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第105話 好奇心は

 今日申し込んだ学会のコマは、午前の部の後半にある。だが、人気コマのためいい席を取るためにも早めに継智の塔を訪れていた。もちろん、移動の間は、アースドラゴンには隠密魔法を使ってもらっている。こちらの意思がきちんと伝わるので、幼体といえど、やはり知能の高いドラゴンだ。  少し散歩に行ってきますというと、この寒い中信じられないとでもいうかのような顔で見てきたマルキオン教授に、レイはにっこりと微笑んだ。「広場が開いたら、あたたかい飲み物を買ってきます」と伝えると、納得したようで快く送り出してくれた。 「フォーリォル家のセキュリティは、そんなにすごいのか?」  継智の塔の雑木林で、アースドラゴンが嬉しそうにごろごろと地面を転がるのを見ながら、レイはクラウスに問いかけた。  いくら諜報活動で潜伏中といえど、オルディアス王国屈指の魔術師が二人潜伏していて、呪われていない魔術師がまだ二人残っているのだ。呪いが常時行使されているわけではないことは立証されている以上、救出活動に踏み切ってしまえるのではないかと、レイには思えてならなかった。 「……簡単に言ってしまえば、単純だが非常に面倒だ」  クラウスは、木々で視界が悪い中、辺りに視線を走らせてから答えた。 「実際に私が見たわけではないが、ありえないほどのコストをかけている。一定時間が過ぎると、ランダムで張られている結界が切り替わる。そして、上手く敷地内に入れたとしても、屋敷への進入路全てに、隠密魔法を解除する魔法機構が施されている。排気口にすらな」 「……徹底され過ぎていて、怪しすぎるな」  レイは顔を顰めながら納得した。王城に敷かれているものとほぼ同格のセキュリティの高さと聞いて、呆れない方がおかしい。そういう意味では、懐に入って調べるという手段は間違っていないだろうが、強い魔法が使えない分、バレないように動く必要があり、捜査は難航するだろう。 「次の定期報告は?」 「前回が約三週間前だから、来週のどこかだろう」  来週。そこでマディかサマンサに会えれば、そのまま退却の意向を伝えることができる。だが、もし来なかったら――。  レイは土の上で転がるアースドラゴンに視線を落とし、しゃがみこんでその腹に付いた土を掃った。鱗で削り取った土は不思議と鱗の間には入っておらず、湿った土は簡単に鱗の上を滑り落ちて行く。 「救出決行日は? その定期報告の予定日か?」 「そうなるな……だが、ケリーの足の状態によっては遅くなる可能性もある」 「怪我人を作戦に入れるのか?」 「……本人の意向だ」  淡々としながらも、諦念を滲ませるクラウスの言葉に、レイは肩をすくめた。  ケリーという人物についてきちんと把握しているわけではないが、前回カーレンとのお茶会会場である『フォレ・ジヴォワ』に勝手に来たことを考えても、最初から計画に入れておいた方が現場が混乱せずに済むというのもあるのだろう。  そんな勝手なことをする人物が諜報部にいるというのも甚だ理解しがたい。だが、体術は不得意であるものの、中級結界の多重行使や、魔法機構の構造を読み解く早さに長けているサポート役のコリントが、魔術師であることを明かさずに動くことを考えたら、戦闘面において優秀なケリーが居てくれた方が動きやすいというのはあるだろう。前回の『フォレ・ジヴォワ』の一件にしても、被害が少なく済んだ背景には、ケリーの身勝手な行動があるのは事実だ。  本人の体すら消耗品として扱うのは正直いただけない思考回路だが、必要だと思ったから動いたのだろう。人手が多いことに越したことはないが、一時的にでもクラウスがコリントとバディを組むことができれば、ケリーは前線に無理して出なくてもいいのだろう。日中、レイとマルキオン教授の護衛という表向きの任務がなければ、きっとそのようにしたはずだ。  そう考えながら、レイはその思考を捨てた。――レイは二度もあの情けないゲーヴナー伯爵令息(ストーカー男)の襲撃を受けているし、アースドラゴンの乱入もあった。あのクラウスが、レイを日中一人にするような作戦に参加するとは思えない。  綺麗になったアースドラゴンの腹を見下ろし、そっと艶やかな鱗を撫でると、アースドラゴンはくすぐったそうに身をよじった。くるりと背中を向けるときに、右脇の背中側がちらりと見えた。脇を締めていれば見えないその場所に、逆鱗があったのだろう。そこにできた黒ずんだ瘡蓋が、森の中で光が入りづらいためか茶色く光る鱗の中で、痛々しい存在感を放っていた。 