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第99話 逆鱗
後悔に打ち震えるレイの肩から手を離すと、コリントはそのまま木箱をレイの近くまで引きずるように持ってきて座った。立っているクラウスにも視線で座るように促すと、クラウスはレイの隣に木箱を持ってきてその上に腰かけた。
クラウスの腕の中から、アースドラゴンが心配そうにレイの方へ首を伸ばしている。きゅいっと小さく鳴くと、レイが力なく顔を上げた。目が合ったアースドラゴンは、クラウスの腕の中からレイの方へ移動したいと小さな翼をばたつかせ始める。それを見たレイが小さく微笑んで両手を広げたので、クラウスはアースドラゴンをそっとレイの方へ差し出した。
「あ、俺だけ仲間外れじゃねぇか。おーい」
三人とは離れたベッドの上から寂しそうにケリーが声を発するが、今度はアースドラゴンも敵意を見せず、涼しげな視線を送るだけで留めていた。もしかしたら、先ほどレイがケリーを叱りつけていたのを見て、例えケリーが呪われていたとしても、レイの方が力関係が上ならば害がないという判断なのかもしれない。
「さて、具体的な話を詰めて行こうか」
アースドラゴンの仔に優しく視線を落としているレイの姿を見て、コリントが話を切り出した。
「こちらの推測とカーレン嬢からの情報を鑑みて、十中八九“西エリアで呪いが発生している”と見ていいだろうね。呪いの発生時期は春から。現地民であるカーレン嬢が今年の春と言ってもいるし、オルディアス王国への呪いの浄化薬の大量輸入依頼の時期ともばっちり合うからまず間違いない」
続けて、コリントはレイからクラウスへ視線を向ける。
「そして、レーヴェンシュタイン公爵閣下に呪いをかけていたのはリーンの元恋人で、その媒介をしていたのがリーン。カーレン嬢の話を聞く限り、リーン個人が公爵閣下を呪い殺す動機はなさそうだし、そもそも媒介なんて形を取らなくてもやろうと思えば一人でやってのけただろうね。かといって元恋人が横恋慕から公爵閣下を呪い殺そうとするにしても、結婚当初ならいざ知らず、別れてから二十年以上経ってから実行に移すなんていうのも意味が分からない。となれば、おのずと導かれるのは――」
コリントの言を受けて、クラウスが頷いて続ける。
「……父を呪い殺そうとしたのは、フォーリォル家」
クラウスが出した答えに、一同が頷く。
「問題は公爵閣下を狙った理由もだけど、何故わざわざ庭師を使う必要があったかって話。リーンがスパイとしてレーヴェンシュタイン公爵家に送り込まれていたのであれば、リーンに命令すればいいだけの話だよね」
コリントが木箱の上で足を組むと、膝の上で頬杖をつきながら疑問を投げかけた。
沈黙が下りる。その疑問に対し、誰もその答えを持っていないのだから当たり前と言えば当たり前だった。
「なら、逆だ。『使わざるを得なかった』」
まるでくつろいでいるかのように、枕をクッション代わりにして上体を起こしているケリーが、人差し指をぴんと立てながら沈黙を破った。それに対し、コリントが首だけを傾けて、ケリーを見た。
「それこそなんでさ」
「さぁな。でも、それしか考えられんだろ」
コリントが投げかけた問いに、ケリーはあっけらかんと言い放ち、両手を広げて肩をすくめてみせる。その態度にコリントは、むっとして唇を引き結んだ。
レイは、膝の上で背中をこすりつけるようにくるりと転がったアースドラゴンの仔を見下ろしながら、カーレンが投影魔法で見せた三十年ほど前のリーンの姿を思い出していた。
自分は幸せだと一枚の写真を実家にいる妹に送り、手紙のやり取りも少なくなっていったというリーン。それでも、十年ほど前にはクラウスの婚約破棄の話を手紙で書いていたと言うことは、細々とやり取りは続いていたのだろう。
