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第94話 制圧
気絶している店員と薬物中毒状態の男を、外れた扉を担架代わりにして荷馬車へ運び込むと、いつの間にかコリントが居なくなっていた。今の人だかりを使ってどうやら逃げ出したようだ。とんっと肩を叩かれ振り返ると、黄土色の髪を濡らしながら、クラウスが立っていた。どうやら、隠密魔法薬(仮)の効果が切れたらしい。
「ここは冷える、中へ」
言うが早いか、レイの背に手を添えて、そっと店内へ誘導される。暖かい店内に入ると、クラウスが手に持っていたレイの鞄を渡してきた。どうやら、魔法薬の効果が切れそうなタイミングで二階席に移動して身を顰めていたらしい。ついでに鞄を取ってきてくれたのはとてもありがたかった。
「伝言だ。階段から下はもう、薬の匂いが蔓延しているらしい」
そっと耳打ちされる言葉に、レイは鞄を受け取りながら眉を顰めた。
「……ケリーか」
通路の奥から悠々と歩いてきたケリーの姿を思い出し、レイもぽそりと呟くと、クラウスが小さく頷いた。
「『甘ったるい香り』、『わずかな発汗』と『高揚感』。これしか分からなかった、と」
「すぐ全身に洗浄魔法を。できるだけ水を多く飲んで。……それと、『後で行く』と伝えてくれ」
片眉を跳ね上げながらそう言うと、クラウスはくすりと笑って答えた。
「……『お手柔らかに』だそうだ」
「それは、経過次第だな」
不敵な笑顔を浮かべながら、レイはつかつかと人の少ない店内を進んでいった。
「警察は?」
「もうそろそろ到着するだろう。雨で遅れている」
「待つのは忍びないが、致し方ないか」
地下へ先行するとなると、現状どうなっているかが分からない。むしろ部外者がひっかきまわした後となったら、レイやカーレンに矛先が向く可能性も出てくる。突入に協力するにしても、公的機関の証人と連れ立っていくに越したことはない。
レイは通路の奥に立っていたカーレンを見た。その表情は至って冷静ではあったが、先ほど搬送された薬物中毒状態の男が、嘔吐した場所をじっと見つめていた。その箇所は、駆け付けた救急隊員が吐しゃ物を回収し、店員に掃除するよう指示を出していたため、絨毯を綺麗にするための薬剤によって白く変色してしまっており、非常に目立っていた。もしかしたら、他の絨毯の変色した部分は、こうやって出来たのだろうか。
「カーレン。警察が来るまでは待機だ……二階席に戻るか?」
声をかけると、カーレンの視線がぱっとあがり、レイとクラウスを交互に見た後、静かに首を振った。
「大丈夫」
そう言うカーレンに、レイは小さく「そうか」と呟いた。
掃除用具を片付けた店員が、先ほど通路の照明をつけに入った事務所のような部屋から出てきて、変色した絨毯を見ながら「怒られるかなぁ」と呟いているのを気にも留めず、レイはそのまま地下へ続く階段の方へ歩き出した。
階段と一階を分けるように、ぐるりと一本の線が刻まれており、よく見るとそれは細かな文字であった。このように彫り込まれた魔法陣で発動している結界は、通さない物を限定してあれば限定してあるほど、その存在を感知しづらい。もちろん結界を通り抜ければ、魔法使いならわかるだろうが、入った瞬間に毒を吸わされる、なんていう罠にも使われる手法である。――逆に、この結界の構成が読めれば、何を通さないようにしているかが分かる。
レイは鞄から発熱抑制剤を取り出して噛み砕いた。ボリボリと音を立てながら咀嚼し、鞄を壁に立てかけるようにして床に置くと、刻まれている文字の線の隣に手を着いて、文字に這わせるように魔力を流した。慎重に構成を読み取って、セキュリティがどうなっているのかをまずは調べる。特に解析や解除をした瞬間、爆発したり証拠隠滅を謀るような構成はなさそうだ。
