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第116話 希望的観測

 眼鏡をずらし、負傷していない右手で目を擦りあげてから、レイは胸いっぱいに息を吸い込んだ。少し話したら落ち着いてきた。挫けている場合ではない。一刻も早く、クラウスを救出しなければならないし、ケリーとコリントの方も心配だ。 「教授」 「はい」  息を吐き出すのと同時にそう言うと、マルキオン教授は組んでいた足を床に下ろした。 「回復ポーション作れます?」  レイは立ち上がりながらそう伝えると、着替えようと足早に衝立の向こうへ移動した。着替えと共に置いていた荷物の中から小型通信魔法機器を取り出す。もちろん、人がいない部屋に置いておくので、しまってある箱には封印が施してあった。  クラウスと共に行動するにあたり、今日に限っては離れることはないだろうと、レイの分は置いて行っていたのだ。――レイとしては自分が下手を打った時に備えて、相手に回収されると困るからという意図もあった。 「材料と調合台さえあれば……でもレイ君も作れるよね?」  ソファの上から動かないマルキオン教授が声を上げるが、レイは残り少ない魔力を箱に通して封印を解除すると、小型通信魔法機器の魔力石を軽く叩いて起動し、左耳に装着した。姿見で確認しながら、そのまま横髪を垂らして耳ごと通信機器を隠す。  マルキオン教授の主張は尤もだった。互いに魔法薬士であり、それぞれにパートナーが存在する。にもかかわらず、その相手のためだけに魔法薬を調合するというのは、緊急時以外はタブー視されている行為だ。 「俺、たぶん魔力奪われました」  そのまま衝立に隠れながら外行きの服を脱ぎ、鞄の底へ隠すようにしまった着替えを引っ張り出した。南エリアにあるケリーの隠れ家に行く際に調達した、ザルハディア王国の平民がよく着用している服だ。すこし大きめだが、これなら破けたり汚れたりしても、レイの精神的ダメージは少ない。 「……は? どういうこと?」  衝立の向こうからマルキオン教授の静かだが厳しさを帯びた声を聞きながら、レイは服に袖を通した。どう答えようかと逡巡しながらズボンをサスペンダーで吊り上げていると、不意に左耳についている機器から微かに風を切るような音が流れて来る。その音に、レイはほっと胸をなでおろした。ケリーとコリントは、移動しながらこちらの状況を確認しようと耳を澄ましているのがわかる。 「魔力が枯渇している、と言っても過言じゃないです。これが魔力石で補充できるかどうかはやってみないと分かりません」 「違う、奪われたっていうのは?」  素早く説明を求めるマルキオン教授に、レイは一瞬迷いながらも答えた。 「推測の域を超えていません」 「かまわないよ。こういう時は、魔力感知能力が高い君の勘を信じる」  真剣なマルキオン教授の声音を、レイは左腕の袖口を留めながら聞いていた。  ゆっくりと目を閉じて、アースドラゴンの仔の体内に取り込まれた時の事を思い出す。――響き渡る咆哮、閃光を放つ鱗、膨れ上がるアースドラゴンの魔力。光の中へクラウスと共に引きずり込まれる感覚。 「あの急成長したアースドラゴンの仔の“ガワ”は、恐らく張りぼてです。ただ、それを維持するために膨大な魔力が必要となる。それを、あの仔は自身の鱗で補填していました」  レイは自身の左手を見下ろした。魔法の維持に必要な鱗を止血のために四枚も分けてくれたのは、あのアースドラゴンの仔の優しさだろう。 「あの仔は、俺の手を噛んだことで非常に狼狽えてました。なかったことにしたくて、俺とクラウスを隠そうとした。叱られたくない子供が悪戯を隠蔽するように」  そのまま自然と目が脱ぎ散らかした衣服のそばで鞄を探す。冷静に考えると空から投げ出された時点で持ってなどいなかった。店に置いてきてしまっている。そも、あの店の状態はどうなっているのか。ベイストンは今どうしている?  思考がとっちらかったまま、レイは荷物の中から予備の発熱抑制剤のケースを取り出した。