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第103話 古の研究
幼少の頃の彼は、結構やんちゃだったようだ。魔力回路の発熱抑制剤により、できることが増えたことで、レイの知的好奇心が爆発した。
寄宿学校にある些細な魔法機構を発見しては弄り倒して怒られ、部屋に設置されていた空調設備の魔力石を抜き取って、飾られていた汽車の模型を改造し、猛スピードで走らせて学友と競争していたところを発見され怒られるなど。知的好奇心と表裏一体のとんでもない悪戯心により、たちまち男子たちの間で人気者になった。
ゲーヴナー伯爵令息を継智の塔で転ばせた魔法も、彼のオリジナルらしい。大掃除を行うにあたり、楽しんで行えるような創意工夫によって生まれ、そしてそれは他の子供たちの心をくすぐった。
非魔法使いの世界では、幼い頃は身体能力の高さが人気の秘訣らしいが、魔法使いの世界では、魔法が上手く使えることが人を魅了する世界だ。ルミア仕込みの創意工夫の観点は、充分に寄宿学校で発揮され、十二歳までの初等部から中等部へ上がる頃には、実技においてもトップであったらしい。
しかし、そこからは努力だけではどうにもならない世界に入る。扱われる魔法の難易度が格段に上がる世界、中級魔法の習得だ。行使出来ても魔力回路がオーバーヒートする“厄介者のレイ”が、また戻ってきてしまった。
「寄宿学校にいた学友は、皆、俺の魔力回路の欠陥については知ってるよ。幼少時の俺は隠すってことを知らなかったからね。だから、成長するにつれて、人は“分かっているけど、気に食わない事”っていうのがあることを学ぶ。魔力量が少なくて中級魔法が行使できない奴だっているし、魔術師に成れなかったやつもいる。――『あいつは、魔力回路の欠陥が治ったら、俺たちにはできないことができるようになるんだろう?』……そんな不確かなことに、やっかまれるのは正直面倒だった。ただ、俺にとっての幸運は、国立魔法大学へ進んだ人が少なかったことと、学部が違ったこと、かな」
あっけらかんとした様子で話すレイだが、その幸運も、あのディートリヒの裁判をきっかけに新聞各社にレイが取り上げられたことで、瓦解する。
今や、オルディアス王国で彼を知らない者はいない。公爵家の三男坊を診ていた優秀な魔法薬士。伝説の魔術師ルミアの孫。そして、魔力回路の欠陥を抱えていること。全てが美談として書かれているわけではない。クラウスは裁判が終わった後、彼について書かれることは、全て「いいイメージになるように」と各種新聞社に手を回してある。情報社会と言っても過言ではない貴族の世界で、少しでも彼が気持ちよく過ごせるようにするための配慮だった。
「座学に魔力回路は関係ないからね。実技の授業では見学が多くなってしまったけど、放課後や休みの日は訓練所を使わせてもらえてたし、基礎鍛錬は続けてたよ。……それのせいかな、大人には息が詰まっているように見えたらしい。だから、あまり皆がしない経験を、させてもらえていたかもしれないな」
「……というと?」
話の続きを促すと、レイは苦笑を浮かべた。
「小さい頃から……まぁ色々とあったわけで。俺の逃げ場になってたのが調理場と寄宿舎の管理人室だ。そこで芋の皮むきから薪割から、色々手伝いをしていたんだ。誰かの役に立っているという自己満足で、足元を固めようとしてたのかもしれない。そんな姿を見ていた大人がさ、中等部に上がった俺を見るわけだ。……お節介な人っていうのはどこにでもいるらしい。調理場で使うための買い出しに市場によく連れ出された」
自嘲気味に語られてはいるが、レイの中でもどうやら新鮮な体験だったらしい。嫌な過去を語っているというよりは、貴重な体験談のように話す彼の横顔は、少し誇らしげであった。
「なるほど。だから市場慣れしていたのか」
先日の薬草市場でのレイの様子を思い出し、クラウスは合点がいった。
確かに、普通の貴族が体験しないようなことを、彼はたくさん経験してきたようだ。語られたタナート伯爵領の寄宿学校がいい環境だったからだと一概には言えないが、少なくとも彼の行動がいい大人を引き寄せ、勝ち取った経験なのは確かだ。
レイの澄んだ青緑色の瞳が、クラウスの方を向いた。
「あの頃の経験は、どれも貴重なものばかりだ。高等部を卒業するまでの長い間、俺を育ててくれたあの場所には感謝しかないよ」