解析をもう一段階深める。ここ半年以内に構成が新しくなっているのだろう。綻びのない綺麗な施工がされているのが分かる。そして、核心となる通さない物質は何か。その構成に触れて、レイは眉を顰めた。
「星蜜酒、風舞茸、陽炎輝石、月影露……他に君が提案したものは?」
「ないわ」
レイの問いに、端的にカーレンが答える。レイはそのままため息を吐いて、解析をやめた。
「なら……一つ、追加されているな。しかも、混ぜるとしたら風舞茸の幻覚作用を強める働きをしそうな香料が」
諦念を混ぜながら、レイは吐き捨てるように言った。その言葉にいち早く「まさか」と食いついたのはカーレンだった。
「アイツがレシピに手を加えるなんて……そんな殊勝な心があったのね」
「それについては同感だが、いかにもあの男が好きそうなものだぞ」
先ほど列挙したものは、気分が高揚し、活力が増したりする滋養強壮薬に使われるようなものもあれば、使用に注意が必要な幻覚作用もある興奮を湧き上がらせるものもあった。しかし、その中で唯一甘い香りがする星蜜酒は、そこまで香りの立つようなものではない。しかし、ケリーは言った。『甘ったるい匂い』がしたと。
レイはカーレンを見た。しかし、いまいちピンとは来ていないようで、レイは小さく頷いてから答えた。
「ティアーモだよ」
その瞬間、カーレンは天を仰いだ後、顔に手を当てて俯いた。
「……催淫作用ッ! 幻覚作用のあるものと掛け合わせるのは麻薬取り扱いになるから禁忌とされているのにっ!」
「魔法薬士資格剥奪案件だな。警察を呼びたくない理由 だ」
ふつふつと沸いてくる怒りに、レイは階段の方へ目を向けた。まだ、階下から女のすすり泣く声が聞こえる。本当ならすぐにでも助け出してやりたいところだが、状況が芳しくない。こんなことをしでかしたあの愚か者の所業を、必ず白日の下へ晒さなければならない。
「レイ」
静かに自分を呼ぶクラウスの声に、怒りを押し殺してそちらを向いた。それにつられるように、しゃがんで絨毯を見ていた店員と、カーレンの視線がクラウスへ向く。当のクラウスは、ベルトに挟んでいたナックルガードグローブを手に嵌めながら、店先を見つめていた。
店舗の前に、ワラワラとガラの悪い連中が集まり始めており、人だかりを散らしている。雨の中、堂々と店の前に馬車が一台止まっており、まるで人の目がなくなるのを待っているかのようにその扉は閉められ、中から人が出てくる気配はない。
「……お出でなすったようだな」
レイがそう言って、壁に立てかけた鞄を手に取ると、カーレンと店員を自身の背にかばうようにしてクラウスの横に立った。
戦闘態勢に入るため、鞄から弾薬が入ったケースを取り出すと、ケースに付いているフックをベルトに差し込んだ。いつでも取り出せるように、ケースに微量の魔力を流して封印を解くと、鞄を店の脇に放り投げた。
「……“クーランス”、どう戦う?」
誰が聞いているか分からないため、偽名でクラウスに呼びかけると、クラウスは一度軽く笑い、すぐに真面目な顔に戻って店先を注視した。
「優先順位は?」
「店内の客および店員の命。次に地下へ侵入をさせないこと、また、地下に影響を与えない事」
聞かれたことに思いついた順位を素早く応えると、仕事モードを崩さない丁寧な口調でクラウスは答えた。
「私の不動の優先順位は貴方ですが?」
「冗談言ってる場合か。派手な魔法は使えない。俺の弾薬は中級魔法だが、客の安全が確保できない段階で連発はできない」
クラウスを睨みつけるように見上げると、「冗談ではありませんでしたが」と表情を変えずに肩をすくめてクラウスは続けた。
「可能なら、裏口から逃がしたいところですが、恐らく裏からも来るでしょう。二人が裏の対応をしてくれますが……早期決着が望ましい。となると……“無難なやり方は”難しいかもしれませんね」
