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第102話 痛みの香り

 恥ずかしそうに魔力を震わせているクラウスの首が、指摘を受けたことでみるみる赤くなっていくのが見える。少しは彼の不安が晴れてくれたと見ていいのだろうか。  言葉にしてしまえば、クラウスの不安とは愛されている自信が持てないことなのだろう。嫉妬深いと自称する程なのだ。こちらが伝わっていると思っている程度の行動で、彼の愛情の受け皿が満たされるわけがなかったのだ。敬愛していた長兄を失い、充分に愛情を注いでくれた実母に裏切られた彼の過去を考えたら、もう少し配慮するべきだった。そこに思い至れなかったのは、こちらの落ち度だ。  クラウスは、充分に愛を囁いてくれているというのに。 「……他には?」  レイは耳まで赤くなっているクラウスに、わざとらしく咳払いをして冷静に語りかけた。――いや、直前に彼の性欲の高さを罵倒した口で何を言っているんだと言われたら立つ瀬はないのだが。  クラウスが、そっぽを向けていた顔をシーツにこすりつけるようにしてこちらに向ける。その視線は、「どうしても言わねばならないか?」と赦しを乞うていた。それを見て、レイは黙ってクラウスの頬に軽く唇を寄せた。  言外の促しを受けて、クラウスは諦めたように小さく息を吐くと、脱力してレイにのしかかった。 「…………アースドラゴンに、結界を破られた。不甲斐ない」  長い沈黙の後、おずおずと絞り出された言葉に、レイは内心首を傾げた。どこが不甲斐ないのか。例え相手が幼体だったとして、ドラゴン相手にむしろよく耐えていたと思う。  逡巡し、はっとする。――ここで俺の初恋話を当て擦るのか! 「……お前が目指してる高みはどこだよ」  苦々しく呆れながら呟くと、クラウスは至極当然と謂わんばかりの視線をレイに向けた。 「君の視線が、釘付けになる程の高さだな」 「これ以上か?」  レイが眉を下げながらそう応えると、クラウスは小さく微笑みながらも、悔しさの滲む視線を下げて自嘲気味に続ける。 「……タールマンなら、恐らく防げていた」  そう答えるクラウスの瞳には、確信めいた何かがあった。  彼の中では、師でありコンプレックスの対象であるタールマンの名前が出たことに、レイは驚きを隠せないでいた。それほどまでに、今日あったあの一件は、クラウスの中で尾を引いていたのだろうか。  思い返してみれば、アースドラゴンの仔は、こちらに害意があったわけではなかったのだろう。もし危害を加えようと思っていたのであれば、結界を破壊した後、こちらが乗っていた馬車ごと攻撃してきたはずだ。しかし、実際はそのまま馬車の屋根を破って侵入してきただけ。真意は不明だが、転移してきた強い魔力を危険と判断し、結界を張るように指示したのはレイだ。  藍色の瞳がゆっくりと伏せられ、薄く開いたときにはレイの方を見てはいなかった。 「君を目の前で失うかもしれない恐怖は、もう二度と味わいたくない。そう思って過ごしてきたが……まだ足りない」  零れた自責の吐露に、かける言葉が見当たらなかった。  夏に、レイはクラウスの前で血を吐いた。不本意な争いであったにせよ、レイもクラウスも、全力を出して戦った。結局は、お互いの魔力が戦うことを拒否したことにより、無理をしたレイが倒れることになった。今でも、それを見たクラウスの青ざめた顔は記憶にこびりついて離れない。オルディアス王国の国王が事の発端ではあったにせよ、互いの価値観と矜持をかけたあの夏の一件は、レイとクラウスが共に手を取って歩き出すには必要なことだったのだと、今ならそう思える。 「……お前にだけその強さを求めるのは、約束が違うだろう?」  レイは、そうぽつりと呟いた。 「『二人で強くなる』って決めたじゃないか。今回は……確かに運がよかった」  そう語り掛けながら、レイはクラウスの背を撫でた。今はもう熱くないクラウスの背は、穏やかに呼吸で上下している。ふと思い至って、レイはクラウスの方を見た。 「初恋がブルードラゴンである俺の気を引こうとして、結界の改変で挽回しようとした、とか……まさかそんなことはないよな?」  冗談交じりにそう言うと、クラウスが閉口した。その反応に、レイが無言でクラウスを見つめた。今思い返してみれば、こちらの関心を引くような言葉が多用されていたように思う。  ただでさえ、好きな相手が珍しく自信ありげな表情を見せてくれただけでも心躍るというのに、なんともうまく乗せられたものだ。  じっと見つめ合うと、不意に視線を逸らされる。分かりやすい答えに、レイは思わず噴き出した。なるほど、彼なりに気を引こうと必死だったというのは、どうやら本当なようだ。  あぁ、好きだなぁ。思わず浮かれてしまう。吸い込まれるように唇をクラウスに寄せようとしたところで、視界が陰った。  ふと視線を上げると、アースドラゴンの仔が音もなく飛んできて、つぶらな瞳をこちらに向けている。