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第81話 カーレン
叔母のリーンは、当時愛し合っていた庭師の男と引き裂かれるように、オルディアス王国へ嫁いで行った人らしい。幼い頃に古い肖像画を見つけ、母に誰なのかと聞くと、そう教えてくれた。フォーリォル家では唯一の魔術師であったリーンは、ザルハディア王国にいるよりもオルディアス王国へ行った方が、確かに幸せだったのだろう。例えそれが、後妻として嫁ぐことだとしても。
当時、ザルハディア王国とオルディアス王国間では、国交の繋がりをより強固にしようという動きがあったという。
それは、現オルディアス国王であるケイジンの弟ケイデンが、王位継承権争いを憂いて、ザルハディア王国の公爵家へ婿入りすることを決めたことにより始まった。オルディアス王国から一人婿入りするのであれば、ザルハディア王国も一人出さねばならぬ。そういう思考が働くのは自然なことだったのかもしれない。
当時の王太子であり、現国王ケイジンの元へ第二妃として娶られたのが、ザルハディア王国の第二王女であった。そして、二人の『交換婚』に続けと謂わんばかりに、互いの国の貴族間で婚姻が結ばれるようになる。ザルハディア王国からは差別に苦しんだ魔術師が、オルディアス王国からは後継者争いに負けた魔法使いが、こぞって名乗りを上げたという。
母が語る叔母の記憶は、どこか誇らしくも罪悪感が滲んでいたのを覚えている。貴族なのだから、庭師と結婚などと言うことは難しいことぐらい、幼い自分でも理解していた。長女ではなく、次女である母が嫁ぐべきところを、二人の仲を引き裂くためだけに、姉であるリーンを嫁がせてしまったことに感じていた、後ろめたさだと思っていた。大人になるにつれ、母が感じていた罪悪感の正体が、そんな安っぽい理由ではなかったことを知るまでは――。
フォーリォル家が、ザルハディア王国の中で魔法薬士家系ではなく、医療家系として生き残った背景には、『結婚ビジネス』ともいえる裏稼業 があったからだ。他家に子供を嫁がせ、その中で得た情報を国に流す。そうやって国からの援助を受け、得た利益で優秀な人材に融資を申し出る。そして、フォーリォル家のために貢献してもらう。表向きにはそうやって医療家系として基盤を築き上げてきたフォーリォル家が、次の情報源として食い物にしようとした先こそ、オルディアス王国である。
「反吐が出る」
母がサングリアを飲み干しながら、酔いに任せてカーレンに語ったフォーリォル家の成り立ちを、そう切って捨てた。そして、貴方もいずれそうなる、と。
「かわいそうなカーレン。あの粗野な男の元へ嫁がなければいけないなんて」
婚約を解消する前、婚約者の代わりに三日寝ずに論文を仕上げていた私に、母はそう言った。――その言葉に、私の中の何かがふっつりと切れた。
コトンッ
何かが落ちる音がして、カーレンは顔を上げた。どうやら、寝落ちていたらしい。昔、あの男の研究に追われていた時によく同じ姿勢で寝ていたためか、懐かしい夢を見た。
机に突っ伏していたため、頬に張り付いてきた髪を払いのけて、音がした方を見る。壁に飾ってあった小さなキャンバスが、落ちたらしい。カーレンは、眠くて重い体を起こし、その絵を拾いに立ち上がった。
市に出ていたその小さなキャンバスを見た時、思わず手を伸ばしてしまった一輪の銀薔薇の絵。砂漠に凛として咲く銀薔薇は、まるで彼を彷彿とさせた。――レイ・ヴェルノット。あの地獄から救ってくれた、王子様。
カーレンは、拾い上げたキャンバスをひっくり返し、裏に差し込まれた紙を見た。彼が手帳を切り離し、さらりと書いて渡してきた連絡先のメモが、しっかりとそこに挟まっている。懐かしむように目を細めて、カーレンは白く細い指でそのメモを摘まみ上げた。
出会った時の彼は、お節介な人だな、という印象しかなかった。
継智の塔を囲むように広がる雑木林に、カーレンは婚約者から呼び出された。人目を気にするくせに変なところで自信過剰なあの男が、互いの家ではなく外のこういったところに呼び出すことは多々あった。
