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第108話 潜入開始
カーレンから情報提供を受けた日から、三日が経った。その間にサマンサの救出だけでも行うかと画策されたが、それにはカーレンが首を振った。カーレンも魔力の呪いに苦しむサマンサを見て、明日にでもフォーリォル家を追い出せると伝えたらしい。しかし、当のサマンサが「何が何でもマディと共に脱出する」という強い拒否を示した、と諦念を滲ませながら教えてくれた。これには、流石のケリーとコリントもため息を吐いた。
マディという人物について詳しく知らないレイとカーレンは、その外見的特徴をクラウスから聞いた。妹のサマンサと同じ黒色の髪。身長はクラウスよりは低く、コリントよりは高い。サマンサのバディとして前衛を担当している分、体格は良い方ではあるそうだ。母親の形見として、ステンレスの長い飾りがついたピアスを右耳にしているらしい。もう片方はサマンサが持っているそうだが、サマンサはピアス穴を開けていないため、着用しているところを見たことはないそうだ。
仕方なく、クラウスとコリントが呪いの発生源とみられるアースドラゴンを西エリアで探したが、残念ながら発見には至らなかった。
他に何か手がかりはないかと、二人は西エリアにある行方不明とされている魔法使いや魔術師たちの研究室にも侵入した。やはり彼らの研究に共通点は無く、捜索は空振りかと思われた。
まめに記録を残す者というのは、どこの業界にもいる。相手との連絡履歴は通信魔法機器に記録が残るからと、わざわざ手記に残す者が少なくなる中、日記という形をとる者が行方不明者の中にいたことは、奇跡と言えたかもしれない。その手記の最後に書かれた内容を共有した時、クラウスはそっとレイの顔を覗き見た。――ぎゅっと唇を引き結び、暗い表情のまま手記の内容を聞く姿は、えも言われぬ辛さが滲んでいた。
ザルハディア王国に降り立って一週間となる今日は、かねてより約束されていたベイストン先生とのお茶の日だ。レイは緊張した面持ちで姿見の前に立ち、カーレンとのお茶会の時に着ていた一式をハンガーから取って着用した。まるでザルハディア王国へ旅立った日のオルディアス王国の朝のような底冷えする寒さがあり、藍色のクラバットをシャツの衿に通しながら、レイは苦笑を溢す。
「……そんな顔をするな」
当然のように部屋の中にいるクラウスに、レイは語り掛けた。
「俺は、恩師に会いに行くだけだ。……デートじゃないぞ」
冗談交じりにそう伝えても、クラウスの視線は厳しさを纏い、レイに穴でもあける勢いで注視している。カーレンと会った時の余所行きの服装というのが、どうやら気に食わないらしい。せっかく自分が買い与えたのに、自分と出かける前に誰かと会うのに二度も使われることが、そんなに嫌なのだろうか。だが、ループタイではなく藍色のクラバットに変えたことで、こちらが気を遣っていることが分かったのか、表立って反論してこない。そのクラウスの腕の中から、アースドラゴンの仔が頭をひょっこりと覗かせていた。どうやらすっかりクラウスに懐いているようだ。
クラウスは小さく息を吐いた。
「……そんなふうに誤魔化さなくていい。そう思いたいのは分からなくもないが」
腕の中にいたアースドラゴンの仔をソファの背もたれの上に降ろすと、真っ直ぐにレイへ向かってくる。姿見との間に身を滑り込ませるように割って入り、襟に差し込んだクラバットの端をレイの指から優しく取りあげた。ゆっくりとクラバットが引き抜かれ、首元に唇を寄せられる。ちりりと吸われた感触に蓋をするように、わざわざクラバットを巻き直す目の前の男を、本当か? と胡乱げに見上げた。
「少し、心配しているだけだ」