リーンという女性のことを、レイは知らない。クラウスのことを愛称で呼び、それを彼が目を細め懐かしむぐらいには、自身の子へ愛を持って接していた母としてのリーン。そして、レーヴェンシュタイン公爵閣下に毒を盛った挙句、呪い殺そうとしたスパイとしてのリーン。そして、今わの際にクラウスの頬に傷をつけ、「ただ、憎い」という言葉を遺したリーン。そして、死に場所 に残された、あの魔力の残痕から香る深い悲しみと、愛憎――。
人は多面的な生き物であるが故に、理解が及ばないものではある。だが、その多面的な姿も、行動原理となる根幹はきっと一つだ。
辻褄を合わせるように妄想を膨らませ、レイはぽつりと呟いた。
「……人質?」
全員の視線が、その一言を零した本人に集中する。
「ありえない……とは言わないけど、二十年以上前の元恋人を人質にとるって、どうなの?」
コリントが天井を見つめながら検討を始めた。それに対し、ケリーが枕から上体を起こして口を開いた。
「いや、あながち悪くねぇ。その庭師ってのが魔法使いなのかどうかも分かんねぇけど、国外の知らない奴を呪うってのは並の術者じゃできねぇ話だ。やれたとしても、一瞬で命が燃え尽きちまうだろうさ。もう気持ちが向いてねぇって言っても、苦い思いをしながら別れた恋人の命を天秤に掛けられちゃ、従うしかなかったっていうのは、ままある話だろう」
ケリーの言葉に、コリントは眉間に皺を寄せながら首を捻る。
「つまり、『元恋人に呪わせるから、コイツの命が惜しくば、お前が媒介となって呪いを繋げ』って実家に脅されたから、仕方なくやったってこと?」
「あるいは、スパイ活動自体が、元恋人の命を握られてやむなくってやつだったのかもしれん」
ケリーの言葉に、レイは頷いた。それこそが、レイが思い至った妄想の終着点だった。
恋人と引き離されるようにオルディアス王国に嫁ぎ、そしてレーヴェンシュタイン公爵閣下に惹かれてしまったリーンは、両国に想い憂う対象を持ってしまった。「自分は幸せだから皆息災でいるように」などと手紙で書けるということは、恐らく庭師にはきちんと別れを告げてから嫁いできたのだろう。それでも、人は情を持つ生き物だ。嫌い合って別れたわけでもない相手が、別れた後どのように死んだってかまわないなどと簡単に割り切れるものでもない。
人の命を盾に取られれば、罪だと分かっていても手を出してしまう。例えそれが、愛する者を裏切る行為だったとしても。罪悪感との板挟みは、リーンという人間を歪ませてしまったのかもしれない。――だがそれでも、クラウスの頬に傷をつけなければならなかった理由には、思い至れない。
レイはそっと隣に座るクラウスに視線を向けた。その視線に気付いたのか、クラウスもレイの方に視線を向ける。
クラウスの藍色の瞳はレイを見てはいたが、レイを通してどこか遠くを見ていたようにも思えた。じっと交差する視線は、クラウスが軽く笑いながら目を伏せたことで切られた。
「――『どちらも真実』、か」
懐かしむようにぽつりと呟いたクラウスの言葉は、レイ以外の耳にはどうやら入らなかったようだった。
「ま、結局、推測の域を出ないね。やめやめ」
コリントが手をひらりと振って、話題を切り上げた。足を組み替えて次の議題に移る。
「次に呪いの発生条件についてなんだけど……その前に、レイ君。念のためもう一回僕のこと診てくれる? ま、その仔の反応を見る限り大丈夫だと思うけど」
コリントがアースドラゴンの仔に視線を落としながらレイに手を差し伸べた。レイは一瞬驚いて眉を上げたが、頷いてその手を取った。魔力をコリントに流して解析魔法をかける。
「……呪われてはいない」
「だよね」
力強く頷くコリントにレイは首を傾げながら手を離した。当のコリントは一度全員の顔を見るように頷きながら、にっこりと笑った。
「あのゲーヴナー伯爵令息の店『フォレ・ジヴォワ』を調査するにあたって、昨日、西エリアに行ってたんだよね」
「はぁ!?」
コリントの爆弾発言に、いの一番に声を上げたのはケリーだった。
「おまっ!? なんでそんな勝手なこと相談もなしに!」