事情を知っている者は声を聞いただけで「またやっている」と思い、知らない者は見て見ぬふりをする。それをカーレン自身に見せつけることで、助けなど来ないと思い知らせる。そうやって、自ら孤立の道へと歩ませる。それがアイツの手法だった。
しかしあの時にはもう、自分の中で何かの糸が切れてしまっていた。振るわれる暴力も、聞くに堪えない罵詈雑言も、自分の心には響かなかった。
――もうどうにでもなればいい。自分なんか。
そう思って吐き出した言葉が、救世主を呼び寄せた。銀灰色の髪を後ろでまとめ、淡い青緑色の光を宿した瞳を持ち、温かい手を差し伸べてくれた。甘い顔から吐き出される鋭い厭味の数々には、少々度肝を抜かれたが、それも自身に敵意を向けさせるための戦略だったのだろう。お節介な彼が、自分を温かい場所へと導いてくれた。――正確には、身代わりとなって婚約者に殴られたことにより、気を失ったか弱いレイを、塔の救護室へ運んだのはカーレン自身なのだが、カーレンの中ではそんな記憶すら輝いて残っている。
救護室のベッドで目を覚ました彼は、少し恥ずかしそうに笑っていた。
「すまない、かえって迷惑をかけてしまった」
流暢にザルハディア王国の言葉を話す彼は、オルディアス王国から学会に参加するためにやってきたというのだから、驚いた。ベッドに腰かけ、倒れた拍子についた眼鏡の汚れを拭きながら、レイは更にお節介を重ねる。
「君が望むなら、先ほどの録音データを送るよ。……えっと、名前を聞いても?」
芯の通った声で、彼が訊ねる。この時もまだ、自分の中では色々と虚ろで、にこりともせず「カーレン・フォーリォル」と呟くように名乗ったように思う。それを見かねてか、彼は青緑色の瞳でじっとこちらを見つめた後、くたびれた鞄から手帳を取り出し、さらりと連絡先を書くと、引きちぎってこちらに渡してきた。
「こちらは、レイ。……フォーリォル嬢、学会は始まってしまってると思うが、聞きたいコマではなかったか?」
聞かれたことに何と答えようかと考えていたら、差し出されたメモ紙を無意識に受け取っていた。本当に受け取ってよかったのだろうかと思いながら、カーレンはこくりと頷くことしかできなかった。
「そうか。それならまだよかった。フォーリォル嬢の研究の邪魔にだけは、なりたくなかったからね」
彼から発せられた言葉を咀嚼するのに、少しだけ時間がかかった。手の中のメモ紙から視線をあげ、「え?」と小さく聞き返すと、レイもまた首を傾げてこちらを見てきた。
「好きでもない研究に時間を取られていたと、自分で言っていただろう? そんな君の邪魔にだけは、なりたくなかったからね。……いや、充分迷惑をかけてしまっているんだが……」
乾いた笑みを浮かべるレイを、カーレンは茫然と見つめた。
過去誰一人として、カーレンの研究を大切に扱おうとしてくれなかった。家族は、あの婚約者の研究を手伝っていることを知って、売れる恩は売れと謂わんばかりだった上、婚約者は自身の利しか見ない。周りの学友も、カーレンの婚約者に彼女を取られただの、何とかしてくれだのと言うだけで、カーレン自身を助けてなどくれなかった。先ほど初めて会った目の前の彼だけが、カーレンを慮ってくれようとしている。その事実が、受け止められなかった。
冷めきって鈍くなった自身の中心が、軋んだような気がした。
「貴方は……よかったんですか?」
やっと絞り出した声に、レイは頷いた。
「あぁ、問題ない。俺が聞きたいのは、次のコマだから。フォーリォル嬢は?」
聞き返されて、カーレンはまた押し黙った。実は、今回の学会で聞きたいコマなど、一つもなかった。婚約者の研究に役に立つかもしれないという義務感だけで申し込んだものはいくつかあれど、こちらに気を遣ってくれている相手に、そんなことを言うのは憚られた。だからといって、答えないわけにもいかない。しばらく考えた後、カーレンは静かに首を横に振った。
「……そうか」
