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第93話 後悔の産物
カーレンが落ち着くのを待って、話を聞こうとした矢先だった。ほんの一瞬だけ感じた魔法の気配に、レイとカーレンの視線が部屋の外へ向いた。いったい何の魔法だったのかも察知させないほどの速さのせいで、どんな魔法だったのかも分からない。しかし察知できる程の余波が出るということは、生活魔法ではない。ただ、その一瞬の行使が、「一瞬しか行使できない」なのか「一瞬に抑えた」のかによって、その危険度が違う。
そっと部屋の中にいるクラウスの魔力を探っても、非常に落ち着いている。ということは、コリントからの情報で把握できている上に動かなくても問題が無いということなのだろう。
状況をレイよりも把握できていないカーレンの視線は、ドアとレイを行ったり来たりしており、困っているようだった。――さて、どうするか。下手に動いていいかが分からない。
「……見て来るから、カーレンはここにいて」
レイがそう言うと、カーレンは首を振った。
「私も行く」
赤い瞳がじっとこちらを見ている。しかし、何かあった時に魔力が呪われているカーレンに魔法を使わせることはできない。むしろ、人目があるとクラウスが動けない。
「……俺がいいって言うまで階段の上で待つこと。身の危険を感じたら、俺のことなんて捨て置いて逃げること。これが条件だよ」
そう伝えると、カーレンはしっかりと頷いた。
レイはドアを開け放ってから、「あ」と呟き、わざととって帰ってテーブルの上の宣誓書を手に取った。この間に、クラウスの魔力がそっと部屋の外に移動したのが分かった。こちらの意図を読んでもらえて、とても助かる。
クラウスの気配を追うように、レイは部屋を出た。魔力の気配は下方からしたのは分かっている。レイが二階の手すりから一階席を覗き込むと、客はもうほとんど残っておらず、数人の野次馬が壁際に張り付いて、そっと階段下に続く店の奥を覗き込んでいた。
レイの隣で同じように店の状況を見たカーレンの顔は少し強張っており、レイの視線に気付いてこちらを見てきた。
この店を選んだのはカーレンで、更に店のオーナーはカーレンの元婚約者。コリントの前情報によると、地下に広い空間があるという。
「……店の奥に何があるか、知ってるか?」
その問いに、カーレンの視線が僅かに泳ぎ、小さく頷いた。その表情はばつが悪そうにも見え、レイは訝しげにカーレンを見つめた。
「そこにある何かに、君は関わっている?」
なるべく声の音量を下げて聞くと、カーレンは悩んだように首を傾げた。
「残念ながら関わっているとも言えるし、関わっていないとも言ってしまえるの」
煮え切らない返答に、今度はレイが首を傾げると、カーレンはため息を吐いた。
「この店は、私がまだ婚約してたときに、アイツがオーナーになったの。婚約破棄するときには、地下の改築が進んでて、そこで……」
カーレンが言いづらそうに言葉を濁した。
「……彼は、実験場を作るって言ってた」
「実験場?」
突然出てきた物騒な言葉に、カーレンは視線を逸らして頷き、そのまま続けた。
「彼の研究は……ちょ……調律の、効果を……魔法薬で上げること、で……」
カーレンの視線が右へ左へ忙しなく動き、頬が紅く染まり始めた。確かに、慎ましい彼女には非常に口にしづらい単語だっただろう。――というより、そんな研究を自身の婚約者に丸投げしていたのか。つくづくゲスさが極まっている男だ。いや、もしかしたら自身のコンプレックスを別手段でなんとかしようという苦肉の策だったのかもしれない。しかし、それを自身で研究できない時点で、魔法薬士としても男としても程度が知れている。
そこで、はたと気付く。――調律の効果を魔法薬で上げる研究の、実験場だと?
