105 / 108

第96話 飛来

「……この場合、初めましてでいいのかしら? “ご存じの通り”、カーレン・フォーリォルよ」  皮肉を交えながら、カーレンはクラウスに自己紹介をした。それに対し、ただ頷いて返すだけのクラウスにレイが肘で小突くと、しばし考えたようにしてから「よろしく」と小さく応じた。  一連のやり取りに、カーレンが瞬きを繰り返しながらレイとクラウスを交互に見るので、レイは肩を落として説明した。 「なんというか……クラウスは他人に関わるのが苦手で」 「え、後継者なのに? 大丈夫なの?」  至極まっとうな疑問に、レイもこめかみに指を置いてため息を吐いた。どう考えても、大丈夫ではない。ルミアの言を借りるわけではないが、愛想笑いの一つでもできるようにならないと、社交界では通じない。今までは継承権を持たない三男だったからこそ許された態度でも、これからはそうはいかない。社交が上手くいかないということは、貴族社会で生きられないのと同義だ。本来なら、苦手を補うパートナーがいれば問題ない話ではあるが、そのパートナーが貴族教育を受けてない野生の子爵位持ち(レイ・ヴェルノット)である。――不安でしかない。 「未来の自分に期待するしかないな」 「期待する相手が私ではないところに、含みを感じるが?」  間髪入れずに言葉を差し込んできたクラウスに一瞥をくれてやった後、レイは「本題に戻ろう」とカーレンに視線を向けた。カーレンは肩をすくめた後、悩み始め、深くため息を吐いた。 「うちは表向き医療魔法家系としているから、魔法医と魔法薬士以外にも、魔法薬に関わるビジネスパートナーである非魔法使いの商人や、貿易会社を運営しているところへ積極的に縁を繋いでいるのは確かなの。でも最近は、出資という名目であらゆる業界の魔法使いや魔術師に見境なく繋がりを持っているから……客層が絞れない」  カーレンの言葉を受けて、三人で考え込みながらも、最初に口火を切ったのはクラウスだった。 「投資を始めた時期は?」 「正確な時期は分からないけど……五年よりは前よ」  クラウスが「五年より前」と反芻し、視線を下げた。 「……オルディアス王国と西の帝国の停戦よりも後か?」  具体的な時期の提示に、カーレンは一度訝しげな顔をしたが、思い出そうと視線をゆっくり下へ動かした。 「たぶん、そうね」  カーレンの答えに、クラウスは黙したまま目を伏せた。レイはその横顔を覗き込むように見ていたが、その表情からは何を考えているのか読み取ることはできず、むしろ触れ合っている肩で、クラウスの魔力が少しだけ揺らいでいた感じていた。 「……何か、思い当たる節でもあるのか?」  レイが静かに問うと、クラウスの藍色の瞳が一度向けられ、そのままカーレンへ移った。まるで試すかのようにカーレンへ注がれる視線に、彼女の肩に力が入ったのが分かった。 「ここで聞いたことは絶対に漏らさない。宣誓してもいいわ」  その一言に、クラウスの諦念を帯びた視線がレイに向けられた。次に降ってくる言葉の予想がついて、レイは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら、思わず視線を逸らした。 「レイの影響を受けた者は、どうやら簡単に宣誓魔法で脅しつけるようになるらしい」 「悪かった! 悪かったから!」  カーレンが宣誓魔法を使用してもいいと言い出したのは、レイがクラウスの信用を勝ち取った時に宣誓魔法を使用したと言ったせいなのは、火を見るより明らかだった。だからといって、こう何度も話の腰を折らなくてもいいだろうに、と思いつつも、クラウスをなだめて話を続けるように促した。  クラウスは小さくため息を吐いて、カーレンとレイを交互に見た後、静かに唇を開いた。 「……私の父が、病に伏せ始めたのがその頃だ」 「公爵閣下が?」  クラウスの一言に、レイは思わず声を上げた。レーヴェンシュタイン公爵が長く臥せっているという話は聞いていたが、まさかそんなに長かったとは思ってもいなかった。しかし、以前ディートリヒが言っていたことと照らし合わせると、確かレーヴェンシュタイン公爵が臥せった理由は――。 「私の母が父に毒を盛り、(あまつさ)え呪いをかけ始めた時期でもある」  淡々と語られた内容に、カーレンが息を呑んだ。 「……信じられない。だって、魔力の相性も良くて、あんなに……あんなに幸せそうに笑ってたのに! いったい何故――」  思わず出てしまった言葉を引っ込めるように、カーレンは口を噤んだ。その顔は、まさかと謂わんばかりに固まっており、白く細い手が口元を覆った。それに続くように、レイも額を指で支えるように押さえながら、クラウスに問いかけた。 