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第112話 彼は愛されていたのか
トンッと軽い音を立てながら、ベイストンは手にしていた杖の先を床につけた。握りこまれて見えない杖の持ち手が淡く光った瞬間、クラウスは練り上げた魔力を放った。素早く翳した手の先から、ベイストンを拘束しようとクラウスの魔力が瞬時に伸びる。しかし、ベイストンは抵抗するでもなく、そのまましなやかに襲い掛かる魔力の鞭を受け入れた。クラウスの魔力の鞭はぐるりとベイストンの腕の上から胴に巻き付き拘束すると、クラウスの指先から伸びた魔力の鞭がピンッと張った。
面白いものを見たかのように、小さく笑い声をあげるベイストンは、引っ張られたためによろけて半歩前に足を踏み出した。つんのめるだけで倒れ込まない老体は、余裕の表情を崩さない。
洗練された魔力の持ち主は、ここまで肉体の衰えを感じさせないものなのか。レイには、その高みに至った者が人としての道を踏み外してしまったことが、残念でならなかった。
「……何をしたんです?」
レイは、自身に巻き付いているクラウスの魔力を観察しているベイストンへ静かに問いかけた。ベイストンは魔力による拘束縄から視線をあげると、いとも簡単に答えた。
「いやなに、せっかくだから、君たちのお仲間にサプライズをね」
さらりと言われた言葉に、レイの心臓は跳ねた。それを面 に出さないよう取り繕ったが、ベイストンはにやりと笑みを浮かべる。
「私が『研究室で何かがあった』と言った時、君は『研究が盗まれたら』と言ったね?」
指摘を受けて、レイは自分の失態に奥歯を食いしばった。――レイはケリー達が侵入していることを知っていたために、何かがあったと言われ、そう答えてしまった。確かに、その『何か』を言及はされていない。火事が起こったのかもしれないし、カーレン以外にいるかは分からないが、弟子が何かをやらかした可能性だってある。
ベイストンはやれやれといったように肩をすくめた。
「かけても構わないかね? 最近腰の調子がよくなくてね」
テーブルに戻してしまった椅子を視線で指し示し、拘束されている手をもぞもぞと動かした。自分では椅子を引けないと訴えかけられ、レイはちらりとクラウスに視線を送ってから、コート掛けの前から一歩も動かず、浮遊魔法で椅子を引いてあげた。
ゆっくりとベイストンが椅子に腰かけると、胴に巻き付いていたクラウスの魔力が更に枝分かれし、椅子の背もたれを巻き込んで拘束を強めた。
「ふむ。お茶は飲ませてもらえないか」
諦念を帯びた声を上げるベイストンに、レイは厳しい表情を向けた。その余裕は一体どこから来るのだろうか。隠すつもりがないのか、開き直りなのか。その気持ち悪さだけが神経を逆なでる。
「……サプライズとは?」
レイはケリー達の無事を内心で祈りながら、言葉を投げかけた。魔力が呪われているケリーとサマンサを含めても、魔術師が三人いる計算になる。何かがあっても、レイの心配など杞憂で終わるだろう。そう自身に言い聞かせた。
ベイストンは、観察するようにその薄い青色の瞳をレイに向けてきた。じっくりとこちらの反応を吟味するように見てから、小さく頷くように口を開く。
「竜人計画の事までどうやって知ったのかを考えると……あの庭師の男は、なかなかできる男だったようだね」
確信めいた表情で質問を返されるが、鎌をかけられているのが見て取れた。実際にレイはマディに会ったこともなければ、マディが竜人計画について情報を持ち帰ったわけでもない。それに、約一か月前に姿を消したマディと、一週間前にザルハディア王国に降り立ったレイでは、接点がないのは当たり前だ。そこを繋げようとするだけの根拠は、ベイストンにはないはずだ。
情報の漏洩元を探ろうとしている。この国が水面下で行っている謀 が、どのくらいの規模で行われているかは分からない。だが、「次は自分が被験体になるかもしれない」などと思われるような後ろ暗い実験を、広く募って行っているわけがない。であるなら、情報漏洩元がフォーリォル家かザルハディア王国か、そのどちらからかを見極めようとしているのだろう。
レイはすぐさま怪訝な表情を浮かべてみせた。だが、それすらもベイストンは朗らかな笑みで一蹴される。