クラウスが控えめにそう告げた。それを受け止めながら、レイは自身の沈んだ気持ちから目を背けられなかった。まっすぐ自分を見下ろす藍色の瞳から逃れるように目を伏せる。
結局、諜報部はベイストン先生の研究室への調査を決めた。フォーリォル家が関わっている融資先で、唯一無事が確認できている人物だ。そして、呪い治療の専門家でもある。今回の大規模な呪いの背景に、何かしら関わっている可能性が高いのは否めない。そのために、確実に本人がいない時間帯を狙う必要がある。――レイが、ベイストン先生とお茶を飲む時間だ。
「本当は、クラウスも行った方がいいんじゃないのか?」
ベイストン先生の研究室に忍び込むのは、堂々と研究室に入れるカーレンと、その世話係として連れ出される予定のサマンサ、コリントとケリーである。確かに魔術師が三人もいればクラウスは不要なのかもしれないが、魔力が呪われていないのはコリントのみである。その上、魔術師の研究室に忍び込むのは、魔法使いの研究室に忍び込むのとでは訳が違う。ましてや、前線担当が負傷しているケリーだけというのも、心配だ。
レイの言葉に、クラバットを整え終えたクラウスの指がレイの顎を持ち上げる。
「私は、レイのそばにいる」
真剣な眼差しがレイの瞳を覗き込むように向いている。ほんの少しだけ眉を寄せたクラウスの形のいい唇から紡がれる低音に乗せて、囁くような懇願は続いた。
「そばに居させてくれ」
護衛としての表向きの任務があるからと言わない恋人の言葉に、レイは静かに目を瞑った。間を置かずクラウスの息遣いが近付いてくるのが分かる。宝物に触れるような口付けはじんわりと温かく、レイの目の奥がちりついた。
――予感がした。当たって欲しくない予感は、大体当たってしまうものなのだ。そうでなければいいという希望は、大体が通らない。だからレイは、それを確かめに行かざるを得ないのが怖かった。そして、尊敬と感謝を胸に、純粋な気持ちで恩師に会うだけでは無くなってしまったことが、ただ残念で仕方なかった。
カーレンの案内の下、潜入調査組はベイストンの研究室に到着した。西エリアの外れにある小さな薬草園のすぐ隣に、古びた倉庫のような建物が佇んでいる。『入り口をそこにありそうなものに擬態させる』というのは、用心深い魔法使いがよくやる手であるため、諜報部の面々は驚いてはいなかった。
倉庫の裏口のドアは鍵もかかっていない。普段通り中へ入ろうとするカーレンの肩をサマンサが掴んで止めた。不思議そうにサマンサの顔を見るカーレンに、サマンサは微弱に魔力を放出して倉庫の壁に這わせた。
「……倉庫全体に入った者を感知する結界が張られている」
その一言に、カーレンは驚きを隠せなかった。自身が普段通 っている場所に、そんな機構があると思っていなかったようだ。
「先生は、古い造りだから防風対策だって」
「それをまんまと信じて構成式を覗かない辺り、人が良すぎ。貴女スパイに向いてない」
サマンサがぴしゃりと言ってのけた言葉に、カーレンはぐうの音も出なかった。スパイはフォーリォル家の裏稼業とはいえ、カーレンはスパイ教育など受けてもいないし、そんなことをするつもりも毛頭ないが、この場で役立たず扱いされたのは少々心にきた。
「コリント」
「もうやってる」
サマンサが隠密魔法で姿を隠しているコリントに声をかけると、足元から小さく返事が返ってきた。おそらくしゃがみこんで作業をしているのだろう。充分注視していないと感知できないほどの微量な魔力が結界の綻びを探してじわりと伸びている。
「……手入れの行き届いている結界だ。めんどくさすぎる。時間かかるよ」
擬態した建物に、仰々しい結界を張るのは“ここに研究室がある”と伝えるようなものだ。そのため、通常擬態した建物には結界を張らず、中に隠してある入口にのみこういった結界を張る。確かに倉庫ならば、カーレンが言ったように防風・雨漏り対策で結界が張られていても不思議ではないが、その構成式の裏に巧妙に隠された探知機構を、ぼろい倉庫にかけられていそうな程度の結界に擬態させる技術は、並みの魔法使いにはできない行為だ。
