100 / 101
第91話 信頼
クラウスの方を見るわけにいかない。ただ、ここからの会話をクラウスに聞かせていいのかどうか。その判断に迷いが出た。心臓の鼓動が痛いほど鳴り、緊張で指が震えた。
香るクラウスの魔力に変化はない。逆にその冷静さが、レイには不気味に感じた。
レイの迷いを知る由もないカーレンは、そのまま話を続ける。
「ザルハディア王国は、魔術師には厳しい環境にあるし、当時はザルハディア王国とオルディアス王国間での婚姻が流行った時期でもあった。それに便乗する形で、フォーリォル家とレーヴェンシュタイン家は縁を繋ぐ運びとなったのよ。……特に、レーヴェンシュタイン家は、前妻を亡くされた後だったし……後妻を迎えるにあたって、『今度は魔術師を』と打診があったみたい。本当はザルハディア王国の王室から出せればよかったんだけど、姫が当時オルディアス王国の王太子であられたケイジン様の第二妃として嫁がれてしまったから、女性がいなかったのよね」
「……そして、侯爵家が選ばれた、と」
レイの言葉に、カーレンは頷いた。
こめかみに手を当てながらテーブルに肘をつく。皿の上に置いてある切り込みを入れただけのケーキが、手つかずのまま残っているのが目に入った。気分的に食欲が全くわかず、おいしそうな香りが、今ではむしろ邪魔にすら感じてしまう。
「だが、それに魔力の相性がどう関係する?」
投げかけた問いに、カーレンは持ち上げかけたカップをソーサーに置いた。しばしカップの中へ視線を下ろし、小さくため息を吐く。
「……リーン叔母さんからの手紙は、最初こそ家族の健康や様子を窺うものだったわ。もちろん、当時の恋人についても。次第にその数が減っていき、最終的には、自分は幸せだから皆息災でいるようにと、一枚の写真が送られてきたの」
カーレンは掌を上にして、眉間に皺を寄せながら投影魔法を行使した。少し暗い室内が、記憶を投影するその魔法によって少し明るくなる。宙に映し出されたのは、手に持っている一枚の写真の映像だった。
薄い桃色のワンピースに、艶やかな紅蓮の髪、そしてその表情は陽の下で満面の笑みを浮かべている。おそらくこの女性がクラウスの母・リーンなのだろう。そしてその隣にいるのは、陽の光に照らされて白く光る白金髪の男性だった。藍色の瞳が穏やかに細まり、隣の女性を見つめている。その写真が撮られたその場所は、レイもよく知っていた。オルディアス王国の首都フィルドンにある、レーヴェンシュタイン公爵邸の庭だ。
「クラウス? ……いや、レーヴェンシュタイン公爵閣下か」
ぱっと見ただけではクラウスと見間違うほど似ている男性が、クラウスの父・レーヴェンシュタイン公爵なのだろう。貴族年鑑に載っている顔はもっと年齢が上のため、一瞬わからなかった。
「そう……私の従兄はこんな顔をしているのね。それも初めて知ったわ」
そう微笑むカーレンの顔はどこか悲しげで、レイは自然と眉を寄せた。
投影魔法に映し出された二人は、傍から見ても心の底から愛し合っている夫婦であった。むしろ、恋人同士と言っても過言ではない程の、気持ちの熱さを感じる。
「……これが、恋人を置いて行った人の、表情に見える? ザルハディアを発ってから、約三か月後の写真よ」
カーレンの一言が、重く響いた。もう一度投影魔法を覗き見てみても、リーンのその笑顔には一片の陰りもなく、造り笑顔のようなよそよそしさもない。ただ、レーヴェンシュタイン公爵からの視線を受け、微笑み返しているその幸せそうなその女性が、故郷に恋人を置いてきた人だと言われても、耳を疑ってしまうだろう。
「母は言っていたわ。『姉さんが幸せそうで、羨ましい』ってね」
その一言と共に、カーレンは投影魔法を解除した。光源を一つ失い、室内が再び落ち着いた雰囲気に戻る中、気分は底についたままだった。
「魔力の相性は、それまでの関係を塗り替えるだけの力があるの。それならむしろ、私は“友情”で結ばれ合った仲の方が、よっぽど信頼できるわ」
一つひとつの言葉をかみ砕くように、カーレンの言葉を飲み込んでいく。感情の不変性を担保するなら、確かに彼女の言うことはとても理に適っているのだろう。――我々魔法使いにとっては。
「レイ、魔力の相性によって生まれた関係は、魔力の相性によって塗り替えられる危険性を孕むの。そして、いつの時代でもそうやって捨てられるのは魔法薬士の方。優しい貴方が、そんなことで傷つく姿を見たくはないわ」
カーレンの言葉は、魔法薬士にとっては触れられたくない核心をついている。それを覆すには、大体が感情論になることをカーレンも承知の上だろう。
