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第89話 お茶会
馬車から降りた先には、艶のあるこげ茶色をした木製のドアがあり、店員が開けて招き入れてくれた。恭しく礼をされながら入店すると、事前にもらった情報通り、一階席は“少し上等な服を着た平民”が席を埋め、賑わいを見せていた。行政地区の職員や商業地区の商人たちと思われる姿もある。二階の個室は、もしかしたらそういった人たちの密談場所としても活用されているのかもしれない。そして、視線は全く合わなかったが、店の一番外側の端の席にコリントの姿もあった。
名乗ってもいないのに案内されるまま、レイは帽子を取って二階へ続く階段を上がった。ここからは別の客層の場所だと謂わんばかりに、階段にも青色のカーペットが敷いてある。
二階の最奥の部屋まで案内されると、案の定クラウスはここまででご遠慮いただきたいと、店員から制止をかけられた。ちらりとクラウスと視線が交わる。レイはポケットの中にある小型通信魔法機器をトンッと指で叩いて起動し、小さく頷いて見せた。
店員に続いて個室に入ると、光量を絞った魔力照明が部屋の四隅に配置され、中央の丸テーブルの上には小さなガラス細工の花とランプが添えられていた。暗いわけではないが、ゆったりと過ごすためにはよい演出がされている部屋の窓際に、カーレンは立っていた。
窓の外の明かりは生憎の天気のため弱かったが、彼女の姿を薄暗く感じる部屋の中で浮かび上がらせるには充分すぎた。首元から足元までを覆う幾重にも重ねた生成りのレースと煌びやかなパールがあしなわれたワンピース。服と一緒に誂えたのだろう同じデザインの髪飾り。そして、それらすべての装飾が霞んで見えるほどの艶やかな紅蓮の髪。
記憶の中の彼女の髪は、傷んではいてもストレートだった。今では緩やかなウェーブを描きながら胸元まで降ろされている。レイはそのウェーブに既視感を覚えていた。そう、毎朝毎晩、自身の髪で見るのとそっくりな波の付き方をしている。
レイは静かに目を瞑った。どうやら自分は、ここまでされても分からない程、察しが悪い男ではなかったようだ。勝負 服姿のカーレンを、どう直視すればいいか分からなかった。
「……お招き、ありがとう」
そう絞り出すのがやっとだった。
「やっこさんは?」
「上」
向かい側の席に座りながらケリーが聞いてくるので、コリントは静かにメニューを見ながら呟くように答えた。レイに気を遣わせるからと、足が折れているケリーはずっと店の外でこちらの様子を窺っていた。痛いはずの足を引きずりもせず歩いている姿を見ると、本当に完治しているように感じてしまうほど、ケリーの演技力は群を抜いていた。しかし、座って早々暑いわけでもないのにそっと額を拭ったところを見ると、相当なやせ我慢のようだ。――あとでレイに怒られればいい。
「有事の際は捨て置くからね」
「当たり前だ。俺のことなんかよりも協力者の人命を優先しろ」
メニューを渡しながらコリントがそう言うと、ケリーは肩をすくめながらそう言ってのけた。
「だったらなんで来たの。怪我人は足手まといだよ」
「そうだな。でも、弾除けにはなるだろ? お前の」
平然と言ってのけながらメニューに視線を落とすケリーに、コリントは奥歯を噛み締めた。この目の前の男の、こういうところがたまに無性に鼻につく。
ケリーとコリントは、別段“そういう仲”ではない。諜報部の仕事のペアは攻撃主体で動ける者と、補佐で動けるものが組むことが多く、そう言った意味ではペアではあった。ザルハディア王国に共に潜入したマディとサマンサも、前衛役がマディ、そのサポートをサマンサが行う。ケリーはがさつで大らかな性格によく似あう前衛役で、コリントはサポートとして周囲の状況判断や、潜入時の結界の分析などを主に動く。
