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第109話 祈り馳せて
西エリアと中央エリアのちょうど境にあるレストランで、レイは待っていた。こぢんまりとした店内で、温かみのある装飾と季節の花が飾られた喫茶店は、ハーブティ専門店だそうだ。西エリアに広がる薬草園の入り口とも言える場所にふさわしいその店舗は、実は商人ピトルの末裔が営んでいるという。――といっても、商人ピトルは子宝に恵まれる家系だったらしいので、たくさんの末裔がいるだろうが。
首都の中心地にあるピトル広場の影響か、中央エリアには平民が経営している個人店が多い。ニーズがあるなら取り入れる商魂たくましい平民が営む店には、ザルハディア王国の根強い差別的な面を逆手に取り、魔術師の憩いの場として個室を用意している店がある。例に漏れず、ベイストン先生との待ち合わせに指定されたこの店も、一部屋だけ個室の用意があり、予約席として押さえられていた。
白い壁紙に合うよく磨かれたハニーブラウンのドアがノックされ、レイは席を立ってその人物を出迎えた。
「レイ・ヴェルノット君……で、いいのかな?」
ドアの向こうから現れた、背筋がきちんと伸びた老人が、穏やかな声で語りかけてきた。ルミアよりも年齢は上であるはずだが、しっかりと地に足を付けて歩いている。手に持った杖を床につこうともしないところを見ても、年齢と印象が全く合わない。年齢を感じるのは、肌の質感や皺の数、毛量ぐらいなものである。
レイは、その老人という『器』から滲み出る洗練された魔力を見ていた。長く研鑽を積んだ魔力は、タールマン・ギースには及ばないものの、樹齢を重ねた大樹の年輪のような厚みを感じる。魔力が洗練されれば老化が遅くなるといわれているが、まさにそれを目の当たりにしていた。
自然とレイは頭を下げていた。ザルハディア王国という魔術師にとって生きづらい環境で、これほどまでに積み上げた努力を見て、尊敬の念を抱かずにいられなかった。
「お初にお目にかかります。レイ・ヴェルノットです」
唇が震える。噛みそうになりながらも、レイはなんとか声を絞り出した。その肩に、優しく老人の手がそっと添えられた。
「そんなふうに頭を下げなくっていいんだよ。私は、君に救われた人間の一人だ」
顔を上げるように言われ、レイはそっと頭を上げた。目尻の皺を深くするように柔和な笑みを浮かべた老人は、身に着けているゆったりとしたローブの長い袖口から、使い込まれた分厚い手帳を取り出した。ぱらりと手帳を捲り、裏表紙の内側に挟み込まれていた古い便箋を抜き取ると、破れないように慎重に開いて見せてきた。
擦れたインクと手垢で汚れ、折り目の部分は紙が薄くなり綻 んでいた。ずっと持ち歩いていたのが分かるその手紙を見た時に、レイは思わず目を瞑った。
「覚えているかね?」
問われ、レイは目頭が熱くなるのを感じながらこくりと頷いた。――拙いながらも子供が一生懸命に書いたのがよく分かる「べいすとんせんせい、ありがとう」とだけ書かれた一文。インクを跳ねさせながらも、気持ちを込めて書いたその手紙の差出人は、紛れもなく幼少の頃のレイ自身だった。
老人は、細心の注意を払いながら手紙を折りたたみ、手帳の裏表紙へ大事そうに挟み込んだ。落ちないようにと手帳を紐で括って、また袖の中にしまい込むと、レイの手を取ってしっかりと握った。
「……ありがとう。君に会えるのを、ずっと、楽しみにしていたよ」
穏やかな声でそう言われ、レイはやっとの思いで目を開いた。眉を下げるように微笑むベイストン先生の手は、その表情とは裏腹にとても冷たく、レイは涙をこぼさないようにするので必死だった。
カーレンとサマンサが倉庫の中から出て行ってから、充分に間をおいてコリントは結界の解除に取り掛かった。
「ぎりぎりまで感知されないように頑張るけど、解除したらおそらくすぐにベイストンには伝わるよ。流石にその通報機構まで弄るとなると、時間が足りない……クラウスがいてくれたら、手分けできたんだろうけどね」
