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第90話 探り合い
レイは、目の前に並んだ小さなサンドイッチやスコーン、ナッツと干しブドウのケーキ、ペイストリーを見ながら、お茶の時間の推定時間を予想していた。――長いな。そうなると、やはりクラウスはあの略称・隠密魔法薬(仮)を使うべきではない。取り寄せた材料で作れたあの魔法薬は全部で二本。だとしても、お茶が終わる時間に姿が見えないのも困るし、どうしようもない。
「こんなにきちんとしたお茶の時間を過ごすのは初めてだから、作法が分からない。どれから手を付けるとかはあるのか?」
そう言ったものの、レイは座学での知識は一応持っている。だが、国によって若干の違いがある可能性もあるし、並んでいるメニューを改めて伝えることで、会話を聞いているコリント達にどれくらいの時間がかかるのかを把握してもらうことが目的だった。
全てのメニューが大きな平皿に載って運ばれてきており、それを指かトングで取り分けるスタイルらしい。確かに、このテーブルでスタンドなど使おうものなら、相手の顔が見えなくなる。いや、もしかしたらカーレンがわざとそうなるように注文したのかもしれない。
「形式に気を遣わなくてもいいわ。好きなものを好きな分だけ摘まんで食べるのでいいの。貴方の好みを私は知らないから」
こちらの思惑は外れてしまい、カーレンからは説明などは一切されなかった。仕方なく、レイはトングを持ち、カーレン用の皿を渡すように手を差し出した。
「何をお取りいたしましょうか?」
わざとらしくそう言うと、カーレンはくすりと笑って皿を渡してきた。
「では、一種類ずつ」
「仰せのままに」
トングで挟んでとりわけ、カーレンに皿を戻すと、レイも自身の分として同じだけ皿に盛った。
さて、ここからは気を引き締めてかからねばならない。カーレンから話を聞き出さねば、この誘いに乗った意味がなくなってしまう。
レイがこのお茶会に参加する上で、ケリー達から依頼されたのは、二つ。一つ目が、カーレンの家に潜入中のマディとサマンサの安否確認。二つ目は、カーレンが懐柔できそうなら、二人の救出の手助けを依頼すること。
しかし、レイ一人ではそんな話に持っていくことはおそらく不可能だ。こういう話の持っていき方は、社交慣れしていないレイにはなかなか難しい。だからレイは、せめてこの機会を使って、カーレンが今回ザルハディア王国で起きている呪いの大規模テロに関わっているかどうか、その一点だけは何としても突き止めようと思っていた。
レイは温かいカップを持ち上げ、嗅いだことのない茶葉の香りに視線を上げて、そっとソーサーへ戻した。
「……初めて嗅いだ香りだ」
その反応に、カーレンがしてやったりと謂わんばかりの顔でレイを見つめてきた。頬杖をついてにんまりと笑う姿は、決して貴族然とはしていないが、こちらに心を開いてくれているのがよくわかる。
「クゥヴァティー。ブドウに似た形の果実のフレーバーティーよ」
「クゥヴァ。ザルハディアの特産品だね。甘いけど、どこか香ばしい香りがする。もしかして、こっちのケーキに入っている干しブドウもクゥヴァ?」
「正解」
笑みを深めて笑うカーレンに、レイはちくりと胸が痛む。さて、どうしたものか。彼女から感じる好意を利用するのはきっと楽で、おそらく諜報活動としては正しいのだろう。それは、分かっている。
「せっかく来たんだから、食べてほしかったの。次いつザルハディアで学会が開かれるか分からないし」
言い終わると同時にカップを持ち上げるカーレンは、満足そうに笑っていた。――あぁ、困ったな。本当に、こういうのは気が向かない。
「……プライベートで来るよ。クラウスと一緒に」
心の震えを声に乗せないよう気を付けながら、レイはまっすぐカーレンを見据えた。カーレンの表情は変わらない。だが、目の奥がひっそりと沈んだように思えた。
「親戚に、なるんだからさ。これからも仲良くしてくれよ」
