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第111話 答え合わせの時間

 コートを取る手が震えた。視界の端で、クラウスがドアの前に立ち、こちらの様子を窺っているのが見える。  信じたくない。できるなら、聞きたくない。そう思いながらも、レイは一度手に取ったコートをそのままコート掛けに戻し、ベイストンへ振り返った。 「……ドラゴンの鱗、ですか」 「おや、興味はなかったかな?」  不思議そうな声で聞き返しながらも、ベイストンは穏やかな態度を崩さない。研究室で何かが起こっていると分かっていても、この落ち着き払った態度には違和感を覚える。  ドラゴンの鱗は、希少価値の高い素材だ。興味をそそられない魔法薬士などいるはずがない。それが分かっているからこそ、ベイストンはそう言ったのだろう。 「いえ、そんなことは……。ですが、どうやって? 競売にかけられたなんて話も聞きませんし」 「ちょっとした伝手でね。長生きはするものだよ」  レイの質問にも、優しい笑みを浮かべながら親切に答えてくれる。それが嘘か本当かは置いておいて。  心に刺さった疑念は、悲しいかな、もう止まらない。 「……そうやって、他の魔法使い達も、研究室へ招かれたんですか?」  間を置かずに返ってきていた答えは、ここで途切れた。変わらない笑みを湛え、背筋を伸ばし、レイをまっすぐに見つめてくるベイストン。彼は、レイが言葉を続けることを待っている。  クラウスは、見えないようにベルトに差し込んであったナックルグローブを引き抜いて、後ろ手で両の手にはめた。そして、クラウスはドアの前から動かない。レイが、ここでことを構えることを選んだからだ。 「フォーリォル家に関わった魔法使い達が、ここ数年で姿を消しています」  冷静を装っても、レイの声はわずかに震えた。怒りなのか、悲しみなのか、感情の置き場が見当たらない。 「その中の一人が、こう記録を残していました。――『明日、ベイストン氏から夕食に招かれた』と。その後、手記は更新されることなく、本人は姿を消しました」  レイの言葉に、ベイストンの笑みは深くなる。厭らしさもなく、ただ慈愛を帯びたその表情は、正解に辿りついた弟子を褒める師の姿であった。レイが見つめ返しても、ベイストンは口を閉ざしたまま、その微笑みを絶やそうとはしない。 「先生……教えてください」  レイは、深く息を吸い込んで、心を奮い立たせた。 「俺を、ザルハディア王国へ招いてくれたのは……伝説の魔術師ルミアの孫を、『竜人(ドラゴニュート)計画』に使いたかったから、ですか?」  深い沈黙が下りる。レイとクラウスの視線はベイストンへ注がれる中、当の本人だけが、ローブの袖口から皺のある手を自身の顎に当て、剃り残した髭があるかを確認するかのように(さす)っている。弟子からの問いかけを咀嚼し、吟味する姿からは、余裕すらも見て取れる。  ――そもそも、最初からおかしかったのだ。魔法薬士の力が強い国だからといって、一個人が国に働き掛けて入国禁止令を覆せるわけなどない。前提が違う。国が陰で行っている伏せられた計画。それに使うための『素材』を輸入するための手段。そうでなければ、レイごときが特別に入国できるわけなどなかったのだ。 「なるほど、なるほど」  ベイストンが頷きながら、そう呟いた。 「概ね、間違っていない」  採点するかのように楽しそうにそう言うベイストンの声は、とても楽しげであった。話を続けるために喉を潤したかったのか、テーブルの上のカップに手を伸ばし、立ったまま持ち上げる。 「回答を訂正・追加するかね?」  聞いた後に、カップに口を付ける。ベイストンのあくまでもレイに答えさせようとする姿に、クラウスは静かに怒りを覚えた。だが、レイが黙したままベイストンを見つめていたため、クラウスはいつでも魔法を発動できるように構成式を頭で整えるまでに抑えた。  