91 / 96

第83話 目利き

 ザルハディア王国に降り立って三日目。その日は冷えた雨の降る日だった。オルディアス王国よりも湿度が高いザルハディア王国は、こういった雨が頻回に降るのも特徴的だ。その分、高度な排水システムが確立されており、水災が起こりにくい工夫が国中に施されている。  先日よりも冷え込んだために、行きたくないと駄々をこねるマルキオン教授をなだめすかし、レイ達はピトル広場近くの降車場へ降り立った。  屋根のある降車場から出る前に、馬車から雨具を下ろそうとしたレイよりも先に、マルキオン教授が雨を遮る結界を張った。周囲の目がマルキオン教授に向くが、本人は特に気にしていないようだ。立場がしっかりした魔術師は、ザルハディア王国でも強い。 「それで会場入りするつもりです?」  結界の構成を覗き見ながら、レイがマルキオン教授に尋ねた。マルキオン教授は悪びれもせず、冬用の手袋をはめた両手をひらひらと振って見せる。 「手が塞がるのが嫌。濡れた雨具を持ち運ぶのも面倒だし、雨具でカバーできないところはどうせ濡れるし、濡れたら冷えるじゃない」 「ごもっとも」  レイは適当に相槌を打ちながら、三人を包む結界の内側に這わせるように、過去見てきた空調機構を真似て魔法を発動させた。ふんわりと温かい空気が結界内に満ち、マルキオン教授の顔が喜びにあふれる。 「レイ君、明日からもこれで行こう」 「晴れた日に結界なんて張りながら歩くの嫌ですよ」  途端に機嫌が良くなったマルキオン教授の言葉に、レイは片眉を跳ね上げながら答えた。朝食時に念のため服用した魔力回路の発熱抑制剤のおかげなのか、もともと魔力回路にそこまでの負担をかけない構成なのかは分からないが、レイとしてはほんのり温まった魔力回路のおかげで、空調魔法ともいえるこの魔法はすでに無用の長物と化している。  雨具を出している人々が向ける稀有なものを見るような視線をひしひしと感じながら、三人はピトル広場を抜けて継智の塔へ向かった。  先ほどから何も言わないクラウスに視線を向けると、彼もすぐさまレイの方に顔を向けた。魔力回路のオーバーヒートをよく起こすレイが魔法を使うと、絶対この男はこちらの状態を確認しようとする。「問題ないだろう?」と目配せすると、クラウスは小さく頷いて返してきた。  マルキオン教授が張った結界の表面で、弾けて滑り落ちていく雨を見ながら、レイはコリントのことを考えた。  昨夜、カーレンから入った連絡についてクラウスが報告を入れると、ケリーがすぐさま反応して店を調べると言ってきた。足の骨が折れているケリーに、コリントが「馬鹿ですか?」と辛辣な言葉を投げかけた後、自分が調べるから安心してほしいと言ってきた。連絡を取ったのは、夕食を取るにはまだ早い時間だった。もしかしたら連絡を受けたその足で調べに行っていたかもしれないが、少なくともレイの元には何の情報も降りてきていない。もし、今日も下調べに動いているのだとしたら、この雨ではさぞ動きづらいだろう。  レイはふと思い立って、マルキオン教授を見上げた。 「教授、今日の学会が終わった後なんですけど、何かご予定は?」 「うん? ないよ。どこか行きたいの?」  足取り軽く歩いているマルキオン教授が、上機嫌に聞き返してくるので、レイは頷いた。 「はい、できれば、中央の薬草市場に」  そう言うと、マルキオン教授は明らかに嫌そうな顔をした。 「雨なのにぃ?」 「いやあそこ屋根あるじゃないですか。確かに、寒いですけど」  寒がりにも程があるマルキオン教授に、レイはため息交じりで言い放った。マルキオン教授なら、もしかしたらレイが気付かない市場の流れに気付けるかもしれないと思ったが、やはり連れて行くのは一筋縄ではいかなそうだ。 