「悪かったな。呪われてて」
「呪われてなかったとしても苦手でしょ」
軽口を言い合った後、コリントが結界に魔力を這わせ始めた。コリントが集中し始めたところで、ケリーは左耳に装着した小型通信魔法機器に伝わるように小さく、
「クラウス、始める。なんとか時間を稼いでくれ」
と呟いた。程なくして、クラウスの方からトントンと話せない時の了承合図が送られてくる。
作戦開始。ここからは時間の勝負となる。ケリーは静かに息を殺して、集中するために隠密魔法を解除したコリントの背中を見つめていた。邪魔はしたくない。こういった時に、横やりが入らないように警戒するのがケリーの役目だ。
人には向き不向きがある。結界に侵入して改造するなんて精密な作業は、繊細な魔力操作以外にも本人の性格が深く関わる。ケリーやオリンのような我が強いタイプには、どだい無理な作業なのだ。そのため、オルディアス王国の諜報部でバディを組む場合は、こういった両極端なタイプが組まされることが多い。
そういった点においても、一人でその両極をこなせてしまう化け物が諜報部に三人もいるというのが、ケリーには意味が分からなかった。クラウス、タールマン、ルミア。我が強いくせにその精密な魔力コントロールと処理の速さが、まさに才能のそれだ。
ケリーが初めてクラウスの魔法を見たのはおよそ十年前。当時の自分を遥かに凌駕する実力の持ち主に、その若さで通常到達できないだろう高みまで登った、若者の凍り付いた表情を見て、哀れにも思った。
まるで血の通わない人形のようなクラウスを見た瞬間、ケリーはタールマンには人の心が無いのだと知った。まるで一つの作品のように成長した クラウスは、見事なまでに完璧だったのに、それを見るタールマンの目には、まるで失敗作でも見るかのような冷ややかさがあった
――クラウスに施した教育は、一種の人体実験だったのではないだろうか。ケリーにはそう思えてならなかった。
ザルハディア王国で、フォーリォル家が人体実験を行っている可能性が示唆され、今、実際にその一端を探るべくベイストンの研究室への侵入を開始している。
もし仮にそれが確証に変わったとして、人体実験における倫理面での境は、どこにあるのか。コリントの背中を見ながら、ケリーはそんなことを頭の片隅で考えていた。
一方その頃、マルキオン教授はどこか遠いところを見つめながら、ペリスコット公爵家のタウンハウスのソファに座っていた。一回り大きいコートを羽織っているためか、伸びをしても肩の部分が余って動かしづらい上に、いい素材を使っているのか非常に温かいが少々重い。もぞりと動く膝の上の気配に、はっとしてマルキオン教授は腕を下ろし、元の体勢に戻った。
膝の上には、クラウスとレイのジャケットに包まれながらふくふくと寝ているアースドラゴンの仔がいる。そして、マルキオン教授はクラウスのコートを羽織っている。こんなところを恋人のサルベルト教授に見られたら、どんなへその曲げ方をされるか分からない。レイのコートじゃないだけましかもしれないが、そもそもレイとは体格が合わないせいで着ることもできない。
――こんなことになるなら、あの時、面白そうだからと首を突っ込まなければよかった。マルキオン教授の中で後悔が渦を巻いていた。
「ベイストン先生とお茶をしている間、この仔を預かって欲しいんです」
すっかり出かける支度を終わらせた教え子のレイがそんなことを言い始め、マルキオン教授はぽかんと口を開けた。理由は簡単だった。カーレンがアースドラゴンに嫌われている理由が分からない以上、カーレンと同じ研究室にいるベイストン博士も対象の可能性がある。そうなると、お茶会どころの話ではなくなってしまう。次にいつ会えるか分からない上、粗相はしたくないと神妙な面持ちで訴えかけられ、マルキオン教授は面倒ごとは御免だといいながらも、渋々首を縦に振ったのだ。
