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第100話 閉塞感
鮮度の高いドラゴンの鱗は、極めて希少価値の高い素材だ。例え指先のさかむけぐらいの小さな鱗でも、内包される魔力の量・質は、S級魔力石に匹敵すると言われている。ただし、それも“逆鱗”については話は別だ。
生まれた時からドラゴンの体のどこかにあるといわれている、一枚だけ鱗の流れに逆らうように生える“逆鱗”。ドラゴンの急所といわれているその鱗は、転移装置の触媒として使用されれば世界の果てまで飛べるだとか、喪った命を蘇らせる蘇生薬をも作れるとも謂われている。――実際、蘇生薬のレシピなんてものがあるわけではない。しかし、失った脚をも生やせるという最上級回復ポーションを作る材料として、鮮度の高いドラゴンの鱗が用いられるため、逆鱗ならば命さえも蘇らせるだけの力があると謂われるのは、致し方ないことかもしれない。
「……密猟者がいるということ?」
コリントが神妙な面持ちで聞いてきた。
「密猟者なのか、違法飼育なのかまでは分からないが……恐らく」
その問いに対し、レイはアースドラゴンの瘡蓋を見つめながら、苦しげに答えた。
ドラゴンは、禁猟対象・飼育保管禁止生物に指定されている。理由はもちろん、天災級の力を持つ存在に喧嘩売る行為は、人類をも危険に晒すことに変わりないためだ。
素材の希少性により、欲深い人間が徒党を組んでドラゴンを狩ろうとした時代もあったらしい。もちろん、非力な人間がドラゴンに真っ向から向かって行って勝てるわけもなく、その強き鱗はあらゆる魔法、あらゆる武器を弾き、襲い来る者をその爪と牙で葬った。
しかし、人から見て脅威となる程の存在にとって、人間とは質の高い肉を持ち、ひ弱なくせに良質な魔力を保有する絶好の餌でもあった。――だからこそ、人の味を知った生物は、どんなに希少価値が高かったとしても、その素材のために飼育することは許されておらず、殺処分対象となる。それは、ドラゴンさえも例外ではない。
かつて、伝説の魔術師ルミアがブルードラゴンとの間に不可侵を約束させた事件があった。何の因果か、ブルードラゴンの幼体が人里に降り、人間を喰らってしまったのだ。
ブルードラゴンが棲む北の大国とオルディアス王国を分ける、霊峰ヘイムディンズ。その麓には、ドラゴン信仰が今も根強く残っているため、そのブルードラゴンの幼体が降りた村の人々は、ただひたすらに、その仔を平伏して迎えた。無辜の民であった。
人類はブルードラゴンの幼体に対する討伐隊の結成を余儀なくされた。しかしながら、討伐隊など編制したところで、それは餌をやるのと同義ではないか? そう考えたオルディアス王国と北の大国は、ザルハディア王国で起きたモンスタースタンピードを一人で食い止めた“化け物”の派遣を決めた。それが、当時まだ二十歳そこそこのルミアだった。――そして、ルミアはオルディアス王国よりヴェルノットという姓を賜ることになる。
項垂れるレイの額に、アースドラゴンが顔を寄せる。まるで、こちらの心に寄り添おうとするかのような行動に、レイは目を伏せた。
「……痛かっただろうに」
まだ体が出来上がっていない幼体から逆鱗を剥ぎ取る行為が、どれほど恐ろしい行為か。大人のドラゴンですら気絶するほどの痛みを伴う行為が、この幼い体に降りかかったなど、想像を絶する。
「呪われた人間に敵意を持ち、恐らく人間に逆鱗を剥がされたドラゴン。そして、人には行えない規模で行使される呪い……こりゃぁ……」
ケリーが顎を撫でながら苦々しく呟く。
「呪いの行使者は……ドラゴン、か?」
重い沈黙がその場を支配する。全員の視線が、レイの膝の上に乗るドラゴンに集中した。
レイは、アースドラゴンの背に手を添えて、何も言わずにそっとその背に魔力を流した。ドラゴンを診たことなど過去にはない。そして、魔法の抵抗力も高いドラゴンへの解析魔法は、困難を極めた。表面的な情報しか拾えない簡易的な解析魔法の行使でも、全力で挑まないと容易に弾かれてしまいそうだった。