はにかんで笑う彼の語る過去は、まさに自分とは全く違う世界だった。十二歳になるまで三人の家庭教師とタールマンにより勉強と魔法習得に勤しみ、貴族が通う魔法学校に入学後も、長兄に剣の手ほどきを受けながらタールマンと修行に明け暮れていた。大学課程と並行して諜報部に入り、婚約を破棄した。――幼少の頃から大人に囲まれ、一線を引いて人を観察することには長けていたと思う。それが全て研鑽の糧となった。
仕事と修行を淡々とこなすだけの日々。それがクラウスの人生だった。レイと出会い、世界が鮮やかに色づくまでは。
「……レーヴェンシュタイン公爵領に魔法薬士育成機関を作る前に、魔法使いを育てる学校を建てる予定だったが……タナート伯爵領の寄宿学校をモデルにしてもいいかもしれないな」
クラウスがレイの髪にキスを落としながらそう言うと、レイは失笑した。
「絶対ラーディーンが許可しない」
確信をもってそう言い放ったレイに、クラウスの頬が自然と緩む。
「君のような魅力的な人が育った場所なのに?」
「平民にも通ってもらうようにするんだろう? 少なくとも、行儀作法の授業を増やさないと許可されないだろうなぁ」
苦々しくそう語るレイの言葉に、クラウスは何も言わなかったが、胸中で同意した。
長く暗い石造りの階段を一段ずつゆっくり降りると、近付いたところから壁についていた慎ましやかなランプが順に光を灯した。下ってきた階段を仰ぎ見ると、もう既に入口付近のランプは消えてしまっていて、暗い闇が広がっていた。
先行する黒髪の侍女の足音は非常に小さく、気を付けて後ろを歩いている自分の足音が階段に響くたび、少し情けなくなる。カーレンは、籠った冷ややかな空気が風呂に入って清めた後の肌を撫でるの不快に感じながら、慎重に歩を進めた。
階段を降りきると、すぐそこは少しカビが生えた臭いがする小さな部屋になっていた。部屋の隅には、使われなくなって久しそうな埃を被った古い調合台や、明らかに変色してしまっている魔法薬が置いてある棚があり、魔法薬士としては正直見るに堪えなかった。しかし、部屋の中央にある木製の古い机の上は埃は積もってはおらず、最近誰かが触ったのか、書類や書物が乱雑に広がっている。
先を歩いていた侍女が部屋の前で立ち止まり、静かに身を低くして、床を観察し始めた。
「……罠の類は、一見してなさそうですが、念のため、足跡の上を歩きましょう」
「足跡?」
言われて目を凝らす。暗い部屋の床の上はうっすらと埃が被っており、その上を誰かが歩いた足跡がついていた。これは、万一侵入したことが露見した場合に、足跡で特定されかねない。
背中をつぅっと汗が滑り落ちて行くのを感じながら、カーレンは震える足先を足跡の上に乗せた。
机に近付いて、書類を覗き込む。まるで苛立ちを抑えきれないと謂わんばかりに紙の上を走らせたペン先の跡を見ながら、内容を読んでいく。
「筆跡に見覚えは?」
簡潔に聞いてくる侍女に、カーレンは小さく息を吐きながら答えた。
「祖父の物よ」
書類には、数年前からの日付と人の名前が書き連ねてあり、その名前は大きなバツ印で消されていた。消された名前の隣には、“眉間”“右人差し指”等の部位が書かれている。
書かれている名前にカーレンは見覚えがあり、思わず口元に手を置く。書かれていたのは、フォーリォル家が融資を申し出て、消息不明となった者達の名前だ。予想通りとはいえ、改めて現実として突き付けられると、精神的な負荷を感じる。
日付は下の行になるにつれ、新しくなっている。カーレンは最後の二行をじっと見つめた。
一番下の行は、三週間ほど前の日。そして、その前は今年の春。侍女の話と照らし合わせても、呪いが発動した日と見て間違いない。
――この大規模な呪いの発生に、フォーリォル家が関わっている。それがカーレンの指を震わせた。
「一応聞くけど、貴女は関わっていないの?」
侍女から向けられる冷めた視線に、カーレンは硬直した。フォーリォル家の一員として疑われるのは仕方がないとはいえ、どう言えば信じてもらえるかも分からなかった。
「……こんな大それたことに、祖父が私を関わらせるとでも?」
自嘲と共に吐き出した言葉に、どうやら侍女は納得したようだ。そのまま視線を手元に戻し、手袋をした手で積まれていた書物を慣れた手つきで検分し始めた。