おもむろにポケットにつっこんで衝立の影から歩み出ると、マルキオン教授が観察するようにこちらを見ていた。  声色をそのまま表したかのような真剣な眼差しのマルキオン教授が、まるで尋問するかのように質問を投げてくる。 「それが何故レイ君の魔力が奪われることに繋がるの?」  至極当然な問いに、レイは視線を逸らした。あの魔力の大海から弾き出される前の、得も言えない喪失感が蘇る。 「あの暴力的なまでに高純度で強い魔力の中、俺は自分の体の感覚を失くしていました。……必死に俺たちは互いの魔力を引き結んで、お互いの形を保とうとしていました。……手を離したら、あの魔力の中に溶けてしまう気がして」  ぐっと喉に力が入る。乾いた口の中の僅かな唾液を飲み込んで、小さく首を振った。 「いや、違う。無意識に、クラウスの魔力を包むように守ろうとした。だから、俺の魔力はアースドラゴンの仔の魔力に耐えられなくなって……だから、たぶんクラウスが、俺を助けるために……外へ弾き出した」  結局、クラウスを守ることができなかった。守らせてもらえなかった。いや、守り方がへたくそだった。だから、クラウスはレイを逃がした。独りであの場所に留まった方が都合が良かったのかもしれない。何かしらの勝算があるのかもしれない。――違うかもしれない。 「クラウスは、俺の魔力と共に、まだあの仔の中にいます」 「……根拠は?」  沈黙の後に紡がれた言葉に、胃が冷える。マルキオン教授はアースドラゴンに魔力が奪われたレイに、最悪の事態を想定しているかを問うている。既に、クラウスがアースドラゴンに取り込まれてしまっている可能性を。 「根拠は、ありません」  レイはマルキオン教授をまっすぐ見据えながら、きっぱりと答えた。 「でも、俺を助けたあのアレンジされた水牢魔法は、クラウスの魔法です。クラウスは、あの濃密な魔力の中で魔法を行使できるぐらいに冷静で、俺なんかよりも魔力の操作に長けていて、俺が行使できないような上級魔法だって使える、強い魔術師です」  捲し立てるようにそう言って、レイは足りなくなった空気を肺の中へ一気に送り込んだ。 「クラウスは待ってる。俺が助けに来るのを。……なら、迎えに行かなくちゃ」  口から出たのは、ただの願望だった。それさえも無くしてしまったら、レイは立っていられそうになかった。その可能性に、しがみつくしかなかった。  マルキオン教授は、レイの希望的観測をただ黙って聞いていた。たっぷり二呼吸分ぐらいの沈黙が下りた間も、見定めるような視線がレイを射抜いていた。 「……うん、君が折れてないなら、それでいい」  静かにそう言うと、にっと笑顔を浮かべてマルキオン教授は立ち上がった。 「なら、動かないとね。さっきレイ君が言った回復ポーションっていうのは、君の手の傷用?」  マルキオン教授が尋ねて来た言葉を、レイが肯定しようとした時だった。左耳に付いている小型通信魔法機器から緊迫した響きのテノールが流れてきた。 『レイ、聞こえてるね?』  コリントが短く問いかけてくる。それに対してマルキオン教授の前で反応していいか分からず、レイは視線を彷徨わせて固まった。 『……現場判断で、ウィルザック・マルキオン氏を第二協力者として認めます。そして、そちらの大体の状況は分かりました』  問いかけているのに答えが返ってこず、マルキオン教授が怪訝な表情を浮かべている。だが、左耳から流れて来る指示を聞き漏らさないようにするのに必死で、レイは目の前のマルキオン教授の目を見ながら、おろおろとすることしかできなかった。 『とりあえず、調合台が必要なんだね。それ以外に魔力補充用の魔力石。回復ポーションの材料は残念ながら薬草類がどれがどれなのか分からないから持って行けない』  その言葉に、今ケリーとコリントがまだベイストンの研究室にいることが分かった。火事場泥棒をしようとしているのがひしひしと伝わってくる。 『小型通信魔法機器の情報の開示を許可します。また、諜報部についてのことはそこまで大っぴらにさえしなければいいよ。