「こちらとしては、どちらでも構わない。まぁ今頃、その成れの果てとご対面いただいている頃かな。足枷を外しただけだから。……それが、サプライズだよ」
――気取られてはいけない。わざと神経を逆なでするような言い方をして、こちらのぼろを引き出そうとしている。それだけだ。
胸中の焦りを抑え込んで、レイは浅くなった呼吸を整えた。ベイストンの探りを入れるような視線はまだ続いている。それでも、この会話を続けなければならない。時間を稼ぐことが、今はレイに課せられた使命だから。
「……成れの果て、ですか。その庭師の男も、実験台にしたんですか?」
マディの行方について、サマンサ以外の諜報部員では、カーレンから情報提供を受けた際に答えは出ていた。――おそらく、もう命はないだろう、と。まず人体実験を行っているような倫理観の欠片もない輩に捕まった魔術師が、無事でいるわけがない。ましてや、既に行方が分からなくなっている者には魔術師もいたのだ。奴らにとってマディは、降ってわいたちょうどいい被験体であっただろう。
サマンサが今まで無事だったのは、本人のヘマを見つけたのが、カーレンだったからだ。
だが、ベイストンは言った。「足枷を外しただけ」だと。であるなら、まだ生きている可能性も――。
「そうだね。残念ながら、耐えられる体ではなかったけれど」
一抹の希望すらも、ベイストンは淡々とにこやかに摘み取っていく。敬愛していた恩師が、平然と些末なことのように命を弄ぶ行いを肯定する態度に、レイの心は荒んでいく。
「……竜人計画は、どのようにして行われているのです?」
レイが実験内容について聞くと、ベイストンは目が一層開いた。まるで自分に関心を示してくれたことを喜ぶ子供のように、らんらんと目を輝かせている。
「最初は、血液を使っていたらしい。だが、通常人間に使うような注射針ではドラゴンの皮膚は通らない。仕方なくドワーフが打ったミスリル加工のナイフを使用し、鱗を剥ぎとってから切開して血液を採取。だがやはり、ただ血液を呑むだけではだめだったようでねぇ。他の体液も使ったらしいんだけど、どれも人間には毒だったそうだよ」
まるで伝聞のように言うベイストンを、訝しげな表情で見つめていると、目を細めてふふっと笑って返された。
「そう、私は数年前に実験を引き継いだだけだ。それまではフォーリォル家の当主が担っていたようだけど……やはり、魔法使いにはドラゴンの素材は加工できなかったようだね。フォーリォル家が計画に引き込める魔術師を探していたところに、カーレンが私に教えを乞いたいと言ったそうだ。そこから……あぁ、彼女は竜人計画には参加していないよ。フォーリォル家の決まりごとのようでね。ま、『知ってしまったらどうにでも』とは言われていたけれど」
優越感に浸るようにそう言ったベイストンに、レイは眉を寄せた。やはり、魔法薬士として名高いベイストンですら、ザルハディア王国の歪な価値観の被害者であったようだ。
しかし、レイの反応には目もくれず、ベイストンは話を続けた。
「だが、なかなか研究できなかったドラゴンの血や肉について、研究できたのは実に素晴らしいことだ。そもそも違う生物の血液を体内に入れたところで拒否反応が出るのは当たり前だ。しかし、内包している魔力量は人間のそれとは雲泥の差であるし、現段階ではS級魔力石の魔力補填に充てるのが有効的な使い方だと……あぁすまないね、話が逸れてしまった」
レイが浮かべた表情を曲解したらしく、ベイストンが自身の興奮を抑えるようにそう言った。興味のある研究分野について話すと饒舌になる魔法薬士はたくさん見てきたが、ここまで忌避感を持って話を聞いたことは今まで一度もなかった。――だが、相手がドラゴンでなかったのなら、そう感じなかったのだろうか。初めて有効的な“素材”を扱うとなった場合には、同じようにレイも舞い上がってしまうかもしれない。相手の了解を得ない人体実験を行っているということを除いてしまえば、理解できてしまうことに反吐が出る。
医療の進化に必要な犠牲というのは、歴史を紐解けば数多く出てくるものだ。だがしかし、目の前で得意げに語られるこれを、必要な犠牲と称することは、レイにはできなかった。
「まずは、副作用の少なく、既に確立されている分野から入るのがベストだと考えた。知ってのとおり、鱗だよ」
