110 / 119

第101話 ため息しかでない

「……どうしても、一緒に来たいのか?」  困り顔で語り掛けると、きゅぁ~と嬉しそうな声を上げられて、レイはため息をついた。  レイはアースドラゴンの仔をケリー達の元へ置いて行こうとしたが、ドアを潜ろうとするレイの後ろをさも当然のような顔でついてきてしまった。一緒には行けないと諭しても、首を傾げる。大人しく待っててほしいと言っても、瞬きをされる。ここにいて欲しいんだと伝えても、意を解さないと謂わんばかりのつぶらな瞳を向けられて、とうとうレイは肩を落とした。来たいか、という問いに答えられるなら、それまでの言葉も当然理解していただろうに。  どうしたって、世話になっているペリスコット公爵家のタウンハウスには連れてはいけない。あのタウンハウスに張られている結界は、許可した者以外を排除する強い構成式になっている。それはドラゴンだって例外ではない。 「いや、俺としても置いてかれちゃあ困るんだけどよ?」  ケリーが半眼になりながら呆れたような声を出した。確かにケリーにしてみれば、危害を加えてくる相手と同じ屋根の下に居ろというのは問題かもしれない。今は大人しくしてくれているが、レイが居なくなった後はアースドラゴンがどんな行動を起こすのか分からない。 「だが、ペリスコット公爵家の結界が――」  レイが言いかけたところで、クラウスがレイの肩に手を置いた。 「やるしかないだろう」  平然と言ってのけたクラウスに、レイは首を傾げる。それに対し、コリントは半ば呆れ顔で宙を見上げた。 「バレて国際問題になっても責任取れないよ」 「バレなければいい」  涼しげな表情のまま――いや仕事モードでは鉄仮面なのでいつも通りといってしまえばそうなのだが――クラウスが発した言葉に、コリントは「はいはい」と応じる。 「サポートはいる?」  話が通じている二人で会話が進んでいくのを、レイはただアースドラゴンを抱えながら視線で追いかけることしかできなかった。 「不要……と言いたいところだが、頼む」  逡巡したクラウスの一言に、コリントは「へぇ」と感嘆の声を上げた。 「てっきりいつもみたいに、一人でやるかと思ったよ」  コリントの言葉に同意するかのように、ケリーも目を丸くしながら頷いている。クラウスは二人の顔を見た後、レイの方へ視線を移した。 「……私が誰かに頼らないと、心配する人がいるからな」  心配する人とは、この場合どう考えてもレイのことを示しているのは充分伝わるのだが、それよりも、レイは自身の予想を裏切ってくれることを期待して言葉を紡いだ。 「まさかと思うが、やるというのは……」  レイが恐々と尋ねると、クラウスはあたかも当然のように言ってのけた。 「公爵家の結界に手を加える」 「怖いもの知らずにも程があるだろう!」  予想を裏切らない返答に、レイは思わず叫んだ。  ケリーが俺も行きたいと駄々をこねたが、レイの有無を言わせない視線に圧倒されて、そのまま留守番となった。  移動のためにクラウスがレイを抱きかかえようとしたため、流石に人前でそれは恥ずかしいと訴えると、クラウスは仕方ないと謂わんばかりに肩をすくめて先に隠密魔法を行使してくれた。  アースドラゴンはというと、レイの腕の中で隠密魔法を行使し姿を消したので、また心地よい移動をご所望のようだ。クラウスそっとレイを抱き上げ雨よけの結界を張ると、レイは空調魔法を結界内に行使した。それを見てか、クラウスが小さく笑ったのが聞こえた。  来た道を遡るように、一行は北エリアを目指し、降りしきる雨の中を走っていく。今晩は降り続けそうな勢いの雨を、結界がぱらぱらと音を立てながら弾いていく。遠目からよく目を凝らして見ると、不自然に雨が弾ける空間が二つ、猛スピードで走っていくように見えるのだろうと思うと、レイは可能ならそれを外から見てみたいと思った。 「公爵家が張るような結界に手を加えようだなんて、結構豪胆なところがあるんだな」  横抱きにされながらクラウスにそう溢すと、ふっと息を漏らす音が聞こえた。 「勝算があるときでないと、提案はしない」 「流石だな」  クラウスの得意げな声にレイは呆れ顔を浮かべた。隠密魔法をかけた者とかけられた者同士は、互いの姿を見ることができる。レイが浮かべた表情をクラウスは見ることができたはずだが、こちらに視線を落とすことなく、真っ直ぐ前を見据えて走っていく。  