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第110話 業火

 コリントが結界を解除した瞬間、地下へと続く階段を阻んでいた鉄製の扉は独りでに開いた。その瞬間、パンッ! という破裂音とともに赤い光が弾け飛んだ。弾けた光はすぐさま一点に集中し、鳥のような形を模すと、瞬く間に閃光となって倉庫の屋根を突き破り、空を翔けて行った。 「通報機構が作動した!」  コリントの切羽詰まった声を合図に、二人は地下へと走った。いつ研究室の主が帰ってくるかも分からない。焦る気持ちを冷静に押し留め、足音が響くのも構わずに駆け下りた。  扉が開いた瞬間に、壁に付いている照明が階段を煌々と照らし、数段飛ばしながらでも簡単に降りることができた。 「おい怪我人! 無理するな!」  まだ隠密魔法薬の効果は切れていないので、姿は見えていないはずだが、恐らく響く足音で分かったのだろう。コリントから叱咤がとんだが、ケリーはそれを無視して走り続けた。  階段を降りきった先は、明るく消毒液の香りがプンと鼻につく小さな部屋だった。本棚と薬棚が壁を埋めており、棚に入りきらない行き場を失った物たちは、乱雑に床に積み上げられている。中央に配置された部屋の狭さに見合わない大きな机の上にも、調合台を中心に資料と思われるレポート用紙や試薬がひしめき合っていた。  カーレンから事前に聞いていた情報をもとに、地下研究室に入って二人はそれぞれ違う方へ向かった。ケリーは薬棚へ、コリントは部屋の奥にある小さな扉へと走り出す。  薬棚の戸を奥から順に開きながら、ケリーは声を張った。 「結界はッ!?」 「ない! 施錠魔法だけ!」  すぐにコリントが返答をする。ケリーは次々と戸棚を開け続け、五段目にしてやっと目的物を見つけた。  棚の中に入っている呪いの浄化薬が、ざっと見える範囲で二十本程。実際に魔力が呪われた魔法使いが正規のルートで浄化薬が与えられる場合は、多くても一週間に一本を目途に処方される。それに対し、研究用としてストックするにしても、使用期限が三か月の物をこんなに置いておくのは、常識的には考え難い。  ケリーは手前にある浄化薬を一本手に取り、ラベルを確認した。製造日はおよそ三週間前。問題なく使えるものだ。 「頼むから、偽物なんてオチはやめてくれよ……?」  ケリーは浄化薬の栓を開け、一気に呷った。喉を通り胃に落ちる寸前、浄化薬が胸へ瞬時に浸透し、食道から薬の存在そのものが消えた。まるで錆が溜まっていたかのような魔力回路が活発に働き始め、清流がごとく澄み切った気分がする。――体が軽い。 「っ! はぁ~~っ! 生き返るぅっ!」 「おいオッサン! さっさと行くよ!」  コリントの呆れ声を浴びて、ケリーはニヤつきながらもう三本程浄化薬を拝借した。一本はロープでベルトから吊り下げ、残り二本はコリントに投げ渡した。むっとした表情でそれを受け取り、コリントは背負っていた鞄に浄化薬を収めた。  施錠魔法を解除すると、さらに地下深くへ通じる階段が伸びている。薄暗い階段には鉄格子がはめられており、目を凝らして確認すると、格子に小さな文字が彫られている。 「……こりゃぁ……」  ケリーの口から思わず声が漏れた。隣にいるコリントもこちらを見ていた。隠密魔法を使っているため視点は微妙に合わなかったが、考えていることは同じようだった。  鉄格子に施されている結界は、侵入者に対するものではなかった。むしろ、中から外へ出さないための結界だ。こういった結界は、脱獄防止用に監獄などに施されることが多い。  カーレンは言っていた。「研究室の奥には、絶対に入るなと言われている」と。入ったら、研究室への出入りを禁じると言われ、それを愚直にも守っていたという。――サマンサの言う通り、カーレンはスパイには全く向いていない。だが、彼女は自身の信念にまっすぐ向かえる強さがある。そのために彼女は、ベイストンの言葉を受け入れ、この部屋に入ろうとはしなかった。その素直さが、彼女を守ったと言い換えても良い。  ケリーは鉄格子の鍵に向かって開錠魔法をかけた。先ほどまで澄み渡っていた魔力に、インクを一滴垂らされたような不快感を覚える。呪いの浄化薬は、一時的に魔力の汚染を濯ぐだけの洗浄剤だ。呪われている限り、魔力を使えば汚染された魔力が生み出される。例え生活魔法程度の軽微な魔力消費でも、濁るものは濁る。  コリントがじろりとケリーの方を見る。しかし、ケリーは何も言わずに鉄格子の扉を開き、身体能力強化魔法を行使した。