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第84話 護衛

 魔物(モンスター)から採集される素材は、希少なものが多い。繁殖力の強い魔物だと、それなりに素材の供給もあったりするが、国の騎士が常駐している駐屯地から正式に討伐隊が編成され倒されるような魔物になってくると、希少な分もちろん値も張るし、供給もない。稀に討伐の一報が入ったとしても、その希少さ故に競売にかけられることがほとんどだ。  レイがクラウスの頬にある傷痕を消すために採用しようと考えた素材は、ブラックヘモホッグの肝臓だった。ブラックヘモホッグは、巨大な体躯と硬く黒い毛皮、立派な牙を持つ大猪だ。ゴブリン等と比べると生息地が限られているため個体数は少ないが、そこまで希少な魔物というわけでもない。むしろ捨てるところが少ないことで有名な魔物だ。毛は硬くしっかりとしているため、絨毯や冬用装備に使用されることが多いし、筋肉質でがっしりしている肉は、赤身が強く、噛むほどに力強い旨味があるという。  魔物由来の材料は、もちろんそのまま魔法薬に使用するわけではない。必要部位から欲しい成分だけを抽出し、結晶化したものを使用する。抽出する素材の鮮度が非常に重要で、解体・密閉までの時間との勝負となる。  レイは、そのエリアに足を踏み入れた瞬間、深呼吸をした。「よし」と小さく気合を入れて、先頭を歩き始める。その様子を見ながら、クラウスは少し不思議そうな視線をレイに送ったが、それに本人が気づくことはなかった。――レイの表情が、少々強張っている。しかし、この時のクラウスにはそれが何故だか分からなかった。 「品揃えが豊富なのに、輪をかけてここは歩きやすいね」  マルキオン教授が嬉しそうに呟いた。  市場の隅の方にある魔物素材エリアは、ほぼ、大きな保管庫で埋め尽くされている。鉱物と同じように展示できるようなものも、品質を落とさないように薄い防護布がかけられており、透けて見えるものを目を凝らしながら見るしかない。しかし、そういったものは魔法薬用というよりは、武器や装飾の用途として使われることが多く、そういった彫金士や業者向けの品は午前中にもっぱら取引されることが多い。  レイは、店頭に大きな牙が掲げられている店の前で立ち止まった。すると、店主とみられる恰幅のいい男が汚れたエプロンを外して、奥から店先に出てきた。 「……何が欲しい?」  訪れた時間帯と服装から、恐らく魔法薬士であるとあたりを付けられたのだろう。店主が不愛想に聞いてきた。 「ブラックヘモホッグの肝臓」  レイが店主を見据えてはっきりと答えると、店主は「あー」と小さく呟いてから答えた。 「今、うちには取り扱いが無いな。向かいの五軒隣の店に、先日皮が卸されたと聞いた。もしかしたらあるかもしれん」 「ありがとう」  そう言うと、レイはそのまま言われるがまま、広い通りを斜めに横断しながら店に向かって歩き始めた。珍しいものを見るかのように、辿りつくまでの間にある店舗からの視線が突き刺さる。クラウスはその視線の先々に意識を向けながらレイの後ろを歩いて行った。 「……お前も見ればわかるかもしれないが、扱う品が品なだけに、魔法薬士が直接買い付けにくることはほぼない。大体懇意にしている店に先に依頼をかけて、直接卸してもらうことの方が多いんだ」 「その分、取り扱いが無い場合だと、何店舗も中継を挟んでマージン取られるから、値が張りやすくもなるんだけどね」  クラウスの行動に、レイが無表情で答えた。それに付け加えるように、マルキオン教授がいつもと同じような朗らかな笑みを浮かべながら口を挟む。なるほど、と頷きながら、クラウスはそのまま思ったことを口にした。 「レイは、市場慣れしているように思える」 「あ、それは僕も思った。もしかして、オルディアスの市場にもよく行ってたの?」  レイへの視線を遮るように高身長二人で挟み込むと、レイは一気に挙動不審になりながら、歯切れ悪く「まぁ」と呟いただけだった。それを受けて、マルキオン教授がクラウスに視線が向けた。クラウスもその視線に小さく頷く。  ――レイがおかしい。それにマルキオン教授も気付いたようだった。 「……レイ?」  