そんなことを考えながら、レイの心はこちらの顔色を窺うように佇む魔力の気配に、支えられていた。
「カーレンの言いたいことは、分かった」
レイの言葉に、カーレンの気配が一瞬ぴりついたのが分かる。一握の期待と、不安。その両方を秘めた赤い瞳が、レイに向いている。その視線を真っ向から受け止めて、レイは口を開いた。
「その主張について、俺から明確に否定できるようなものは何もない。……だけどね、カーレン」
付け加えるように添えた言葉に、カーレンの眉がぴくりと動いた。それでも、レイは続ける。
「仮に、魔力の相性によって生まれた恋愛感情だったとしても、“信頼”という言葉を使うのであれば――俺とクラウスに関しては、大丈夫だよ。信頼 については、俺は“人同士の領分”だと考えている」
カーレンの視線が下がる。彼女が何を考えているのか、その表情から読み解くことはできないが、恐らくレイが続きを語るのを待っているのだろう。
「カーレンが言う“信頼”という言葉が、俺が思っているものとは違う可能性もあるだろう。もしかしたら、クラウスが考えているのとも違うかもしれない。でもそれは、俺たちが感情と理性を天秤に掛ける人間であるからだと、俺は思う」
レイは、すっかり冷えてしまったカップの中身を口に含んだ。冷えても尚クゥヴァの香りは衰えず鼻孔を抜けていく。空になったカップをソーサーの上に置こうとした時、カーレンが沈んだ声を出した。
「貴方が思う信頼、というのは?」
まるで最後の希望とでもいうかのように絞り出された言葉を、レイは吟味するように黙った。というのも、隣にいる見えない恋人に聞かせる話しかどうかを迷ってしまった。
「……クラウスは、優しい」
言葉を選びながらも、レイはこぼすように話し始めた。
「だから、俺に心労をかけないように立ち回ろうとして、大体俺に怒られる。加えて非常に嫉妬深い。俺がたぶん何も言わずにこうやって誰かとお茶なんてしようもんなら、しばらくとてもめんどくさいことになる。いや、たぶん言って了承を取ったとしても割と面倒だ。あと、甘やかし癖が酷い。たまに殴りたくなる」
少しクラウスのことについて話したら、後からつられるように出てきてしまった言葉に、レイは「ん?」と首を傾げた。話が逸れてしまった。
「――とまぁ、そんな具合に俺を囲い込もうとするわけだ。貴族としての尽くし方しか知らないというのもあると思うが、その行動のすべては、俺に対して誠実であろうとする気持ちが根底にあるからだと思っている。そういうところが……」
――たまらなく愛おしく感じる。その一言を飲み込んで、レイは続けた。
「カーレンが言うように、万一にも俺以外の誰かに惹かれてしまった時には、俺に赦しを乞おうとするだろう。真正面から。簡単に言うと、そういうところが不器用で貴族らしくなくて、信頼できる」
そう言い切ると、カーレンはレイを見ながらくすりと笑った。
「……人として?」
呆れたようにも見えるその笑顔に、レイも軽く笑いながら答えた。
「そう、人として」
やっと食欲が湧いてきて、先ほど切り込みを入れただけのケーキにフォークを刺す。そして、思わず零れ落ちるため息に、嫌になってしまう。――これ以上を言うつもりはない。それこそ、隣にいるクラウスに気を遣わせてしまう。彼の信頼に応えられるように、レイ自身も地力をつけなくてはいけないと思っているのに、研究ができない現状が本当にままならない。
口に運んだケーキは、ナッツのザクザクとした触感と、酒に漬けたのだろう干したクゥヴァの濃厚な味わいが舌の上に広がる。
「――私は」
カーレンがぽつりと震える声で呟いた言葉に、レイは視線を上げた。縋るようなカーレンの赤い瞳が見える。
「私は、貴方の信頼を勝ち取れない?」
どこまでも控えめに紡がれる告白に、レイは心が痛んで眼鏡の位置を直した。先回りして潰したはずの言葉が、より狡猾な形となって発せられてしまった。
希望を残すような答え方をするべきではない。かといって、その聞かれ方は安易に否定もできない。――息が詰まりそうだ。
だが、そちらがそう来るなら、その狡猾さに便乗するとしよう。
「……俺が、クラウスの信頼を勝ち取った方法を、知っているか?」
罪悪感と共に発した言葉に、カーレンの瞳に火が灯る。隣にいる見えないクラウスの魔力が、少し笑ったようにも感じた。
静かに首を振るカーレンに、レイは自嘲するように口を開いた。
「今思えば、かなり脅しに近いやり方だったと思うよ。申し訳ないほどにね。でも、それぐらい俺は必死だったということだけは、分かって欲しい」
