根だ。栽培自体は簡単で、一本太く長い根が生えるが、掘り起こすのに手間がかかる。途中で折れると、その断面から急激に変質し始めるため、傷つけずに掘る必要がある。ある程度長さが求められるため、途中で根の成長が止まるように筒状の枠を土に植え込み、その中で育てるのが主流だ。――そして、フェオラディクスは、呪いによる眩暈や倦怠感に最も効果的とされている。
「……ここからは、俺の妄想だと一蹴してもらっても構わない。むしろ、俺自身もそうであってほしいと願っている」
レイはそう静かに前置いた。
「西エリアは貴族のお抱え薬草園が多い。そして、その広がる薬草園を一望できる位置に、貴族たちのタウンハウスも立ち並んでいる。また、呪いの対処療法に使用される薬草類の貴族による買い占め。そして、呪いとは無縁の平民が呪われているという事実。――俺は、西エリアを中心とした“呪いによる広範囲無差別テロ”が行われているんじゃないかと、推察している」
馬鹿馬鹿しいと一蹴されるかと思いきや、皆一様に口を閉ざし、真剣に何かを考えていた。――これが、こちらを傷つけないための配慮ある言葉を選んでいるだけだったら、すごく恥ずかしい。視線をうろうろと彷徨わせると、硬い表情のままケリーが口を開いた。
「仮にそれが真実だとして――」
ケリーに皆の視線が集中する。先ほどまでの飄々とした態度とは打って変わり、真面目な雰囲気を纏うケリーがレイを見つめる。
「動くとするならダメ押しが欲しいな。本来なら無作為にピックアップした西エリアの人間に、呪いの診断を受けてもらいてぇが……そういうわけにもいかねぇ。だが、その仮説通りじゃなきゃ、俺が呪われた理由も検討がつかん」
「ケリー、撤退命令が出てるんだ」
コリントが静かに念を押す。だが、ケリーは鋭い眼光をコリントへ向けた。
「この呪いの犯人が、どんな手段で俺を呪ったのかは分からねぇ。だが、規模が大きすぎる。まるで悪魔の所業だ。本当に禁忌魔法の“悪魔召喚”が行われてたとしたら……俺は一生このままだぞ」
魔法使いにとって呪いを受けたまま生きるということは、魔法使いとしての死を意味する。魔術師にとっては、耐えがたい苦痛であることを、この場の誰もが痛いほど理解していた。
「コリント。お前は西には行ってないな?」
「そうだね。南の平民居住区と、東の商業地区を中心に回ってたから」
「念のため診てもらえ。んで、マディとサマンサは西にいる。二人が呪われてたら、十中八九、そういうことなんだろうさ」
ケリーの言葉を受け、レイはコリントに手を差し出した。その手とケリーの顔を交互に見やり、コリントは怪訝そうな表情を浮かべながらも手を重ねた。静かに魔力を練り上げて解析魔法を行使し、そっとコリントに魔力を流す。
「……呪われていない」
短く告げたレイの言葉に、コリントの眉が更に寄る。医療魔法の行使もなく、そう断言されるのは理解の範疇を越えているだろう。むしろ、ケリーが何の疑いもなく受け入れたことの方が不自然だった。
「なんで分かる?」
「理解してもらおうとは思っていないが――そういう体質なんだ」
説明になっていないとでも言いたげな表情を浮かべるコリントに、クラウスが口を開いた。
「本当だ。私も、彼の体質で呪われていたことが見透かされた」
「……本気で言ってるのか?」
尚も信じられないと疑う視線をレイに向けるコリントに、レイは静かに頷きながら手を離した。先ほどまで握られていた自身の手をしばらく見つめてから、コリントは不服そうに息を吐き、「分かった」と短く呟いて状況を飲み込んだ。
「マディとサマンサが心配だ。俺と同じタイミングで呪いが発動したなら、フォーリォル家に潜入している二人の身が危ねぇ。救出作戦を立てよう」
ケリーの言葉に、レイの視線が一度、宙を彷徨った。
「俺、また席を外そうか?」
「お? 手伝ってくれねぇの?」
ケリーの不敵な笑顔に、レイは苦笑して肩をすくめた。
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