何かを察したのか、レイはそう呟いて黙ってしまった。気まずい沈黙だけが降り、カーレンはやってしまったと反省した。恩人に気を遣わせるだけ遣わせて、何も返せていない。緊張で手の中に汗をかき始めた頃、レイが再び口を開いた。
「好きな魔法は?」
突然そんなことを言われ、思わずレイを見る。言った本人さえも疑問に思ったのか、「ん?」と首を傾げ、苦笑を浮かべた。
「すまない。まるでお見合いみたいなことを聞いてしまった」
その仕草に、レイもまた、こういった会話に慣れていないのだということが分かって、カーレンは意外な共通点に思わず笑みをこぼした。
「本当のお見合いでも、そんなことを聞かれたことはなかったわ」
婚約者との初顔合わせの時のことを思い出し、カーレンが笑う。するとレイは意外にも「へぇ」と興味深そうに聞いた。思わぬ反応にカーレンがレイを見ると、レイは大きな瞳で不思議そうにこちらを見てくる。その表情に、思わず口をついて言葉が出てきた。
「貴方はそう聞いたの?」
「いや? お見合いなんかしたことないから、てっきり常套句なのかと」
レイの返答に、思わず手元のメモに目を落とす。通信魔法機器のアドレスの上に、レイ・ヴェルノットとフルネームが記載されている。家名がある上、こちらの言葉を流暢に扱える程の高い教育を受けているのに、貴族でないわけがない。意味が分からずもう一度レイの方を見ると、彼は気まずそうに頬を掻いていた。
「いや、一応うちは貴族位だけど、名ばかり貴族というか……まぁ、そんな感じなんだ。だから、婚約者なんていない」
あっけらかんとそう言ってのけたレイに、こんな優秀な人に婚約者がいないという事実に驚愕する。それと同時に、少し妬ましくもなった。自由に研究に打ち込める環境が、羨ましい。
「さぞ、おモテになるでしょうに」
少々の棘を込めて、口をついて出てきた恨み節だった。むしろ、初対面の男性にここまで気安く言葉をかけるのは非常に珍しく、自分の中の奇妙な変化に戸惑った。もしかしたら、もうどうにでもなれという投げやりな気持ちが、まだ続いていたのかもしれない。
厭味すらもレイは噴き出すように笑い飛ばした。
「俺が? まさか! こんな欠陥品」
突然飛び出した自嘲に、カーレンは言葉を失った。すると、レイは肩をすくめて意外なことを言い始めた。
「あまり大っぴらにしてることじゃないから、秘密にしておいてくれると助かるが……俺は先天的に、魔力回路に欠陥がある。中級魔法なんて使おうものなら、一発でオーバーヒートを起こす。……世の中じゃ、魔力量が少なくて魔術師になれない人がごまんといるからね。オーバーヒート時の言い訳に、魔力量が少なくてトンでいる、で通している」
自身の顔の近くで拳をパッと開いて見せるレイに、カーレンがどう反応すべきか迷っていると、レイはそのまま言葉を続けた。
「俺の専攻は、『先天的魔力回路の欠陥に対する治療薬』の開発。途方もない、自分のための研究さ。なんの自慢にもならない上、人の役に立つものでもない。モテる要素なんて何もない」
カーレンは、自分の浅ましさを恥じた。彼の言うことを真に受けるなら、彼の語学力の高さや学会に参加できるだけの実力は、彼の努力の結晶以外にあり得ない。そして、研究にかけてきた時間と熱量があるからこそ、カーレンが自身の研究に打ち込めていない現状に、彼は心を砕いてくれた。その優しさに、自然と頭が垂れる。
そして、カーレンの研究は、自信をもって自分の専攻を言えるだけの輝かしいものではなかった。きっと彼が知ったら、眉を顰めてしまうだろう。助けなければよかったと、そう思われてしまうかもしれない。それが、途端に怖くもなる。
でも、いいじゃないか。録音データはくれると言っている。彼に嫌われたところで、彼はザルハディア王国の人間ではない。もう会うこともないだろう。なら、自分も、言ってみてもいいのではないだろうか。こうやって言う機会なんて、きっとこれから先ないのだから。
「私の研究は――」
声が上ずる。怖い。怖い。でも、いいや。――どうにでもなってしまえ!