「……なぁ、救出決行日は、どうしても早められないのか?」  レイが突然そんなことを言い出し、クラウスは驚きを隠そうともせずにレイを見据えていた。レイはアースドラゴンから視線をクラウスの藍色の瞳に移し、再度訴えかける。 「『今日だったら間に合ったのに』……なんてことになったら――」  クラウスは一度目を閉じて、肺に空気をしっかりと送り込んだ。そのうえで、小さく首を振る。 「我々が早く帰国できない以上、救出日を前倒しにし過ぎれば、潜伏期間が長くなる。救出日を後ろ倒しにするのには、侯爵家の手がケリーの隠れ家まで伸びるまでの時間を、短くする意味もある」  宥めるようにそれはできないのだと語るクラウスを見て、レイは自分に奥歯を噛み締めた。仕方ないのだと言い聞かせる。そもそも、そんなことにレイは口を出せる立場の人間ではない。それも、重々承知の上でのことだった。  それでも、レイは一握の希望を口にした。クラウスの仕事仲間の生死について、分からないという不安ももちろんあった。だがそれよりも、間に合わなかったという事実が、クラウスの中に残って欲しくなかった。 「……そろそろ行こう。広場も開く頃だ」  クラウスがそう冷静に促してくる。レイは小さく頷いてから、アースドラゴンの方へ視線を戻した。 「お前はどうする? ここに残るか? ついてくるならまた姿を隠し――」  言い終わる前に、アースドラゴンの姿がぱっと空気に溶け消え、苦笑する。淀みない程一瞬で行使された隠密魔法に、アースドラゴンの格を見せられる。本当に利口だ。その利口さでぜひ、レイが戻ってくるまで待っていてほしいものだ。  レイが立ち上がると、左肩に食い込むような重さを感じる。突然のことでよろけると、ふわりとその重さが消えた。おそらくアースドラゴンが肩に乗ろうとしたのだろう。  続いてクラウスの肩がぴくりと震えた。アースドラゴンの止まり木に、どうやら選ばれたようだ。苦笑するクラウスの表情が面白い。 「……腹は満たされたんだろうか」  クラウスがぽつりと肩に語り掛けると、蚊が鳴くほどの小さな音量で、くぁっと明るい声が返ってきた。  マルキオン教授が抽選で勝ち取ったコマが終わると、一同は継智の塔を出た。陽は一番高いところを通り過ぎ、一日の中で一番高い気温になっていた。にもかかわらず、寒いから出たくないとわがままを言うマルキオン教授を「昨日よりはまだマシでしょう」と宥めすかし、玄関ホールまで連れて行くのは本当に苦労した。  塔を出た途端、競歩並みの速さで歩き始めるマルキオン教授の後を、レイとクラウスは小走りでついて行った。しかし、ピトル広場に差し掛かろうというところで、前から慌てるように走る赤い髪が見えた。 「レイッ!」  カーレンが風にあおられる髪を気にすることもなく、必死の形相でこちらを引き留めた。その瞬間、クラウスの肩からグルッと喉を鳴らすような威嚇音が小さく聞こえる。 「!? カーレン、止まって!」  これ以上近付いてはいけないというようにレイが待ったをかけると、カーレンがはっとしてきょろきょろとあたりを見渡す。アースドラゴンの所在を確認しようとしているはよく分かるが、隠密魔法で姿が見えていないために、カーレンは困惑顔だ。  よく分からない一連のやり取りを、先行していたマルキオン教授が足を止めて静かに観察している。レイはマルキオン教授の視線に肝を冷やしながら、状況を整理した。  カーレンはレイに用があるのは分かる。しかし、姿を現さないアースドラゴンがカーレンに向ける敵意が強く、話が出来そうにない。そして、その内容はおそらく、昨日依頼したことに関係している。となると、マルキオン教授の前で下手なことはできない。  ――状況が良くない。それでも、カーレンは見えない相手からの敵意を感じて震えながら、マルキオン教授へ綺麗なお辞儀をしながら挨拶した。 「は、初めまして。ウィルザック・マルキオン先生」  見えない捕食者がいるこの状況下で、声を出すのはさぞ恐ろしかっただろう。しかし、魔法薬士として名を馳せるマルキオン教授へ一言の挨拶もなしというのは、一魔法薬士としてはできなかったのかもしれない。  マルキオン教授の視線が、じっとカーレンに移る。一瞬の間に、彼が何をどう判断したのか分からないが、この麗しき魔術師は板についた貴族特有の笑顔を浮かべた。 「初めまして、カーレン嬢。この国で僕に挨拶をしてくれる魔法使いは、君ぐらいだよ」  ザルハディア王国に対する皮肉を、マルキオン教授はカーレンに向けた。意外な一言に、レイはマルキオン教授の意図が分からず、その相貌を見上げていた。  