カーレンに言ったのか、姿の見えないクラウスに言ったのか、自分でも分からない言葉に呆れかえりながら、レイは鞄の中から手帳とペンを取り出した。そして、手帳から何も書いていないページを破り取ると、ペンと共にカーレンに差し出すように、テーブルに置いた。
「宣誓魔法を使った」
「――なんですって?」
当然の反応を返すカーレンに、レイは笑いが止まらない。
「安心して。別に『裏切らない』とか『隷属する』とか、そういった類の宣誓じゃない」
そう言ったところで、全く安心できないとでもいうような表情を浮かべるカーレンに、レイは落ち着いてと謂わんばかりに手を振った。
「『効力開始を宣言直後から三十分間、嘘を言わない』……そして、『答えられないことについては、何故答えられないのかを説明する』この二つだ」
レイは、ちくりと胸が痛んだ。本当は、答えられないことについて説明するなどという条件を付けてはいなかった。だが、レイはここでカーレンを逃がすわけにいかなかった。ここで話に乗ってこないなら、カーレンはレイを諦めるしかない。それはそれでこちらとしては問題が無い。だが、レイはカーレンという人間をただ信じたかった。――今回の、呪いのテロに無関係であると、信じたかった。
カーレンの瞳が揺れている。テーブルの上の紙面を見つめながら息を呑む姿を見ると、こちらも心苦しい。
「……無理強いはしない」
そう言って差し出した紙とペンを片付けようと手を伸ばした。その手にカーレンの細くて白い指がそっと添えられる。
「……やるわ」
「カーレン」
彼女の言葉に、レイは厳しい声音を出した。
「提案しておいてこう言うのも狡いことは承知の上で言う。辞めておけ。その効力中に俺が何を聞いても君は答えなければいけなくなる。聞かれたくないことだってあるだろう。そして、俺の問いに全て答えたからと言って、俺が君を選ぶわけじゃない」
「っ! それでも!」
レイは、初めてカーレンが語気を強めて食い下がる姿を見た。手に添えられた彼女の指に、ぎゅっと力が入る。痛みはないが、その必死さが胸に響いた。
「ここで引き下がったら、貴方の視界に入ることすら、できなくなるじゃない!」
ケリーとコリントは、目の前のカップから立ち上る湯気を見ながら、互いの耳についている小型通信魔法機器から聞こえる会話に聞き耳を立てていた。
レイが「クラウスは優しい」と言った際には、思わず二人で顔を見合わせた。あの鉄仮面が優しかったことなど、過去にあっただろうか。必要最低限の関わりしか持とうとせず、類まれなる才能を充分に活かし、戦闘においては必要ならば躊躇なく相手を殺すこともあった。
だから、レイが語る惚気のようなクラウスという人物像には、甚だ首を傾げるばかりだった。そういえば、先日ケリーの潜伏先でクラウスが見せたレイを気遣う姿に、コリントは非常に珍しいものを見たような気分になったのを思い出した。
「……レイも、結構クレイジーな奴だな」
呆れるように呟くケリーに、コリントも小さく頷いた。
「普通、宣誓魔法なんて使わないよね」
「まったくだ。だが、クラウスの懐に入るなら、それぐらい豪胆じゃなきゃ無理ってことなんだろうな」
にやけながらそう呟くケリーに、コリントは全面的に同意した。精いっぱい背伸びするように肩ひじ張って歩くあの小さき銀灰色の、突飛な行動というのは常識では測れないのかもしれない。
緊張感のある会話が続き、ここからが本番。――その時だった。
カフェの奥から、怒鳴り声と悲鳴が上がる。それを聞いた一階席がざわつき始めた。ケリーとコリントが辺りを警戒し、素早く周りの状況を確認するも、他の客の怪しい行動はなさそうだ。
小型通信魔法機器から流れてくる会話は途切れず、先ほどの悲鳴はどうやら聞こえなかったようだ。
「落ち着いて! 落ち着いてください!」
店員が奥の方で叫んでいるのが聞こえ始め、席に着いていた客にその焦燥が伝播する。近くの店員に「何があったの?」と呼び止める者もいれば、恐ろしくなって次々と会計 を依頼する者も出始め、店員も慌てている。
「……地下か」
「みたいだね」
詳細が分からない広い地下で、何かトラブルでも起こってしまったのだろう。その火消 が間に合わず、一階席までそれが伝わってしまったようだ。
別段、ケリーとコリントとしては、地下で何が起こっていようが、こちらの任務に飛び火しなければ何も問題はない。詳細を知る必要もないが、レイ達に何かあった際にはなるべく近くで助けに入れるようにしておきたい。
「ケリーは逃げて」
「馬鹿たれ」
魔力が呪われているケリーにコリントがそう告げても、ケリーは短く罵倒で返すだけだった。
ともだちにシェアしよう!