「……結界ぐらい張れるけど?」
「張ったあとが動きづらくなるだろうが」
「負傷したアンタを抱えて逃げる方がよっぽど動きづらい」
「捨て置くって言いながら、そうやって拾っていくこと前提でしか話をしないから、お前は目を離せないんだろうが」
そして、こうなる。いつもなんだかんだ、こういった現場の近くで待機になったりする際には、絶対ケリーはついてくる。この心配性のおっさんは、例え組んだ相手が万能人間クラウスだったとしても、同じように接するのだろう。
コリントは、長い横髪で隠した小型通信魔法機器に集中した。ケリーは髪が短髪のため、こういったところで使用するときは、耳を覆うようにガーゼを貼って隠している。
何も頼まないのは不自然になるので、適当にメニューから飲み物と摘まめるものを注文したところで、通信魔法機器から小さくレイとカーレンの声が聞こえ始めた。
「……小さいな」
「スラックスのポケットの中だから仕方ないね。せめて胸ポケットに入れられれば良かったけど、変な形に膨らんだら怪しまれるし」
なんとか拾い上げられるぐらいの音量で話しているが、正直非常に聞き取りづらい。男二人、向かい合って席に座っているのに黙っているのも不自然だが、下手に話すと聞き取れない可能性もありそうだ。
「これ、あいつも聞いてるんだよな」
二階の隅に立っているクラウスに視線をやるケリーに、コリントは小さく頷いた。ケリーの顔が少し歪んで、息を吐いた。
「複雑だろうなぁ、自分の恋人が密室で女と二人きりで。しかも互いの容姿を褒め合ってる」
「いや、これはあいさつ程度の話だし」
「恋人の方が“こういう時に使う常套句”を使ってない。これ絶対本心じゃねぇか」
会話がまるで浮気現場の盗み聞きのようで、コリントは目頭を押さえた。これではゴシップ記事を楽しんでいる婦女子のようだ。
またしばらく会話に聞き耳を立て、段々ケリーとコリントは二人して目頭を押さえることになる。
「意気投合してるんじゃねぇよ」
「これ任務のこと、レイ君の頭に残ってるかな」
コリントが呟いた言葉に、ケリーがぱっと顔を上げた。二人して顔を見合わせ、静かに俯く。まさか、そんなことが。しかし、どちらもその一言を発しないまま、二人の視線はテーブルに突き刺さった。
まだくすくすと笑っているカーレンを椅子までエスコートして座らせ、レイは恥ずかしくて眉間を押さえた。こういう場合において最低限のマナーとして、互いを挨拶代わりに褒め合うというのはレイも知っていた。本来ならレイから口にするべきはずだったのに、視線を彷徨わせて間誤付 いたレイに代わって、カーレンが「素敵なコートね」と褒めてくれた。それに対し、通常では相手の着用しているドレス等を褒めることが多いが、レイが一番目を惹いたのは彼女の赤い髪だったため、それがすぐに出てこなかった。それにより慌てて出てきた言葉が、
「君も綺麗だ」
という一言。まるで恋人にでも囁くような言葉に、レイ自身も何言っているんだと内省した。カーレンの目が丸くなってしまい、レイも慌てて取り繕おうとする。
「あ、違う。いや、違わないんだが、そういうわけじゃなくて」
否定するのも違うために、ただひたすらに困り顔のレイに、カーレンは笑って許してくれたわけだが、レイのあまりの慌てぶりに、ツボに入ってしまったようだ。
一頻り笑い終えて、カーレンが滲んだ涙を指で拭いながら口を開いた。
「公爵家に入るのに、それでは先が思いやられるわね」
「俺もそう思う」
苦笑しながらそう答えた後に、レイはふとカーレンに視線を合わせた。
「何故、公爵家と?」
今回、レイが学会会場で話したのは“婚約した”ということのみ。相手がどこの家なのかなど一切触れていない。
カーレンは少し顎を引き、肩をすくめてこちらを見つめてきた。
