95 / 96

第87話 それぞれの立場

 レイは必要な材料をローテーブルの上に広げると、ループタイについているチャームを操作して、簡易調合台の魔法陣を照射した。ローテーブルでの作業は中腰になるので体に負担は多いが、この際致し方ない。綺麗に魔法陣が形どられる角度と距離に調整して、チャームの裏についているくぼみに魔力を通して固定(ロック)する。こうすることで、ある程度動いても魔法陣が歪まずにそのままの形を維持してくれるようになる。  続けてローテーブルの上に鎮座する保管箱を開けて、綺麗に密閉されたブラックヘモホッグの肝臓を取り出すと、ハウスメイドからもらった新品同様の分厚いタオルの上にそれを乗せた。風魔法を応用し、人差し指の先にほんの小さなカッターの刃のようなものを形成すると、保管箱の中のひんやりとした空気を纏った臓器の包装を指でなぞった。なぞった先から包装が切り裂かれ、ブラックヘモホッグの体液の臭いがあたりに広がった。冷えていると通常そこまで臭気は広がらないはずだが、ブラックヘモホッグの体液は、少々臭いがキツい。  包装から漏れた体液が、タオルに染みを作っていく。レイはタオルごと肝臓を持ち上げて、簡易調合台の上に静かに置いた。ローテーブルの前で膝をつき、気を引き締めるように大きく息を吐いてから、魔法陣に手を翳し、調合魔法を行使した。  重い肝臓が浮かび上がる。その拍子にずるりと包装が滑り、タオルの上にべしゃりと音を立てて落ちた。  魔物(モンスター)由来の素材から取れる成分は、多岐にわたる。その中で必要なものを選び取って抽出する作業は、非常に困難だ。そもそも欲しい成分が、別の成分と絡み合っていることの方が多く、植物や鉱物からの抽出よりもより複雑な工程を踏む。まず欲しい成分が何と絡んでいるのかを探り、絡まった状態のまま抽出する。その後に他の成分を除外し選り分ける工程に入る。そのためには、深い知識とセンスが必要となる。  ――これが魔術師だったなら、無駄なくとれる成分を全て選り分けて結晶化し、業者に売りつけるなんてこともできるのだろうが、如何せんレイがそんなことをすれば、有効成分の選り分けだけで魔力回路はオーバーヒートするだろう。  宙に浮いた赤黒い肝臓から、薄い紫色の光がじわりと放出され、肝臓の上をくるりと回り始める。慎重な作業が必要なため、レイはその工程をゆっくりと進めた。第一段階の作業が問題なく終われば、次の工程は技術的にはさほど難しくはない。レイは徐々に自身の魔力回路が熱を帯び始めるのを感じながらも、焦らずに調合魔法を行使し続けた。  体感では十分ぐらいの時間だが、実際はもっと短かったのかもしれない。レイの額に汗が滲み始めた頃、部屋のドアがノックされた。流石に調合に集中したかったため、レイは返事をしなかった。しばらく間をおいて再びノック音が響くが、同様に返事をしないでおくと、ゆっくりとドアが開いた。  ノックの意味とは? と思いながらも、レイはちらりとドアの方に目をやると、ドアの影から現れたのは、薄紫色の髪をしたマルキオン教授だった。ひょっこりとドアの後ろから顔を覗かせて、こちらの様子を窺っているのが見える。  レイは小さく息を吐いた。 「教授、見たいならどうぞ」  そう言うと、マルキオン教授は満面の笑みを浮かべて部屋に入ってきた。ローテーブルのすぐ脇にあるソファに腰を下ろして、じっと肝臓の抽出を見つめ始める。簡易調合台が放つ青い光に照らされたマルキオン教授の表情は真剣そのもので、レイはくすりと笑った。――まったく、この人の調合好きは他人がしているものでも構わないらしい。  マルキオン教授は、本当は教授職になど就きたくなかったのだと、風の噂で聞いたことがある。書類仕事などは大嫌いで、出張だって好きじゃない。