視線が合うと、そのままクラウスの背中にとんっと着地した。  クラウスの体重に加えて、アースドラゴンの重さが胸に乗る。「うっ」と呻き声をあげると、クラウスが慌てて腕を立てて体を起こした。それでも、背中に乗ったアースドラゴンを落とさないように移動していく姿を見ると、自然と頬が緩む。  ベッドの上を這っていくクラウスの上で面白そうに揺られていたアースドラゴンも、気を利かせたのかベッドの上に静かに降り立った。レイとクラウスが、一人用には大きいベッドの上で座り直すと、アースドラゴンが交互に二人の顔を見てくる。まるで、仲間に入れて欲しいと謂わんばかりの行動に、思わず「ハハッ!」と声を上げた。 「ごめんごめん。おいで」  手を広げて向かい入れようとすると、素直にアースドラゴンが曲げた足の上に乗ってきた。それに続くように、クラウスがレイの体にそっと自身の体を寄せてくる。ぴったりとくっつく半身と魔力に、レイは片腕をクラウスの背に回した。  より体が密着するようにする行為に、クラウスが驚いたようにこちらに視線を向けてきたが、レイはそれに微笑んで返した。  足の上にいるアースドラゴンに手を伸ばすと、撫でて欲しいのか首をぐっと伸ばして手に頭を付けようとしてくる。どこまで首が伸びるかなと、敢えて空中で手を止めると、アースドラゴンの仔は不服そうな視線をこちらに向けてきた。  感情豊かなアースドラゴンの仔に、思わず小さく笑みをこぼし、レイは人差し指で小さな額を擦るように撫で上げた。 「手慣れたものだな。ドラゴンの子守り経験でもあるのか?」 「そんなわけあるか」  冗談なのか真面目になのか分からない質問に、レイは呆れたように声を上げた。しかし、クラウスはくすりと笑いながらレイの髪にキスを落とす。 「現に今、ルミアがヘイムディンズにいるだろう?」  クラウスの言に、レイも「確かに」と笑った。 「クラウスは、ペットを飼った経験は?」 「ない。レイはあるのか?」 「俺自身はないが、寄宿学校時代の管理人が犬を飼っていて、よく遊んでもらっていた」  動物の方に遊んでもらっていたというレイに、クラウスがはにかんだのが分かった。今度はアースドラゴンの体を撫でると、柔らかな鱗から伝わる体温が帰宅時に抱きかかえていた時よりも仄かに温かい。 「寄宿学校時代のレイか。詳しく聞いても?」  クラウスの一言に、レイのアースドラゴンを撫でる手が自然と緩くなる。  一瞬の間だった。その一瞬の間が、クラウスを驚かせたらしい。接していた魔力が、「聞いてはまずいことを聞いてしまった」と、緊張感をもって震えている。  ――あぁ、しまった。誤解させた。レイはクラウスの背に回した手に力を込めて、体を引き寄せる。 「クラウス、大丈夫だ。思い出すのに……ちょっと時間がかかっただけだ」  言葉を選ぶが、それでもクラウスの魔力に漂う緊張感は拭えなかった。クラウスもまた、そっとレイの肩を抱きつつも、どう言葉を紡ぐか迷っているようだった。  これは、ちゃんと安心させるために話さねばならない。  レイは遠い記憶に遡るように、目を閉じた。彼の長い睫毛が頬に影を作り、ゆっくりとまた持ち上がる。 「俺がタナート伯爵領にある魔法使い専門の寄宿学校に入ったのは、八歳になる年だ。本当はもう一年早く入学するはずだったんだけど、魔力回路の欠陥のせいで、入学を渋られたんだ」  レイの思い出は、普段よりも幾分か落ち着いて、ゆっくりとした声で奏でられた。だがそれは、決して幸せな記憶を語るような音の響きをしてはいなかった。 「……その前か? ルミアにお茶汲みを魔法で教わっていたのは」  少しでも彼の表情が和らいで欲しくて、クラウスはルミアの名前を出した。どうやら効果はあったようで、思い出したようにレイは笑い、小さく「そう」と同意した。 「当時は全然うまくできなくてさ。生活魔法を一回行使するだけでも精いっぱいだったから、悔しかったのを覚えてる。あのお茶を淹れる魔法も、たくさんの水は出せないし操れないし、温めるのもどれくらいすればいいかなんてわかんないし。一緒に試飲してくれたアマンダさんの微妙な表情は、今思い出しても申し訳ないよ」  アマンダという人物の名前が出た途端、レイの目元が綻んだ。 「アマンダさんというのは……子守り(シッター)を兼任してた家庭教師だったんだけど、俺の母親は……まぁ、ばあちゃん譲りで家事全般できなくてね。子守りというよりは、お手伝いさんというイメージの方が強いかな。……でも、その人は魔法使いではなくて、一般的な教養しか教えて貰えなかった」  アマンダの話をする時のレイは、少しだけ穏やかな表情を浮かべていた。それを見るだけで、彼にとっては大切な思い出の一つであるのは明白だった。  昔話をするレイの話し方は、以前彼の元カノの話を聞いたときのように、少しだけ角が取れている。それが、彼の心の一端に触れているような感覚にさせた。 