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第86話 『アレ』

 ハウスメイドから渡されたふかふかのタオルを持って部屋に入ると、まるで部屋の主かのように当然のごとくソファに座っていたクラウスと目が合った。じっと見つめられたのでそのまま小首を傾げて見せると、クラウスの目元が少し綻んだ。  部屋同様、館の警備の質を疑う行為となりうるため、護衛が終始一緒に行動するわけにいかない。それは分からなくもないが、依頼人の部屋にずっといるという行為は問題ないのだろうか。  レイはループタイのチャームとなっている魔力石の魔力残存量を確認した。先日使用してから、毎朝欠かさず充填を繰り返していたので今回の調合にはおそらく問題ないか。しかし、今回はブラックヘモホッグの肝臓からの有効成分の抽出がある。通常の調合台で行うにしても面倒なものを、簡易調合台で行うのだから、レイの魔力回路への負担は相当なものだ。本来なら、調律後に行うのが最善策ではあるが、ここは自分の家でもなければ二つ隣の部屋にはマルキオン教授がいる。 「どうした?」  クラウスが声をかけてきた。ぱっと視線を上げると、藍色の瞳が心配を滲ませながらこちらを向いている。そんなに自分は難しそうな顔をしていただろうか。そんなことを考えながらも、レイは口を開いた。 「あー……クラウス、この後の予定は?」  慎重に言葉を選びながら聞いた言葉に、クラウスの顔が一気に曇った。あぁ、まずい。聞き方を間違えた。彼の心配が増長してしまった。これはどこまでも過保護なこの男へ、きちんと答えるまで追求される。今度からは即座に問題ないと切り返さねばいけない。  クラウスはこちらの様子を観察するような視線を向けながら答えた。 「連絡次第だ」 「なるほどな。まだ連絡はこないか」  気付かないフリをして、レイはクラウスの隣に腰かけた。クラウスの視線がレイを追いかけてくるが、その視線に応えるか否かを、レイは迷っていた。  この後の状況が分からないのに、今、下手に調合を開始してオーバーヒートを起こそうものなら、この男は間違いなく仕事をほっぽりだして自分についているだろう。かといって調合の開始が遅れれば、保管箱の品質保持に使われている魔力石の効力が切れ、せっかく入手した高級素材が無駄になってしまう。  レイは観念してクラウスの方を向き、自身の左耳をトントンと叩いて見せた。それを受けて、クラウスが左耳に付けていた小型通信魔法機器を取り外し、ダイアルを操作し始める。こちらの意図を組んで、相手に音が伝わらないようにしてくれたようだ。この機能がレイに与えられた機器にもついていれば問題なかったが、先日それがついていないことが分かって、ハウリングしてしまい迷惑をかけたばかりだった。  クラウスが再び機器を装着したのを確認してから、レイはクラウスの肩に頭を乗せた。 「興味本位で聞くだけだ。決してそういうつもりで聞くわけじゃないことを理解した上で答えてほしいんだが」  レイはそう前置いた。クラウスが不思議そうに頷いたのを見て、視線を外す。ため息を吐いて、意を決して問いかけた。 「……任務中に、どうしても調律が必要になった時なんだが」 「レイ、その話は以前にも――」  クラウスが焦ったように早合点して口を開くが、レイは首を振った。 「違う。今後そういうことがあった場合という話じゃなくてだな……その……どう、してたんだ?」 「……………………は?」  言い淀みながら聞くと、長い沈黙の後、クラウスはそう聞き返してきた。改めて聞かねばならぬ状況に、羞恥で顔に熱が入ってしまう。レイは、ヤケを起こしながら大きく息を吸った。 「だから! あまり大っぴらに結界を張るわけにもいかない、でも調律をしなければならない。そんなことが過去にもあっただろう!? そういう時にどうしてたんだよ!」  