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第98話 取り返しのつかぬ約束
迎えに来た馬車に乗ってしばらく移動した後、レイとクラウスは裏路地で途中下車した。申し訳なさそうにするカーレンに、むしろアースドラゴンのせいで終始声も出せず、居心地を悪くしてしまったことを詫びた。
「気を付けて。さっき頼んだこと、無理だけはしないで」
馬車から降りる際にそう伝えると、カーレンは微笑んで返してきた。その笑みには、恐怖に立ち向かうような、まるで吹っ切れたような覚悟が灯っていた。レイには、それが危うく見えてならなかった。
目の前を走り去っていく馬車を見送って、レイは雨具のフードを目深に降ろした。
「……行こう」
雨具を叩く雫の音にかき消されないように、控えめにだがはっきりそう伝えると、クラウスが小さく頷いた。差し伸べられたクラウスの掌に、大きな雨粒が落ちては跳ねているのが見え、レイは慌ててその手を取った。
雨の音に負けない澄んだ魔力の共鳴音が、耳の奥に響く。冷えた指先の奥に感じる温かな体温で、暖を取るようにじんわりと熱が伝わってくる。
クラウスはレイに体を寄せると、そのまま素早く結界を張った。結界の構成を読み解くと、強度としては初級と中級の間ぐらいの結界で、雨と一定の風速以上の風だけを除外するような構成だった。雨が結界を叩き、滑り落ちて行くのが見える。レイはお返しと謂わんばかりに、風魔法をアレンジして互いの雨具に滴る水を乾かした。その余波で結界の中がふんわりと温かくなる。
レイがにこりと微笑むと、クラウスも軽く笑みを浮かべ、そのままレイに抱き着いた。
「――わっ!」
驚くのも束の間、いきなり体をひょいと持ち上げられる。再びクラウスの魔力が瞬時に練り上がり、隠密魔法と身体能力強化魔法が行使された。隠密魔法は、レイと二人分である。
レイを抱きかかえながら目にもとまらぬ速さで走り始めるクラウスの腕の中で、レイは流れていく景色に驚きながらも、クラウスの魔法の構成をうっとりと眺めていた。――実際に洗練された隠密魔法をかけられて思う。やはり、自分が作ったあの名ばかりの隠密魔法薬とは全く違う。行使された魔法の影響を受けている自身の魔力の状態も、体への負担も、クラウスの魔法がレイとの相性がいいことを加味しても遠く及ばない。
これを魔法薬にするとしたら、あとは何が足りないんだろうか。そんなことを考えながら、ふと腕の中のドラゴンに目をやると、確かにそこにいる感触がするのに、姿は見えない。クラウスの隠密魔法の構成は二人分だった。となれば、恐らく仔ドラゴンが自ら隠密魔法を行使しているのだろう。
仔ドラゴンでも隠密魔法が行使できるなら、転移させられた瞬間、隠密魔法を行使すればよかったはず。――あの転移が、仔ドラゴンを守る行為だったのであれば。
クラウスが更に風魔法を行使し、足音を消した。ザルハディア王国の道路に施工されている排水技術は素晴らしい限りで、水溜まりはないに等しい。跳ねる雨音で目立たない足音でも、どうやら彼は気になったらしい。
「ケリーのところへは、どれくらいでつく?」
「もうすぐだ」
短く答えられ、ならばもう着くと連絡を入れておいた方がいいかと、レイはポケットを漁った。しかし、言ったら逃げられる可能性もあるのかとも考えられ、逡巡する。指が小型通信魔法機器に触れるが、迷っているうちに見覚えのある景色に差し掛かる。
クラウスという男は、既にこの首都の地図を把握しているのだろうか。レイと出会う以前の任務で訪れ、勝手知ったるところなのかもしれないが、それでも慣れない土地で視界も悪い中、こうも最短距離で来れるというのがレイにはない能力だ。
貧民街に差し掛かると、クラウスは跳躍して屋根の上を走った。おそらく貧民街の道はきちんと整備されていないためだろう。屋根も決していい造りとは言い難いが、それでも骨組みの部分は強く作られている。
風魔法で消せない振動は、クラウスの身体能力で響かせていないのだと思うと、このスピードで移動できることも理解できない。今更ながらこの化け物を育てたタールマンという存在の底知れなさと、それに応えたクラウスの努力を考えると頭が垂れる。
ふわりと体が浮くような感覚と共に、クラウスが屋根から飛び降りる。しっかりと腕の中の見えないアースドラゴンを抱えて、レイは身を固くした。身体能力強化をしていると言っても、クラウスの両腕にかかるレイとアースドラゴンの重量を考えると、落とされはしないだろうが自然とその衝撃に備えてしまう。