だが、見上げたクラウスの顔はレイの言葉について、何か言いたげな表情を浮かべていた。 「……レイも、やろうと思えばできるだろう?」 「できないよ。絶対、魔力回路がオーバーヒートを起こす」  すぐさま答えたが、クラウスは小さく息を吐いただけだった。 「裏を返せば、『魔力回路の問題がなければ出来た』ということだろう。君は、魔法の構成式を読むことに慣れ過ぎている」  降ってきた意外な言葉に、レイは頭の中で公爵家の結界の構成式を思い描いた。非魔法使いが素数を数えるような感覚で、ペリスコット公爵家のタウンハウスに張られていた結界の表面を解読していたのがバレている。あと一歩踏み込めばセキュリティに引っかかるというぎりぎりを攻めるチキンレースを、勝手に一人で開催していたのだ。  ……何故か。ただ単に暇だったからである。 「だが、あの結界は表面しか読んでいない。想像で補完したとして、バレずに行うというやり方は……」  きちんと魔力を通して読み解けば、もちろん細部まで分かるだろう。だが、そんなことをすれば一発で警戒網にひっかかり、敵対行動とみなされて拘束される。  以前、タールマンがレーヴェンシュタイン公爵家の結界を掻い潜って侵入した時のような、そんな高度な技術をレイは持っていなかった。  だが、こちらの心境など構わずにクラウスは唇の片端をニッと吊り上げる。 「レイ、今日君が私のやり方を見たら、きっと試してみたくて仕方がなくなるだろう。断言する」  面白そうに呟くクラウスに、レイは少し気持ちが昂った。オルディアス王国の『王の秘術官』タールマン・ギースが育てた一流の魔術師が、自信満々に語る姿に、わくわくする気持ちが抑えられない。  弾む胸の鼓動に落ち着くよう(たしな)める間もなく、一行はペリスコット公爵家のタウンハウスに着いた――。  祖父の書斎のデスクには、幾重にも鍵がかかっていた。外側から通常の鍵と、鍵穴のない施錠魔法、そして、魔法機構による封印。箱の中に箱をしまうように張られた障壁を、浄化薬を使った侍女――いや、正確にはフォーリォル家に潜入していたスパイ――が次々と突破していく。  彼女の名前は聞かなかったが、マディという庭師の男と共に潜入したという。そして、数週間前にそっと夜中に屋敷を抜け出したところを、不運にもたまたま夜中に起きた馬番に見られたらしい。  そして、追手が放たれた。ところがその晩、雇っていた魔法使い達も目の前のスパイも、ものの見事に皆呪われたという。呪われたマディという庭師は、多勢に無勢で捕らえられ、今は屋敷のどこかに幽閉されているという。  ――いや、幽閉されていると思いたい、の間違いかもしれない。カーレンは目の前で行われる鮮やかな解錠作業を見ながら、胸中で呟いた。  スパイが長く生かされる理由は、あまり思い浮かばない。口を割らないため、というのはあるかもしれないが、どうせ割らないならさっさと不法侵入者として警察に突き出すか、二度と日の光を浴びられないようにしてしまえばいいだけの話だ。  箱の中から出てきたのは、小さく無骨な機械だった。その機械には開閉と記されたボタンの二つしかついておらず、いったい何の装置なのか見当がつかない。少なくとも、その機械の中が開くようには全く見えなかった。  スパイの侍女が、苦しげな表情を浮かべながら、箱の中の機械へ慎重に魔力を流していく。いくら浄化薬を使ったといっても、これだけ頻回に魔法を行使すれば、呪いはすぐに牙をむく。汚染された魔力が魔力回路を流れ、痛みを伴い始めたのかもしれない。 「……これは、私では無理」  侍女が諦念を滲ませながら、ため息を吐いた。カーレンが眉を顰めて侍女を見ると、箱ごとその機械をこちらに差し出してくる。 「フォーリォル家の魔力に反応するようになっている。ずいぶん古い構成。何代も前に組まれてると思う。血族なら裏切らないなんて発想、全く今時じゃないけど、貴女なら反応するんじゃない?」  淡々と語られるその機械の仕様を聞くと、確かに祖父らしくないとも思う。しかし、逆説的に考えたら、それもまた血に縛られる考え方なのかもしれない。  カーレンは機械を受け取ると、開くと記されているボタンを警戒心もなく押した。少なくとも、直系血族に代々伝わってきたものなのであれば、カーレンに害を与えるものではないとの判断だった。そして、押してみないことには、結局これが何を開くボタンなのかも分からなかったからだ。  