これは、ベイストンを足止めするという諜報部の任務でもあり、彼の希望でもあった。  レイの眉間には深く皺が寄り、瞳は悲痛に満ちていた。しかし、クラウスは知っている。彼は、そんなことでは思考を止めたりはしないことを。 「……俺を呼ぶこと自体に、意味がある……?」  レイはぽつりと呟いた。ベイストンはレイという人間を知らない。研究に協力するような者かも分からないのに、魔法薬士として呼ぶことは考えにくい。加えて研究を支えるような知恵を授けられる人間でもなければ、魔法薬界隈において広く名の知れたものという訳ではない。であれば、レイをザルハディア王国に呼ぶことで達成する何かがあるということだ。  しっかりと瞼を閉じ、思考を巡らせる。考えろ。自身が置かれた環境と、それに付随する価値を――。 「……祖母を、おびき出すこと?」  ザルハディア王国は、オルディアス王国へ嫁いだフーリシュカ姫の依頼をもとに動いている。もちろん、竜人計画が上手くいけば、国益にもつながることを見込んでの話ではあるだろう。そして、フーリシュカ姫の願いは、息子である第二王子ケイオールのために、王太子を支持するルミアの排除と、ルミアの代わりの戦力提示だ。  であるならば、レイを餌にルミアをおびき寄せ抹殺するか、それこそ竜人計画の素材に、あるいはその両方が叶えば、ザルハディア王国としては願ったりかなったりだろう。  しかし、ベイストンは軽く頷いただけだった。 「それもまた、然り。けれど、伝説の魔術師が今オルディアス王国にいないことも把握しているよ。北の大国にいるのだろう? 今年の夏頃に、伝説の魔術師の仕業としか思えない超高度遠距離攻撃魔法が、北の大国からオルディアス王国へ発射されているのはこちらでも観測している。そして、その後オルディアス王国に入国した形跡もない。いつ頃帰国するかも分からない相手を待つのは、こちらとしても微妙な賭けになる。だが、そういう目論見が無かったわけではない」  提出されたレポートに赤を入れるように、ベイストンは流れるように解説した。そして、にっこりと微笑む。 「ただ、考え方の方向性は間違っていない」  続けて、とでもいうかのように、ベイストンは再び嬉しそうにカップに口を付けた。促されたことで、レイが再び思考の底へと潜っていく。  確かに、ルミアをおびき出すだけなら、数年前にザルハディア王国で開催された魔法薬学集会シーズンでレイと接触を図ればよかった。前回と今回で何が違う。何が変わった? 年齢? それとも――。  不意に、カーレンとの会話が脳裏をかすめ、レイははっとクラウスの方を見た。変わらない藍色の瞳が、心配を滲ませつつ「何かあったのか」とこちらに向いた。視線が合うと、レイの目はそれを避けるように宙を彷徨わせながら、思い当たった事柄を基に話を組み立てた。  辻褄が合う。だが、それがもし本当だったならば、レイはベイストンを、フォーリォル家を、ザルハディア王国を、絶対に許すことはできない。  レイはベイストンへと視線を向けた。レイの一連の行動を見て、答えに辿りついたのが分かったのか、ベイストンはにこやかにレイのことを見ていた。  拳を固く握り、レイは湧き上がる怒りを鎮めながら、ベイストンに向かって口を開いた。 「……竜人計画の被験者候補に、クラウスが入っているのか」  レイの静かな問いかけは、クラウスの細い目を一回り大きく開かせた。藍色の瞳がベイストンに向いたとき、老人の口元は喜びにあふれ、わずかに前歯を見せていた。  奥に続く暗闇に、ケリーは何も言わずに歩を進めた。余韻に浸るでもなく歩き始めるケリーの背中を、間を開けてコリントは追いかけた。黒々と灼けた安いタイルの横を通り過ぎる時、コリントは眉を寄せて目を逸らした。どうにも、直視することができなかった。 「ケリー」  呼びかけても、反応はない。コリントは小さくため息を吐いて、背負っていた鞄から呪いの浄化薬を取り出すと、足早に駆け寄って瓶の底でケリーの背中をつついた。 