二人というのは、ケリーとコリントのことだろう。怪我人に無茶をさせるのは承服しかねるが、コリントが何とかカバーしてくれると信じたい。むしろ、レイはクラウスが言った『無難なやり方』という言葉に眉を顰めた。――ただの護衛ではなく、魔術師として動かざるを得ない。そういうことなのだろう。
本当なら良くない。できる限り魔術師であることが露呈しないように動いたほうがいい。なるべく穏便に済ませられる方向で――。そう言おうと思った。クラウスの頬にある痕を見るまでは。
「……お前に傷がつくぐらいなら」
呟くように伝えた言葉に、クラウスはニッと笑って見せた。
店先のドアが開くと、石畳を叩く雨の音が一層大きく店の中に響いた。ガラの悪い男達が先行して店の中に入り、壁際にいる客を威嚇している。外では店員に差された傘の下を、馬車から降りた上等なロングコートの男が余裕の笑みを浮かべながらしゃなりと歩いてきた。
男は鼻につくような大げさな手つきで帽子を取ると、まるで舞台役者のように派手にお辞儀をしてみせた。
「やぁ、こんなところで会うなんて、奇遇だねぇ? レイ・ヴェルノット。……浮気現場の目撃、といったところかな?」
先日、継智の塔で殴りかかってきた男とは思えない程に余裕を見せている短小男が、まったく見当違いなことをしてやったりと謂わんばかりの顔で言ってきた。
「どうやら、懲りずに床を舐めたいらしいな。今度は自分の舌で床を磨いたらどうだ? だが、褒めてやらんこともないぞ? 今度は破落戸 だけじゃなく、自ら出てきたんだからな」
「何のことかさっぱり分からないね」
レイが短小男の後ろに控えているガラの悪い連中に視線をやりながら答えたことに対し、短小男はわざとらしく手をひらひらと振った。
「……で、お前はなんでここにいる? カーレン」
短小男が声に怒気を孕ませながら、レイの後ろにいるカーレンに視線を向けた。肩越しに見たカーレンは露骨な不愉快を隠そうともせず、男を睨みつけている。
「……ゲーヴナー伯爵令息。最低限のマナーすらお忘れのようね」
「まったく、いつまでへそを曲げているつもりだ、カーレン。いい加減にしろ」
「敬称をつけなさい。ゲーヴナー伯爵令息」
毅然とした態度を取るカーレンに、男は徐々に苛立ちをあらわにし始めた。レイはそのまま、男とカーレンの視線に割り込むようにして立ちはだかり、その怒りを煽った。
「女性の扱い方も知らないようじゃ、そりゃあ元婚約者に固執してしまうのも分からなくもないが、そろそろ男を上げたらどうだ? ……尤も、自分に自信が持てなくて、そう強気に出てしまうのは……哀れに思うがね」
そう言って一瞬だけ、視線を男の下半身に向けた。隣にいるクラウスが視線を外し、小さくフッと息を吐いたのが聞こえる。まさかクラウスがこの煽りに参加するとは思っていなかったが、どうやら効果は抜群だったらしい。雇われの者から笑われたという事実に耐えられなかったのか、みるみるうちに男の顔に血が上っていっているのが見える。歯を食いしばりながらもなんとか耐え、フンッと鼻で笑い飛ばしてきた。
「その気位の高さでは、婚約者殿に呆れられるのでは? その背と同じぐらい低くしたらどうだい?」
――お前の短い三本目の足を蹴り飛ばしてやろうか! 膨れ上がる怒りを面に出さないようにしながらも、レイはくいっと顎を上げて笑ってみせた。
「生憎、この口の悪さも気に入られていてね。なぁに、性根の悪い貴公に心配される程ではないさ!」
「その減らず口、聞けないようにしてやろうか?」
「できるものならやってみるがいい」
空気が軋みそうな程、冷ややかな沈黙が下りる。にらみ合った後、互いにニコリと笑みを浮かべた。
「くそ野郎が 」
「失せやがれ 」
貴族らしからぬスラングで罵り合ったのを合図に、周囲のガラの悪い男達が一斉に動き始めた。中には刃物を持ってこちらに向かってくる者もいる。