「一応個人購入も可能だけど、オルディアス王国に持って帰るの?」 「いえ、今日の夜にでも調合したくて」 「調合? 何、具合でも悪いの?」  途端にマルキオン教授が心配そうに顔を覗き込んでくる。レイはそれに首を横に振って応え、クラウスの顔を指差した。マルキオン教授が指の先を追うようにクラウスの顔を見て、「あぁ」と小さく呟いた。 「治ったら、余計におモテになりそうですけど、大丈夫なんです?」  マルキオン教授がにやにやとしながら、クラウスに問いかける。レイが釣られるようにクラウスを見ると、いたって真面目な顔でクラウスがレイを見ていた。 「レイ程ではないです」 「嘘つけ」 「どっちもどっちだと思うけど」  軽口を言い合いつつ、レイはマルキオン教授の顔を呆れながら見つめた。  正直、他人のことを揶揄うこの人物だって、パートナーであるサルベルト教授が嫉妬する理由がある人物である。若いときはそれはもうモテただろう甘い顔の持ち主で、年齢を重ねるにつれ、相応の艶が増していっている。オルディアス王国ではあまり見ない薄い紫の髪色も、その妖艶さを際立たせている。本人の好き嫌いがはっきりしているのと、子供っぽい性格もあり、合う合わないが分かれやすい人ではあるが、逆に考えるならば、マルキオン教授の周りにいる人は、皆本人が心を許している人と言い換えても良いのである。だからこそ、サルベルト教授が嫉妬深くなるのだろう。――嫉妬深さでいうと、もしかしたらクラウスといい勝負なのかもしれない。 「行きましょうよ」  レイがマルキオン教授の瞳を見つめながらそう言うと、わざわざ足を止めてマルキオン教授の薄紫色の目がじっとレイの瞳を覗き返してくる。こういう行動も、結界の中が温かいからしてくれていることを、レイは知っている。マルキオン教授が小さく「ふむ」と呟くと、空を見上げた。 「晴れたらね」 「教授……ホント、そういうところですよ」  締まらない返答に、レイは盛大にため息を吐いた。 「一般薬の魔力加工による強化方法が確立したら、これ絶対オルディアス王国でも取り入れる話出ますよ」 「一般薬の効きが悪いわけじゃないもんね。かといって、あの手順でやりたいと思う?」 「正直、現状工程数が多すぎます。でも、これから絶対出てきますよ。もっと効率的な一般薬の強化方法研究」 「これが進んだら……増えそうだよね」 「えぇ、絶対増えます」 『アンプル化』  淀みなくレイとマルキオン教授が馬車の中で繰り広げる魔法薬士同士の会話を、クラウスはただ眺めていた。二人して頭を抱え「嫌だー!」と声を上げている。何が嫌なのかも分からないが、クラウスはちらりと外に視線を向けた。  カラカラと音を立てながら湿った石畳を馬車が走っていく。朝の大降りが嘘だったかのように晴れ、洗われた空気が今では少し暖かく感じるほどだ。塔を出た瞬間、降り注ぐ陽光にマルキオン教授が目を細めて、「仕方ないから行こうか、市場」と言った姿を思い出す。  ザルハディア王国の雨は、もちろん長く降る場合もあるが、バケツを返したような雨が朝降ると、午後には何事もなかったように晴れることが多い。おそらく魔法薬士として何度もザルハディア王国に通っているだろうマルキオン教授が、それを知らないはずがない。実際晴れるかどうかは賭けだったかもしれないが、薬草市場に同行する気は、もともとあったのだろう。それを簡単に見せようとしない姿が、教授という人の一種の魅力なのかもしれない。  窓の外に見えてきた国営薬草市場は、中央区の中でも東よりに位置し、塔を見た後だと広大で平らな印象を受ける。大きなアーケードが連なり、その下に小さな商店がいくつも立ち並ぶ。薬草市場と銘打ってあるものの、魔法薬に使うものは何でも揃っている。それこそ、鉱物然り、道具然り。