カーレンは、苦い思いを胸の内に収めながら、再び視線を書類へ落とした。最後の二行には、それまでに書かれていた部位が記載されていない。部位の欄にしぼって遡って見ると、書かれている部位は体表に関係するということだけが分かる。しかし、毛髪や爪などは見当たらない。
羅列された行の中盤に、“尾”と書かれたものがあった。尾などという物は、もちろん人類にはないものだ。この部位は一体何のものなのだ。訳が分からず眉を顰めていると、侍女が息を呑んだ音が聞こえた。
視線を上げて侍女を見ると、暗い部屋の中でも分かる程青い顔をしていた。侍女の手元にある書物を覗き込もうと、そっと足跡の上をなぞるように移動すると、侍女の方が気を利かせて開かれた書物を見せてくれた。
それは、何かの翻訳のようであった。古いザルハディア語の言い回しで書かれたそれには、頻回に『竜人 』という単語が出てくる。
侍女が次の頁を迷いなくめくると、今はもう使われていないような質の悪いインクで書かれた一文が目に入った。
――吾ら人の世の命は儚ければ、智を繋ぎて深め、もしや森耳人 を凌がんと欲せば、更に新しき存在を生み出すほか途 は無し。森耳人に越えて命は長く、智も深く、魔力の主たる竜。古、竜と契りて竜人の生まれしと伝へられる。
まるで執念の産物のようなそれを見ながら、カーレンは首に滲んだ冷汗を手の甲で拭った。どうやらこの書物は、遥か昔に行われた竜人計画の翻訳のようだった。そしてこの翻訳者は、エルフに対抗するため昔話に出てくる竜人について、本気で研究をしていたらしい。これが何故こんなところにあるのかは知らないが、こんな夢物語のような非現実的研究を見て、侍女の顔が青くなる理由が分からない。
理解できずに侍女の顔を見ると、彼女が検分したのだろう一通の封筒が手渡された。消印は数年前だが、送り主は書かれていない。
通信魔法が発達した時代に、魔法使いが通信魔法機器を使わず手紙という媒体を使う理由は、一つしかない。魔法薬で加工された特殊インクを使った、密書である。普通の手紙に擬態できるそれは、定められた手順で魔力を通すことで、書かれている文字が変化する。本当に記された内容は、一度解かれればそのまま固定される。
カーレンは封筒から手紙を取り出し、光量の低いランプの下でそれを広げた。
――私の息子の立場は、あまりよろしくありません。継承の正統性を崩すためには、それなりの手柄や力が必要になります。あの銀灰色の化け物が、ジンのもう一人の息子を支持しているのも困りものです。アレを排除し、アレに代わる者を私の息子がジンに差し出せれば、ジンも考えを改めてくれるかもしれません。あの人は、そういうところがある人ですから。……そう、北の友人からいただいた書物で、とても興味深いものがありました。まさか、祖国の言葉を北の者が持っているとは思いもよりませんでしたが、これが私の元に届いたのも、運命なのでしょう。私の膝元で行うには、少々目が厳しいですから、どうか祖国で芽吹かせてくださらないかしら。目をかけてあげてたんですもの、きっと力になってくれると信じています。
高い素養が見える筆記体に、ぼかされた内容。明らかに“高貴な出自のお方”から祖父に宛てられた、一通の脅迫めいた依頼文。そして、祖国がザルハディア王国であるということ。これは――
「オルディアス王国国王ケイジン様の第二王妃であるフーリシュカ様が、ご子息である第二王子ケイオール様のために王太子位簒奪 を企て、ルミアを排除できる力を手に入れようとしている。そのために、竜人計画が立てられた」
今まで冷静に物事を見ていた侍女が、震えながらそう呟いた。怯えるように震えながらもしっかりと紡がれた言葉に、カーレンは俄かに信じられずに口を開く。
「こんな……こんな馬鹿げた計画を、貴女は信じるの? ドラゴンと契るですって? そもそもが無理があるじゃない!」
「契るというのが、もしかしたら何かの暗喩なのかもしれない。でも、現に数年前から事は動いている。そして、恐らく何かが今年の春に起こったの。そして、三週間前にも……」
ぐっと唇を引き結び、侍女が俯く。
「……マディ……」
冷静な彼女の口から、感情が決壊したように絞り出された声が、小さな部屋に木霊する。カーレンは、ただ項垂れる彼女を見つめることしかできなかった。
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