「どれくらいかかりそうだ? 薬が切れる前に入りてぇ」
同じく姿を消しているケリーがコリントに声をかける。ケリーは魔力が呪われているため、クラウスから譲り受けたレイの隠密魔法薬を服用している。クラウスの手からケリーにこの薬を手渡された際に、レイが絶望に満ちた表情を浮かべたのは言うまでもない。
「完璧を求めるなら一時間」
「阿保か。十五分」
「ニ十分」
姿が見えない二人が目の前で言い合っている不思議な光景を見ながら――いや、実際には見えてはいないのだが――カーレンは小さくため息を吐き、レイのことを案じた。
きっと彼がザルハディア王国に降り立った時は、胸を躍らせていたに違いない。自身が魔法使いとして立っていられるのは、今まさに潜入しようとしている研究室の主であるベイストンのおかげだ。その彼に会えるということが、彼にとって学会に参加する一番の楽しみだったことを思うと、このような結果になってしまったことは不本意でしかないだろう。
かく言うカーレンも、フォーリォル家の闇の部分にベイストンが関わっている可能性があることを、にわかに信じられなかった。ベイストンは温厚な性格の持ち主で、柔和な笑みを湛えた実直な老人だ。自らの功績を鼻にかけることもなく、このザルハディア王国に於いて唯一認められている魔術師と言っても過言ではない。魔力の呪いに対する考え方も、人を救いたい思いも、何年も隣で見てきた彼の姿は、聖人と称しても差し支えなかった。
そんな彼が、竜人計画に絡んでいるとは、到底考えられなかった。
結局、コリントが結界に手を加え終えたのは、本人の宣言通りきっかりニ十分たった時だった。
「感知する機構を麻痺させただけで機構自体は生きてるから、しばらくしたら復活するよ。これならたぶん気付かれない」
疲れたと謂わんばかりに、コリントが大きく息を吐いた気配がする。
「どのくらい持つ?」
「せいぜい三十分だね。出るときは、場合によっては強行突破かも」
「それは、しゃーねぇな」
見えない姿の声を聞きながら、カーレンはドアノブに手をかけた。
倉庫の中は、前回来た時と同じように古びた木箱と麻袋が乱雑に置かれている。中身は乾燥した雑草や虫よけの薬草だ。使われているように見せないと、浮浪者が住み着いてしまうとのことで、清掃はしているのに片付けだけはされない。研究室への入り口のカモフラージュのためとはいえ、カーレンはいつもこのちぐはぐな雰囲気の倉庫に眉を顰めていた。
カーレンが大きな木箱の一つを指し示すと、コリントがそっと魔法でそれをずらした。木箱の下から現れたのは、鉄製の扉だった。倉庫ではよくみるような地下の収納扉だが、万一使わなかったとしても、耐荷重の問題で通常はその扉の上に荷物を置いたりなどしない。
「軽いね」
「私が呪われているから、手で動かせるようにご配慮くださったのよ」
コリントが動かした木箱を見ながら独りごちた言葉に、カーレンは自嘲気味に呟いた。その言葉に、後ろをついてきていたサマンサがぴたりと足を止めた。
「……呪われる前までは重い荷が載っていたということ?」
「ええ」
サマンサの疑問に対して肯定すると、すぐさま鉄製の扉を微弱な魔力が覆い始めた。扉の前で、目に見えないコリントの呆れた声が聞こえる。
「やられたね。扉の補強結界を隠れ蓑にした魔力認証タイプの結界だ。認証外の魔力を拒否するようになっている。無理に入ったらどんな弊害があるか分からない。これは結界の一部麻痺なんてやり方できないよ。でも解除したら十中八九バレる」
コリントの説明に、場が静まり返った。外は薬草園が近いせいか、働いている人の声と作業音が遠くに聞こえる。