捲し立てるようにそう聞くと、珍しくクラウスの顔が羞恥に歪んで視線を逸らされた。口元を手で覆い、視線が泳いでいる。みるみるうちにクラウスの耳が赤く染まり始めた。その反応に、レイも口元を歪ませながらクラウスの肩を掴んだ。 「おいっ! 言っただろっ! そういうつもりで聞いたんじゃない! 誘ってない! 誤解するな! こっち向け!」  クラウスの肩を揺さぶりながら喚くと、クラウスがニヤついた顔を隠そうともせず、問いかけてきた。 「では、何故聞いた?」  至極当然なその問いに、言葉を詰まらせる。頭がもう破裂しそうなぐらいにいっぱいで、上手く取り繕うこともできない。首まで熱くなるのを自覚して、レイは唇を噛んで視線を逸らした。その隙を狙うかのように、クラウスの腕がレイの背に回り、肩を抱きしめてくる。 「なんだろうか。私の理性がどこまで持つか試されているのだろうか」 「ち、違――っ!」  クラウスが意地の悪い笑顔を浮かべながら、顔を寄せてきた。  あとわずかで唇が触れる。あぁもうどうしてこうなった。――降りて来る唇の気配に、レイは目を固く瞑った。 「……?」  一呼吸おいても、降りてこない感触に、レイはそっと瞼を持ち上げた。クラウスの瞳が非常に不機嫌そうに細まっている。しん、と静まる部屋の中に、小さくクラウスの左耳についている小型通信魔法機器から、誰かの声が漏れ聞こえた。おそらく、話すテンポや抑揚の付け方からコリントだろう。  レイは慌ててポケットから自分の小型通信魔法機器を取り出し、起動させて左耳に装着した。 「――る? おーい。聞こえるー?」  コリントの声が左耳に入ってくる。レイは返事をしようと息を吸った。その瞬間、クラウスの唇が降りてきた。 「――っ!?」  行き場を失った息が苦しい。突然の深い口付けに、レイは必死に音を立てないように息を殺した。顔を背けても追いかけてくる、いつまでたっても終わりそうにない執拗な口付けに、レイはクラウスの顔を手で固定して無理やり遮った。 「はいっ! 聞こえてます!」  返事をすると再び不機嫌を前に押し出したような顔をする残念な美形を、レイは睨みつけた。声を出さずに唇の動きだけで「蹴るぞ馬鹿」というと、クラウスは渋々レイの肩に回した腕を離した。 「え、元気だね。もうちょっと音量下げてもらえるとありがたいけど」 「あ、すみません」  コリントが呆れたように呟いた言葉に、レイは素直に謝罪して再びクラウスを睨みつけた。しかしながら、クラウスは涼しい表情を浮かべたままソファに座り直していた。 「さて、件の店について報告するよ。店名『フォレ・ジヴォワ』。昼間は喫茶店。夜はお酒の提供もあるお店だね。一般客向けの席は一階。二階が完全予約制の個室。おそらくカーレンは個室のどれかを押さえたんじゃないかな。……ただ、気になるのは……地下だね」  一度そこで言葉を切ったコリントは、少々声のトーンを落として言い淀んだ。 「時間が無くて調べきれなかった。だけど、ちょっときな臭い。倉庫にしては広すぎる。情報屋曰く、目深に帽子を被った身なりの綺麗な客が、何名か店の奥へ消えて行ってしばらく出てこないってこともあるらしい。そういう場合多いのが、違法カジノか麻薬(ドラッグ)バーだけど、行政地区のお膝元でそんなことをしてるとしたら……だいぶこの国ヤバイと思うよ」  レイは黙してコリントの言葉を聞いていた。決してオルディアス王国にそういった面が無いとは言わない。だが、カーレンがわざわざフォーリォル家がある西エリアでもなく、そんな店を選んだのか。それが気になって仕方がない。 「オーナーは? ヤバイとこなら大体マフィアが仕切ってるだろ?」  左耳からケリーの声が流れる。そして、コリントが答えた人物名に、レイは今度こそため息を吐いた。 「カーレンの元婚約者の、ゲーヴナー伯爵家だよ」  クラウスがレイにちらりと視線を送ってきた。