レイは、自身の頬も熱くなるのが分かった。その反応を見たカーレンは、すぐに視線を逸らした。気まずい空気が二人の間を流れ、互いの顔を見ることができないまま、レイは「ここにいて」と言い置いて、階段を静かに降りた。
一階へ降り立つと、すぐ近くの棚が倒れており、外れたドアと共に店員が倒れていた。その近くに数人の野次馬と、コリントが立っている。
レイはちらりとコリントを一瞥した後、そのまま気絶している店員の状態を確認した。額の打撲痕はぷっくりと腫れており、強打されたことが分かる。これはヘタに動かすとまずいかもしれない。
「……病院への搬送準備は?」
近くで狼狽えている店員に声をかけると、数度震えながら頷いた。
「も、もうすぐきます!」
「警察は?」
「け、警察は……その……オーナーには連絡しましたが……」
言葉を濁す店員に、レイはやれやれと首を振った。こんな騒ぎになっているのだから、小細工したところで客が通報しているだろうに。
レイは店の奥へと続く暗い通路へと目を向けた。奥の方に一人男がまた横たわっているのが見え、その近くに銀色のトレイを持ったガタイの良い男性が立っているのが見える。その男はゆっくりとこちらに向かって歩いてきており、一階席の明かりが入る場所まで来ると、レイと目が合い、びくりと体を震わせた。
歩いてきたケリーの表情が、ヤバイと物語っている。レイはふつふつと沸きあがる怒りを抑えながら、にっこりと笑って見せた。
交差する視点で語る「足が折れている奴がなんで立っている?」「見逃してもらえませんかね?」という応酬を、コリントがにやけながら見ていた。
「あー……なんだ。久々に物なんて投げたら、肩の調子が悪いなー。帰るわー。後よろしく」
ケリーがわざとらしくレイの近くにいる店員に、凹んだ銀色のトレイを押し付け、そそくさと店の外へ消えて行った。誰もケリーを止めようとはせず、店のドアをくぐる背を見送りながら、レイは心の中で毒ついた。――後で経過を見に行ってやるからな!
レイはため息を吐いて、通路の奥へと進んだ。先ほどケリーにトレイを押し付けられた店員が後ろをついてくる。本来なら前を行くべきはこの店員である気もするが、証拠の隠滅をされても困るので良しとしよう。
倒れている男の服装は、はだけてはいるが上等なもので、貴族なのだろうことが分かる。額にくっきりと深い線が入っているのは分かるが、如何せん通路が暗く、きちんと診察するのは難しそうだ。
「照明は?」
後ろの店員に聞くと、「つけるなと言われているんですが」とぶつぶつ言いながらも、脇にある部屋に入って、通路の照明をつけてくれた。通路に敷かれている絨毯は、日に灼けたりはしていないがところどころ変色しており、確かに見ていていい気分にはならない。
倒れている男が、小さく呻き声を上げた。再び男に視線を戻すと、左手の指がまるで殴り方を知らずに全力で何かを殴りつけたかのようにひしゃげており、腫れあがっているのが見える。
険しい表情の男が、げほっと咳き込むと同時に体が震え始め、もう一度びくりと体を跳ね上げると、口から吐しゃ物を噴き出した。
「ヒッ!」
店員が小さく悲鳴を上げて一歩後ずさる。レイは気絶している男を横寝に直しながら、その店員に鋭い視線を投げかけた。
「手袋! 調理用でいい! 早く!」
一喝するようにそう言うと、店員は慌てて厨房へ走って行った。
通路の奥には地下へ降りる階段があり、小さく女の弱々しいすすり泣く声が聞こえてきている。あっちもこっちも酷そうだ。人手が足りない。
「カーレン! 悪いが、手伝えるか?」
聞こえるか分からないが、レイは叫んだ。野次馬がその声量に驚いてこちらを見た後、二階席へ視線を上げる。軽やかな足音が響き、階段を降りて来たカーレンは、一瞬ぎょっとした顔をしたが、すぐに真剣な顔でレイの隣に膝をついた。
「嘔吐した。魔法は使わなくていいが、吐しゃ物が詰まらないようにしたい。体勢をそのまま支えていてほしい」
カーレンがしっかりと頷いた時、先ほど手袋を取りに行った店員が戻ってきた。青い色の、匂いが少々きついゴム手袋を差し出され、レイはそれをそのまま着用すると、男の舌を引っ張りながら喉の奥に吐しゃ物が溜まっていないかを確認した。口内に残る吐しゃ物を掻き出し、呼吸が安定していることを確認すると、そのまま手袋の外側が内側になるように丸めて脱いだ。
男の体に触れながら、魔力を練り上げ解析魔法を行使する。
「……軽度の脱水と炎症反応はあるが、そりゃ指がこんなことになっていれば当たり前だろう。だが、食中毒とも違いそうだ。いったい何があった?」
レイが店員に聞いても、ぷるぷると首を振るだけで話にならない。すると、店先の方が騒がしくなり、恐らく怪我人を運ぶための馬車が到着したのだろう。狼狽えている店員に、視線だけで「行け」と示すと、そのままトレイを抱えたまま走って行ってしまった。