クラウスがレイの背にそっと手を添えると、レイの顔がぱっと上を向いた。その目が驚きの中に新たな発見を得たように光っており、今度はクラウスがその瞳に釘付けになった。 「クラウス、悪いがしばらくそのままで」  何が何だかさっぱり分からなかったが、クラウスはそのままレイの背に手を添えたまま歩いた。加えて、レイの魔力がそっとクラウスの手を包んできた。こういう時に、レイと同じ魔力を感知する能力があったのなら、レイの魔力が何を求めているのかが分かるのかもしれないが、クラウスにはそれを読み解くことができなかった。  目的の店舗に到着すると、レイの表情は更に硬くなった。奥からでてきたこざっぱりした頭の店主が声をかけてきた。 「何をお求めで?」 「ブラックヘモホッグの肝臓があると聞いてきた」  実際は皮が卸されたと聞いていたが、レイはしれっと言ってのけた。それに対して、店主はすぐ近くの棚にかかっていた伝票束を捲りながら「うーん」と唸り声を上げた。 「入ってきてますが、ちょっと小さめですね。どれくらい入用です?」 「二キロもあれば充分だ」  レイの声が絞り出すように苦しげに響いた。それを聞いて店主が店の奥に引っ込んでいくのを見計らって、マルキオン教授がそっとレイの顔を覗き込んだ。 「体調、悪い?」 「違うんです。違うんですよ、教授」  レイは口元を押さえながらそう答えると、ちらりと店の看板を見上げた。店舗名の隣に、しっかりとザルハディア王国の国教のシンボルマークが入っている。これは、この店舗に卸されている商品は、全て神殿を通して浄化処理(お祓い)を行っているという証だった。  魔物由来の材料は、浄化処理を受けてから卸される。理由は、魔物に内包する瘴気が原因だ。モンスターの魔力と瘴気は密接に結びついており、きちんと浄化を受けてからでないと、魔力量の少ない人間には害となり、身体に影響が出る。  レイは更に隣の店舗の看板へと目をやった。店舗名の隣には、同じくザルハディア王国の国教のシンボルマークが入っている。 「たぶん、隣の店舗ですね……ヤってます」 「……本気で言ってる? 表示詐欺じゃん。テロ行為と言っても過言じゃないよ」  魔法薬士であるマルキオン教授の顔が真顔になった。いったい何を示唆していたのか、ここに来てやっとクラウスも推測ができた。  浄化工程を挟んでいない素材の販売。それは、人体に影響を与えかねないものを取り扱っているということに他ならない。闇市ならまだしも、国営薬草市場でそんなことが起こっているというのは問題だ。ましてや、国教のシンボルマークの不正使用。厳罰は免れないだろう。おそらく、レイは自身の魔力感知能力のために、瘴気が混ざった魔力を感じ取ってしまったのだろう。 「たまにあるじゃないですか、そういう素材」 「あるよ? 新人神官が上手く除去できなくてやらかしたやつとかね。僕も国安保の手伝いで扱ったことあるし」 「成分抽出時に、上手いことアレが除外できれば、問題ないってことでしょうね。それができる魔法薬士に当たっていれば、アレの摂取事故は防げます」 「魔法薬士が取り扱う分には、ね。彫金士やただの加工屋だったらどうするのさ」  店舗の前にいるためか、「瘴気」という言葉を使わずに会話をしているレイに、クラウスはそっと耳打ちをした。 「立証は?」 「無理だ。俺の感覚だよりの話だし、神殿が抜き打ち検査官(ミステリーショッパー)にでもなって監査するしかないね」  打つ手がない。自国(オルディアス)ならまだしも、他国のことだ。できるとしたら、ペリスコット公爵家のケイデン様にそっと耳打ち(チクる)ことぐらいしかできないだろう。  レイが息苦しそうに言うので、クラウスはレイの背をそっとなでることしかできなかった。魔力相性のいいクラウスと接することで、多少受ける感覚が緩和できていると信じるしかない。おそらくレイが背に手を添えろと言ってきたのはそういうことなのだろう。正直、こういう時こそエスコートできれば一番いいが、如何せんクラウスはクラウスとしてここに立っていない。婚約者がいる男が、他国で婚約者以外の男と腕を組んで歩いていた等と言われれば、困るのはレイだ。この時ほど、クラウスは、自身の首に巻かれている認識阻害機構が組まれたチョーカーが憎らしく感じたことはなかった。  