「相談したら止めたでしょ。それに、ケリーの案だと無関係の協力者を呪いに晒す可能性があったんだよ。……ケリー、もしルミアの孫を呪わせてごらん。僕らに待ってるのは、確実な死だよ」
尚も食い下がろうとしたケリーの言葉を遮るように、コリントは付け加えた。その言葉にケリーは声を詰まらせ、ため息一つ吐きながら不機嫌そうにベッドに横たわった。黙った相方から視線を外して、コリントは何事もなかったかのように話始める。
「朝からインターバルを置きつつ、西エリアに滞在。都度魔法を行使して魔力と体の状態を確認しながら調査したけど、結局呪われるに至らなかった。でも、この結果はカーレン嬢との証言と呪われたケリーや平民たちの現状と食い違う。よって可能性としては――」
コリントが分かりやすいように、宙に魔力で文字を浮かべ始める。
「一、『春に一回、約二週間前に一回、呪いが行使された』。二、『定期的に呪いは行使されているが、たまたま昨日は行使されていない日だった』。後者の場合だと、明日はどうか分からないね」
空中に浮かぶ箇条書きの魔力文字を皆が見上げる。くあっとアースドラゴンの仔が物珍しそうな声を上げ、レイの膝の上に立ち上がる。少しアースドラゴンの爪が食い込んで痛みが走るが、レイはそれを眉を寄せて耐えた。きらりと水色に光る二行の魔力の文字はしばらく宙を漂っていたが、次第に中心に集まり、もう一度広がった時には『広範囲の呪いの正体は?』と形を変えた。
「さて、加えて現れたこのアースドラゴンの仔。この仔が、呪われた対象者に敵意を持っていることは分かってるわけだけど……別にアースドラゴンに呪いと敵対する本能があるとかは聞いたことはないな……知ってる?」
「聞いたことはない」
コリントが近くにいたクラウスに問いかけると、クラウスは短くそう答えた。コリントが順に仲間へ視線を合わせていくが、レイもケリーも静かに首を振るだけだった。
小さくため息を吐きながら、コリントがアースドラゴンを覗き込む。
「君、名前は? 人語が話せたりしない? ザルハディア王国の言葉でも無理?」
一縷の望みをかけて紡がれる言葉も、アースドラゴンの仔はただ黙ってコリントに首を傾げて返すだけだった。しばらくそのまま見つめ合っていたが、興味を失ったのかレイの方を見上げるアースドラゴンに、レイは苦笑して小さな顔を撫でようと人差し指で額に触れた。その指にアースドラゴンの方から顔をこすりつけるように動かし始め、次第に指へこすりつける範囲は体全体へと広がった。幼体のためか、まだ鱗が薄く柔らかな弾力があるが、爬虫類のそれとはまた違った感触が指を伝ってくる。
アースドラゴンのまるで猫のマーキングのような行為に、レイは首を傾げた。
「……ドラゴンにマーキングの習性とかもあったっけ?」
レイの独り言を、コリントが片眉を上げながら拾う。
「自分よりも下等な生物に対して?」
「言われて見れば確かに……庇護対象として見られているんだろうか」
ケリーに倣って逆転の発想をしてみたが、それもなんだか腑に落ちない。
「この仔が出現したときの状況は、馬車でカーレン嬢の話を聞きながら移動している時だったよね? 詳しく説明してくれる?」
コリントがレイに撫でまわされるアースドラゴンを見下ろしながら聞いてきたので、レイは一度手を止めたが、アースドラゴンが「もっと」と謂わんばかりに手に体をぶつけてきたので、今度は両手で撫で繰り回しながら答えた。
「カーレンと情報交換をしていた時に、馬車の上空で魔力の歪みを感じた。それはまるで、タールマン様が転移魔法を使った時のような歪みに酷似しており、何かが来ると思った俺は、クラウスに結界を張るように言った」
レイの言葉を受け、コリントがクラウスの方へ視線を向ける。すると、隣に座っているクラウスが促されるように続けた。
「張ったのは上級結界。魔法耐性と物理耐性の両方に強度を増した形で張って対抗したが、解除されるでもなく正面突破された」