アースドラゴンの仔の魔力からは、新緑のような伸びやかで澄んだ匂いがした。魔力の性質も人間のそれとはまったく違うために判別は難しいが、少なくともレイの精神を逆なでするような忌避感のある呪い独特の悪臭はしない。
「……少なくとも、この仔は呪いの行使者ではない……と、思う。まぁ、呪印があったとしても鱗で見えないが」
レイは所見を述べた。禁忌魔法の行使により魔力が呪われ呪印が現れるのは、エルフやドワーフなどの他種族でも同じだ。であるなら、恐らくドラゴンが行使者だったとしても、変わらないだろう。
「アースドラゴンが人間への意趣返しとして呪いを行使している。もしくは、剥がされたアースドラゴンの逆鱗を触媒として人間が呪いを行使している……どちらも考えられるね」
コリントが宙に浮いている魔力文字を消しながら、静かに可能性を示した。それに対し、ケリーが眉を寄せる。
「瘡蓋があるってことは、そいつの逆鱗が剥がされたのが最近だろ? 春からの呪いはどうなる? 時期があわない」
ケリーの指摘に、コリントはまるで嫌な想像をしたかのようにぐっと唇に力を入れた。
「……逆鱗が生える周期がどのくらいなのかによるね」
苦しそうな表情を浮かべるコリントに、レイは小さく手を上げた。再びレイにみんなの視線が集中する。
「先ほど、この仔が転移してきたときの話をしたが……実は言い忘れていたことがある」
「え、何……?」
レイの言葉に、コリントが恐々と続きを促してくる。レイは再びアースドラゴンの仔の顔へ視線を向けながら、答えた。
「転移魔法で感じた魔力の歪みは、この仔と非常に酷似した、別の魔力だった」
コリントがため息を吐きながら頭を抱えた。組んでいた足を下ろし、もう何も聞きたくないというかのように頭を下げてしまう。それを見ていたクラウスが、コリントの代わりに口を開いた。
「……少なくとも他に一体、アースドラゴンがいる……ということか?」
こちらを見て来る藍色の瞳に、レイはゆっくりと頷いた。
雨は上がる気配を見せない。呪われている体に、雨が運んできた冷えは沁みるように痛む。
氷漬けになったスカートが乾ききる前に帰宅し、カーレンはすぐに湯に浸かった。膝が真っ赤になっており、凍瘡 のようになっていた。芯まで冷えた体を、湯がじんわりと温めてくれる。
今朝早くから、自分を磨きあげてくれた母付きの侍女たちは、カーレンの顔色の悪さに驚いていたようだったが、何も言わずに湯の準備をしてくれた。普段は湯あみの担当ではない侍女たちも二人ほど浴室までついてきており、カーレンは怪訝な表情で見つめたが、つんと澄ました顔のまま壁際に立っているだけだったので、気にするのをやめた。
湯からあがり、体を拭いて部屋着に着替えていると、衝立の向こう側で小さくクスリと笑う声が聞こえた。
「……だから、お嬢様に限って婚前交渉なんてあるわけないって」
「でもほら、もう後がないじゃない。ご当主としても、万が一というのを確認したかったんでしょう」
嘲笑とともに小声で話しながら部屋を出て行く侍女二人を、母付きの侍女が顔を真っ赤にして追いかけようとしたが、カーレンはそれを引き留めた。小さく顔を振ると、母付きの侍女は悔しそうに唇を噛みながら、カーレンの髪をタオルで拭いていく。
婚約破棄をして以降、フォーリォル家におけるカーレンの立ち位置は決して良くはなかった。もちろんそれは、当主である祖父の意向にカーレンが添わなかったからである。当主の孫であるカーレン付きの侍女は剥奪され、何かを頼むときはいつも母付きの侍女が気を利かせてくれていた。
部屋で食事をとるというと、母付きの侍女は部屋を出て行った。今日の夕食はいらないと伝えてあったのに、結局お茶の時間もほぼ何も口にせずに終わってしまったため、流石に何かお腹に入れようと思ったのだ。