奥から出てきた店主の手には、両手鍋ぐらいの大きさの保管箱が抱えられており、上から覗くと、赤黒い体液と共に綺麗に密閉包装(パッキング)された内臓が見えた。非常にグロテスクな見た目をしており、確かにこういったものが苦手な人はここに直接買い付けなどは来られないだろう。まず品の良し悪しを見るどころの騒ぎではない。  レイはザルハディア金貨と銀貨を店主に押し付けるように渡した。保管箱は気を遣ったマルキオン教授が受け取ってくれ、「持ちます!」と言うレイを無視して、マルキオン教授はさっさと出口に向かって歩いて行ってしまう。市場が閉まる時刻を告げるチャイムが鳴り響き、レイとクラウスはマルキオン教授の背を追いかけるように小走りで駆けだした。  陽が傾き、夜の気配が濃くなり始めた広い降車場を、レイ達は荷物を抱えて歩いていた。貴族と一般客では乗り場が違うらしく、人の波と一緒に移動してきてしまったことにより別出口から出てしまったため、迂回することになってしまった。 「そんなのちゃんと案内表示に書いておいてくれないと分からないじゃない!」  斜陽を浴びながら、また寒さに震えるマルキオン教授が文句を口にする。その教授は、まだブラックヘモホッグの肝臓が入った保管箱を抱えたままだった。既に瘴気が絡みついた魔力を感じることもなくなり、気分も回復しているのに、この人は保管箱を返そうとしてくれなかった。それを見たクラウスが、自分もと謂わんばかりにレイの手から薬草類を取り上げようとした時は、頑なにそれを阻止した。護衛が荷物を持ってどうすると言うと、渋々引き下がってくれた。  陰った迂回路を走りながら、レイは一般客の乗り場でみた案内図を思い出していた。貴族用の乗り場はまだ先だ。早くしないとマルキオン教授が寒いとへそを曲げてしまう。  そんなことを思いながら、迂回路に書かれた矢印にそって道を曲がった時だった。目の前に、数人のガラの悪そうな男達の姿が見えた。全員で六人。中には首に広く入れ墨をした者もいて、明らかに周りを威嚇するような風体の輩だった。小さく「お、来た来た」などという声が聞こえ、クラウスがレイはの隣から一歩前に立ち、ぴたりと足を止めた。 「オニーサンさんたち、荷物重そうだね。もってあげようか」  クラウスよりも上背も体格も良い男が、声をかけてきた。ニヤつきながら挑発的な態度をとってくるが、肌に感じる魔力量を見る限り、全員が非魔法使いだ。――面倒だな。レイは睨みつけるように男達を見ながら心の中で毒ついた。  非魔法使いに対し、魔法使いが魔法を行使したらどうなるか。それが例え、武器を所持していようがなかろうが、全く関係ない。そして先ほど聞こえた発言。明らかにこちらを待ち伏せしていたとしか思えない。 「……なるほど、薬草市場に入ってから感じていた視線の正体は、お前達か」  クラウスがそんなことを言い始め、レイは驚いた。まるで物見遊山のようにきょろきょろと周りを見渡しているのかと思っていたら、まさかちゃんと護衛としての仕事をしていたとは思っても見なかった。 「ワッ! オマエタチだってさ! 年下にそんなこと言われちゃったよ」 「粋がってたいお年頃なんじゃねぇの?」  ゲラゲラと下品に嗤う男達を、レイ達はただ黙って見ていた。男達の狙いが分からない。薬草市場に入ってからずっとつけられていたとしたならば、物盗りの線はないだろう。もしそれが理由なら、わざわざ護衛付きの客を狙ったりはしない。しかし、オルディアス王国の諜報部が足を掴まれたのであれば、流石にこんな頭の悪そうな者達を寄越すことはないだろう。もしくは、今も尚どこからかこちらを見ていて、揚げ足を取るために魔法を行使させようとしているのかもしれない。 「とまぁ、バレちゃってんなら、分かるでショ? ちょっとそこの子に、痛い目見てほしいワケ」  そう言ってスッと指を差されたのは、レイだった。まさかの、諜報部に属しているクラウスでも、この国で蔑視される魔術師であるマルキオン教授でもなく、一介の魔法薬士である、レイ。 「……俺?」  思わずレイが聞き返す。分かるだろうと言われても、さっぱり理由が分からない。 「ちょっとレイ君、何したの」 「いやいやいや。皆目見当がつきません」  隣からじっとりとした目を向けるマルキオン教授に、レイは慌てて首を振った。