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第113話 トラブル
「魔術師に限らず、魔力量が多い魔法使いにおいても細胞変容後の維持が長くてね。おそらく、ドラゴンの魔力の受け皿になるだけの洗練された魔力の強度と、混ぜ合わせて新たな生物に進化するための魔力量が必要になると推測している」
ベイストンは更に続けていたが、レイにはそれ以上の情報は入ってこなかった。憶測の域を超えていないこともそうだが、ドラゴンの魔力量を混ぜても尚負けない程度の量となると、例えエルフであっても難しい。いったいどれくらいの魔力量があればいいのかも分からないまま、人間を使って研究をしている時点で、そもそも理に適っているとは言い難い。
だが、ベイストンはにこりと笑って、自身を拘束しているクラウスの方へと視線を向けた。
「そう、君のようなね。クラウス君」
ベイストンの目は、確信に満ちていた。レイもクラウスも反応を返さず、ただじっとベイストンを見つめ返していたが、それでも彼の自信は揺るがなかった。
「レイ君のそばにいて、こんなに洗練された魔力を持ち、精密な魔力操作ができる者が、そうごろごろいるわけないんだよ。……あぁ、なるほど。認識阻害機構か。今は君の顔がちゃんと新聞に載っていたものと同じように見えるよ。……ふむ、そのチョーカーが怪しいかな?」
謎解きを楽しむかのように、ベイストンは声を弾ませた。
どうするか。そう尋ねるようにクラウスを見ると、その視線を受け、クラウスは魔力による拘束を強めた。魔力の縄が太くなり、手首と足首も縛り上げた。「ぐっ」と苦しそうな声をベイストンが上げた瞬間、クラウスの魔力は練り上がり、瞬時に魔法は行使された。クラウスの指から繋がる魔力の縄が、一瞬ちりりと空気を震わせる。次の瞬間、ベイストンの体がびくりと跳ね上がり、椅子にぐったりとしなだれた。
今年の夏に、レイの暗殺が企てられた際に、襲ってきた暗殺者へクラウスが行使したのと同じ魔法のようだ。あの時は速すぎて構成を読むこともできなかったが、今回は伝える魔力の縄が長い分、構成式をほんの少しだけ見ることができた。
レイは、しなだれたベイストンの顔をそっと遠目に覗き込んだ。目はあらぬ方を向いており、口はだらりと開いている。レイが魔法で小さな照明を指先に灯し、ベイストンの瞳を覗き込んだ。瞳孔の収縮反応を確認し、灯りを離す。
「良かった。生きている」
「流石にまだ口を封じたりはしない」
「……まだ?」
レイがこぼした一言を拾い上げたクラウスの言葉に、レイは一瞬引っかかるものを感じたが、深く聞くのは辞めた。
クラウスが気絶してるベイストンに近付き、ポーチから魔法使い用の拘束手錠を取り出すと、慣れた手つきでベイストンの手首に手錠をかけた。魔法使い用の拘束具は、魔法機構で魔力を閉じ込める働きをする。これを付けられれば、魔術師と言えど、魔法を使うことは適わない。
手錠をよく見るとザルハディア王国の警察紋が入っている。どうやらペリスコット公爵家から横流しを受けたようで、レイはため息を吐いた。
「……公爵家に迷惑はかけないか?」
「明らかな証拠を取ってからにしてくれと言われている」
魔力の縄を解き、通常のロープで拘束し直すクラウスがしれっと言い放ち、レイは呆れたようにこめかみを押さえた。この部屋に入ってからの会話は、全て録音はしている。だが、こちらも行方不明になった者達の研究室に忍び込んだことや、どこからか情報を得ていることを仄めかしたようなことを言っている。これは証拠としては使えない。
「……まだ出てないが?」
「ケリー達が取ってくる」
普段と変わらない調子でそう言うクラウスに、レイは自然と眉が下がった。――クラウスが、ケリー達を信頼している。それが分かって、先ほどまで冷え切っていたレイの心は、ほんの少しばかりあたたかくなった。
「そのケリー達から連絡は?」
レイに促され、クラウスは髪に隠れた左耳についている通信魔法機器を見せてきたが、小さく首を振った。ベイストンとの会話を伝えることでケリー達が撤退のタイミングを計りやすように、クラウスは左耳に通信魔法機器を装着していた。ただ、こちらは静かな個室となるため、僅かな音漏れも命取りとなりうる。そのため、ケリー達の音声はこちらには届かないようにしてあった。
コリントあたりがこちらの音を聞いているはずだ。もし話せる状況なのであれば、こちらに音声を飛ばしてくれるはずだ。それが、今はまだない。
カランッ
軽く乾いた落下音がして、レイはベイストンの方を向いた。気絶したことで力が抜けて、ベイストンの手から杖が滑り落ちたようだ。床に転がる杖を見つけて、レイは屈んでそれを拾い上げた。先ほど淡く光を放っていた杖の握り部分をよく観察すると、細かく赤黒い魔力石が塗り固められるようにちりばめられている。