しかし、発せられた皮肉にも刺さる敵意にも負けず、カーレンは口を開いた。 「先生のおかげで数多くの患者が救われている事実を知らない者などいないでしょうに。尊敬と畏怖こそすれ、敵意を持つ者などおりません。ただ、ご不快に思われたのであれば――」 「……あぁ、誤解をさせたね」  カーレンの口上のような言い訳を、マルキオン教授は遮った。 「君の師であるベイストン博士も、同じ境遇なのかな? と思っただけだよ。魔術師を師事している魔法薬士は、この国では珍しいだろうからね。流石に母国だし、そんなことはないよね? ……ベイストン博士はお元気でいらっしゃるのかな? 先日、多大なご助力をいただいた件で、ご連絡は差し上げたけれど、ご多忙なのか返信はいただけなかったからね」  ベイストン先生の境遇について掘り下げようとせず、マルキオン教授は次の話題を切り出した。おそらく、カーレンが息を詰まらせ、答えなかったことを答えとしたのだろう。 「……先生は、通信魔法機器をあまりご覧にならないんです。大変申し訳ありません。おそらく気付いてないのかと」 「なら仕方ないね。悪いけど、僕がそう言っていたことを伝えてもらえるかな?」  カーレンが申し訳なさそうに言うのを見て、マルキオン教授はそう切り返した。  爵位としては侯爵家と伯爵家でマルキオン教授の方が下の位にあたるが、互いに他国の者同士であり、同じ魔法薬士としてはマルキオン教授の方が遥かに実績のある人だ。魔法薬士至上主義のザルハディア王国では、例え魔術師に対する蔑視(ヘイト)があっても、他国の権威ある魔法薬士の方が上になる。  カーレンが小さく「分かりました」と答えたところで、マルキオン教授はレイに視線を移した。 「で? うちのレイ君に何か用?」  カーレンもつられてレイを見るが、どうすればいいか迷っているようだ。  正直、クラウスの肩にいるアースドラゴンの魔力が、不穏な状態で揺れているのを感じる。特に、カーレンがレイに視線を向けた瞬間、臨戦態勢に入っているのがレイには分かった。 「カーレン、昨日頼んだことだよね? いったん荷物を置きに戻ってから――」  レイが一旦会話を終えようとした時だった。マルキオン教授の分厚い手袋をした手がレイの肩に乗る。 「遠慮せずに“ここで”話すといいよ」  逃がさないとでも言うかのように、マルキオン教授がレイの肩に置く手に力を入れる。レイは内心これはまずいと思いながら、顔をひきつらせた。 「いや、でも……教授、寒くないですか?」  その一言に、マルキオン教授の顔がにぃっと不敵な笑みで染まった。 「なら、馬車の中で話そう。暖かいし、他の目も届かないし。ね?」  有無を言わさない圧力に、レイは視線を彷徨わせた。――しまった。マルキオン教授の“なんか面白そう”というアンテナに引っかかってしまった。  レイはどうするべきか分からず、クラウスを仰ぎ見るが、クラウスの表情も、やむを得ないと諦念を滲ませていた。  仕方なくマルキオン教授に同意し、カーレンはせっかく来た道を戻るように、ピトル広場を横切って馬車の降車場へ移動した。迎えの馬車は問題なく待機場所にあり、レイがカーレンの手を取って馬車の中へ誘導する。  カーレンの表情は、固まっていた。それはそうだろう。アースドラゴンが牙を向いたら逃げ場のない密室へ入ってしまうのだ。座り順は、先に入ったマルキオン教授の隣にカーレンが座り、その向かい側にレイとクラウスが座った。  ドアが閉まると、ゆっくりと馬車は動き出した。石畳を走る音が響く室内で、しばらく誰も話を始めようとしない中、マルキオン教授が切り出した。 「なるほど。関係性はバレているんですね」  その一言に、レイとカーレンははっと息を呑んだ。確かに、クラウスがただの護衛という立ち位置だったならば、この場合、カーレンの隣に座るのはレイだっただろう。それを、“婚約者が隣に座る”という暗黙の了解をカーレンが律儀に守ったがために、マルキオン教授に露呈してしまった。 「――彼女は」  ずっと沈黙を守ってきたクラウスが、マルキオン教授に促される形で話し始めた。 「私の従妹です」 「へぇ! フォーリォル家ってそうだったんだ! なるほどね、だから知っていて当然、と」  マルキオン教授が感嘆の声を上げる。それでも、クラウスを試すような視線は止まらない。それ以上を答えようとしないクラウスを澄んだ薄紫色の瞳が見つめる。しかし、クラウスはちょっとやそっとじゃ折れない。刺さるような視線すらものともせず、涼しい顔で座っている。 「……およそ、三メートル弱」  マルキオン教授がしびれを切らしたのか、沈黙を破った。 