自身の興味関心があることに、すぐに首を突っ込めるような身軽さを持っていたいとぼやいていたらしい。だが、マルキオン教授は教授職をめざした。それはきっと、サルベルト教授の隣にいられるようにするための決断だったのだろうと、レイは思っている。  ゆっくりと肝臓から小さな光が出て、宙へ浮かんではくるくると回っているのを、マルキオン教授はただ黙って見ていた。  レイの額から滲んだ汗が玉となって顔の横に流れたのを感じながら、集中し直した。ブラックヘモホッグの肝臓の大きさを見ても、第一段階で抽出できる量は握りこぶし程度の量。そこから更に絡みついている成分を除外する作業をすると、欲しい成分は親指と人差し指で円を描いた程度の分量しか取れない。少しも無駄にはできない。  ブラッグヘモホッグの肝臓から光が抜けきると、色がどす黒い色へと変わって萎びていき、体液が沁みこんだタオルの上に湿った音を立てながら落ちた。レイはそのままタオルで包むと、保管箱の中へそれを投げ入れた。  宙を回り続ける光を中心へ集め、そこから更に抽出作業を進めていく。紫色の光が高速で震えるようにその場で回転を始める。その時、マルキオン教授の体がそっと前のめりになったのが視界の端に映った。だが、そんなことに構っている余裕はない。レイは魔力の出力を上げて、簡易調合台の魔法陣へ注ぎ込んだ。ウゥンと魔法陣がうなりながら強い光を放ち始める。魔法陣の上で、肝臓から抽出した光がパンッと三つに分かれて弾け、そのうちの輝く白い光だけを残し、レイは弾き出された青色と赤色の光を保管箱の中へ移した。  レイは、魔法陣の上に市場で買った薬包紙を一枚置くと、宙に浮かぶ白い光を凝縮して結晶化させ、薬包紙の上に落とした。薬包紙に触れた途端に固まっていた結晶はさらりと瓦解し、粉の山となったのを確認して、レイは調合魔法を解除した。――抽出完了。  倒れ込みたい気持ちをぐっと抑えて、レイはそっと立ち上がり、ソファへ静かに腰を下ろした。 「……はぁ」  全身泥のように溶け出しそうなほど疲れて、レイはため息を吐いた。心臓がトクトクと速く打っているのが分かる。ポケットからハンカチを取り出し、汗の噴き出す顔に被せた。マルキオン教授が入ってくると思ってなかったから、調合時に着用するマスクをしていない。予想通りオーバーヒートまでは至ってないが、それでも魔力回路が茹だるほど熱い。この状態の時の顔を、レイはマルキオン教授に晒すわけにいかなかった。 「お疲れ」  マルキオン教授の声が聞こえる。それに対してレイは小さく「はい」と応えた。むしろ、それ以外の答えを捻り出すだけの余裕がなかった。 「抽出の第二工程」  マルキオン教授が静かに告げてきた言葉に、レイはハンカチの下でニヤリと口の端を上げた。おそらくこちらの反応を待ったのだろう、一呼吸置いた後に、マルキオン教授が呆れたような声でさらに続ける。 「……抽出作業のアレンジは、あまり推奨される行為じゃないけど?」 「はい、理由は確立された方法を取らないと、品質にブレが生じる恐れがあるからです」 「よろしい。分かった上でアレンジした理由を述べよ」  突然らしくない話し方で問われ、レイは思わず噴き出して笑いそうになるのを我慢した。ハンカチが鼻息で飛んで、せっかく抽出した成分にあたりでもしたら大変なことになる。  レイはゆっくりと体を起こし、額をハンカチで押さえたまま答えた。 「理由は四つ。一つ、以前にもブラックヘモホッグの肝臓からの有効成分の抽出は行ったことがあり、どんな成分が絡みやすいかが推測出来たこと。二つ、今回も同じ成分であることが分かったので、一気に選り分けることができたこと。三つ、隣に――」  一度そこで言葉を区切り、レイはハンカチの端からマルキオン教授の顔を覗いた。 「教授がいたこと」 「……僕?」  