レイは訳が分からないとただ首を横に振る。カーレンがわざわざ離れたい元婚約者の家が運営する店を予約したという事実が理解できない。普通の感性ならむしろ避けて通る店であるはずだ。 「明日、一般客を装ってコリントが一階席に待機する。何かあったら助けを求めろ」 「と言っても、僕はケリーやオリン程、戦闘向きの人間じゃないからね。そこまで宛てにされても困るよ」  ケリーとコリントの声が小型通信魔法機器を通して流れてくる。それだけ、期待されていると思うと、息が浅くなる。 「……最善は尽くしますが、不慣れなことなので……正直期待しないでいただきたい」 「敬語が戻ってるぜぇ、先生」  レイの言葉に、ケリーが素早く反応する。場を和ませようとしていることがよく分かり、思わず苦笑を溢した。 「ケリー、先生はやめてくれ。本当に、そんな大層なものじゃないんだ」 「嘘つけ。もう痛みもひいちまったよ。ありがとな」  まっすぐな礼を受けると、少しむず痒い。レイは眼鏡の位置を直しながら咳払いをした。 「当たり前だ。痛み止めが入っているんだから」 「はー素直じゃねぇな。ま、そういうところもかわいいんだろ? クラウス?」  揶揄うようにクラウスが呼ばれる。レイはそのまま視線をクラウスへ移した。その顔には他人に見せるときの鉄仮面が張り付いている。クラウスの顔が少しだけレイに寄り、いたって真面目な声色を響かせた。 「ケリー。今回『アレ』の持ち込みはあるのか?」  クラウスの言葉を最後に、小型通信魔法機器が音を発さなくなった。レイは、もしかしてまた自分だけが通信を遮断されたのかと思ったが、クラウスの耳についている通信魔法機器からも音が漏れ出ていない。 「……クラウス、お前……今『アレ』って言ったか?」  数秒間、たっぷり沈黙した後、ケリーの声が響く。その声は若干引き気味で、レイは一体何のことかも分からず黙ってクラウスの顔を眺めていた。クラウスもレイの顔を見つめ返しながら、再度口を開いた。 「言った」  いつもの調子でそう答えたクラウスの言葉の後、再び沈黙が訪れる。小さくケリーかコリントどちらかのため息が聞こえた後、今度はコリントが静寂を破った。 「ある、よ? ある、けど、さ……」  尻すぼみしていくコリントの声を聞きながら、レイはクラウスに視線で問うた。しかし、クラウスの表情は一切変わらない。 「では、後ほど取りに行く。誰が持っている?」 「……俺」  ため息交じりに答えたケリーが、「あーあ」と言う声を漏らした。 「お前、後で怒られても知らんぞ」 「織り込み済みだ。――もし作戦に変更がある場合はその時に聞く。他に何かあるか?」  クラウスがそう言うと、疲弊した二人の「ない」という声が通話越しに聞こえ、通信が終了した。レイは小型通信魔法機器を外し、クラウスの方を見る。 「もう行くのか?」  レイが問いかけると、クラウスは小型通信魔法機器のダイアルを弄りながら、小さく「あぁ」と答えた。レイは手元に視線を落とすクラウスの横顔を見ながら、そっと彼の袖を掴んだ。 「……危ないものなのか?」  そう問いかけると、クラウスの視線が通信魔法機器からレイへ移る。合点がいかないといった顔をしたクラウスが、じっとこちらを見てくる。 「『アレ』っていうのを取りに行くんだろう?」  レイの言葉に、クラウスの視線がそっと泳ぎ、またレイの瞳に戻ってきた。そのままレイの頭を撫でた後、額にそっとキスを落とされる。 「危ないものではない。むしろ、レイにとってはいいものだろう」 「俺にとってだけか?」  眉を寄せてクラウスを見ても、彼の表情は変わらない。 「帰ったら見せる」  そう言ってクラウスはソファから立ち上がった。レイはうーんと首を傾げた後、追いかけるように立ち上がった。見送りだと思ったのだろう、クラウスがそのまま歩き出したが、レイはドアの前に立ちふさがった。普段はしない行動に、クラウスの瞳が少々丸くなる。  