「レイ君がカーレン嬢に制止を求めて開いた距離。そのあとにカーレン嬢が辺りを見回して、レイ君は明らかに僕を意識していたよね? となると、僕に何か“やましい事”でもあるんじゃないかなって、邪推しちゃうんだけど?」  標的が移り、レイは黙して固まった。マルキオン教授の目を見られない。じっとマルキオン教授の首元あたりを見つめながら、どうしようかと思案した。 「いや、そんな、ことは――」 「距離に何かしらの制約でもかけたのかと思ったけど、馬車に乗れるんだから問題ないのかな」  レイの言葉を聞かずに、マルキオン教授は分かりやすく推理を披露していく。 「いや、接近がまずいわけではない? 近い距離での禁止行為があるのかな……どう? レイ君に話があるって言ったのに、馬車に乗ってから一言も話さないカーレン嬢?」  マルキオン教授に促されても、カーレンは口を開かない。いや、正確には口を開けない。音をたてようものなら、クラウスの肩にいる姿を隠したアースドラゴンがどう行動するかが分からない。つい先日のように。 「でも、お人好しのレイ君がそんなことをするとは思えないんだよなぁ。と、なるとね? 僕としては出会い頭に強い殺気を放った人物が、何かを強制しているのかなって思うんだけど……どう? クラウス卿」  マルキオン教授の矛先が、再びクラウスに向いた。どうやらマルキオン教授は、あの時アースドラゴンが出した殺気をクラウスが放ったと思ったらしい。確かに姿が見えなければ、そう思うのも致し方ない。  クラウスは真っ向からマルキオン教授の視線を受け止めていたが、レイと接しているクラウスの魔力は何事もないかのように凪いでいる。 「……私はそのようなことは、一切していません。マルキオン教授」  身の潔白だけを伝えて、それ以上を言わない。過不足の無い言葉だけで返されて、マルキオン教授は小さく息を吐いた。 「じゃあ、カーレン嬢。話してみようか」  有無を言わさない美形の笑顔に、カーレンはびくりと震えた。小さく首を振るカーレンに、マルキオン教授は畳みかける。 「あぁ、さっきレイ君に話そうと思ってたことが聞かせられないなら、それでもいいよ。雑談しようか。おすすめのお土産ってある? 来週買いに行かなきゃいけないんだよね」 「マルキオン教授!」  カーレンの表情が凍ったのを見て、レイが折れた。そして、マルキオン教授がにっこりと微笑んでいる。――そう、最初からマルキオン教授が狙いを定めていたのは、レイだった。カーレンを巻き込めば、根を上げることを見透かされていた。まったく、こういう面白そうなことに首を突っ込む性分は、どうにかならないのだろうか。  レイは深くため息を吐いて、クラウスの肩に乗っている見えないアースドラゴンに手を差し伸べた。 「……おいで」 「レイ」  クラウスが眉を寄せるが、レイはそのまま首を振った。 「カーレンは被害者だよ。これ以上、傷を抉るようなことをするべきじゃない」  意思を持ってレイがそう言うと、クラウスは小さくため息を吐いて、少しだけ肩をレイの手の方へ寄せた。見えないアースドラゴンの足が、レイの手の上に乗る。しっかりと重さを支えようと上半身の力を使って抱き留めた。  一部始終を見ていたマルキオン教授の目が、見えない何かを捉えている。クラウスの肩からレイの腕の中へ移動した何かを見定めようと目を見開いている。 「教授、叫ばないでくださいね」 「……うん?」  レイの言葉に、マルキオン教授が訝しげに返した。しかし、レイは「言いましたからね?」と念を押してから、腕の中へ視線を落とした。 「……隠れなくていいよ」  その一言で、腕の中にきょとんとした表情を浮かべたアースドラゴンの仔が現れた。首を傾げ、金色の瞳がレイを見上げている。そのままついっとマルキオン教授の方にアースドラゴンの仔が目をやるので、レイもつられてそちらの方を見た。  絶句。その一言に尽きるマルキオン教授が、ぽかんと口を開けているのが見える。その表情がため息とともに崩れるまで、しっかり六秒かかった。 「いや……まさかさぁ……そうくるとは思わないじゃない? ほんとにさ……なんで?」  疑問の形をとった呆れにも似た声に、レイはうーんと唸り声を上げた。 「本当に、俺もどうしてこうなったのかさっぱりで」 「君に関わると本当にろくなことが起こらないんだけど!?」  叫ぶなと言われた手前、語気を強めがらも声量を押さえたマルキオン教授の叫喚が馬車の中に響いた。

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