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第114話 狂気と愛情の狭間に
意識が溶けるような深いまどろみの中を揺蕩いながら、レイは自我を保てていたことを奇跡だと思った。自身の体が形を保っているかどうかも知覚できない。濃く温かいアースドラゴンの魔力の中で、よく知る魔力を必死に閉じ込めるようにしがみついていた。
これだけは失ってはいけない。奪われたくない。互いに守り合うように、離れないように、魔力を固く結び合いながら、本能のままに彼の魔力を求めていた。
零れ落ちたアースドラゴンの言葉に、ケリーとコリントが素早く反応する。
「どういうことだ?」
追及するかのように発せられたケリーの言葉に、アースドラゴンは視線をゆっくりと下げた。
『……吾が子が、人を喰った。四十年前にヘイムディンズで起こった悪夢の再来だ』
崩れ落ちるように、重い音を立てながらアースドラゴンは地に伏せた。響く振動にケリーとコリントが身を屈める。補強工事が成されているとはいえ、地下で振動が起こるというのは生き埋めのリスクがある。ぱらりと天井から砂や小石が落ちる程度で何とか通路の形は保たれてくれた。
アースドラゴンのぐったりと脱力しきった姿からは、先ほどまでの威厳は微塵も感じられない。静かな嘆きにも似た表情は、人間のそれとなんら変わりなかった。
四十年前に起こったヘイムディンズの悪夢。その言葉に、ケリーとコリントは思い当たる節があった。
ヘイムディンズの麓の村をブルードラゴンの幼体が襲い、人を喰い殺した事件。人に手を出した個体は、例外なく討伐対象となる。その討伐を行ったのは、他でもない伝説の魔術師ルミアだ。
だが、このアースドラゴンが言ったことが本当ならば、これは大変なことになる。
ヘイムディンズでの悲劇は、閑散とした村で起こった。だが、ここはザルハディア王国の首都。暮らしている人間の数が桁違いだ。被害の規模が変わってくる。ましてや魔法使いや魔術師が多く住む場所だ。抵抗の爪痕は国を麻痺しかねない。
「人を喰ったってのは、間違いねぇのか?」
ケリーが問いかけるが、答えたアースドラゴンは静かに目を閉じ、声には諦めが漂っていた。
『そうだ。まだ完璧に取り込んだわけではなさそうだが……それも時間の問題だ。人の味を知ってしまえば、それを吐き出すなどということはしないだろう。しかも、良質な同志の魔力だ』
投げやりに放たれた言葉に、コリントは背筋が凍った。先ほど、同志と呼ばれたのはレイだ。レイが食われた。その事実に、コリントは最悪を想定した。
――ルミアが来る。そして、レイが死んだとなれば、クラウスだって黙っていないだろう。コリントが知る中で世界屈指の魔術師二人が、報復に乗り出すなど、この国はもう終わりだ。
「待てよ。レイの近くにはクラウスがいたはずだ。アイツが指を咥えてレイが食われるのを眺めてるわけがねぇ!」
ケリーの言葉に、コリントは視線を彷徨わせた。
クラウスは、既に一度結界をアースドラゴンの仔に破られている。指を咥えていたわけではないだろうが、成す術もなかった可能性だって高い。逆にクラウスが瞬殺されたのであれば、もうこの国にはルミアが到着するまでにアースドラゴンの仔と相対できる戦力はないだろう。
ザルハディア王国が、竜人計画に加担した理由。それは、ルミアがこの地でモンスター・スタンピードを一人で食い止めたことがきっかけだろう。ザルハディア王国には、魔術師を嫌う独特なヒエラルキーがあるために、オルディアス王国のように他国への抑止力となるような魔術師がいない。オルディアス王国の『王の秘術官』タールマン・ギースの過去なぞ知ったことではないが、先ほど聞こえてきたベイストンの発言からしても、ザルハディア王国は抑止力となりえたタールマンを逃したことになる。
かつてザルハディア王国で脅威を見せつけたルミアもタールマンも、今はオルディアス王国にいる。これが、友好国であるとはいえ隣国だというのは、国防の点から見ても、オルディアスの戦力に匹敵する力を持ちたいと考えるのは、自然なことだ。
アースドラゴンは、クラウスの無事を主張するケリーを興味なさげに一瞥し、まるで殻に閉じこもるかのように再び目を閉じた。たしかに、人の悪意に晒されながら過ごしてきたアースドラゴンには、人間がどうなったところでなんの感情も湧かないだろう。
「お伺いしたいことがあります」
コリントが声を張ると、アースドラゴンは少しだけ瞼を持ち上げた。
「竜人 とは、本当に存在するんですか? ましてや、人の手で生み出すことができるようなものなのですか?」
アースドラゴンの瞼が完全に持ち上がり、金色の光彩がコリントをじっと観察するように見つめた。しかし、アースドラゴンが反応するよりも早く、ケリーが苛立ちを押さえようともせずに声を上げた。