「……いるでしょ」  無言で進んでいたケリーも、これには立ち止まった。冷静になろうと努めているものの、全く冷静に自分を観察できていないことが流石に分かったのか、ケリーは小さく肩を落とした。それでも、こちらに顔は見せてくれない。見向きもせずに立ち止まり、ぐっと息を殺している背中に、コリントはそのまま静かに身を寄せた。  ケリーとコリントの魔力の相性は、そこそこだった。ずば抜けて良いわけでもないが、決して悪くない。ケリーの脇の下から両腕を通して、浄化薬の瓶をケリーの前に持っていってやると、ケリーは何も言わずに浄化薬を受け取った。空いたもう片方の手は、そっとケリーの腹に添える。抱きしめるでもなく、触れるぐらいの僅かな接触だった。  黙って栓を開け、呷るように飲み干し、空になった瓶をコリントの手の中に戻す。その間、コリントはただ黙って後ろからケリーの肩に額を付けて待っていた。掌に空瓶がしっかりと押し当てられ、受け取ったと同時に額を離すと、引っ込めようとしていた手首を掴まれた。  驚いてケリーを見たが、やはりこちらには顔を向けてはくれず、しっかりとした首筋を眺めるだけになった。  彼の腹そっと添えていた手に、細長い形状の硬く小さいものを握りこまされた。感触で察して、コリントは再びケリーの肩に額を落とす。――かつてはマディの親の形見だったステンレスピアスを、託された。後衛の義務だとしても、こういう瞬間は、やはり精神的にクるものがある。 「コリント」  手首を掴んでいた手が離れると同時に、ケリーが唇を開いた。 「帰ったら、ちょっとだけでいいから……慰めてくんねぇ?」  普段と違い、少し震えた小さいケリーの声に、コリントは奥歯を噛み締めた。弱りながらもきちんと帰るという宣言をするケリーに、応えるのもバディの務めだ。  さぁ、顔を上げろ。後衛が元気じゃなければ、前衛は立っていられない。こいつを生かすのが、自分の仕事だろう! 「……ちょっとでいいわけ?」  己に安い鼓舞をして、軽口で返す。ゆっくりと手を引っ込めると、両手にそれぞれ空になった瓶と、汚れて曇ったステンレスピアスが見えた。重量としては軽いはずなのに、やけに重く感じる。その二つを鞄にしまいこもうとしたところで、ケリーが小さく笑った。 「優しいじゃねぇか。なら、期待していきますか」  首筋を伸ばすように左右に振りながら、自身を奮い立たせて歩いていくケリーを見ながら、コリントも背を押されるように続いた。  ゆっくりと歩を進めるケリーの後ろをついて行きながら、コリントは警戒しつつもこの通路を観察していた。  まるでこの地下自体が、突貫工事で造り上げたかのような場所だ。しかも、途中からは補強工事しかなされていないような印象を受ける。マディが最初にうろついていた場所から数歩先からは、地面にタイルは敷かれておらず、突然足の裏に感じる硬い土の感触に、コリントが眉を顰めた時だった。  視線の先にある深い闇の中で、大きな何かが動いた。重そうな金属が擦れて音を奏で、ずるりと何かが地面を這うような音が聞こえると同時に、ケリーは立ち止まった。  コリントは、いつでも上級結界を張れるように魔力を練り上げた。ケリーは魔力が呪われている。彼自身に行使させる魔法は必要最低限に留めたい。前方を注視しつつも、コリントはいつでも撤退できるように後方にも気を張った。  見られている。前方から感じる視線に、二人は臨戦態勢を崩さない。  ケリーが、僅かに重心をずらし、折れていない方の足に力を入れたのがコリントには見えた。――先に仕掛けるつもりか。コリントがケリーに結界膜を行使しようとした瞬間だった。 『……アレを弔ったということは、どうやらお前たちは奴らの仲間ではないようだ』  人ならざる者の唸るような低音に重なるように、魔力の波動が人の声を模して空気を震わせた。それは芯がぶれそうな程に体内を揺らし、胃の腑を凍えさせた。  