貼りつけた笑顔のまま、口から出た言葉に嘘偽りはなかった。言われる前に人からの好意に気付いた稀なケースというのもあるが、こうやって先回りをして言をつぶすような断り方を、レイはセリル・グランディール以外にしたことが無かった。
じっとこちらを見つめてくるカーレンの赤い瞳に、思わず目を逸らしたくなる衝動を堪える。
小さく聞こえる外の喧騒が、やけにうるさく感じる。いつの間にか窓の外には霧のような雨が降って、ぱらぱらと窓を叩いていた。
しばらく見つめられた後、小さなため息の音と共に、カーレンの瞳がふっと細まる。
「……ほんと、そういう表情……貴方には似合わないわ」
肯定とも否定とも取れない返答に、レイは頬に手を添えた。強張った頬に、冷えた指先の感触がする。でも、ここで会話を終えるわけにいかない。
レイは頬から手を離して、完璧な貴族らしい柔和な笑みを浮かべるカーレンを見た。
「クラウスに会ったことは? 従兄にあたるんだろう?」
「ないわ。リーン叔母さんからの手紙で名前を知っている程度よ」
カーレンが小さなフォークを持ち上げたところで、レイも再びカップに触れた。指に伝わってくる温かいカップの熱に、ほっと一息つく。
クラウスに会ったことが無いなら、わざわざあの綺麗な白金髪を染める必要もなかったかもしれない。
「叔母さんと手紙のやりとりをするぐらい、仲が良かったのか」
少し冷めたお茶を口に含む。鼻に抜けるクゥヴァとお茶の香りがそれだけで美味しい。少し香ばしい香りがするため、お茶との相性が良い。食事や菓子と一緒でなくても、単体で飲むだけで満足感が高いお茶だ。
レイの言葉に、カーレンは一瞬考え込むような素振りを見せた。
「正確に言うと、母に届いた手紙を見せてもらったのよ。といっても、クラウスについて書かれていたのは、十年ぐらい前のもので、婚約破棄の――」
そこで言い淀んだカーレンに、レイは苦笑で返した。
「知ってる。大分前に破棄されていることも、相手が誰かもね」
クラウスの婚約者の話はひょんなことから知ることになったが、クォントルム侯爵家のご令嬢だった。家柄を見ても、子爵家の自分よりどう考えても釣り合っているが、ビジネスライクな付き合いしかしてこなかったというクラウスの言を信じている。
「……へぇ」
ひどく冷えた声音が響き、レイは思わずカップを口元に運んでいた手を止めた。一瞬耳を疑ったが、明らかにカーレンの声であった。しかし、目の前にいる彼女からは、そんな声を出したとは思えないほど、綺麗な笑顔が浮かんでいる。剰 えその表情は「どうしたの?」と謂わんばかりの小首の傾げ方をして、こちらの様子を窺っている。
レイはカップをソーサーの上に置いて、小さなフォークを手に取った。皿の上にあるナッツとクゥヴァのケーキにフォークを入れたところで、こちらの動揺に追い打ちをかけるかのようにカーレンが言葉を紡ぐ。
「婚約破棄の理由は、私の従兄 にあったんでしょう? 大丈夫なの?」
まさか身内を下げるような発言をするとは思っておらず、レイは驚きを隠せなかった。
「その理由についても、知っている。カーレンは知らないかもしれないが、仕方のなかったことだったんだよ」
「ふぅん。“仕方のなかったこと”ね」
その声色は、彼女が浮かべる微笑のように柔らかいのに、どこか棘のような冷たさを帯びていた。含みのある言い方をされ、レイは思わず眉を顰めた。
一口分よりも更に小さく切られたケーキのかけらをカーレンは自らの口に運ぶと、その白く細い指でそっとフォークを置いた。
「ねぇ、レイ。貴方たちが恋愛の上に婚約をしていることは知ってるわ。新聞にも書いてあったし、そうでなければオルディアス王国の通例を破るような暴挙に出るはずもないし」
カーレンの目が真剣さを伴ってレイをまっすぐ見つめてくる。それを受け止めるように、レイもまたカーレンの瞳をまっすぐ見た。
「……私ね、魔力の相性って言葉、嫌いなの。だって、より相性のいい相手が見つかってしまったら、それまで培ってきた愛情も、時間も、まるでなかったことのようになってしまうのよ? “仕方ない”で済まされてしまうなんて、悲しすぎるじゃない。――魔法使いが、自らの魔力に踊らされるなんて、まっぴらごめんだわ」