ブンッ  低く唸るような、魔法機構が起動する音がした。書斎の奥にある壁の一角に光が走り、人ひとりが通れるぐらいの幅の壁がはらはらと軽い音をたてて左右に動いていった。その壁の向こうは、魔法歴史書等が納められた書庫だったはずだ。位置としては書庫の分厚く立派な本棚が多数置かれたその場所の最奥だろう。そっと繋がったその壁の穴を覗くと、地下へ通じる階段が現れた。  興奮冷めやらぬまま、レイは抱えていたアースドラゴンをソファに下ろし、客室のベランダへ出た。空に広がる綺麗な結界は、まるで何事もなかったかのようにそこにある。  見上げる結界の表面は、以前レイが読み解いた結界の構成式と全く一緒だった。中身だけはあんなに弄り倒されているというのに!  振り返ると、レイの様子を見ながら穏やかな笑みを浮かべるクラウスがいる。慈愛に満ちた表情は、やはり先ほどの『結界の大手術』で疲れているようだったが、非常に満足そうだった。 「本当に、すごい」  踊り出したい気持ちを抑えるので精いっぱいになりながら、レイはらんらんとした瞳をクラウスへ向けた。ベランダから暖かい部屋の中へ飛び込むように入り、クラウスに抱き着いて頬へ唇を寄せる。レイの突然の行動に、クラウスは体を硬直させた。 「屋敷にかけられた結界の綻びを補填するように見せかけて、そこから魔力を結界に擬態させて侵入。構成式を少しずつ変容させていくなんて、並みの魔法使いじゃ絶対にできない!」  普段では見られないようなハイテンションのレイに呆気にとられながら、クラウスは満更でもない笑みを浮かべた。 「結界がきちんと管理されていれば、ここまで簡単に侵入はできなかっただろう。ケイデン様が社交嫌いなおかげだな」  クラウスの言葉に、レイは同意するように何度も頷いた。  魔法も日々使われ続ければ綻んでしまう。きちんと定期的に見直し、張り直しや修繕が必要だ。それは、セキュリティの質に直結する。まさに、先ほどクラウスがやって見せたように。  ペリスコット公爵家の結界は、攻略するのには高難易度な結界だった。おそらく、エルフの知恵も入っていたと思われる構成式で、非常に強固で複雑なものだった。しかしながら、堅牢な結界もきちんと管理されていなければ意味を成さない。通常、公爵家ともあれば一か月に一度は結界の見直しをするのが当たり前なのだ。  ペリスコット公爵家の主、ケイデン様は大の社交嫌いであるため、このタウンハウスにいらっしゃることはほぼない。そのため、この結界の修繕管理にそこまで重きを置いていないのであろう。逆にいうなれば、この場所にそこまで重要な機密を置いていないことの証でもある。今回、それが功を奏したと、クラウスは言っているのだ。  クラウスがニヤリと笑みを浮かべる。 「惚れ直してくれたか?」  耳元で囁くように紡がれた艶やかな低音に、レイは陶酔感に身をゆだねるように答えた。 「もう、溺れそうだ」  途端に、クラウスの魔力がざわりと揺れて、濃さを増した。まるで、タガが外れたような様子を見せるそれに、レイはクラウスの顔に視線を向けた。  藍色の瞳の奥に、ぎらりと顔を覗かせている雄の気配が見てとれる。いったい何が彼の男たるところを刺激したのか分からず、レイはただ困惑した。 「なら、少しぐらい褒美を強請っても、許してもらえるか?」 「褒美?」  聞き返すと同時に、レイの尻に手が添えられた。びくりと体を震わせると、そのまま軽々と持ち上げられてしまう。 「な!? ちょっと待っ――!」  言い終わる前にベッドの上に投げ出され、レイはずれた眼鏡を直しながらクラウスを見上げた。その顔はもうすぐそこにあり、クラウスは覆いかぶさるようにレイを組み敷いた。  降りて来た唇をそのまま受け止めながら、レイは混乱する頭で今日一日の行動を振り返る。この男がこんな行動をするときというのは、何かしらの嫉妬心にかられた時が多いのだが、今日においては全くそれが分からない。最後のタガを外したのはおそらくレイが上がったテンションのままにした口付けだろうが、それに至るまでの原因が思い当たらない。 「待て待てどうした落ち着け」  あやすように黄土色に染められた髪を撫でながら、レイはクラウスの昂った魔力に煽られて鳴る五月蠅い鼓動を落ち着かせようとした。クラウスはレイの首筋に顔を埋めながら、ふーっと大きく息を吐く。 「……わからないか?」  