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第118話 師弟
クラウスはあたたかな魔力の中を揺蕩 いながらも、火が付いたように泣きじゃくるあのアースドラゴンの声の方へと自身の魔力を伸ばしていた。クラウス自身を守るように包み込んでいる魔力も、こちらの意図を感じ取ってか一緒に伸び上がって助けてくれていた。――言わずもがな、レイの魔力だ。
結局、レイをアースドラゴンの中から弾き出すことは成功したものの、彼の魔力の大半がここに置き去りにされてしまった。今年の夏、レイが潜在意識と真逆の行いをしようとしたことに反発した彼の魔力が、無理やり彼を留めようとして引きちぎれ、彼の肺が傷ついてしまった件を知っている身としては、レイの魔力と体が分離したような現状が不安で仕方がない。
クラウスは、自身を包むレイの魔力が、まるで意思を持っているかのように動き、クラウスを支えようとしているのを見て、レイの無事を信じようとしていた。だからこそ、ここから自分は無事に脱出しなければならない。そのためにしなければならないことを、冷静に分析していた。
辺りに満ちている魔力が、あの仔の泣き声を波動とともにまき散らしている。――混乱、不安、悲しみ、贖罪。クラウスよりもよっぽど能力も高いだろうアースドラゴンの仔が、ただ咽び泣いている。
幼い感情の発露を前にして、クラウスは自身の体の感覚よりも確かな魔力を、手の代わりに必死に伸ばした。
クラウスは、幼少の頃から自身の感情を表に出すことがなかなかできない子であった。それは、冷静沈着で顔色を変えない師 の教えでもあったが、それを体現している師の姿に一種の憧れのようなものを持っていたためであった。
だが、波打つような泣き声に感化され、心が幼少の頃の自分に立ち返る。こうやってただ泣きたかった自分が、心を凍らせて我慢してしまった自分が、当時してほしかったことに思い至ってしまう。――ただ、大丈夫だと、そう言ってほしかった。抱きしめてほしかった。愛されていると感じたかった。レイと出会ったことで、深く根を下ろした寂しさが解けたからこそ、クラウスはあの仔に手を伸ばそうと思えた。
頭の片隅で、これがここから脱出するための最適解であると冷静に判断を下すのと裏腹に、レイが慈しむように接していたあの仔を、放っておけない気持ちが勝っていた。
暗い階段を上がり切ると、既にマルキオン教授が調合を開始していた。通常の初級ポーションの調合段階は完了しており、ちょうど中級ポーションへ格上げするための魔力加工を施していくところだった。
調合中のマルキオン教授はこちらへ一瞥もくれずに、真剣に、そして楽しそうに調合台へ視線を注いでいる。
後ろを歩いてきていたケリーに静かにするよう手で合図をして、レイは研究室にそっと足を踏み入れた。
マルキオン教授は両手を広げ、調合台の上に浮いているポーションに砕いたルーンハニカムとソディウム溶液を少量ずつ加えながら、アースドラゴンの鱗に自身の魔力を纏わせ始めた。
レイは食い入るようにその工程を見ながら、密かに息を吐いた。――調合魔法の三重掛け。鮮やかでありながら繊細に展開される魔法を脳に焼き付ける。……いつか、自分の魔力回路が良くなったら。高揚する気持ちを抑えながら、少しも零すことなくマルキオン教授の美しい手技を吸収しようと、全ての感覚を研ぎ澄ました。
マルキオン教授の魔力に呼応するように、アースドラゴンの鱗が輝き始め、マルキオン教授の薄い紫色の髪や肌に七色の光が反射する。鱗から緑と茶色の色がゆっくりと失われるのに対し、鱗に纏わせていたマルキオン教授の液状の魔力が、揺らめく緑と茶の幻想的な色を帯びていく。
初級ポーションを中級ポーションに格上げするレシピなんて、この世に存在しない。当たり前だが、希少な素材をこんな勿体ないことに使おうとする輩などいないのだ。目の前で行われているのは、魔法薬学史上初の、天才によるセンスの一発勝負である。
ルーンハニカムとソディウム溶液を加えるのをやめると、マルキオン教授は鱗から抽出した成分で調合台の上に浮かぶポーションを包み込んだ。ポーションが反応するように青白い光を放ち始めると同時に、調合台の魔法陣がウゥンと唸るように過熱していった。
調合台の魔法陣が焼き切れるのが先か、マルキオン教授がポーションを完成させるのが先か。
固唾をのんで調合を見届けるレイとケリーをよそに、目を輝かせながら口角を上げて調合するマルキオン教授。ここで不敵に笑う気持ちが、レイには痛いほど分かった。――できる、やってやる。まるで言うことを聞かない素材たちを屈服させるかのように、マルキオン教授の魔力が膨れ上がった。
ィインッ!