通常、魔力石はここまで濁った色をすることはない。特に、高品質なS級魔力石であれば尚の事、透明度は高い。ふと、脳裏に先ほどベイストンが言っていた言葉がよぎる。魔力石の魔力補充に、ドラゴンの血を使うのがいいと言っていなかっただろうか。
レイは、そっと杖に解析魔法をかけた。
ほんの少し杖に魔力を流し込んだ途端、飲まれるような憎悪と悪臭に視界が眩む。落ちた深い闇の中、何かがこちらを見ている。怨念のような殺意に満ちた視線が、レイを射殺さんとしている。
――本能的にレイは悟った。あぁ、これは呪いの正体だ。深遠なる闇の向こうに、それがいる。目を凝らして覗き込めば、それの形を見ることができるかもしれない。
全身が震える。今にも嘔吐しそうなほどの酷い悪臭に、内臓を冷えあがらせるような畏怖。理性が警告を発している。それ以上踏み込んではいけない。なのに、ソレから目を離せない。
常闇の向こうから、金色に光る虹彩がレイを見ている。いや、実際に見られているわけではないのは分かっていた。幻視に近いそれは、魔力石に込められた残滓だ。
憎い。ただ、憎い。その感情だけが込められた視線から、レイは逃れられないでいた。
「レイッ!」
クラウスの声が聞こえる。と、同時に、突如走った手の痛みに意識を奪われた。
「ッ!?」
焼けるような熱い痛みが手の甲から伝わる。瞬きをした瞬間、レイは幻視から目を覚ました。
杖を持っていた左手に、アースドラゴンの仔が噛みついている。牙が手の甲に食い込んだことで、解析魔法は解かれ、杖から手を離していた。
苦痛に顔を歪ませながら、アースドラゴンの仔と目が合う。金色の瞳にあった怒りの感情が一瞬にして溶け、レイと目が合った瞬間、手に食い込んでいた牙がするりと抜けた。
アースドラゴンの仔が、愕然としている。レイの手から滴り落ちる赤い血を見て、我に返ったようだ。
凍り付いた表情を浮かべるアースドラゴンの仔に、クラウスの魔力が巻き付き、一瞬で拘束したのが分かった。駆け寄ってくるクラウスの顔には焦りが貼り付いている。
レイは手首をぎゅっと押さえて、流れる血を止めようとした。クラウスを安心させたくて、「大丈夫だ」と笑顔を浮かべようとするが、歯を食いしばるので精いっぱいだった。
「手当てを」
クラウスが焦りを押し殺してそう言ってきたが、レイは動けずにいた。
ザルハディア王国に、魔法医は少ない。こういった怪我の場合は、回復ポーションを使われることが多い。使うのが早ければ早いほど、痕も残らない。だが、そんなことよりも、レイはアースドラゴンの仔の処遇について考えていた。
何故この仔がここにいるかは分からない。窓ガラスが割れているので、おそらくマルキオン教授の元から飛んできてしまったのだろう。レイが幻視に囚われていたために、この仔の気配に気付くこともできず、避けることもできなかった。
レイがクラウスからアースドラゴンの仔に視線を向けると、アースドラゴンの仔がびくりと体を震わせた。アースドラゴンの仔が開けた口から、レイの血が一滴ぽたりと床に落ちる。
レイは恐怖した。この場合、アースドラゴンの仔は人間を食ったと判定されるのだろうか。討伐対象になりうるか。殺されなくてはいけないのか? こんな子供が? 人の手で追いやられたこの被害者が?
「――だ」
大丈夫だから。その一言が紡げなかった。
アースドラゴンの仔が、咆哮をあげた。小さな幼体から発せられたとは思えないほどの低いうねりを上げ、腹の底にまで響くような叫びに、思わず体を硬直させた。途端、ぎしりとクラウスの魔力が悲鳴を上げ、引きちぎられたのが見えた。アースドラゴンの仔の鱗が強い光を帯び、幻想的に揺れる茶色と緑の閃光を放ちながら――膨れ上がった。
濃い魔力が渦を巻く。その渦はレイとクラウスを巻き込んで、光の中へと引きずり込んだ。
クラウスがレイの肩を強く抱き締める感覚を最後に、視界は光に包まれた。
どうしよう。
こわい。
イヤだ。
キズつけちゃった。
なかったことにしたい。
かくしたい。かくさなきゃ。
おこられる。おこられたくない。
ごめんなさい。
ぐちゃぐちゃの思考と幼い感情の海に投げ出され、レイは感覚のない手でしっかりとクラウスの体にしがみついて、意識を失った。
敵意を解かれたことで、ケリーとコリントは楽に息をすることができた。むせ返るような腐臭も、その発生源となる屍が焼失したことにより、整えられた排気機構によって少しは薄らいだようにも思える。いや、ただ単にこちらの鼻が慣れてしまっただけの可能性もある。ただそれだけの事実を、感情を切り離して捉える技術は、諜報部で仕事をする上で必要な力であった。
ただし、それも命を握られている恐怖を抗うだけの術には足り得ない。いっそのこと拷問だったならどれだけよかっただろうか。目の前のアースドラゴンを見上げながら、コリントはそんなことを考えていた。