クラウスから風魔法が展開される。柔らかい風が吹きあがり、そして解かれる。まるで猫のような軽い着地音とともに降り立つと、クラウスは隠密魔法を解いた。
レイ達の隠密魔法が解かれたことを察知したのか、レイの腕の中にいたアースドラゴンも姿を現した。くわぁと静かに口を開いて欠伸をする様子が見え、この仔にとっても快適な移動時間だったようで自然と眉が下がる。
クラウスは腕からレイを下ろすと、ぼろ家の扉を問答無用で押し開け、すぐに閉めた。レイはアースドラゴンを見ていたので、何故そんな行動に出たのかがさっぱりわからなかったが、訝しげにクラウスの方へ目をやると、クラウスもこちらを見ていた。
どうしたのか。と視線で問うと、僅かにクラウスが戸惑ったような表情を見せていた。それでも、もう一呼吸分時間をおいてから、クラウスはそのまま扉を開いた。
中を見ると、変わらない薄汚れた部屋の奥にあるベッドの上に、二人の男性の姿が見える。ケリーが慌てた様子で開けたシャツを整えており、組敷かれていたコリントは顔を覆っていた。
レイはアースドラゴンの目を手で覆いながら部屋の中に入ると、クラウスが呆れたような表情を浮かべながらドアを閉めた。
「……来ることは分かっていただろう」
「せめてノックしろよノックをよォ!」
クラウスの冷ややかな視線と言葉に、ケリーが顔を歪ませながらそう言った。
「夜に尋ねるときは近隣住人へ勘付かれても面倒だから、ノックは無しだと言ったのはそちらだろう」
動じずにクラウスが言い返すと、声を詰まらせながらもケリーの視線が次の標的と謂わんばかりにレイに向けたので、レイは視線を彷徨わせながら、何と言うか迷いながらも口を開いた。
「まぁ、その……調律は怪我に響かない程度なら治癒にもいい傾向が見られると思うが怪我人が上の体位というのは足への負担を考えるとあまり推奨できるようなものでもなくて……ええと――」
早口でまくし立ててみたものの、何を言っているのか自分でも分からなくなってきたところで、ケリーはため息を吐いた。
「すまん。悪かった、悪かったから……そうこちらの状況を冷静に受け取られても、立つ瀬がねぇ……」
ケリーが自分のシャツのボタンを留め終わったところで、ベッドに腰かけた。コリントは掛布団にもぐりこみ、もぞもぞと動き始めている。
きゅあぁと声を上げながら、レイの腕の中にいるアースドラゴンが不満そうに顔を振り、目を覆う手をどかそうとしている。とりあえず見てもよさそうな状態になったので、レイも「ごめんごめん」と言いながら手をどかした。
アースドラゴンの子供がふわりとレイの腕の中から飛び立つと、レイの前にあった木箱の上に降り立った。
「コイツが件のアースドラ――」
ケリーが言葉を発した瞬間、アースドラゴンの子供は瞬く間に木箱を蹴ってケリーに襲い掛かった。木箱が宙を舞い、反射的にケリーが魔力を練り上げようとしたのが分かる。しかし、呪いのためにうまく練り上がらなかったのか、翳した手がびくりと痙攣したのが見えた。
レイの隣でクラウスの魔力が展開され、鞭のように伸びてアースドラゴンを絡めとる。アースドラゴンの牙がケリーの腕に届く寸前で、クラウスの魔力の鞭がピンと張りつめる。
がちんっとアースドラゴンの牙が空を噛むと、魔力の鞭に引っ張られるように、クラウスの腕の中に納まった。尚もぎゃぁぎゃぁと暴れるアースドラゴンに視線を落としながら、クラウスは静かに口を開いた。
「……これで、このアースドラゴンが何に攻撃的になるかが分かったな」
その言葉を聞いて、ケリーに怪我がなかったか確認した後に、レイも頷いた。
「この仔は……呪われている者に対し敵対行動をとる」
二人で頷き合ったところに、冷や汗を拭いながら、ケリーは呟いた。
「……お前ら、俺で実験しやがったな」
ケリーの恨み言を、レイは眼鏡のズレを直しながら無視した。
コリントが布団の中で衣服を直している間に、レイのお説教は終わらなかった。レイによる用法を守らない上に安静にできない患者への熱烈な指導は、体格のいいケリーが一回り小さく見えるぐらいしょんぼりと縮こまらせた。その姿を、クラウスの腕の中で仔ドラゴンがじっとすました顔で見ていた。
「レイ君、その辺で――」
「コリントもなんで止めなかったんだ。俺は骨の整復は専門外なんだぞ。ずれたまま変にくっついてみろ。後々困るのはケリーじゃないか」
次の矛先は、バディを組んでいるコリントに向いた。コリントはやれやれと謂わんばかりに肩をすくめてレイを見据える。
「困らせておけばいいよこんな分からず屋」
「おい?」
言い訳でもなく突き放す一言をくらって、流石のケリーも割り込んだ。しかしコリントからの冷ややかな視線を受けて、ケリーは「あれ?」と首を傾げることになる。