「……心当たりは?」
声を潜めてカーレンにそう聞くと、彼女は小さく頷いた。
「私が彼に渡した研究資料を基に、魔法薬が作られたのだと思う……実しやかに流れている噂を、貴方も聞いたことがあるでしょう? 調律の結果は、与えられた快楽によって結果が変わるっていう」
彼女が口にしたのは、古くから伝わる言い伝えのようなもので、何を根拠としているかも分からない謎と言い換えてもいいようなものだった。
しかし、噂は噂でしかない。現に、レイは大学一年生の頃、まさに来るもの拒まずに行った閨での行為で、一度も調律が成功したことが無かった。決して全部が気持ち悪かったわけでもないし、結果的に調律出来なくても、相手から「もう一回トライする?」と持ち掛けられる内容のものではあった。――相手が気を遣っていない限りは。
結局は魔力の相性が良くないと、そもそも調律ができない。調律ができることが前提で、というのであれば、レイはクラウスとの調律で満足しなかったことがないので、正直わからない。
「彼の研究は、そうであることを前提として組まれている。調律が魔力によって起こるのだから、魔力に細工さえすれば、より良い調律が行える。その浅はかな考えが根底にあるの」
カーレンの視線が険しくなる。元婚約者のことを考えると、まるで吐き気がするとでもいうように。
「魔力からのアプローチで、媚薬を作る。簡単に言うとそういうことなの。でも、感度を上げるって簡単に言っても、強くしたら痛みに繋がるし、弱くすると即効性に欠けて『アイツが望むような効果』がすぐに出ない。そこをどうにかしなきゃいけなかった。汎用性のある薬にしなければいけないから、どうしたって安全性を取らなきゃいけないのに、アイツは早くしろってずっと……」
レイは話を聞きながら、想像した。全く気は進まないが、どうしても自分がその研究をしなければならなくて、急かされ、日常的に虐待を受けていたら、どういう方向に持っていくか。――失敗すればいい、何か問題が起こればいい。そんな一抹の復讐心を胸に、倫理観を捨てるとしたら。
「……幻覚作用」
「正解」
カーレンの罪悪感に染まる瞳が、目の前に横たわる男を見ている。
「彼に渡した資料には、きちんと危険性も書いた。濃度を上げ過ぎると、幻覚作用が強く出て薬物中毒のような症状が出るって」
「だが、そもそも魔力が惑わされて『感度が上がった』と勘違いした状態というのは、魔力のコンディションを下げやすい」
「そう。結局、調律したときの快楽はあっても、その後の調律結果はがたがた。全く意味のないものなの。……ちょっと考えればわかることなのにね。……でも、やっぱりやらなければよかった」
カーレンが語る懺悔を聞きながら、レイはそのお人好しな見解を心の中で否定していた。――魔法薬士の資格を取得している男が、そんなことに気付かない訳がない。結局奴は、実験場などと称しながら、知る人ぞ知る歪んだ享楽の 場を用意し、金を稼ごうとしたのだろう。
レイは宣誓書を入れていたポケットが熱を持ち始めたため、そのまま宣誓書を取り出した。宣誓書に刻まれた魔法陣が点滅し、時間切れと謂わんばかりにボッと燃え上がった。宣誓書についた火は一気に広がり、燃え移ることもなく、一瞬にして灰になると床に落ちた。
レイは、床に落ちる灰を見ながら、心の中に生まれた疑問を打ち明けるかどうか迷った。そっと周りにクラウスの気配がないことを確認し、レイはポケットの中へ手を入れて小型通信魔法機器の通信を切った。
「カーレン……君の矜持を傷つけるかもしれないことを聞くことを、どうか許してほしい」
宣誓書が燃えてしまったと言うことは、これから聞くことについては、嘘か本当かは分からない。それが分かっていても尚、レイはそう前置き、カーレンは頷いた。
「……君が、この店を選んだ理由は……この地下が関係している?」
レイの言葉に、カーレンの視線が一瞬逸らされた。顔が強張り、唇が引き結ばれる。その反応に、レイはその後の言葉を続けることをやめた。――客として、自分と地下に行こうとしていたのではないか。その質問は、あまりにも酷 だ。
レイは立ち上がると、もう一度ポケットに手を入れて通信魔法機器を起動した。
「搬送を手伝ってくる。その後、地下へ行こう。君の望み通り元婚約者殿の実験場を、ぶっつぶす手伝いをしようじゃないか」
そう言って唇の端を吊り上げて見せると、カーレンはどこかほっとしたような、罪悪感を孕んだ弱々しい笑顔を浮かべていた。
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