訓練でタールマンの殺意を浴びた時よりも恐ろしい。想像を超えるような殺気の籠らない圧力を、二人は過去に感じたことはなかった。明らかに理解の外にある存在が、目の前にいる。  殺気が向けられていないこと、それだけが生きていることを実感させた。もしこれがただの気まぐれならば、次に息を吐いたときには殺されるかもしれない。  品定めをするかのような視線は途切れることなく、ただ命は握られている。その緊張感で、コリントはただ震えていた。だが、目の前にいる存在の見当はついている。レイは言っていた。あのアースドラゴンの仔を転移させてきたのは、仔の魔力に似た違う存在だと。 「あ、なた、は……」  声を絞り出すのがやっとな程、肺が縮こまっている。しかし、コリントはそのまま全身の力を振り絞って声を発した。 「あの、アースドラゴンの仔の――」  言い終わる前に、コリントは魔力の波動を浴びて口を噤んだ。噤まざるを得なかった。全身が見えない圧でつぶされそうになるのを、両足に力を込めて耐えた。  重力に干渉した? ドラゴンの魔法? 行使された魔法を感知することもできないような高度な魔力操作が、一瞬で行われたというのか?  尽きない疑問が一瞬のうちに駆け回る。それと同時に、コリントは自分の目の前に立っているケリーが膝をついたのが見えた。 「ケリー!」  叫び、コリントは効くかも分からない上級結界を行使した。二人を包み込むようにドーム状に張られた上級結界は、魔力の波動を浴びてわずかに軋んでいる。  先ほどまで感じていた圧力が少し薄れる。あれは魔力の波動によるものだったのか、それとも結界を一枚隔てたという精神的な距離感のためか、はたまた別の要因なのかも分からない。 『……あの仔が、どうしたというのだ?』  再び、あの唸るような低音と、人の声を模した魔力の波動が重なって響いた。上級結界を、一言発するだけで軋ませる。コリントは、クラウスの上級結界がアースドラゴンの仔に破壊されたことを思い出した。いざ牙をむかれたら、自分の上級結界など到底保つわけもない。 「あの仔、は……っ、こちらで保護しています!」  息を吐ききるようにそう言うと、ふっと体が一気に楽になった。先ほどまで鳴っていた上級結界の軋む音も聞こえない。ただ、緊張から解放されたことにより、知らずして肩で息をしていた。 『ふむ』  変わらず音が二重に聞こえるのは変わらないが、先ほどまでの圧力は全く感じない。ぽかんと深い闇を見つめていると、ぽっ! と小さな魔力の照明が浮かび上がった。  照らし出されたのは、広い穴だった。しかし、その中にすっぽりと収まるように、巨大な鱗の塊が丸くなるように寝そべっていた。それは、レイの膝の上で小さな寝息を立てていたあのアースドラゴンの仔の何倍の大きさかも計り知れない。尾の先に灯された小さな魔力の照明だけでは、その全貌を照らし出すことはできず、ただ茶とも緑とも言い難い幻想的な鱗の揺らぎを見せていた。  目を凝らして見ると、尾の付け根や脚に、太く巨大な鉄の輪がはまっており、そこから大きな鎖が穴の奥へと伸びていた。その鉄の輪には魔法機構が施されてあるのか、大きく彫られた魔法機構の構成文字が見える。もしかしたらアースドラゴンを弱体化させる何かかもしれないが、それでも尚、魔術師二人を圧倒する程の力を解放できている。  結局、人間にはドラゴンは御しきれない。それをまじまじと見せつけられているようだった。  アースドラゴンは、穴の天井すれすれに頭を持ち上げていた。遥か上にある大きな金色の光彩が、二人を見下ろしている。 『詳しく、聞かせてもらおうか』  そう宣うアースドラゴンを見上げてから、ケリーとコリントは一度顔を見合わせた。時間は惜しいが、これが今回の事件の全貌を明かす最後のチャンスかもしれない。二人は頷き合って、再びアースドラゴンを見上げた。

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