「足折れてるくせに現場に来るわ、矢面に立って前線出ようとするわ、最後には雨に濡れながら現場の裏口でひと悶着。帰ってきたら寒いから抱かせろとか言ってくるくそ野郎なんか、足の一本ぐらいじゃどうせ反省しないでしょ」
コリントの口からすらすらと流れるように出てくるケリーへの不満に、レイはじっとりとケリーを見つめ、ケリーは慌てるように手を振った。
「いや、最後の! 最後のあれは、ただの調律の誘い文句というか……いやお前だって別に満更でもな――」
「魔力が呪われてるのに無理を押して動いた相方のケアを考えるのは普通でしょ。でもよく考えてみれば全部自業自得じゃないか!」
弁解のべの字にもならないようなケリーの主張を、コリントがすっぱりと切って捨てた。それでも食い下がろうとするケリーの気配を察してか、コリントがベッドの隣にある木箱に腰かけて口を開いた。
「でもそんなこと言ってたらずるずる言い訳タイムが始まるでしょ。聞くのも煩わしいから話を進めよう」
「……俺の相方、容赦ねぇ」
コリントの言葉に、ケリーが深く息を吐いて項垂れた。そんなケリーを視界に入れるのも嫌と謂わんばかりに、コリントがくるりとクラウスの方に体を向けて座り直すと、一つ咳ばらいをしてから話し始めた。
「まず、状況として、カーレン嬢との協力関係は結べた、と見て良いとは思う。安易にあそこでマディとサマンサの話を出さなかったのも、今思えばいい判断だったかもね」
コリントのまさかの言葉に、レイは目を丸くして「本当か?」とクラウスを見上げた。依頼されていた二人の救出への協力要請が全くできなかったことに、むしろレイは苦言の一つぐらい溢されると思っていたのに、まさかそんなことを言われるとは思っても見なかった。
見上げた先のクラウスも、こくりと頷く。
「……スパイ行動について、母の単独行動じゃなくフォーリォル家が関係しているということは、ひいてはカーレンがこちらの情報をフォーリォル家に渡す可能性だってある」
「もう少し、様子を見たいところだよね。でも結果として、あの理不尽な宣誓魔法は非常にいい働きをしたよ」
クラウスの言葉にレイは眉を顰めたが、コリントは構わず続けた。
「『リーンはフォーリォル家の命令で動いていたが、詳細についてはカーレン嬢は知らない』。時間の関係でこちらが欲しい確定情報はこれしかなかったけど、時間経過後に話した内容を聞いても、情報に齟齬は感じなかったし……それにね、レイ君。君はすごいことを約束させたんだよ?」
コリントの一言に、レイは訳が分からず片眉を跳ね上げた。その表情を見て、やれやれと首を振ってコリントが答える。
「あの宣誓魔法の効果中に、君はカーレン嬢に『知っていることを全部教える』という約束を取り付けてるんだよ」
一瞬、どういうことか分からずに呆けた顔をしてしまった。しかし、コリントが何を言わんとしているのかが分かり、レイは思わず顔を覆った。
「彼女は『嘘を言わない』宣誓をしている間に、『知っていることを全部教える』と約束した。この『知っていること』の定義は曖昧だけど、全部話すというのが宣誓魔法行使中に行えていないわけだよね。だけど、宣誓内容を破ったことによるしっぺ返しが降りかかっていないことからみても、この状態を『嘘をついた』とみなされていないことになる。つまり――」
コリントはここで一度言葉を区切って立ち上がると、俯いてしまっているレイに近付いて肩を叩いた。
「知っていることを全部教える“時間”は今も尚続いていると言うこと。これは、永続的に彼女が聞かれたことに素直に話さなければならない宣誓を立ててしまったことに他ならない。……幸いなことに、君は『“俺に”全部教えて』と言った。だから、レイ君に対して限定の効果だ。――尤も、憶測の域を出てはいないけれどね」
コリントの説明を聞きながら、レイの脳裏に浮かんでいたのはカーレンの顔だった。――もし仮にコリントが言ったことが本当だったならば、カーレンに問いかけた「あの店を選んだ理由は地下の実験場が関係しているか」という問いに、カーレンは答えなかったことについて誓約を破った罰則がおりていないのは道理が通らない。だが、その表情で『教えた』という判定になったのか、レイが察したことがセーフとしてみなされたのか、判断がつかない。
しかしながら、あの軽率な行動がカーレンの命を左右していたかもしれないという事実に、レイは今更ながら震えていた。
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