誰もいなくなった部屋で、カーレンは壁にかかった銀薔薇の絵を眺めた。砂漠のように乾いたカーレンの心に、凛と気高く咲くあの人の銀色。――失恋したのに、おなかが減るなんて。貴女 、結構神経が図太いんじゃない? 自虐的に胸中で呟いて、カーレンは目頭を押さえた。
失恋はした。でも、抱えていた罪悪感から彼は救い出してくれた。それに報いるためには、行動で返さなければいけない。
カーレンは、使命感に燃えていた。彼の恋人にはなれなかったが、頼れる親戚としてでも、彼の中に少しでも自分の価値を良いものとして残しておきたかった。――もしかしたら、誰かの中に自分の居場所を作りたかったのかもしれない。
運ばれてきた遅めの夕食は、温められた残り物のスープと、少し硬くなったパン、果物が少し。申し訳なさそうに持ってきてくれた侍女に、カーレンは礼を伝えた。カーレンの立場で、この時間帯にこれ以上の夕食にありつけるなどと本人も思っていなかったし、正直、呪いが進行している今、胃の方がこれ以上のものを受け付けてくれない。簡単な魔法とはいえ、呪われた魔力で投影魔法と宣誓魔法を行使したことが、尾を引いている。
さっさと夕食を胃に流し込んで、カーレンはそっと人気 のない廊下に出た。
祖父と母は、呪われていることが発覚してから就寝が早い。生きている限り魔力は循環し、消費される。呪われている限り消費された魔力は、汚染された状態で新たに生みだされてしまう。浄化薬を使用すること以外に呪われた魔法使いができることといえば、体の状態を整えることで魔力のコンディションを良くし、生命維持に使われる魔力の消費を抑えることで対抗することぐらいしか現状はない。
家人が寝静まれば、使用人も早く仕事を切り上げることができる。本当にレイが言っていたように、西エリアで広範囲に呪いが広がっているのであれば、非魔法使いも例外ではない。非魔法使いであっても、呪われていれば「なんとなく調子が悪い」と自覚症状も出てくる。となれば、夜になれば明日のことを考えてさっさと寝てしまう人が多いことだろう。
祖父の部屋と母の部屋を調べるなら、絶好の機会なのである。
足音を立てないように慎重に足を運んで、暗い廊下を歩いた。寒い時期のため、底冷えしないように敷かれた分厚い絨毯がそれを助けてくれる。
カーレンは迷わず祖父の書斎に向かった。母に届いていた手紙に関しては、もしかしたら交渉次第では見せてもらうことができるかもしれない。それならば、『デートに行ったのに手も出されず、濡れねずみになって帰ってきた傷心の孫』と侮られている間に行動を起こしてしまうのが一番いい。
祖父の書斎は、館の中央にある。どこから侵入されたとしても、人の目があり、無事に帰るにしても一番遠い道のりとなる。
そして気を付けなければならないのは、書斎に近付いた時だ。一定範囲に入ると、屋根裏に侵入した小動物ですら感知してベルを鳴らす結界が敷いてある。これは家人ですら例外ではなく、スパイ業を生業としている祖父の用心深さを表しているといっても過言ではない。
侵入した際に鳴るベルの場所は計三か所。祖父の寝室と、食堂、玄関ホール。これを掻い潜る方法を、まずは探さなければならない。
祖父の書斎に近付いて、カーレンは足を止めた。そっと絨毯を捲って、結界の境界を探した。しかしながら、今日に限っては見当たらない。訳が分からず、カーレンはじっと天井や壁に視線を這わすが、境が見当たらない。
普段ならそこにあるはずの境界へ、恐る恐る足を踏み入れる。分厚い絨毯の感触がルームシューズの裏に伝わり、それだけだった。
何かがおかしい。カーレンは首筋に伝う冷や汗を手の甲で拭いながら、一歩踏み出した。
書斎の扉に耳を付けると、小さく荒い息遣いが聞こえる。――誰かがいる。しかし、息を顰めるならまだしも、その荒い息遣いは苦しんでいるようにも思える。侵入者が苦しむとはいったい?