レイは、少し迷うように視線を彷徨わせてから、おずおずと両手をクラウスの両頬に手を伸ばした。彼の顔を導くように引き寄せ、そっと唇を重ねる。  頭の奥に響く澄んだ共鳴音と羞恥心に胸がぎゅっと締め付けられる。自分の魔力が小躍りしながらクラウスに纏わりついて行くのが分かって、それも羞恥心を加速させた。クラウスの鍛えられた腕がレイの背に回り、頭をしっかりと支えられ、より口付けが深いものへと変わった。鼻から息が漏れる。クラウスの魔力もレイの魔力に絡みついて、まるで調律時のような濃さを纏い始めた。  はっと息を最後に吐き出して、クラウスがレイの肩を押した。唇が離れて、クラウスの艶っぽい瞳が揺れるのが見える。 「……本当に君という男は」  クラウスが昂る気持ちを理性で蓋をしようとしているのが見える。レイは小狡く首を傾げて微笑んでみせた。離れがたいと言いたげな互いの魔力が、すごすごとそれぞれのあるべき場所へと戻っていく。  レイは自身の魔力の状態を観察した。ゆらりと滑らかに、そして快活な自身の魔力を見える。少しのふれあいでこれだけ調子が良くなる自身のゲンキンさに呆れた。これならもしかしたら調律しなくても魔物由来の素材から抽出ができるかもしれない。  ドアの前から退いて、レイはクラウスを見送った。 「気を付けて」 「あぁ。行ってくる」  クラウスがふっと軽く笑って、そのまま廊下を軽やかに走って行く。姿が見えなくなったのを確認して、レイは呼吸を整えた。クラウスが帰ってくる前に、調合を終わらせてしまおう。オーバーヒートまではいかない。そう確かな自信がレイの背を押した。  一方、クラウスは世話になっているタウンハウスを出た瞬間、物陰に隠れて隠密魔法と身体能力強化魔法を行使した。 「お前、音拾ってたぞ。あっついキスしやがって」  左耳から聞こえるケリーの声をクラウスは無視して走った。正直、レイがあんな行動をとってくれるとは思っていなかった。だからレイが小型通信魔法機器を外した後、すぐにクラウスの機器の拾音機能を入れる操作をしたのだ。なのに、まるでこちらのタガを外そうとするかのような誘惑に、理性で打ち勝った自分を褒めてもらいたい。音ぐらいお目こぼしをもらってもいいとすら考えていた。 「『アレ』のことについても、レイの前で聞くって……ちょっと配慮に欠けるぞ?」  ケリーが説教モードに入ったのを察知して、クラウスは平然と言ってのけた。 「そもそも、本人が諜報活動中の調律はどうしていたのか聞いてきた」  そして、いい雰囲気だったのにも関わらず、それを邪魔するようにコリントとの通信が始まってしまった。クラウスは通信中、表面上は平静を装っていたが、内心非常にいじけていた。 「だからって、本人だって後から気付くだろ。お前が『結界のない防音機構装置(アレ)』があるか聞いたってことは、この後調律しますよって宣言したのとおんなじだってことをさぁ」  ケリーの呆れ声が響く。しかし、クラウスにしてみればそんな暴挙に出た原因は、ケリーがレイに言った感謝の言葉だった。自分が薬を服用したときに感謝を述べてもそんな表情をしない癖に、ケリーの言葉には満更でもない顔をしたレイの表情に、少しだけ心がざわついた。普段なら、席を外してから聞くだろう配慮をなくして、少々レイの心もざわつかせたいと思う気持ちが前に出てしまった。  クラウスは声には笑っていることが分からないように気を付けながら、唇をつり上げた。 「言っただろう? 織り込み済みだと」  クラウスの発言に、聞こえてきたのはため息が二つ。 「……なんてやつだ」 「レイ、可哀想」  次々に聞こえる非難の声も、まるでクラウスの耳には入らない。早く帰って、レイの羞恥に歪む顔が見たい。そんな気持ちでいっぱいだった。

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