でも、悪いようにはしないけど、もしかしたら後から宣誓のお願いをするかもしれない』 「……宣誓魔法もか」  レイはそう言いながら左耳に横髪をかけた。マルキオン教授の視線がレイの左耳に付いている小型通信魔法機器に注がれている。眉を顰めるマルキオン教授を見ながら、レイはばつが悪そうな表情を浮かべた。  しかし、そんなことに構っている暇もなく、コリントからは次の指示が飛んでくる。 『僕は今からベイストンの身柄を確保してくる。必要なものはケリーに運ばせ――』 「いや、こちらが向かう。実験にケガは付き物だから、回復ポーションの調合分ぐらいはそこにあるだろう。ケリー、誘導を」  レイが素早くそう言うと、恐らくコリントの隣にいるだろうケリーの「アイアイサー」という軽い返答が小さく聞こえる。それから、指示が飛んでこなくなったことから、レイは目の前で訝しげにこちらを見ているマルキオン教授へ口を開いた。 「行きながら説明しますが……先生、馬は乗れます?」 「あ、伯爵家出身を馬鹿にしてるね?」  ため息交じりにマルキオン教授がじっとりとレイを見つめる。こんな時でさえ軽口で返してくるのだから、マルキオン教授には頭が上がらない。 「乗馬用の着替えはないですよ」 「遠乗りじゃないんだ構わないよ。でも、ザルハディア王国の交通法を熟知してるわけじゃないんだから、なんかあったら責任取ってよね!」  そう言いながらも、しっかりとマルキオン教授はコートを取りに部屋へ走って行った。  今時、街中で馬を駆る者はいない。貴族は皆馬車に乗るし、平民だって乗合馬車を使うか荷馬車を引く程度だ。見るとしても、警察が現場へ駆けつける際に使う程度のものだ。  だからこそ人の目を惹くし、馬が単体で駆る音が聞こえたら警察だと思って道を譲る。その効果もあってか、薄紫色の髪を弾ませながら麗しき甘い顔の男が華麗に馬を駆る姿は、人々の注目を集め、すいすいと目的地まで辿り着くことができた。向かって行った先が、貴族が多く住む西エリアというのも、「あぁお貴族様に何かがあったのかな」程度の認識で済んだのも良かったのかもしれない。――人々の脳裏に焼き付いた姿が「美しい」で済んだのも、駆け出してすぐに「寒い」という一言と共に、薄い結界を張って、先日レイがやって見せた空調魔法を、マルキオン教授が行使したおかげというのもある。こんな寒空の下、大した乗馬用の防寒装備もなく馬を駆れば、顔は真っ赤になり鼻水だらけの顔になるだろう。  ベイストンの研究室が隠されている倉庫の中まで馬を引き入れると、中で待っていたケリーが大爆笑で迎えてくれた。 「い、今時、馬……ッ! ヒィッ!」 「マルキオン教授に隠密魔法と身体能力強化魔法使ってもらって、俺をかかえて走れとは言えないだろ!」  ケリーが腹を抱えて膝を打つ姿に、顔を歪ませながら文句を言うレイを横目に、マルキオン教授は人知れずにやりと笑った。羞恥とクラウスとサルベルト教授への配慮を優先するこの教え子は、事が終わった後のことを考えて動いている。どうやら、本気でクラウスのことを諦めていないらしい。 「ケリー、時間が惜しい。案内を」  レイがケリーにそう言うと、ケリーは肩をすくめながら「こっちだ」と地下研究室への階段を駆けだした。 「挨拶は事が終わってからゆっくりさせてもらう。俺はケリー。悪いが礼儀なんてものは持ち合わせてない。よろしく」 「構わないよ。肩ひじ張るのは性に合わない」  階段を駆け下りながら、ケリーとマルキオン教授が互いに言葉を交わし合う。伯爵家のマルキオン教授から見れば、失礼極まりない行為のはずだ。だが、もともと楽しそうなことに首を突っ込む(たち)の自由奔放なこの三男坊は、平民と肩を組んでフィールドワークに行ったりするのだから、本当に気に留めもしないのだろう。  足音を響かせながら階段を駆け下りると、狭く雑多な印象が残る研究室があった。独りで研究するには充分すぎるスペースだろうが、資料の置き場所が無くて困っているのが見て取れる。  レイとマルキオン教授は、足早に陳列されている棚や保管庫を物色し始めた。 