「こちらの新聞に載っていたわよ。国際欄には隣国の情勢も載ってるし、親戚筋の情報なら余計に目を惹くわ」
確かに、クラウスの母はカーレンの叔母にあたる。そういった意味でも、フォーリォル家としては注目度の高い内容だったのだろう。
カーレンが机の上のメニューに目を落としながら、なおも続けた。
「記事の内容としては、オルディアス王国は同性婚ができる上、それが更に拡充される方向に動くから、ザルハディア王国の魔術師が更に流出することについて危惧する内容だった。本当、どの口が言うのって思いながら読んでいたわ。……詳細は載っていなかったけれど、貴方の名前も書いてあった。そして、伝説の魔術師の孫ともね」
カーレンがレイの顔色を探るようにこちらを見ながらメニューを差し出してきたため、レイはそれを受け取りながら苦笑を浮かべた。
「過分な通り名さ」
「でも、それを本当にするためにあなたは研究をしているんでしょう?」
言われて、レイはメニューも開かずに茫然とカーレンの顔を見た。――自分の研究は、そんなもののためのものだっただろうか。いや、傍から見ればきっとそんなものなのかもしれない。だが、自分の魔力回路の欠陥がなくなったからと言って、祖母ルミアと肩を並べられる魔術師に自分がなれる保証など何もないのに、何故そう考えられるのか。レイにはそれがよく分からなかった。
魔術師が魔術師たる理由は、持って生まれた才能もあるが、それを開花させるための血の滲むような努力にある。レイは既に、それを行うための時間を二十年分は失っているのに。
以前、クラウスにも同じような質問をされたのを思い出した。魔力回路の治療が済んだら、魔術師を目指す。確かにそう答えたはずだ。その言葉に偽りはなかったが、クラウスもカーレンと同じように、当然俺はルミアを目標に掲げていると思っているんだろうか。
「……目標のための手段と、手段のための目標。俺はどっちなんだろうな」
独りごちると、不思議そうにこちらを見つめる赤い瞳に、レイは頭を振った。
「なんでもない。カーレンは? 研究は進んでる?」
微笑を浮かべつつ聞き返しながらメニューを開くと、カーレンは諦念を滲ませ首を振った。
一気に場の空気が沈み、二人は同時にため息を吐いた。このテーブルを囲んでいる二人の共通点と言えば、研究が思うように進まないことなのだ。レイがメニューを見せながらおすすめを聞くと、カーレンは「そうね」と言いながら再びメニューに視線を落とす。
「甘いものは好き?」
「割と」
「嫌いなものは?」
「特にない」
なら、とカーレンがテーブルの上に置かれた花の形をしたガラス細工に指を伸ばした。葉の部分を摘まみ上げると、その根元の部分は金属の棒でできており、その銀色に照らされた棒の部分でそっとガラスの花を叩いた。奏でられた耳に残る美しく甲高い音に、魔法機構による音の増幅がされているのをレイはそっと感知していた。
しばらくすると、すぐにやってきた店員のノック音が響く。店員がドアを開けた瞬間、部屋の外の喧騒が耳に入る。魔法機構によるものなのか、それとももともとこの部屋の遮音性が高いのか分からなかったが、魔法機構が組まれているのであれば、恐らくこのガラス細工の音も漏れ出ることは無いので、恐らく後者だろう。
入ってきた店員にカーレンは季節の紅茶とつまめるものをいくつか頼んでくれた。レイにちらりと店員が視線をくれるので、レイも同意するように頷く。本来ならこれも男性側の仕事なのだろうが、今回は招かれた立場なのでこれで許してほしい。
「今日も、レイは学会に?」
カーレンが話題を振ってくれたので、レイはそれに有難く便乗した。
「あぁ。マルキオン教授の鞄持ちでね。カーレンは?」
「私はずっと家にいたわ」
にこりと微笑むカーレンに、レイもつられて笑みを浮かべた。