しかし、そんなことは関係ないと謂わんばかりに男達が横に広がりを見せ、確実に逃げ場を塞ごうとしている。  その時、レイはひんやりとした殺気を感じ取った。自身の目の前にいる美男が静かに放つ冷気にも似た怒りに、思わず息をのむ。クラウスは、ベルトに挟んでいたナックルガードグローブをゆっくりと手に嵌め始めた。 「レイ」  クラウスが肩越しにこちらに向けた顔は、鉄仮面のそれよりも更に冷たく固かった。 「一歩も動かなくていい」  冷たい響きの低音が、頼もしく響く。レイは気圧されるように、ただ小さく頷いた。  それを合図にするかのように、先に動いたのはクラウスの目の前にいた体格のいい男だった。男の左腕がクラウスの胸倉を掴み上げた瞬間、クラウスの左肘が男の左腕に振り下ろされた。胸倉から手が外れた瞬間、クラウスはそのまま体をくるりと反転させて、振り向きざまに右肘を男の顔に炸裂させた。 「ガぁっ!」  男の体勢が崩れた瞬間を見逃さず、クラウスは振り向いたときの反動を利用して右足を軸にして男の顔にハイキックをくらわせた。一番体格が良かった男が、勢いよく地面に転がっていくのを見て、他の男たちも一斉に動き始めた。  首に入れ墨をした男が片手にナイフを引っ提げて、上から振り下ろしてきたのをクラウスが半身を引いて避けると、入れ墨男はそのまま素早く切り上げに転じた。クラウスは自身の顔めがけてきたナイフにも動じず、冷静に男の手首に拳を入れた。入れ墨男の手が緩んだ瞬間、ナイフを男の手から払いのける。男の手から離れたナイフが地面に落ちるよりも早く、クラウスは重心を低くして男にアッパーをくらわせた。 「ぐぶっ!」  入れ墨男は短い悲鳴を上げながら後ろに倒れ込んだ。ちりんと音を立てながらナイフが地面を跳ね、クラウスがそれを蹴り上げると、ナイフは綺麗にくるくると回りながら宙に浮かび、そのままクラウスの手の中に納まった。  あっという間に男二人が地面に転がって、残りが四人となった。息の付く暇もなく状況が変化する中、レイは胸に何か熱いものがこみあげてくるのを感じた。  はっとレイが息を吐いた瞬間、右から襲い掛かってくる派手な模様のシャツを着た男に、クラウスは地面すれすれまで一気に体を下げた後、足払いをかけた。目にも止まらなぬ速さでそんなことをされれば、襲い掛かってきた男はクラウスが消えたように見えただろう。バランスを崩した派手シャツの男が尻もちをついた瞬間、クラウスはすぐさま体勢を整えて男の顔を蹴り飛ばした。 「このヤロッ!」  中肉中背の男がクラウスに向かって蹴りを放つ。しかし、クラウスはあろうことかその男の足をそのままナイフを持った右手で殴りつけた。宙でいきなり足を地面に叩きつけられた男は、転ばないように重心を下げて踏ん張ると、クラウスは殴った拳をそのまま切り返して男の顎にヒットさせた。男の顎が上がったところで、今度はクラウスの左手が男の顔に飛ぶ。  その衝撃で中肉中背男の歯が飛んで行った先から、くたびれた革のジャケットを着た男がクラウスに襲い掛かる。大振りのパンチを軽く半歩ずらし避けると、クラウスは全身のバネを使って一気に距離を詰め、持っていたナイフの柄でジャケット男のこめかみを殴打した。  クラウスはそのままの勢いを殺さず、その後ろにいた禿げ頭の男が持っていたバールに回し蹴りを放ち、そのまま空中で一回転して禿げ頭を長い脚で薙ぎ払うように蹴り飛ばした。  レイは一部始終を見ながら、両手で顔を押さえ、思わずその場にしゃがみこんだ。胸がいっぱいで、上手く呼吸ができない。心配したのか、マルキオン教授が手に持っていた保管箱と一緒にこちらを覗き込んでくる。 「大丈夫?」  優しい声が降ってくる中、レイは込み上げる熱い気持ちをそのまま口に出した。 「お……俺の婚約者、カッコよすぎぃ……」  全く緊張感のない声が口から漏れた瞬間、禿げ頭の手から弾かれたバールが地面に音を立てながら落ちた。マルキオン教授は、心配して損したと謂わんばかりにため息を吐いて、ぼそりと呟いた。 「君、強い男が好きっていうの、あながち間違ってないんじゃないの?」

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