敢えてレイが男を煽ったのには理由があった。この店のオーナーであるこの男が、真っ直ぐ地下へ行くと言ったら、ただの客である自分たちは手出しができなくなってしまう。警察が到着するまで足止めをしなくてはいけない。であるならば……正当防衛に持ち込んで、制圧すればいい。
レイは身を低くしてベルトから銃を抜き取ると、すぐさまセーフティーを下ろした。身を低くしたことにより、クラウスの視界が開く。襲い掛かってくる男達に向けて、クラウスがいつの間にか拾っていたカトラリーを素早く投げた。目で追えるぐらいの速さに抑えられたカトラリーが男達に到達する前に、張られた結界により弾かれる。レイは、男たちの後方で結界を張った魔法使い達の足元に狙いを定め、発砲した。
魔法使い達の足元の床に着弾した魔法薬弾は、着弾と同時に中身の魔法薬を宙へ散布した。煙のように一気に広がった魔法薬は、次の一瞬で収束し、魔法使い達を巻き込んで太い氷柱を形成した。
「ヒッ!」
「ギャァッ!」
魔法使いたちの短い悲鳴を聞いて、壁際にいた無関係な客たちも悲鳴を上げながらしゃがみこんだ。
「俺たちは襲ってくる相手しか攻撃しません! 今の内に逃げてください!」
レイが声を張り上げるが、客は恐怖のあまりテーブルの下から出てこようとはしない。しかし、ガラの悪い連中が客を人質に取るようなことをしなかったのは、不幸中の幸いだった。
すると、数人の客たちがいた壁際の席を覆うように、すっぽりと中級結界が張られる。おそらく、どこからか見ていたコリントがこちらの手助けをしてくれたのだろう。
「くそっ! 怯むな! 魔法で援護しながら体で行け! 奴らは非魔法使いに魔法は使わない!」
店先のドアを背に、カーレンの元婚約者が指揮を執る。残り二人の魔法使いをかばうように、非魔法使いの武器を持った男達が襲い掛かってくる。それを、レイは近くにあった椅子を手に取って投げつけた。椅子は避けられたが、体勢が崩れた男へクラウスが目にもとまらぬ速さで接敵すると、ナックルガードが付いた拳でアッパーをくらわせた。クラウスが動きやすいように、レイは周りのテーブルに浮遊魔法をかけた。奥の通路へ続く場所に積み上げると、簡易的なバリケードを構築する。
動きやすくなったクラウスは、もう止まらない。テーブルを踏み台にして高く跳躍し、男達の顔を蹴り飛ばす。着地したと思った瞬間、バネのようにしなやかに踏み込み、次々と鳩尾に一撃をくらわせていく。
敵の魔法使いがレイに向かって攻撃魔法を放とうとした瞬間、レイの周りを上級結界が包み込んだ。敵が放った無数の氷の礫が結界に当たった瞬間、ばちばちとけたたましい音を立てて弾けていく。その合間を縫うように別の男が投げナイフを投擲してきたが、それすら結界は弾いてしまった。
「ッ!? お前、魔術師か!」
張られた強固な上級結界を見て、行使者であるクラウスにカーレンの元婚約者が驚愕の声を上げた。レイは、弾かれる氷の礫で視界がぼやける中、中級結界でもクラウスのものなら耐えただろうに、と小さく息を吐いた。まったく、こんな時でも過保護なのは変わらない。
クラウスは身体能力強化魔法を一瞬だけ行使して飛び上がると、天井を蹴り、レイに対し攻撃をやめようとしない魔法使いの前に躍り出た。魔法使い達の顔が恐怖に染まる。彼らは慌てて攻撃魔法を解除し、中級結界を張ろうとしたのだろう。しかし、それを試みるだけの暇すら与えず、クラウスの両手が魔法使いたちの首を掴んだ。びくりと体を震わせて、魔法使い達が泡を吹いて気絶する。くたりと床に崩れ落ちる魔法使い達を、他のガラの悪い男達が唖然と見ていた。
ゆっくりと男達に振り返るクラウスの目は、殺気に満ちていた。――レイを攻撃した。それがこの男の逆鱗に触れた。
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