「確かディートリヒ卿は、母君が自ら呪いの『媒介』となったと言っていた……ということは、母君の体からは、他者を呪った際に刻まれる印は出てこなかった、ということか?」  他者を呪うことは、禁忌魔法の一つだ。禁忌魔法を使えば、魔力が呪われるばかりか、体のどこかに禁忌魔法を使った呪印が刻み込まれる。しかし、行使者ではなく、その魔法の媒介をする――つまり、行使するための魔力の提供や増幅行為のみの場合は、魔力が呪われるだけで呪印は刻まれない。そのため被害者を装うことができるという意味では、懐に暗殺者を招き入れてしまうことに繋がってしまう。    クラウスは、レイの言葉にフッと軽く苦笑を浮かべた。 「兄上は、そんなことまで君に話していたのか」 「今思えば、情報提供だったのかもしれないなぁ。絶対ディートリヒ卿、俺のこと殺そうとしてなかったもん」  レイはレーヴェンシュタイン公爵領でディートリヒに拉致されたときのことを思い出した。ディートリヒの投げやりな計画と行動、そして漂わせていた焦燥感。その全てが苦しみからの解放を求めての行動だったのだろうと思うと、今でも遣る瀬無い。死ぬつもりで自暴自棄になっていただけかもしれないが、レイに少しでも自身が持っている情報を渡し、クラウスの呪いの治療に役立てさせようとしていたのかもしれない。ディートリヒとしてではなく、今はラーディーンとして生きているとはいえ、きっと聞いたところで教えてなどくれないだろう。彼はそういう男だ。  突然何でもない事のように物騒なことを口にし始めたレイに、カーレンの怪訝な視線が刺さったが、特に気にするでもなくレイは背もたれに体を預けた。 「で、どうなんだ?」  答えを促すと、クラウスは苦笑しながら頷いた。 「その通りだ。母上の亡骸からは、呪印は見つからなかった」  そして、リーンの死と同時にレーヴェンシュタイン公爵の魔力の呪いが解けた。それだけ長い間、魔力が呪われ続ければ、確かに体はもうボロボロだろう。それでも今、レーヴェンシュタイン公爵が生きているのが不思議なほどでもある。 「逆に言うならば、媒介がなくなったことにより、行使者がその禁忌魔法の代償を一手に引き受けることになったはずだ。そして母君の死後、呪いが解けたのであれば――」  レイがそこまで言うと、それを引き継ぐようにクラウスが頷いて続けた。 「行使者が、同時に亡くなっているはずだ。だが、オルディアス王国で同時期に死亡した者をあたったが、呪印がある者はいなかった。その死が隠蔽されていない限りな」  クラウスの言葉が終わる前に、カーレンは顔を覆って俯いた。漏れ聞こえる呼吸が震えているのが分かる。その様子から、嫌な想像がレイの脳裏にちらついた。 「……今年の初め頃に」  クラウスの淡々とした声が、カーレンの肩を震わせた。 「――いるんだな? フォーリォル家の周りで、亡くなった者が」  クラウスの問いに答えようと、カーレンが震える指を広げた。今にも泣き出しそうな表情のカーレンは、クラウスを見上げ、長い沈黙の末、迷いながらも口を開いた。 「………………庭師が」 「庭師?」  カーレンはそれ以上の言葉を発そうとしていなかった。だが、レイが聞き返したことで、カーレンは飲み込んだ言葉を言わざるを得なくなってしまった。 「…………リーン叔母さんが、まだこちらにいらっしゃったときの……恋人だったの」  その言葉に、レイははっとクラウスの顔を見た。クラウスの表情は相変わらずの鉄仮面であった。魔力の揺らぎも感じない。だが、その言葉を噛み締めるように、「そうか」と呟いて、藍色の瞳を瞼で隠した。ただ、それだけだった。  重苦しい沈黙が落ちる。馬車を叩く雨音と、濡れた石畳を走る車輪と馬の蹄の音だけが響く中、その沈黙を破ったのは、他でもないクラウスの苦笑だった。 「レイ。私は大丈夫だ」  瞼が持ち上がり、優しい光を宿した藍色がレイに向く。 「そんなに見られると、穴が開きそうだ」 「お前な……」  冗談を言うクラウスに、レイは半眼で返した。――クラウスが春先まで呪われていたのは、他者からのものではなかった。自責の念からくる、自身に向けてかけてしまった呪い。禁忌魔法を行使するでもなく、自らを静かに殺そうとしたことが原因だった。その発端となったのが、クラウスの母であるリーンその人である。  オルディアス王国の諜報部に所属しているクラウスは、レーヴェンシュタイン公爵家の当主殺害未遂とスパイ行為を断罪するべく、自ら実母に手をかけた。レーヴェンシュタイン公爵家の一員として手を下すことにより、家の汚名を雪ぐための、致し方ない手段であった。  リーンが今わの際に残した、クラウスの頬の傷と「ただ、憎い」という一言が、彼の中で今も尚燻っている。レイは彼が前を向こうとしているのを知っている分、今回のことが再び呪いのトリガーとなって表れないかが心配だった。  