カーレンはおそらく、朝からこのお茶の時間に向けて支度をしたのだろう。レイは、レーヴェンシュタイン公爵家の美容部隊であるリエカに、裁判の前にそりゃあ腕によりをかけて磨き上げられたことを思い出して、申し訳なくなった。――応えるつもりのない好意に対する努力を、どう受け止めればいいかが分からない。
「学会といえば」
話を続けられなかったレイに、カーレンがまたも続ける。
「昨日の学会、大荒れだったそうじゃない」
面白そうに笑みを浮かべるカーレンに、レイは思わず噴き出した。
昨日の学会は、本当に大荒れだった。発表が終わった後に質疑応答が相次ぎ、進行役の魔法薬士協会員が止めに入っても尚、講義室はざわめいていた。内容は、非魔法薬を魔法薬士が強化することによって、副作用の軽減や有効成分の効きを良くする試みが花開いたという発表だった。所謂、非魔法薬と魔法薬のハイブリット薬の誕生である。
しかしながら、その工程の多さたるや、非現実的な面も多く、これからは強化できる非魔法薬の拡大化と効率化が課題となるという。もしこれが叶えば、治療の早期化や副作用のために採用できなかった薬の幅が広がるなど、医療の発展が進むことになる。
「……どこまで聞いた?」
昨日の発表の場にて、カーレンの赤い髪を見た覚えがないレイは、カーレンがこの話をどこまで知っているのかが気になった。正直に言うと、知っていてほしいという気持ちが上回っていた。それぐらい、レイの中では熱い 話題だった。
そして、カーレンはレイの期待を裏切らず、にんまりと笑って見せた。
「レジュメは読み込んだわ」
語り合えるという意思表示に、レイは心の中で小躍りした。
「今回の強化題材として使われていたのは心疾患の治療薬についてだったが、今後は色々な分野についての強化が進められていくことになる」
「非魔法薬を強化するにあたっての工程数が多いのもあるけど、一番しんどいのは一度“液体化”すること」
「有効成分を抽出してからの液体化工程が非常にめんどくさい」
「魔力加工するのに液体化していた方が加工しやすいのは確かだけどね」
「で、最終的に液体化から形状を戻す作業が加わるわけだが」
「液体のまま使っちゃえばいいじゃないって話よね」
「となると、現場的な考え方からすると、処方して飲ませるような形をとるよりは」
「注射してしまう方が楽だし、下手に強化された薬を処方したあと転売されたりすることもなくなる」
「つまり今後出てくるのは、魔法薬の――」
『アンプル化』
交互に結論を擦り合わせていき、行きついた結論が一緒だったことに喜ぶ半面、その結論が全く喜ばしくないもので、二人して頭を抱えた。
注射薬を保存・保管する上で、現状最も良いとされるのが『アンプル』だ。密閉されたガラス製の小瓶で、形状は細長いことが多く、端の方がくびれている特殊なものだ。中身の取り出し口などはなく、使用する際はそのくびれた部分を折って破壊し、注射針で中身を吸い取る。
しかし、このアンプル化工程は、魔法薬は魔法薬士が扱わなければならない関係上、アンプル化する工程も魔法薬士が行わなければならない。アンプルの製造法は、まだ穴が開いている状態のくびれた細長い瓶の先から魔法薬を注入したあとに、先の細い穴を塞ぐように直火で溶かすことで密閉する。魔法薬に影響を与えないようにするには、調合魔法を解除せずに火魔法か手作業で塞ぐことになるが、これがことさらめんどくさい。
「魔力強化された魔法薬ってやっぱり、魔法薬を入れる強化小瓶と同じ材料よね?」
「おそらくそうなるだろうなぁ」
「強化付与されたガラス瓶を更に加工……」
二人で顔を見合わせて、同時にため息を吐いた。
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