「おい! 今はそんな――」
「今だからこそだよ。本当にクラウスもやられてるんだったとしたら、もう僕らだけで離脱しなくちゃならない」
ケリーの眉が寄る。彼も分かっているのだ。諜報部として優先すべきことは一体何なのかを。自分たちの使命は、無事オルディアスに帰り、事の顛末を持ち帰ること。そこだけはブレてはいけない。
アースドラゴンはコリントを見定めるように眺めたあと、冷めた視線を向けた。
『人間は、何故人の枠を越えようとする? 与えられた生を逸脱しようなどと、考えるな』
「少なくとも、僕はそんなこと考えたことないですし。……だけど、全員が僕と同じ考えを持っているわけでもないのは事実です。それでも、『竜人』なんていう“はた迷惑なこと”を考える馬鹿が、これ以上出たりしたら困るんですよ」
コリントの馬鹿正直な回答に、アースドラゴンがしっかりと二回瞬きをした。どうやら、言葉の選び方にケリーがうつって驚かれたようだ。毒されたと言い換えてもいいかもしれない。
されども、アースドラゴンは胡乱気な眼差しをコリントに向けたままだった。
『では、もし吾 が人間の手で作り出せると申せば、どうするのだ? お前の祖国も、この地と同じ末路を辿ることになるぞ』
諦観を隠そうともしないアースドラゴンを、コリントはしばらく黙して見つめた。その様子をケリーが後ろ頭を掻きながら見守っている。しかし、声を掛けようとはしない。コリントの頭の中は、今与えられた情報で埋め尽くされている。邪魔をするのは得策ではない。
「……うーん、つまり」
思考が終わったコリントが、口を開いた。
「少なくとも、人間の手ではできないんですね。できると言われて行うと、破滅に向かっているザルハディアと同じ道を歩むことになる、ということなら」
コリントの推理を黙って聞いていたアースドラゴンは、鼻から深く息を吐いてそっぽを向いた。答えるつもりはない、と全身で語るアースドラゴンに、コリントは一歩前に踏み出して食い下がった。
「ただ分からないのは……貴方が何故ここにいて、ここでどんな目に遭ったのか。そして、人間に作り出せないと分かっている『竜人計画』に、何故協力するようなことをする羽目になってしまったのか」
淡々と問いかけるコリントに、アースドラゴンはそっぽを向いたまま瞳を伏せてしまった。もう、語るつもりもないということらしい。
「貴方が、この竜人計画に無関係な人間も巻き込んで呪いをばらまいていることは分かっています。それほどに、人間という種が憎いということなのでしょう。僕が信用できないのも理解できます。……ですが、人の何倍も生き、知を深めてきたアースドラゴンが、取り返しのつかない愚かな行為をしようとする人間に付き合ってやってる理由も分からなければ、止めることもなかったのは正直解せない。言うことを聞かなかったなら、身を守るために相手を屠ることなど造作もなかったでしょう」
コリントのテノールボイスは、静かな地下通路に響き渡った。反響音が後ろにある階段へと走っていく。真剣な表情でアースドラゴンを見つめるコリントを、ケリーは少し眉を顰めて眺めていた。
コリントは、自分よりも感情の起伏が少なく、相手の立場や感情を事象の一つとして処理する傾向がある。そのためか、こうしてたまに、責めているわけでもないが、相手側の受け取り方によっては糾弾しているようにも聞こえる言い方をしてしまう。自分の研鑽に時間を使い過ぎる魔術師にありがちな、気持ちに配慮がない 奴だ。
有難いことに、目の前のアースドラゴンの懐は深く、さして気に留めたようには見えない。
ゆっくりと、アースドラゴンは瞼を持ち上げた。開ききらない眼は地面の一点を映していたが、その視線はどこか遠く、暗い記憶を遡っているようだった。
『……私の番 は、人間に友好的であった』
そう一言呟くと、アースドラゴンは静かに、そして深く息を吐いた。
『彼女は、ある人間の女 を気に入っており、時折人間に扮して会いに行っていた。……吾と番う前の話だ』
アースドラゴンの声は、懐かしさと苦しさを包んだようなもの悲しい響きを宿し、人の言葉を使う際に放たれる魔力の波動さえも、寂しさに震えているようだった。
『ある時、その女は恋人ができたと嬉しそうに報告してきたそうだ。だが、残念なことにあまり人に言えない恋愛なのだ、と。だから、こうやって話せるのが嬉しいと、笑っていたそうだ。人の柵 など吾らには甚だ理解できるものではないが、その女にとって吾の番が救いになったようで、少し微笑ましかった、と――』
ごつごつとした地面に自身の手を重ね、アースドラゴンはその上に長い顎を置くようにして寝そべった。その姿は弱々しく、生きる希望すらも枯渇してしまったかのようだった。