ベイストンはちらりと自身の目の前に置かれたカップに目を落とす。おそらく飲みたいのだろう。空調が効き、乾燥した部屋でそれだけ話せばのどを潤したくなるのは分かる。だが、レイもクラウスも、それを差し出してあげるほどの親切心をベイストンには持てなかった。
口の中の水分をかき集めるように一度口を閉じたベイストンは、こくりと唾を飲み込むと、再び唇を開いた。
「新鮮な鱗一枚で、上級ポーションを最上級ポーションへ高めるブースト素材だ。人を竜人に進化させるなら、最も適した素材といっても過言ではない。まずは移植から初めて見たが、これに関しては良くなかったね。腕に移植された鱗は、人間に適合せず皮膚を腐らせた。だが驚いたことに、その腐った腕を切り落として最上級ポーションで新たに生やした腕すら、同じ部位が腐っていた。既に体の情報に『かくあるべき』と上書きされているかのようにね」
すごいだろう? と同意を求めるような視線がベイストンから送られる。レイは何の反応も返さなかったが、ベイストンの勢いは止まらない。
「しかも、ただ腐ったわけじゃない。その皮膚を分析してみるとね、一度『違うものになろうとして失敗した』かのような反応だったよ。ほんの数分で、人間の情報を書き換えられるだけの力を持つ……即ち、適合さえしてしまえば竜人に成れるという証ではないか! だが、ここからが進まない。ブースト素材として使われる有効成分だけを抜き取って摂取させてもダメ。薄めてもダメ。魔力加工を施し反応を鈍くするようにしてもダメ」
はぁ……と重たいため息を吐いて、がっくりと項垂れて見せたベイストンは、そのままゆっくりと宙を仰いだ。
「次に行ったのが被験体の選別だ。もともと、そういう思惑はフォーリォル家当主が研究を行っていた時にもあったようでね。国籍、性別、年齢、基礎疾患の有無から家系の情報まで調べ上げて、実験を行ったよ。……おかげで、少し方向性は見えたんだ。何だと思う?」
レイは、カーレンがフォーリォル家の地下研究室で見つけた被験者のリストを思い出した。彼らの研究内容に共通点も無く、国籍性別年齢、全てがばらばらだった。方向性が見えるほどの共通点はあのリストからは読み取れなかった。
だが、ベイストンが先ほど、クラウスが被験者として上がっていることを示唆した。であるならば、クラウスとレイとの共通点こそが、その方向性なのだろう。
レイは、冷えた指を握りしめた。
「……魔力量」
「然り。加えて、洗練されていれば洗練されているほど良い」
満足そうに頷くベイストンを見て、レイは訳が分からないと首を振った。
「なら魔術師でいいでしょう! 何故クラウスなんです!?」
取り乱すように感情的に声を上げたレイを見ながら、ベイストンは「ほっほ」と楽しそうに笑った。
ベイストンは自ら浮遊魔法をかけ、カップを持ち上げて口元に運んだ。唇に縁がつくと、カップが傾き、すっかり冷めてしまったハーブティーがベイストンの口内へゆっくりと注がれる。カップがソーサーの上へ戻っていく間に、ベイストンの喉がこくりと動いた。呪われた魔力でわざわざ行使した魔法が、こちらへの攻撃でもなく、自身の喉を潤すための生活魔法なのも癇に障る。
静かに息を吐いて、ベイストンは語り始めた。
「クラウス君を、と最初に提示してきたのはフォーリォル家だ。……クラウス君の家庭環境を鑑みても、素晴らしい研究対象じゃないか。レーヴェンシュタインの魔力量を受け継ぎ、魔術師としての才覚もあり、そして何より――ザルハディア王国から逃げたハーフエルフ、タールマン・ギースが目をかけている」
ぎしりと、胸中が軋んだ。タールマンがクラウスの師であることは、公にはなっていない情報だ。それを、フォーリォル家が掴んでいた。それが、一つの事実に導いてしまう。
レイは、ドアの前に立っているクラウスの表情を盗み見た。その表情はいつもの鉄仮面だ。しかし、レイにはその藍色の瞳に深い悲哀が滲んでいるように見えた。
――リーンがレーヴェンシュタイン公爵家からフォーリォル家へ流していた情報は、他でもない自身の子・クラウスの情報であったという事実に、レイは戸惑いを隠せなかった。
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