レイの反応を見て、一度目元を綻ばせてから、クラウスは再び仕事の顔(鉄仮面)に戻ってカーレンに視線を移した。 「呪われたのが今年の春、と言っていたが……その頃に発端となるようなことはあったか?」  聞かれて、カーレンは小さく首を振って項垂れた。 「分からないの……フォーリォル家が呪われる理由はたくさんあれど、これといった何かがあったかどうか」  カーレンの言葉に、レイとクラウスは顔を見合わせた。 「カーレン。君が呪われたというのが分かったのは、何故か教えてもらえるか?」  レイの問いかけに、カーレンはこくりと頷いた。 「母が魔法医だからよ。といっても、魔術師ではないから、主にやっているのは診断だけね。流行らないもの」 「なのに、報告は上げてないのか」 「体面を重んじる祖父が、許すわけないじゃない」  カーレンは諦めたようにため息を吐いた。レイもつられるようにため息を吐く。貴族の中では、正直珍しくないものではある。だが、本来ならば呪いの浄化薬は申請しないと届かない。 「浄化薬はどうしている?」  レイの質問に、咎められると思ったのか、カーレンは肩を丸めた。 「……ベイストン先生から、研究用に取り寄せている浄化薬を、分けていただいているの」  その答えに、レイはなるほどと頷いた。責められないと分かると、今度はカーレンがぱっと顔を上げてレイに向かって口を開いた。 「でも、私が呪われていることを、何故知っているの?」  当然言われるだろうと思っていたことに、レイは用意していた答えを伝えた。 「西エリアを中心に、広範囲で呪いが広がっているという情報が入った」  その言葉に、カーレンは呆気にとられたように目を見開いた。 「……な、なんですって?」  訳が分からないというカーレンの言葉に、レイは頷くしかなかった。広範囲に呪いが広がっている。その異常さは、魔法使いならわかるだろう。 「呪われているのは、フォーリォル家だけではないということだ。西エリアで働いている平民も、みんなだ。……おそらく、先ほどのゲーヴナー伯爵令息も」  レイの言葉を咀嚼するように、ゆっくりとカーレンの視線が下がっていく。瞬きもせずにどこかの一点を眺めながら、険しい表情を浮かべている。 「そんな大規模なこと、人間にできるわけ……」 「だが、悪魔の召喚がなされたとして、こんな大規模な呪いを持続できるだけの悪魔だぞ? 生贄はなんだ?」  悪魔召喚には、それなりのルールがある。召喚を行使するだけの実力と魔力量を兼ね備えているのはもちろんだが、叶える願いに見合う格の悪魔を召喚するためには、相応の供物の献上も必要になる。  教科書に載るだけの『大災害』として確認された悪魔召喚は、およそ三百年前。大罪人ヘルゲイムが、その身を神へと昇格させんと企み、一国を生贄に召喚を行った。その結果、南の大陸が焦土と化し、今も尚、死の大陸として残っている。ヘルゲイムの肉体は滅んでも尚、生きる屍として死の大陸を彷徨っているとされているが、事実かどうかは分からない。神への挑戦は叶うことなく、一つの大陸を滅ぼして終わった。 「貧民街の方で、大量に人がいなくなったという話も出てきていないらしい」  クラウスの一言に、レイは小さくため息を吐いた。 「職を持っている平民以上だと、大量の人間が消えれば流石に露呈する。であれば、悪魔召喚の線は薄いと考えるのが妥当だ」 「じゃあいったいどうやって」  カーレンが眉間に皺を寄せながら、レイの言葉に疑問を投げる。それについても、レイは頷きながら厳しい表情を浮かべた。 「分からない。だが、何かからくりがあるはずだ。それこそ人間には遠く及ばない存在。例えば――」  レイがそう言いかけた時だった。降り注ぐ雨の音を切り裂くように、甲高い鳴き声が響いた。馬車の中で三人が体を強張らせ、目を見張る。  不意に、レイは上空に異様な強い魔力の歪みを感じた。思わず息が詰まるほどの深いうねりのようなそれに身を震わせながら、叫ぶ。 「クラウス! 結界!」  レイの短い一言に、すぐさま反応したクラウスは、一瞬の間に上級結界が馬車を包むように展開させた。次の瞬間、上空から強い魔力の塊が降ってきた。  けたたましい音が鳴り響く。強い魔力の塊がクラウスの上級結界と衝突し、弾かれることなく結界を破らんと突き進んできている。 「――くっ!」  クラウスが両手を天井に突き上げ、結界の修復と強度を増さんと構成を組み替えている。ここまで必死に魔法を行使しているクラウスを見るのは、レイが王の秘術官・タールマンに拉致されそうになった時以来だった。 「レイッ!」  クラウスが突き上げていた手を必死の形相でレイに伸ばした瞬間、結界が砕ける音がした。 

ともだちにシェアしよう!