『女の名はナスチャという。本当はもっと長い名前らしいが、親しき仲の者は女をそう呼ぶらしく、彼女にもそう名乗ったそうだ。ナスチャとの親交は、恋人との逢瀬のためか徐々に少なくなっていった。人間と交流を深めることがなくなったことで、彼女の目にも吾が映るようになり、吾と彼女は番うことになった。……だがある日、エルフの集落すらも越えて、吾らの土地に入ってきた男がいた。その男は、泣きじゃくりながら頭 を地につけ、こう言った。――ナスチャを助けて欲しいと』
再びアースドラゴンは目を瞑り、力なく目を開いた。
『ナスチャの灯は、彼女が駆け付けた時にはすでに消えていた。だが、アースドラゴンならばナスチャを蘇らせることができるのではないかと、小賢 しくも男はそう思ったようだ。いや、それは一縷の望みだったのかもしれない。……人間の中では、“竜の逆鱗神話”があるのだろう?』
気だるげに問われ、コリントは深く頷いた。
人間の中では、ドラゴンの逆鱗は幻の鉱物と言われるアダマンタイトよりも希少価値の高いものだ。理由としては、アダマンタイトはごく稀に鉱山から出土することがあるからだ。だが、ドラゴンの逆鱗は違う。一枚でさえすさまじい力を持つドラゴンの鱗の中でも、特別な一枚である逆鱗は、人の手に渡ったことはないとされている。にもかかわらず、人間は逆鱗ならば蘇生薬をつくれると信じている。それを“竜の逆鱗神話”と揶揄されても仕方のないことなのだろう。
『吾の番は、深い悲しみに囚われた。……ナスチャを弔えなかった』
アースドラゴンが顔を背けた。その表情からアースドラゴンの心境を読み取ることができない。だが、魔力の波動に乗ってその声は問題なくこちらに届いてくる。
『ナスチャは天涯孤独の身。いなくなったとしても人はなかなか気付かない。あの男の自宅に行ってみると良い。正門から招かれさえすれば、ナスチャに会える』
「……会える?」
先ほど死んだと言っていたナスチャに、会えるとはどういうことなのか。そして、先ほどから語られている“あの男”とはいったい誰の事を示しているのか。
アースドラゴンはこちらを見ようともせず、そのまま黙ってしまう。
「あの男ってのは……もしかして」
ケリーが言いづらそうに口をもごもごさせながら、呟くように言った。
「ベイストン……か?」
問おうにも、アースドラゴンはこちらの言葉に反応を示さない。静かな地下通路に、空気が流れる音だけが聞こえる。
ベイストンには、妻も子も居る。高い功績を買われ、叙爵を受けた際に結んだ婚姻だ。だが、長く別居状態であることも確認されており、自宅にはベイストンしかいない。ベイストンの自宅には確かに侵入を試みたこともあるが、魔術師の自宅らしい結界も貼ってあり、中にまでは入らなかった。
貴族にとって、調律の相手は囲うもの。そういう認識はオルディアス王国でもザルハディア王国でも変わらない。特にザルハディア王国なら、相手が魔術師だと、声高に付き合っていると公言できないのも頷ける。
『……ナスチャを』
アースドラゴンから、弱々しい魔力の波動が放たれる。
『ナスチャを“保つ”には、必要なものがあった。維持に必要な質の良い魔力石。それを賄うための――金だ』
ひどく冷えた声音だった。正確には魔力の波動であるのだが、その響きは悲しみよりも深い諦念が込められていた。それはナスチャを失ったことによるアースドラゴンの番に対するものなのか、ベイストンなのか、はたまた自分自身なのか。それは分からない。
アースドラゴンの答えを受けて、コリントが俯き加減に零す。
「……そして、フォーリォル家からの融資の話がベイストンの元に舞い込んでくる」
コリントの言葉に、ケリーは深くため息をついた。
「竜人計画……しかもベイストンのそばには、アースドラゴンがいたわけだ。渡りに船どころの話じゃねぇぞ」
「アースドラゴンの番はベイストンにより拘束され、それを山車に貴方もここへ来ざるを得なかった……そういうことなんですね?」
問いかけても、アースドラゴンは答えない。まるで独り言のように淡々と零れる話を繋ぎ合わせるが、否定も肯定もされない。しかし、静かに語られる言葉が、無言の肯定を示している。
「では、貴方の番は今どこに?」
コリントの言葉を皮切りに、アースドラゴンから再び皮膚が痛むほどの刺すような魔力が放出された。息苦しいほどではないにしろ、まさにこの話題は、アースドラゴンにとって逆鱗に触れるものであったことの証であった。
『……死んだ。卵が孵えるのを見届けて、な』
アースドラゴンの重い言葉に、コリントとケリーは視線を下げた。
このアースドラゴンは、今、番の忘れ形見を失おうとしているという、事実に。
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