中には魔力石の卸売りをしている店舗もある。 「……で、レイ君の目的物は?」  市場が近くなったことに気付いたのか、マルキオン教授がレイに話を切り出した。レイもクラウスに倣って窓の外に視線をやった後、クラウスの顔を見ながら答えた。 「“痕”ですからねぇ。基本は保湿と血行促進、抗炎症作用と、メラニンの排出が目的になりますから……月雫草、紅玉砂、ハイドロ銀泉石、輝晶果実の蜜……あたりでしょうか」  レイの答えを、マルキオン教授が頷きながら聞いていたが、その顔がにやりと意地の悪そうな表情に変わる。 「及第点。だけど、美容関係なら、もうちょっと北の大国の方に目を向けてもいいんじゃないかな」  マルキオン教授の言葉に、レイは数度瞬きをしてから、眼鏡のズレを直した。 「……もしかして、魔物(モンスター)由来の材料の話をしていますか?」 「あれ? レイ君、魔物由来の材料に忌避感がある人?」  意外、とでも言いたげな視線がレイに突き刺さる。レイはゆっくりと首を振った後、言いづらそうにクラウスの顔を見た。 「クラウスが……嫌じゃなければ」  珍しく迷いのある綺麗な青緑色の瞳に、クラウスは首を傾げた。 「詳しいことは分からないが、私はレイの腕を信じている。レイが必要だと思うなら使ってほしい」  その言葉に、レイは躊躇するように視線を彷徨わせ、「うーん」と唸りながら腕組みをして悩み始めてしまった。馬車が薬草市場の広い降車場へ入っていくまでの間、レイは頭を小さく左右に振りながら考えていた。 「あったら、良いと、思う」  ゆっくりと刻むように、レイは頷きながらそう言った。しかし、それでもまだ踏ん切りがつかないようで、表情は険しいままだ。 「……レイをそこまで悩ませるなら、私としては使わなくても――」 「いや、使った方がいいんだよ。本当に。確かに扱いは難しいし、大体が冒険者ギルドから卸される素材から精製されるから、値が張るんだけど……」  クラウスが遠慮がちに言った言葉に、レイはすぐに利点と難点を口にしたが、彼の中で引っかかっているところは、そんなところではないようだ。マルキオン教授もレイの答えを待っているようで、壁の装飾で器用に頬杖をつきながらレイを見ていた。  レイの視線が何度かクラウスとマルキオン教授を行ったり来たりした後、長い沈黙を破り、意を決したように答えた。 「…………クラウスの顔(イケメン)に魔物由来の材料っていうのがっ!」 「もったいぶっておいてそこなの!?」  マルキオン教授の呆れた声が馬車の中に響いた。  薬草市場の中は、たくさんの人であふれていた。商品の搬入のために荷車を引くだけの充分な広さの通路は、大人が両腕を広げてすれ違えるぐらい広いが、通る人が多すぎるため肩がぶつかりそうになるぐらい狭く感じる。加えて、市場の通路を使う優先順位は、「荷車」が一番だ。搬入がある場合は、大声で「どいてくれ!」という声がかかり、ひしめき合う通路の端に人が折り重なるようになだれ込む。ただでさえ、「見て行って!」「今日もいいのが入ってるよ!」と威勢のいい商人たちの声が飛び交い、活気であふれる市場では、荷車がすぐ近くまで来ないと察知できなかったりする。  レイ達は、人の流れに合わせるように、立ち並んだ商店を覗いていった。レイが籍を置いているオルディアス国立魔法大学を経由して同じ薬草を買おうとするよりは安いが、それでも数年前に来た時よりも全体的に値が上がっているように思う。思わず触れて品質を確かめたくなってしまうが、それは暗黙の了解でタブーとなっている。そんなことをされれば、魔法薬士によって解析魔法でいい品質のものだけを選りすぐって買われ、商売が上がったりとなってしまう。大体が籠売りされており、いい品とそれなりの品を混ぜて売られることがほとんどだ。 