魔力の汚染による体に広がる不快感から目を逸らし、勝手に扉が閉まらないよう、そのまま鍵の部分を力づくで歪め、機構自体を物理的に壊した。  呆気にとられたような視線を向けてくるコリントに、先ほどベルトに引っ提げた浄化薬を手に取りながら、ケリーはしれっと言ってのけった。 「ベイストンが帰って来て、蓋をされたらどうする。もう侵入者がいることはバレてんだ。行くぞ」  身体能力強化魔法を解かずに、ケリーはちびちびと浄化薬を飲みながら階段を降りて行った。  階下が近付くにつれ、腐敗臭が強くなる。思わず口を覆いたくなる衝動を抑えながら、ケリーは進んだ。階段を降りきる前に、レイの隠密魔法薬の効果が切れ、コリントが小さく声をかけてきた。  なるほど、確かにこの隠密魔法薬の効果がいつ切れるか分からないのは、確かにリスキーなものかもしれない。服用したタイミングとの時間を見ても、一時間は経っていない。こちらの魔力が呪われているせいなのか、個人差なのか、聞いていた話よりは短い効果時間である。  隠密魔法をかけるかどうか迷いながら、ケリーは最後の段を降りた。もう侵入していることはバレているんだ。今更だ。  薄暗い地下は、魔力機構が組まれたランプが点々とぶら下がり、通路と称するには必要最低限(なら)して固めた地面に、安いタイルを敷いただけの冷えた空間だった。どこかに換気用のダクトがあるのか、空気の流れは感じるものの、吐き気を催しそうな程の悪臭は途切れない。  ランプが下がっていない通路の奥の方は暗く、階段から数メートル程先しか視認することはできない。だが、ケリーは野生の勘とも言える何かで、感じ取っていた。  触れてはいけない何かが、奥に『在る』。本能で分かる。生きたいなら退却するべきだ。だが、諜報部としては下がれない。  ケリーは諜報部で自身を育ててくれた先達(せんだつ)の教訓を、遵守することを決めていた。「後衛を何としても守るのが前衛の務め。後衛さえ生き残れば、情報は持ち帰れる。次に守るのは後輩だ。自分は最後で良い」。国に仕えると決めた以上、駒として生きるのは避けられない。その中で、自ら決めて生きることができるのは生き様だけだと、耳に胼胝ができるほど言っていた。  ――その先達すら、自身のバディを守って散っていった。現在そのバディは、心を壊して戦線を離脱している。先達は、本当にバディを守ったのか。本当の意味で、守れたのだろうか。その疑問は尽きない。  手の中にある浄化薬の残りをぐっと一気に呷り、前方から視線を外さず、空になった瓶を後ろにいるコリントへ差し出した。コリントは何も言わずにその空の瓶を受け取り、その場で待機した。中身が入っていようが投げて渡してくるような粗暴な奴が、わざわざ手渡してくる。その意味を理解して。  ケリーが警戒している。それだけ、何か異常なものが先にある。コリントは視線を逸らさずに、全方位に神経を尖らせた。  折れている足の痛みすら感じないほど、ケリーは緊張していた。掌にじわりと汗が滲むのを感じながら、足音を立てず、慎重に歩を進める。強い腐臭と暗い視界の中、左方で何かがのそりと動く気配がして、ケリーは身構えた。 「……ガ、ぁ」  人の声だった。いや、人だったモノの声だった。脳がバグを起こしたかのように、勝手に記憶の中の音と照合を始める。ぎりりと歯を食いしばって、ケリーは戦闘態勢に入った。  人の形を成したままの、命亡き者、生きる屍(リビング・デッド)。腐食した皮膚がこそげ落ち、ところどころ骨を空気に晒している。落ちくぼんだ双眸に眼球はなく、だらりと降ろされた両手首に手錠が嵌められていた。  ゆらりと危なげに体を前に倒し、生きる屍が踏み込んで飛来した。ケリーは血が沸騰しそうな程の怒りを覚えながらも、冷静に一歩引いて、生きる屍の着地点にタイミングを合わせて蹴りを入れた。  身の毛のよだつような粘質のある感触と、相手の骨を砕いた感覚が足の裏から伝わる。身体能力強化魔法をかけた蹴りは、干からびかけた骨に強烈に響いたようだ。生きる屍の体が通路にゲシャリと音を立てながら転がるのを、そのまま追いかける。  ケリーは、起き上がろうともがく生きる屍の背中を踏みつけ、背後から相手の耳に手を伸ばした。生きる屍の耳から垂れる銀色のステンレスピアスを耳ごと引きちぎる勢いで取り上げると、生きる屍の耳たぶは容易に裂けてピアスだけが手の中に残った。  ピアスをとられたことで、生きる屍はぴたりと動かなくなった。それが、ケリーにとって何よりも悲しかった。 「……形見って、言ってたよな?」  ケリーは、静かにそう告げると、自身の中の魔力を目一杯振り絞って、上級火魔法の構成を整えた。