その言葉に、レイはひゅっと息をのんだ。脳裏に、継智の塔で出会ったあのパトロンに捨てられた男の顔が蘇る。――そう、誰にでも起こりうることだ。魔力に惹かれ合う魔法使いの危うい信頼関係は、魔力の相性によって簡単に崩れてしまう。
レイがわざわざ、クラウスの傷跡に塗る魔法薬を、マルキオン教授の手を借りずに一人で調合しきった理由でもある。
魔力を感知する能力を使わずとも、魔力の相性を調律以外で確かめる方法は、ある。それは、調合された魔法薬を使用することと、他者から医療魔法や身体能力強化魔法などをかけてもらうこと。効きの良し悪しによって、測ることが可能だ。ただ、結局魔法薬を調合できない魔法使いや、医療魔法などをかけられない魔法使いには、使えない方法である。
レイは、クラウスの職業柄起こりうる、他者から医療魔法や強化魔法をかけられるという行為に、危機感を持っていた。おそらく、魔法薬についてはクラウスの性格上、レイが調合したもの以外を服用することはないだろう。しかし、魔法については別だ。――レイは、高度な魔法を行使できるだけの、魔力回路を持たない。
「もし貴方の婚約者 に、貴方以上の相性の持ち主が現れたら? その逆は? ……結婚相手なんて、本当に相性の良し悪しだけで、決めて良い事なのかしら?」
カーレンの言葉は、こちらを試す目的で発せられていることは明白だった。その裏にどんな意図があるのか、レイはそれを自然と推し量ろうとしていた。ただ、少なくとも同志として認めていた相手から投げかけられる辛辣な問いに、多少なりと自身の心が震えているのを冷静に受け止めようとしていた。
カラカランッ
レイは、自分の指から床へフォークが滑り落ちた音で深い思考の淵から戻ってきた。平静を装うことすらできていないのか。
「……すまない」
知らないうちに指先が凍えていたらしい自分の指を摩っていると、カーレンが再びガラスの花を軽く叩き、ウェイターを呼んでフォークの替えを依頼した。
ウェイターは床に転がったフォークを拾い上げて廊下に消えていったが、レイはその隙に、一つの気配が音もなく部屋に入ってきたのを感知していた。
――あぁ、来てしまったか。そう思う反面、レイは心の中でほっと息を吐いた。
隠密魔法は、足音を消すことはできないらしい。それは、レイが作った魔法薬でも同じだ。以前タールマンより指摘され、足音は風魔法を使って消すか、身体能力 を鍛えて消せと言われたのを思い出す。足音を消す程度の魔法は、生活魔法に毛が生えた程度の規模の魔法だ。察知から漏れた可能性もあるが、恐らく、このクラウスという男は完璧に自身の身体能力で音を消している。相変わらず、難癖もつけられない程完璧だ。
「……魔法使いなら、誰でもそう思うのは仕方ないことだろう。そういう意味では、非魔法使いと比べて魔法使いという人間は、なんとも不自由なものだ。恋愛すらままならない。……特に、カーレン。君のように長く婚約者から抑圧されていた立場からしたら、ことさら魔力の相性なんて言葉が嫌いになるのも頷ける。君が耐え続けた時間を、まるで否定されるような気分になるだろうね」
再び部屋のドアがノックされ、ウェイターが入室してくる。レイにフォークを渡してウェイターは去っていくが、先ほど入ってきた気配は、変わらずレイの近くに留まっている。
正直、どう答えるのが正しいのかは分からなかった。レイはそう言葉にしながらも、頭の中でどう答えるべきかを模索していた。
しかし、カーレンはゆっくりと首を振り、レイを見つめた。
「違うのよ、レイ。……私がそう思ったのは、あんなヤツが私の婚約者だったからじゃないの」
静かに紡がれるカーレンの言葉に、レイは視線を彷徨わせることになる。
「リーン叔母さんには、本当はザルハディア王国 に恋人がいたの。でも、オルディアス王国に嫁ぐことになったんですって」
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