アースドラゴンが安心して眠っている理由は、恐らくレイとクラウスの『匂い』だろう。その匂いが体臭なのか魔力なのかは分からないが、少しでも安心して待っていてもらうために、わざわざマルキオン教授は自身の匂いを消そうとクラウスのコートに袖を通した。
「自分の婚約者のコートを他の男が借りても、なんにも思わない?」
なんて茶々を入れてもみたが、レイは至極真面目に、
「俺のコートをマルキオン教授が着た方が、後が怖いんで」
と、返された。理由は違えど、自身と同じ結論に至っているのが面白い。彼は彼なりに、自分と同じ悩みを抱えているのかもしれない。いや、悩んでもいないか。彼のことだ。そんな婚約者の執着や束縛すらも、愛おしく感じていることなのだろう。似てもいるが、そこだけは決定的に彼と自分が違うところだ。
どうなっても知らないし、責任はとれない。そう彼に散々言い聞かせて、マルキオン教授はレイとクラウスを見送った。昼寝にしては長いように感じるが、アースドラゴンは起きる気配を見せない。
アースドラゴンの幼体が、どのような環境で育つのかは知らないが、突然人間世界にやって来て、日がな一日隠密魔法を行使し続け、自然エネルギーを吸収できないような環境にいたら、それは確かに疲れるだろう。ドラゴンの世界では、いつから独り立ちとなるかまでは知らないが、親元を離れてきているわけだ。寂しいだろうし、できるなら早く安心できる仲間のところへ帰してやりたいが、何故かレイの元を離れたがらないという。
正直なところ、今の状況が違法飼育とみなされたら非常にまずい。保護したと申し出るにしても、ペリスコット公爵家に押し付けるにしろ、責任が負えない。どうするつもりなのかレイに聞いても、むしろレイも困り顔であったし、クラウスに至っては何を考えているのか分からない。だが、ザルハディア王国の侯爵家とのつながりもあるようだし、ペリスコット公爵家との伝手もある彼なら、最終的にはレイに被害が出るようなやり方はしないだろう。
マルキオン教授はげんなりと宙を見ていた。なんだかんだ言いながらも、懐に入れた人物には甘い自分を恨んでいた。――退屈で死にそうだ。物理的に動けないこの状況が、何を差し置いてもマルキオン教授には苦痛でしかなかった。
レイから借り受けた古代エルフ語の翻訳と原文は、もう三回も読んでしまったし、開催されている学会のレジュメを見直すのも飽きてきてしまった。ずいぶん前にお茶会は始まっているだろうが、レイ達はいつ頃になったら戻ってくるだろうか。
そう思っていた矢先、膝の上の温かい生き物が、のそりと頭を擡げた。
茶と緑に揺れる光を宿す鱗が、レイとクラウスのジャケットの隙間から姿を現す。アースドラゴンの仔は、くわっと欠伸をして、ふとマルキオン教授と目が合わせた。
一瞬の沈黙。そして、アースドラゴンの仔はきょろりと部屋を見渡した。もちろん探している人物は、見当たらない。
「あー……」
マルキオン教授は、背中にジワリと冷や汗をかいた。アースドラゴンの仔の緊張したような瞳がマルキオン教授に向いている。
「……レイ君たちなら、ちょっとお出かけ中だよ。だから僕と一緒に――」
言い終わらぬうちに、マルキオン教授の視界でレイとクラウスのジャケットが跳ね上がった。マルキオン教授の膝を蹴って飛び上がったのを最後に、突如としてアースドラゴンの姿はかき消えた。――隠密魔法を行使された。ジャケットが床に落ちるよりも早く、窓ガラスが割れる音がして、慌ててマルキオン教授はベランダの方を向いた。窓ガラス一枚分を派手に割って破片を撒き散らしながら、見えない何かが空を飛んでいった。
廊下をばたばたと走る使用人の足音が聞こえる。マルキオン教授は、入り込んできた冷えた空気にぷるりと身を震わせながら、クラウスから借りたコートの衿を立てた。
「…………どーしてくれんの、この状況」
マルキオン教授はぼやいたが、もちろんそれに答えてくれる人など部屋にはいない。部屋のドアをノックされる音を聞きながら、マルキオン教授は頭を抱えた。
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