カーレンは普段から、少し上等な平民のような恰好をしてこの研究室までやって来ている。それは、外で作業している薬草園の人々の目があるためだ。貴族らしい格好をしてここに来れば、金目の物があると思う不届き者を呼び寄せたり、魔法使いの研究室があると露呈する可能性があるためだ。
逆にいうなれば、「いつも倉庫に来ている人が、普段は連れない人 と一緒に来ていた」という証言は免れない。結界を解除することはすなわち、カーレンの身の安全が保障されないということだ。
「……だから魔術師は厄介なんだよ。くそっ」
ケリーが吐き捨てるように言った後、床を撫でるようにざっと足を動かした。音がした方をカーレンが向くと、追い打ちをかけるようにケリーが告げる。
「嬢ちゃん、悪いことは言わねぇ、引き返しな。サマンサはこのままこっちが引き取る」
「ケリー!」
サマンサのケリーを非難するような声が倉庫に響いた。それに対し、ケリーは冷静な態度を崩さない。
「サマンサ。途中まで嬢ちゃんを送ってやれ。そのあと戻ってこい。三十分以内だ。嬢ちゃんは、帰り道に粗相をしたメイドはそのまま捨ててきたとでも言えばいい。あれなら外にいる人の前でサマンサの頬でも張りな」
「嫌よ! 私はマディを――!」
食い下がるサマンサに、ケリーは小さくため息を吐いた。
「フォーリォル家にいたところで、もう調べられるところにはマディはいなかったんだろ? 帰る意味あるか?」
ケリーの言葉に、サマンサは悔しそうに口を噤んだ。ぎゅっとチュニックの裾を掴んで握られた拳が震えているのが見える。
「どちらにしても、猶予はねぇ。嬢ちゃんが家に着いてから解除開始だ。こうやって時間くってる間に、レイの時間稼ぎがどうなるか分からねぇ」
「……ちょうど、お茶会が始まる頃か」
賛同するように、ケリーの言葉に続けてコリントが言う。
カーレンは、そっと入ってきた倉庫の入り口を見た。扉は閉められている。今そこをサマンサと出て行けば、カーレンは無事に家に帰れる。そして、研究室の侵入タイミングを考えると「手引きした可能性は拭えないが、証拠がない」として、震えながらも暮らすことができるだろう。最悪、サマンサに全ての罪を着せてしまえば、カーレンは被害者としての体面を守ることもできる。
――そこまでして、自分はフォーリォル家に戻りたいのか?
その自問に対する答えは、一つだった。だが、カーレンにはまだ、やるべきことが残っている。
カーレンは震えるサマンサの手を取った。
「サマンサ、お願い。一緒に帰って欲しい」
まさかの申し出に、サマンサの瞳がカーレンの顔を向いた。こうやって真っ向から自分の顔を見られたのは、もしかしたら初めてかもしれない。その瞳には、希望が宿っていた。
「おいおい」
ケリーが呆れたような声を出したが、カーレンは声のした方を向いて首を静かに振った。
「私、まだレイとの約束を守れてない。母様から、リーン叔母様からの手紙を借りられていないの。渋られていて……お願い、手伝ってほしいの。でも、今日の侵入がバレたら、たぶんあなたを安全に屋敷から追い出すことはできなくなってしまう」
「ちょっと待って」
カーレンの言葉に目を丸くしていたサマンサの瞳が曇る。
「貴女正気なの? 母親に手紙のことは既に依頼しているのに、その手紙が消えてしまったら、確実に貴女は犯人扱いよ。保身に走れる機会を棒に振る気?」
厳しくこちらを睨みつけるサマンサの黒い瞳を見ながら、カーレンは静かに答えた。
「彼に、恩を返したいの」
凛と響く意志の強い言葉に、サマンサは閉口した。自分の破滅を分かっていながら、振られた男に尽くそうとする目の前の愚かな女に、かける言葉を見失った。
「…………馬鹿じゃないの」
長い沈黙の後、絞り出されたサマンサの声に、カーレンはにっこりと微笑みを浮かべた。
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