呟くように吐露される言葉に、レイは唖然とした。 「まさか、カーレンとお茶をしたことか? 諜報部からの依頼だったと、クラウスも分かっているだろう?」  諭すように言っても、クラウスの魔力は変わらず揺らいでいる。どうやらこれではなかったらしい。 「言ったら幻滅しないか?」  窺うような視線と声色に、レイは渋々頷いた。まずは話を聞かない事には進まない。  一呼吸置いた後に、クラウスがため息を吐いて顔を逸らす。 「……継智の塔の魔法薬士達に、気安く触らせ過ぎだ」  零れた言葉に、レイはぽかんと宙を見た。まさかの数日前の話である。いや、しかしながら距離が近いだけだから気にするなと先に言っておいたはずなのだが。  レイが反論しようと息を吸った時、それを遮るようにクラウスが続ける。 「あのクズに君が追われていたのを見た時には、一時でも離れてしまった自分を叱責した」  クラウスから紡がれる言葉に、自責の念が入り、レイは開いた口をそのまま閉じた。自分の胸の上に乗っているクラウスの体に、話の続きを促すようにそっと手を添える。 「……カーレンが君に並々ならぬ感情を向け、君が誠意をもって対応している姿を見ているのは、嬉しく思う反面、悶々とした。君以上に魔力相性がいい者が現れたとしたら、私が君に正直に告げて別れると? そうだと分かっているから信用しているだと?」  感情を吐き出すような言葉は、徐々に苦しげな響きを纏い始めた。 「まるで、捨てられることを当然のように受け入れるのは何故だ? それは、逆に君に相性がいい者が見つかった時に、君が私を捨てるからか?」 「違う!」  クラウスの問いに、レイは即座に否定した。それでもクラウスが向けてきた藍色の瞳は、不安で染まっている。 「私はこんなにも君の心が離れて行かないように必死なのに、君は飄々として私だけのものになってくれない」  呟かれたクラウスの胸の内を、レイがどう応えるのが最適解か迷っている間に、クラウスの唇が再びレイの唇に重なる。貪るように口内に侵入するクラウスの舌に、レイの全身を離したくないと謂わんばかりに包む悲痛な魔力に、頭の芯がどんどん鈍くなっていく。――ダメだ、答えなくてはいけない。きちんとその不安は摘み取らなければ、新たなクラウスの傷になる。  捨てられるという恐怖を知っているからこそ、植え付けてはいけない。 「――お前に魔力の相性がいい奴が現れたらっ!」  レイは自分の胸の上に乗っているクラウスの体を押しのけるように息を吸った。 「そいつが魔法薬士だったら、俺の方が有用だと証明してみせるし、新たに入ったお前の仕事仲間だったら、隠れ蓑でもいいからお前のそばにおいてくれって、どんだけ無様でも泣いて縋るだろうさ! あんな大々的なプロポーズかましておいて、やっぱりなしになんてできないだろうって、口八丁手八丁で丸め込んでやる!」  クラウスの首に抱き着くように、ぎゅっと後ろに回した手でクラウスのシャツを掴んだ。 「俺がカーレンにああ言ったのは、お前が馬鹿正直に何の策も講じず、俺に情を持って伝えてくれるだろうから、俺が捨てないでくれって懇願できるだろってことだよ! 分かれよ馬鹿!」  何の格好もつかない他責のような言葉が、感情任せに飛び出した。恥ずかしくてクラウスの顔が見られない。今度はレイがクラウスの首筋に顔を埋める番になった。 「……簡単に、俺と別れられると思うなよ」  三文小説に出てきそうな悪い男の捨て台詞のような言葉を、まさか自分が言う日が来るだなんて思ってもみなかった。つくづく、この男が関わると自分を保てなくなってしまう。  ぎゅっと、シャツを握り返される。まるで締め付けるようにレイの背に回った腕に力が込められている。息が苦しい。だが、それでもレイはクラウスへしがみついたまま手を離さなかった。ここで手を離したら、なんだか負けを認めたような気になったからだ。  しかし、クラウスの息も荒い。レイ如きの腕力じゃ、締まって苦しいってことはないだろうに、密着しているクラウスの体が、妙に熱い。――もしかして寒い雨のせいで熱でも出ていたのか? それなのに無理をしてあんな繊細な魔力操作が必要なことをやったのか?  そんなことを考えてクラウスの顔を見ようと体をよじった時、ふと太ももに感じた硬い感触に、レイは今度こそ叫んだ。 「大事な話をしている時に盛ってんじゃないこの下半身節操なし!」

ともだちにシェアしよう!