「やっぱり薬草保管庫ってこういうところに置くよね」 「出身学校の配置とかにどうしても似ちゃうんですよね」  口を動かしながらも手は止めない二人は、まるで打合せでもしたかのように必要なものを揃えていく。ケリーは二人の勢いに気圧されながらも、作業しやすいように机の上にある資料などを浮遊魔法で部屋の隅の方に固めた。 「おい! 呪われてる奴が魔法使うな!」  レイが鋭くそう言うと、ケリーが不思議そうな顔をしながら両手を見つめていた。その様子を見たレイが、抱えた魔力石を机の空いたスペースに置きながら訝しげにケリーを見つめる。  ケリーは照明魔法を行使し、掌から煌々と輝く丸い魔法の玉を浮かべた。光は淀みなく既に明るい部屋を更に強く照らし、マルキオン教授は目を細めた。 「……魔力回路に痛みが走らねぇ」  ケリーがぽつりと呟きながら、照明魔法を解除した。驚愕したレイがケリーの状態を確認しようと手を差し出したが、自身の魔力量が足りないのを思い出す。  呪われているかどうかを調べる術がない。悔し気に顔を歪ませるレイを見て、マルキオン教授がつかつかとケリーに近寄った。 「失礼」  言うが早いか、マルキオン教授がケリーに向かって手を翳すと、その掌から白い魔法陣が浮かび上がる。緩やかに回りながら光る魔法陣を見ながら、レイは目を丸くし声を上げた。 「医療魔法!? 教授、使えたんですか?」 「越権行為だから秘密にしてね。魔法薬士は診断しちゃいけないことになってるんだから」  平然と言ってのけるマルキオン教授に、レイは机の上の魔力石を手に取り、ゆっくりと魔力を吸い出しながらため息を吐いた。本当に、これだから勤勉な魔術師という奴は手に負えない。  レイも診断用の医療魔法は知っているし、以前クラウスに行使したこともある。魔法医の分野に足を突っ込んでしまう以上、おおっぴらにできないためクラウス以外に行使したことはない。加えてレイの魔力回路では、一回行使したらしばらくは魔法回路が使いものにならなくなってしまう。  マルキオン教授が必要だと判断したからといって、なんのためらいもなくケリーに医療魔法を行使したところを見ても、もしかしたら、魔術師の魔法薬士にとって診断用の医療魔法を会得しているのは、暗黙の了解なのかもしれない。 「うん、呪われてないね。若干汚染された魔力は残っているけど、自然と消えると思うよ」  マルキオン教授の言葉を受け止めたケリーの顔は、晴れてはいなかった。魔力の呪いが解呪されたことは喜ばしいことなのに、眉を寄せた後、冷静に「そうか」と呟いただけだった。  レイは浮かんだ疑問をいったん横に置き、浮かない表情のケリーに言ってのけた。 「ということは、戦力だな」 「怪我人に対して言うことかよ」  ケリーはいけしゃあしゃあと返してきた。足が折れているにもかかわらず、決して平然と歩いて現場まで来ている奴の台詞ではない。レイはにっこりと黒い笑みを浮かべる。 「知っているか? 通常使われる初級回復ポーションも、やりようによっては骨折を治せる」  レイの言葉に、マルキオン教授が盛大に噴き出した。 「戦時中に使われる手法だね」 「はい。折れたところを切開して直接骨に回復ポーションをぶっかけ――」 「おい! 非常時だからって流石にそりゃねぇだろ!」  焦るケリーに、マルキオン教授が肩をすくめながらレイの方に視線を送ってくる。 「回復ポーションって、もしかしてレイ君の手じゃなくて彼の分?」 「両方ですよ」  レイがそう答えた時、ちょうどレイの手の中にあった小さな魔力石が、光を失ってヒビがはいった。魔力石の中に貯蔵されていた魔力が全て吸い出された証だ。  ただの石と化した魔力石を机の上に戻しながら、自身の魔力の状態を良く観察する。 「……増えてますね」  微々たる量だが確実に増えた魔力を見て、レイは静かに拳を握った。繰り返せば、自分も調合できる。だが、時間がない。焦る気持ちを抑えながら、レイは次の魔力石に手を伸ばした。

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