クラウスの一言に、コリントとケリーの表情が歪んだ。クラウスの上級結界の強度を知っているのだろう。それをも破るだけの力を持った仔ドラゴンが、今はレイの膝の上で嬉しそうに体をくねらせている。
「結界を破り侵入してきたこのアースドラゴンに、レイが攻撃用魔法薬の入った弾丸を発射し、一度氷漬けにした」
クラウスが続けた説明に、ケリーがヒューッと口笛を吹いた。その音にアースドラゴンがすぐさま反応して、じっとケリーを警戒するようなそぶりを見せた。軽率な行動をとったケリーにコリントの冷たい視線も飛び、ケリーは苦笑しながら両手を上げた。
「先生、すげぇんだな。アースドラゴンを無力化できる魔法薬か」
ケリーの軽口に、レイは小さくため息を吐きながら呆れまじりに頭を振った。
「違う。アースドラゴンは氷に弱い。それに、幼体だったから封じ込めが出来ただけだ。たまたま、運が良かった。それだけの話だよ」
アースドラゴンは森に生息しているものの、寒さに弱い。寒くなる前にアースドラゴンは地中深くにもぐりこみ冬を越し、雪が溶けた頃合いに地面から顔を出すといわれている。ただ、昨今は人間やエルフに化けて冬を越す者も出てきているというのだから、もしかしたら越冬に適した動物や魔物に化けて冬を越していた可能性もあるのではないかとみられている。そういう意味では、アースドラゴンは自分達よりも下等な生物をうまく利用できる柔軟な存在なのかもしれない。
「じゃあ、レイ君の攻撃で封じられたから、そこに上下関係が出来て……今、そんなんなっちゃってるわけ?」
コリントが、嬉しそうにレイの膝の上でごろごろと転がっているアースドラゴンを見下ろしながら、面白そうに聞いてくる。
「そう……なんですかね?」
レイは色々な指でアースドラゴンを優しくつつきながらそう応えたが、脳裏では違う可能性を考えていた。――ブルードラゴンの王・ヴェーゼルゴンから施された加護。レイにはそれがある。
幼少時、魔力回路の先天的な欠陥による魔力暴走で死にかけたレイが、治療後にルミアに連れられ訪ねたのが、霊峰ヘイムディンズに棲むヴェーゼルゴンだった。ルミアと旧知の仲であるヴェーゼルゴンに、レイは加護を授かった。おかげでとりあえず魔力が暴走しない程度には魔力回路は使えるようになり、現在もその加護は継続している。
ヴェーゼルゴンから加護を授かった当初、体の楽さに加え、圧倒的な力と大きさとかっこよさを目の当たりにした幼いレイが、命の恩人ともいえるヴェーゼルゴンに幼稚な恋心をぶつけてしまったのを、今でもレイは恥じている。
そのブルードラゴンの王から施された加護が、もしかしたら何らかの作用を起こし、アースドラゴンの仔を惹きつけてしまっているのではないか。レイはそう考えていた。
――きゅわっ!
不意にアースドラゴンの仔が悲鳴に近い鳴声をあげ、レイは慌てて手を引っ込めた。
「ご、ごめん。どこか痛かったか?」
レイが再びアースドラゴンの体を慎重に撫でながら、先ほど触れた翼の根元や脇腹近くを観察していく。アースドラゴンが、柔くイヤイヤと抵抗を見せるが、比較的おとなしく従ってくれた。
真新しいという訳ではないが、できてからあまり時間も経っていないだろう瘡蓋 が見える。瘡蓋の周りの鱗は他と比べると明らかに黒ずんでおり、見るからに痛々しい。
「いったい何が……っ!」
レイははっとして、アースドラゴンの仔の体を隅々まで観察した。腕を上げ、足を開き、翼も広げた。そして、自分の額を押さえながら、深いため息を吐いた。
「なんてことだ……」
「どうした?」
レイの呟きに、クラウスがすぐさま反応する。レイは眉を寄せ、心配そうにこちらを見てきたクラウスを見てから、再び視線を膝の上にいるアースドラゴンの仔に下ろした。
皆の視線がレイに向いている。レイはそっとアースドラゴンの背を撫でながら、絞り出すように声を発した。
「……無いんだ。剥ぎ取られている。……竜の、逆鱗が」
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