「青々としたこの薬草の香り、僕は結構好きだったりするけど、レイ君はどう?」 「俺も割と好きですね。ただ、月影アーリオと橙光セルリーの匂いが混ざるのはちょっといただけないですね」  マルキオン教授の言葉に、レイは表情を固めながら呟くように答えた。レイが上げた二つのハーブは、とにかく独特な匂いがする。遠くからでも香るその匂いが、目の前の薬草の香りと混ざって胸やけを起こしそうだった。そんなレイを見ながら、マルキオン教授が楽しそうに笑う。 「そんな調子で魔物由来の材料が置いてあるエリアなんて行けるかなぁ」 「あそこの素材は、ちゃんと密閉(パッキング)されてるから、大丈夫ですよ」  レイは答えながら歩き、三店舗目で月雫草の籠をまじまじと見ながら、そのうちの一つを包んでもらった。籠を通気性の良さそうな布で包み、紐で吊ってくれたものを受け取って、レイは代金を支払った。それをクラウスが不服そうな顔で見るので、レイは苦笑しながら「お前には調合後に請求する」と言うと、渋々納得してくれた。輝晶果実の蜜は、その隣の店舗で買い上げた。値段は一緒でも、その店舗ごとに管理と商品の包み方が違う。レイは自分達の前に買っていた人を目ざとく確認しながら店を選んでいた。  鉱物を取り扱う店舗が並ぶエリアに差し掛かると、また違った香りと湿度に迎えられた。あまり素材に影響を与えないように魔法機構が組まれたオレンジ色の照明が目に入る。  鉱物の管理は、非常に厄介だ。常温保存が問題ないものも確かにあるが、湿度や温度管理が素材に合わせて一定水準に保たれていないと、鉱物の特性が失われ、ただの石と化す。そのため、店舗には大小さまざまな保管箱が所狭しと並んでいた。保管箱の蓋部分は保管用の魔法機構が備わった強化ガラスでできており、そこから覗くことで鉱物の状態を確認することができる。一つの保管箱に同種の素材が入っており、上から指を差して指定し、買うのが通例だ。  その場で持ち帰ることができない鉱物の場合は、魔法薬転送特化タイプの簡易転移装置を使って、転送用の保管箱ごと送り届けられる。もちろん、転送用の保管箱は買い上げだ。そして、商品の特性上、保管箱を開けた瞬間に、濃い鉱物独特のムッとくる匂いが鼻を掠めることになる。  薬草エリアよりも比較的空いているため、人にぶつかる心配もなく吟味することができる。その分、先ほどのようなどの店が良いかという指標が使えない。鉱物は大きいものなら個数指定、小さいものなら量り売りになるため、購入側の目利きがものをいう。そして、それを惑わすように店舗を照らしているのが、オレンジ色の照明だ。  レイはゆっくりと店の前を歩いた。店先で必ず声をかけられるが、軽く挨拶を交わしつつ「気が向いたら買う」と言って吟味する。数年前に一人で来た時には、それでも買わせようと話しかけてきたりされたが、今回は高身長の鉄仮面がいてくれるおかげで絡まれずに済んでいて有難い。  無事に紅玉砂一袋を二店舗目で、ハイドロ銀泉石三個を六店舗目で購入すると、マルキオン教授が面白そうに笑いながらそっと耳打ちしてきた。 「……分かるの?」 「えぇ、有難い能力でしょう?」  教授にニヤリと笑ってみせる。レイは、魔力を感知する能力をフル活用して鉱物を見定めていた。魔法薬に使われるような鉱物は、薬草と比べると顕著に魔力を帯びている。近付けば保管箱越しでも、ある程度はその魔力の質を感じ取ることができた。 例えば血行促進効果のある紅玉砂は、良質なものが多い保管箱の前を通ると、肌の表面が少し暖かく感じる。普段は感じ取りたくないようなものでも分かってしまう忌々しい力だが、自身の能力を持っていてよかったと思う貴重な瞬間だった。

ともだちにシェアしよう!