こちらの情報をあらかた伝え終わった時、アースドラゴンは金色の光彩を隠すように目を閉じた。
『……そうか』
アースドラゴンはそう呟くと、重い頭を地面へ降ろそうとした。
『非礼を詫びる。そなたらは、吾が息子を助けた同志の仲間であったか』
頭を垂れようとしているアースドラゴンは、拘束具のせいでうまく体を動かすことができないようで、もたもたと体勢を移動させている。ケリーとコリントは僅かに首を傾げ合った。
「同志?」
ケリーが言葉を選ばずに、そのままの勢いで声を上げた。この男のすごいところは、さっきまで命の危機に直面していたにも関わらず、敵意を浴びせかけてきた相手に対しても、普段通りに振る舞えるところだ。傍 から見れば、阿呆な行動のように見えてしまうが、この獣のような勘を持つ男がこんな態度でいられるということは、信頼できる相手ということだ。
アースドラゴンはケリーを見下ろしながら肯定した。
『如何にも。吾は長い時をかけ、この拘束具を内側から徐々に破壊していた。そして、人間時間でいうところの一週間程前に、吾が同志がこの国にやってきた気配を感じた。なんとも弱々しい気配だったが、エルフが守る森の奥へ転移させるよりも、距離も近く確実に飛ばせる方に賭けたのだ』
苦肉の策だったと謂わんばかりに、諦念を滲ませながら答えるアースドラゴン。だが、確実な仲間の元へ送るよりも、自身の子をここから避難させることを選んだということは、それだけ切羽詰まった状況だったということだ。
「その、同志っつーのは?」
ケリーがまったく言葉遣いに対して配慮なくそんなことを言い始める。隣で聞いているコリントは肝が冷えて仕方なかった。彼の声を聞くと、こちらの緊張感も薄れてしまいそうになる。コリントは左耳に付いている小型通信魔法機器から聞こえてくる声を聞いて、何とかあちらはベイストンの身柄の拘束に成功したことが分かった。
さて、こちらの音も聞こえるようにしておくか。そう判断し、通信魔法機器に手を伸ばしたところで、コリントは機械に触れさせることなくその手を下ろすことになる。
『そなたの足に巻いてあるもの。その薬を作った者だ。同じような気配を感じる』
アースドラゴンはそっと視線でケリーの折れた足を示した。コリントがケリーの足からそのまま上へと視線を上げると、ケリーもまたコリントの顔を見ていた。ケリーの足に巻いてあるものといったら、折れた脚の消炎鎮痛用の湿布薬だ。
アースドラゴンが言う同志とは、レイのことだ。二人の認識は一致しているようで、驚きを隠せそうにない。だが、レイはアースドラゴンと関わりがあるということを一言も言っていなかった。それを知っている者がどれだけいるか分からない。それが、コリントが通信魔法機器の音声を届くようにしなかった理由だった。
ケリーとコリントの様子を見て、アースドラゴンが更に言葉を続ける。
『あの同志は、いったい何者なのだ? そなたらをここへ派遣したのも、彼 の者なのだろう?』
「……つってもよぉ……?」
アースドラゴンの質問に、ケリーが言い淀む。ケリーが助けを求めるように視線を彷徨わせるのを見て、コリントは小さく息を吐いた。
「貴方もご存じかと思いますが……もう何十年も前に、この地で起こったモンスター・スタンピードを単独制圧した、魔術師ルミアの孫です」
端的に答えると、アースドラゴンは目を見開いた。
『なんと“翡翠の魔女”の系譜だったか……なるほど、合点がいった』
納得の色を強く出すアースドラゴンに、ケリーとコリントは心の中で呟いた。――あぁ、これは、またルミアがなんかやったんだな、と。
ケリーとコリントは、それ以上の追及をやめた。ルミアのことを“翡翠の魔女”と呼称するのは初耳だったが、ルミアに関わって良い事があるはずがない。ルミアの影を感じたら、すぐに引き返す。これは、オルディアス王国の要所に勤める者にとっては、万人共通の認識であった。
「こちらもお伺いしたいことが――」
コリントが声を上げた瞬間だった。左耳に付いている小型通信魔法機器が、突然ばりばりと音を立て始めた。訳が分からずコリントが黙ると、音漏れで聞こえた大音量に、ケリーとアースドラゴンも押し黙ってコリントを見ていた。
慌ててコリントが小型通信魔法機器を耳から剥ぎ取って、ダイアルを回す。こちらの音が入るようにモードを切り替えて、すぐさま口を開いた。
「クラウス! 何があった!? クラウス!」
声を上げても、クラウス側から応答はない。ばりばりと鳴っていた音も、今ではもう鳴りを潜めている。まったく音を出さなくなった小型通信魔法機器を、眉を顰めて見下ろしていた。
『……これは、まずいことになった』
アースドラゴンが、宙を見上げながら呟いた。その視線は暗い地中から、陽に照らされる地上を案じているように見えた。
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