カーレンはそっと扉を押し開いた。キィッと蝶番が軋む音が小さく響き、中から聞こえた荒い呼吸音が一瞬途切れた。扉から数歩先に、誰かが床に手を着いてしゃがみこんでいるのが見える。
目が合う。黒髪黒目の女だった。フォーリォル家の侍女服を着ているが、見慣れない。侵入者か、と考えたが、そういえば今年の春頃に新しく雇った侍女だった。フォーリォル家の当主と母が呪われたことにより、身支度においても魔法が使えなくなったことによる人員確保のために二人ほど臨時で雇い入れた者の一人だ。
「こんなところで何を……」
言いかけて、カーレンは廊下に視線を走らせた。誰もいない、人の気配も感じない。慌てて書斎に身を滑り込ませ、カーレンはそっと書斎の扉を閉めた。
黒髪の侍女の退路を断つように扉の前に立ちふさがって、カーレンは侍女を見下ろす。
「……貴女、魔術師ね? この部屋の結界を解いたのも、貴女?」
女の黒い瞳は恐怖と戦う者の目だった。眉間に皺を寄せ、鋭い視線でこちらを見上げている。相変わらず、肩で息をしているようだが、いったい何が――。
そう思った時に、カーレンははっと気が付いた。結界を解くのだって、魔法を使う。加えて、この女は春からここにいるのだ。つまり、西エリアで起こっている呪いを受けている。呪いを受けても尚、魔法を行使して結界を解いたのだ。体にかかっている負担は、尋常ではないはず。そして、魔術師が呪いのリスクを背負ってでも、魔法を行使して結界を解き、祖父の書斎に侵入した。その目的は一体なんだ。
答えない侍女に、カーレンはフッと不敵に笑って見せた。――きっと、レイならそうすると思ったから。
「ねぇ、手を組まない? 私も、どうしても調べたいことがあるの。手伝ってくれたお礼は……そうね。浄化薬一本でどう?」
眼下の女は、驚愕に目を見開いた。しかし、すぐに頷くようなことはしない。こちらの意図を測ろうとじっとこちらの動向を観察してくる。
カーレンは仕方なく、肩をすくめた。
「黙っててあげるわよ。私が欲しい情報が見つかった暁には、貴女を堂々とこの屋敷から追い出してあげるから。それならあなたは大手を振ってこの屋敷から出られるわよ。なんなら貴女が調べたいことも手伝ってあげてもいい」
正直、自分で言っていても破格な交渉だと思う。しかし、カーレンにはここの結界を解くこともできなかっただろう。自分には、どうしてもこの女の力が必要だった。
尚も返事をしない女に、カーレンは小さくため息を吐いた。
「流石にこれ以上は譲歩できないわ。私も暇じゃないのよ。そんなにおじい様の前に突き出されたいなら、私はそれでも構わな――」
「待って!」
女の鋭い声が、カーレンの言葉を遮った。その瞳は迷うように宙を彷徨い、意を決したように強く瞑られた。
「お願い、します。どうか……どうか兄を、助けてください」
息を切らしながら、体を引きずるようにカーレンの足元に這ってきた女は、カーレンの爪先の前でくたりと倒れた。
「マディお兄ちゃんを……助けて」
声を震わせながら懇願する女を見下ろして、カーレンは眉を寄せた。
「詳しく話して」
そっとしゃがみこんで、女の肩に手を添える。レイ・ヴェルノットなら、きっとそうしたはずだから。
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