呪われた魔力を使うことで、魔力回路が悲鳴を上げる。だが、ケリーには、その痛みすらも麻痺して感じることはできなかった。  生きる屍の上から足をどかし、祈りを込めて、魔法を行使した。 「マディ……この、馬鹿たれがッ!」  業火が生きる屍を包み込む。それは、十秒にも満たない間に一片の灰すら残さず、綺麗に骸を焼き尽した。墓を建てることができるかも分からない。ケリーは、手の中にあるステンレスピアスを握りしめながら、もう消えてなくなった炎の残影を見ていた。  香り立つハーブティに口を付けて、レイはカップをソーサーの上に置いた。レイの幼い頃の話から、最近の研究についての話を聞きたがるベイストン先生に、レイはにこやかに答えていた。 「なるほど。古代エルフ語で書かれた文献に、毒物の相乗効果で魔力回路のみを眠らせる魔法薬。……興味深い」  ソーサーにカップを置いたレイとは反対に、カップを持ち上げるベイストン先生は、優しい表情の中に研究者としての強い眼差しを宿していた。自分よりも高位の魔法薬士と、自身の研究について語り合える喜びは、やはり何においても嬉しい限りだ。 「今日、持参すればよかったですね。申し訳ない」  レイは、翻訳し終えたものをマルキオン教授の元へ置いてきたことを少し後悔した。だが、アースドラゴンの子守りとして目新しい何かを差し出しておかないと、教授の事だ、飽きて発狂してしまう。だが、ザルハディア語ではなくオルディアス語で書かれたものをベイストン先生に見せるのも憚られたのだ。いや、もしかしたらベイストン先生なら古代エルフ語を読み解けたかもしれない。現物だけでも持ってくればよかっただろうか。  そんなことを考えていた時だった。窓の外で、強い魔力の気配を感じた。決して近いわけではないがそれほど遠いわけでもない。西エリアの方角で噴き出すように上空へと飛んだ魔力の塊が、弾けて小さな粒子となって降り注ぐような、そんなよく分からない感覚だった。  レイがクラウスへ視線を走らせたと同時に、ベイストン先生のローブの下、胸一点が赤く点滅しはじめた。ベイストン先生も気が付いたようで、はっと自身のローブを見下ろし、手でそっと光を覆い隠した。 「……レイ君。悪いが、研究室で何かがあったらしい」  ベイストン先生が突然そう言うと、席を立ちあがった。その一言で、レイは察した。あの魔力反応は、ケリー達がベイストン先生の研究室で何かをしたのだろう。そして、それが今本人に伝わった。あの空から降り注ぐ粒子のような魔力は、それをベイストン先生に伝えるための伝達手段か! 「――それは、大変ですね。先生の研究が盗まれでもしたら一大事です」  そう言いつつ、レイも一緒に立ち上がった。どう足止めするか。怪しまれないようにどうすればいいだろうか。何も知らなかった自分なら、どう立ち振る舞うか。そんなことを並行して考えていると、ベイストン先生は変わらない柔和な態度のままゆっくりと口を開いた。 「いやはや、申し訳ないね。せっかくの機会が、こんな形で終わってしまうのは……あぁそうだ、レイ君も来るかね?」  ベイストン先生の思いがけない申し出に、レイは立ち上がったまま硬直した。  通常、大学などの学びを共有する場を除くと、同じ研究室に所属している弟子以外は、自身の研究室に招いたりなどしない。それは、守秘義務や情報漏洩・技術搾取に繋がるためだ。  それだけに、研究室へ招かれるというのは、魔法薬士としての誉れでもある。研究室へ招くに足る信頼を得た。あの、呪いの治療の第一人者である、タイアーニ・ベイストン先生に! 喜びに打ち震えない者などいないだろう。 「よ、よろしいのですか?」  動揺を隠しきれず、レイはベイストン先生の色素の薄い青色の瞳をまっすぐに見つめた。すると、柔らかい態度を崩さず、ベイストン先生は瞼をゆっくりと閉じて、笑った。 「あぁ、もちろんいいとも。君に見せたい物もあったしね」 「見せたい物?」  そう応えつつも、レイは部屋の隅にあるコート掛けに向かいながら、クラウスに目配せをした。クラウスも、一瞬ピクリと眉を寄せて反応を返してくる。 「――馬車の手配を」  小さく言い置いて、クラウスが退出しようと踵を返した。なるほど、馬車の手配に時間を稼ぐ方法か。そう思いながらレイはコートを手に取った時だった。ゆっくりと椅子を戻したベイストン先生の一言に、一瞬にして空気が凍った。 「そう。ドラゴンの鱗が手に入ったんだよ」

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