教授がきょとんとした顔でこちらを見るので、レイは軽く笑みを浮かべた。 「第二工程の構成式、見てましたよね?」  額に当てたハンカチをゆっくりとずらし、残る汗を拭い取りながら問いかえす。 「ダメだったなら、教授なら無理やりにでも辞めさせました。絶対に」  にこりと笑顔と共にそう言うと、マルキオン教授は諦念を滲ませながらこちらを見つめてきた。 「はーん……まんまと使われたわけね、僕。ホント、いい性格してるよ」  責めるでもなく軽口で返されて、レイは思わず笑みを噛み締めた。 「四つ……悠長にやってたら俺の魔力回路が持ちません」 「よろしい。結果的に無事に出来たからよしとします」  マルキオン教授が腰を浮かせ、レイの頭を乱暴に撫でると、そのままドアのほうに向かって歩き出してしまった。 「最後まで見て行かないんですか?」  レイがその背に声をかけると、マルキオン教授は驚いたように振り返った。通常、調合作業は人の目があると緊張したり気が散ったりするため、見学はあまり推奨される行為ではない。だが、レイは後輩達が後学のために見せてほしいとよく言われていたため、人の目を気にしないようになった。――クラウスは調合魔法ではなくレイを見ているので、違う意味で緊張はするが。  マルキオン教授が、肩をすくめながら口を開く。 「面白いもの見せてもらったから、僕は満腹です」  そう言ってドアノブに手をかけてしまう。レイはきちんとマルキオン教授の方に向き直って、既にドアの影に半分ほど隠れてしまった相手に更に声をかけた。 「ご指導、ありがとうございました」  レイの言葉に、マルキオン教授の足が止まる。ドアの影からそっと顔を覗かせたマルキオン教授の顔は、ほんの少し寂しさを纏いながらも、誇らしげに笑っていた。  クラウスがゲストハウスに戻り、レイにあてがわれた部屋に入った時に目にしたのは、ローテーブルの上に整然と置かれた塗り薬の瓶と、ソファで肩を弾ませるように荒い息をしている恋人の姿だった。ハンカチで顔や首を拭いながら、とろりとした艶っぽい目でこちらを見上げるレイは、赤く染まった頬のまま満足げに笑みを浮かべ、小さく「おかえり」と声をかけてきた。  複雑な心境を理性で紐解きながら、どう声を掛けるか思考を回転させている間に、レイは小さく「暑……」と呟いて、無防備にもループタイを解き始めた。これで本当にこちらの理性を試していないのだろうか。クラウスはすぐさまローテーブルに視線を逸らした。 「……調合したのか」 「あぁ。ちょっと、会心の出来かも」  珍しくテンションの高いレイが、満面の笑みでそう答えた。一瞬、酔っぱらってしまっているのかと思うぐらいには、いつもよりも機嫌がよく饒舌だ。レイの調合を見逃してしまったという残念な気持ちも吹っ飛ぶぐらい、ふふっと笑うレイの綺麗な顔に思わず釘付けになる。 「聞いてくれよ。久々にさ、マルキオン教授が俺の調合、見てくれた」 「……ほう?」  嬉しそうに話す恋人の唇から、自分以外の男の名前が飛び出したことに、胸がちりつく。しかし、それでもこんな風に話をするレイが珍しく、クラウスは複雑な男心を腹の底に沈めた。 「俺の研究についての話とか、論文の考察とか……そういうやり取りは通信魔法機器で送りあってたけど、直接の指導はもう貴重で……やっぱり院生になってからはあんまりそういう時間は取ってもらえなくなったし、むしろ俺が後輩の指導を任されたりもしていたし。……なんか、すごく楽しかった」  充実感に浸りながら、レイの視線がローテーブルの上にある塗り薬の瓶に注がれている。 「……大学辞めたら、もうそういう機会には恵まれないんだなって思ってしまって。ちょっと、感傷的になってるかも」  レイの瞳が、寂しそうに細まる。ちりついた胸の火種が、その一言で鎮火した。