「タナート伯爵領の魔法使い寄宿学校には絶対入れるって、両親が……いや、あれは母が、かな? どうやら決めていたようで。……それが叶わなくて、タナート伯爵領まで何度も足を運んでいたよ」  レイの瞳が、少しだけ冷めたのをクラウスは見逃さなかった。そして、ある疑問が頭をよぎる。  貴族の家では”教育は家庭教師がするもの”という価値観は当たり前ではあるが、魔法使い家系の家庭教師に非魔法使いが派遣されるというのはあまり見ない。加えて、母親が魔法使い学校にレイを入れることを望んでいたのなら、なおさらつける家庭教師が非魔法使いであったというのが腑に落ちなかった。さらに言うなら、魔術師である母親自らがレイに教えるでもなく、面倒を見ていたのがまるでルミアであるかのような印象を受けることも。 「――そして、魔力暴走が起こった」  レイの瞳に影が落ちる。その視線の先には、アースドラゴンがふくふくと寝息を立てて丸まって眠っていたが、レイの瞳にそれが映っていたかどうか、定かではなかった。 「前にも話したな? 幼少期には、ままある話だ」 「確か、両肺が潰れた……と」  魔力暴走によって起こる現象に於いて、一番多いものは魔力の塊が放出されて周囲の物が壊れたりすることだ。だが、その次点にあるのが暴走した魔力による自傷行為。自身の肉体を壊したり、枯渇する程に魔力が放出され続けて、最悪死に至るケースもある。  このような魔力暴走事故は、年々減ってきてはいる。それは、魔力暴走に対する対処法を理解している者が増えたということと、幼少期から魔力が多い者に対して、神殿が魔力の操作方法を無償で教えるような奉仕活動を行っているのが、広く知られたことも要因の一つだ。  クラウスの声に、レイの視線が上がった。綺麗な青緑色の瞳に、諦観が滲む。だが、それでもこちらを見る優しい色は「大丈夫だ」と語り掛けてきていた。 「そう。不運にも、ばあちゃんが買い物に出ているときにね……その時の事は、アマンダさんには非常にショックだったみたいで、後日辞めてしまったけど」  レイはそっと足の上からアースドラゴンを下ろした。一度アースドラゴンが深く息を吸い込んで、起きたような素振りを見せたが、そのまま尻尾を体に巻き付けるようにし、丸くなって再び眠りについた。 「だけど、そのおかげで、俺はヴェーゼルゴン様の加護を受け、寄宿学校に入学するに足るだけの条件を揃えることができたわけだ……あぁ、寄宿学校時代の話を聞かれてたのに、前段階の話ばかりしてしまったな。さて、どこから話すかな」  乾いた笑みを浮かべて、レイは腕を組んで考え始めた。少しわざとらしいその行動も、恐らくこちらに心配をかけないための配慮のように見える。 「タナート伯爵領の魔法使い寄宿学校は、平民もいる。といっても、基本は豪商の子供だ。あとは、落ち目の爵位持ち次男坊とかね。長男だけは、きちんと貴族だけがいる魔法使い学校に通わせ、弟妹は金のかからないところへ押し込むってやつだ。それのせいで、まぁ……ヒエラルキー構造が出来上がっていた。そこに入ったのが、子爵位を持つ家の俺」  肩をすくめながら話すレイの瞳は、先ほどまでの曇りはもうなかった。しかしながら、その瞳に宿る光は達観した子供のようなそれで、容易にその後に語られるだろう先を察してしまう。 「一年間のブランク。魔力回路の欠陥。……座学は何とか取り返せても、実技においてはてんで追いつけない差があった。あの伝説の魔術師の孫の癖に――」 「レイ」  不意に零れた自虐に、クラウスは諫めるように口を挟んだ。レイの唇はきゅっと横に結ばれたが、それもほんの少しの間だけだった。 「そうやって、俺は底辺にいることになったって話だよ。でも、仕方ないことだったんだ」 「何が仕方ないのか理解できない」  レイの頑なな態度に、クラウスは眉を顰めた。聞いている立場としては、恋人が昔、不当な立場に置かれていたという事実がただ腹立たしい。  こちらの気持ちを察したレイが、小さく首を振りながら片眉を上げた。 「魔力回路のオーバーヒートだよ。そんなことが起これば、授業は中断せざるを得なくなる。看護だって必要だ。……一度や二度の話で済まない。学友にとっても教師にとっても、俺は面倒な存在だったんだ」  ほらな、とでも言いたげにこちらを見てくるレイに、クラウスは黙って痛ましい事実に眉を寄せるしかなかった。胸の前で組まれていた腕は解かれ、レイの肩を抱き寄せていたクラウスの手にそっと重ねられる。 「でもその二年後、ベイストン先生が魔力回路の発熱抑制剤を完成させたんだ。俺のことを見かねたタナート伯爵が、あらゆる伝手を駆使してベイストン先生に連絡を取っていたらしい。……授業についていけるようになってからの俺の快進撃、聞く?」  おどけるようにそう言ったレイの目元は、どこまでもこちらに心配を掛けまいとするレイの優しさに満ちていた。

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