「『禁忌とされている古の魔法薬の解読と、その技術の応用方法の探求』……よ」
口に出した瞬間、襲い掛かる恐怖。彼が一瞬目を見開いたのだけを確認して、カーレンはすぐに視線を下げた。手の中のメモ紙が、くしゃりと音を立てて皺を寄せる。呼吸が自然と浅くなり、ジワリと汗が滲んだ。
彼が、言葉を発するために、息を吸う音が聞こえる。
「そうか。面白そうだ」
ただ、一言。それで終わった。長い沈黙が下りて、壁にかかった時計の秒針の音が部屋に響いている。
カーレンは、ゆっくりと視線を上げた。彼の青緑色の瞳が、まるで何事もなかったかのように、変わらずにこちらを向いている。
「………………へ?」
縮こまった肺から、情けない声となって空気が漏れた。冷や汗がこめかみから流れていく。むしろ、レイはこちらの反応に対して訝しげに首を傾げる。
「禁忌魔法や古の魔法薬の解読が進んだことにより、生み出されたのが現行の『呪いの浄化薬』だ。今や呪われた魔法使いたちが生きるための必需品となっている。困難を極める上、トライアンドエラーの嵐しかない分野だ。相当な情熱が無いと、誰も着手しない」
本心なのだろう。一片の濁りもなく、滞りも見せず、迷いのない芯の強さを持って心に突き刺さった。
これは、異常なのだ。こんな心優しい言葉でこの研究を語る人などまずいない。本来なら、異端扱いされてもおかしくない。誰を呪うつもりだ。誰の心を犯すつもりだ。むしろもう呪われているのか? そう言われるものなのだ。
――あぁ、これで頑張れる。自分をこんなに肯定してくれる人が、世界にいたなんて思っていなかった。
「……フォーリォル嬢?」
レイが自分を呼ぶ。その輝きを、きっと一生忘れないだろう。
「どうぞ、カーレンとお呼びください」
肺に深く空気を送り込み、温かく吐く。心の底から笑えたのは、過去にもこの時しかなかったかもしれない。それを見て、レイがニッと笑顔を浮かべた。
「お互い、死力を尽くそう。後悔のないように」
差し出された手を固く握り返し、健闘を祈った。まるで戦友であるかのように振る舞ってくれた彼が、心の中で大きな存在になるのに、そう時間はかからなかった。
辛いときも、彼のことを考えれば頑張ることが出来た。自身を鼓舞し、何度も気が狂いそうな深淵を覗き込む。古の魔法薬と呪いとの共通項を探るべく、呪いによる諸症状への対処療法を研究しているベイストン先生に教えを乞う。そうしながらも、自然と彼の研究に役に立ちそうなことを探している自分に気付く。いつか、彼の隣に立てるかもしれない。そんな淡い期待を抱きながら。
――そう、一か月前の新聞で、国際欄に取り上げられた、オルディアス王国の同性婚に関する記事で、彼の名前を目にするまでは。
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