彼が大学で享受できたはずの充実した研究環境を、奪ってしまったのは紛れもなくクラウス自身だった。  こちらの気配に気付いたのか、レイがハッとこちらを窺うような目を向けてくる。  ――あぁ、またこの目だ。こちらの機嫌を損ねていないかどうかを探るような、まるでわがままを言ってしまった後の子供のような目。レイはよく、こういった目を自分に向けてくる。そんな目をさせたいわけではないのに、そういう目をさせてしまっているのが自分という事実に腹が立つ。例えレイが自分に殺意を向けたとしても、嫌いになるわけなんてないのに。 「誤解を招くような言い方をしてしまったが、お前と結婚したくないってことじゃないからな? それに、もともと院に進んでからは、こんな機会をもらったこともなかったし」  念を押すようにそう伝えてくるレイに、クラウスは小さくため息を吐いた。 「分かっている」  理解している。だが事実、彼に新たに良い環境を整えてやれていないことには変わらない。  レイは自身が住んでいた場所も、過ごしていた環境も、全て変わってしまった。しかし、自分は何も変わっていない。強いて言うなら、レーヴェンシュタイン家で過ごす時間が王城の宿舎で過ごしていた時間よりも長くなった、ただそれだけだった。  せめて、彼の環境が変わってしまったとしても、より良かったと思ってもらえるようなものを用意しなければ――。 「分かっているように見えない」  レイの凛とした声が、その思考を止めた。普段よりも力強い言葉に、少々目を見張った。レイの芯の強い光を宿す淡い青緑色の瞳が、まるでこちらの思考を覗き込むようにじっと見据えてくる。 「クラウス、俺の問題を勝手に自分の問題に置き換えるな」  ソファからよろけながら立ち上がり、こちらにつかつかと歩み寄ってくるレイを見下ろしながら、クラウスはその華奢な体に大きな存在感を感じていた。 「俺の魔力回路に欠陥があるのはお前のせいじゃないし、むしろ余計な手間を掛けさせているのは俺だ。俺を抱え込みすぎるな」  端的にそう伝えてくる言葉に隠された「重荷になりたくない」という意思表示。しかし、それすらもクラウスは歯痒く感じる。もっと寄りかかってきて欲しい。そして、自身の足で立つことにこだわりを持つレイの世界が、全部自分で染まってしまえばいいのに。――たまにそんな危険な思想を持ってしまう自分を、丸ごと受け止めた上で鼻で笑い飛ばすレイがまぶしすぎてたまらない。  レイの目がふっと突然和らぐ。彼の手がクラウスの頬に伸び、そっと優しく頬の傷に触れてくる。温かく細い綺麗な手に、訓練で筋張った自分の手を重ねた。それすらも愛おしそうに見つめる優しい青緑色から、クラウスは目が離せなかった。 「……とまぁ格好つけてみたが、お前の隣に胸を張って立てるようになるまで、悪いが助けてくれよ?」  じんわりと胸に広がるその言葉に、知らずに力が抜け、無意識に頬が上がる。呼吸すら楽に感じる。小さく頷いて答えると、レイもにっこりと微笑み返してきた。 「――あぁ、そうだ。『アレ』とやらを見せてくれるんだったな?」  自身の頬からするりとレイの手が逃げるように離れていく。頬に感じていた名残惜しいあたたかさに、クラウスの寂しさが募った。  クラウスのポーチから取り出された魔法機構の組まれた装置を見て、最初は目をランランと輝かせて説明を聞いていたレイも、使われていた用途の説明に入ると顔が強張り始めた。そして、完全に状況を理解した瞬間、魔力回路が落ち着きを取り戻していた透き通るような白い肌が、再び赤みを帯びて羞恥に歪み始める。 「☆〇■△×~-----ッ!」  レイの言葉にならない叫び声は、クラウスが瞬時に発動させた『結界のない防音機構装置(アレ)』により、最初の一音だけを残して屋敷に響き渡ることはなかった。

ともだちにシェアしよう!