甲高い音が耳の奥にこだまする。おそらく、これはレイの魔力を感覚で捉える能力が聞かせた幻聴だ。
調合台の上に浮かぶポーションを包んでいた液状の魔力は、一瞬のうちにポーションの中へと吸い込まれるように溶け消えた。鋭い光を放っていたポーションが落ち着くと、調合台の上にとろりと粘度のある透き通った中級ポーションができあがっていた。
……はぁ。
マルキオン教授とレイの肺から、解けた緊張と疲弊とともに、深いため息が漏れた。出来上がった満足感と達成感。様々な感情が入り混じった疲れた笑みと共に、マルキオン教授がビーカーにポーションを注ぎ入れた。
「出来たよ。品質も保証する……けどもうこんな勿体ない事させないでよッ!?」
楽しい調合ができて上機嫌のマルキオン教授が、ずいっとポーションの入ったビーカーを差し出してくる。レイはそれを苦笑しながら受け取ると、机の下から丸椅子を引きずって取り出し、ケリーを座らせた。
「調合してるところは先生のを見るのが初めてだったが……いやぁ、先生の先生はまたすげぇんだな」
素直に感動を伝えるケリーに、マルキオン教授も同様に丸椅子を引っ張り出して座りながら、にんまりと笑った。
「そぉ?」
得意げに言うマルキオン教授に、レイは苦笑する。この人の調合など、大学の授業以外では見たことが無い。加えて、ここまで楽しそうに調合していたのを見るのは初めてだった。天才の本気の調合を目の当たりにして、レイは落ち着かない鼓動を感じながら、黙々とケリーの包帯を解いた。
折れた足の甲へ中級ポーションをとろりとかける。粘度のある液体であるにもかかわらず、床へ垂れることもなく、患部へ浸透していく。
「……い、ぃぃぃい!?」
ケリーが足の指をわななかせながら呻くのを見ながら、レイは「あぁ」と呟いた。
「中級ポーションで内部の怪我を治す時は、灼けるような回復痛があるぞ」
「……先に、言えよ」
歯を食いしばるケリーに、レイは巻いていた包帯を畳みながらしれっと言い放つ。
「知っているかと思った。仕事柄、経験済みかと」
「……医療魔法のほうが多い」
どうせケガは多いのだろうと暗に言っているレイに、ケリーは顔を歪めながらぶつぶつと言い訳を零した。回復痛が治まったのか、はたまた慣れたのかは分からないが、ケリーは大きく息を吐きながら靴下を履くと、重そうな音を立てる硬い靴を履き直す。クラウスが履いている靴も、中に鉄が仕込んであると言っていた。工業用の安全靴の技法を用いて、普段使いしやすいように鉄板を分割して靴底に仕込んであるらしい。デザインは違うが、同じようなものなのだろう。
渋い顔を浮かべるケリーを観察していると、研究室の外から知った魔力の気配が階段を降りて来るのを感じ、レイは視線を地上へつながるドアの方へと向けた。蝶番がキィっと軽い音を立ててドアが開かれるが、そこに誰の姿もない。
「階段を降りてくる最中に、小気味良い呻き声が聞こえたけど……大丈夫?」
爽やかなテノールが響き、ドアがひとりでに閉まる。正確には隠密魔法を行使しているコリントが閉めたのだろう。ドアがきちんと閉まったことを確認してから、隠密魔法を解除してにやけ面のコリントが姿を現す。その言い草から推察するに、ケリーの業は深そうだ。
「コリント、状況は?」
気にも留めずにケリーがそう言うと、コリントは一瞬ムッとした表情を浮かべたが、すぐにそれを引っ込め冷静なトーンで話し始める。
「タイアーニ・ベイストンは拘束されていたおかげで、あの喫茶店の外に待機していたペリスコット公爵家の私兵が身柄を押さえてくれていたよ。クラウスが根回ししてくれていたおかげだね。僕は回収されそうになっていた荷物をこっそりいただいてきただけで終わった」
そう言いながら、コリントが手に持っているレイのコートと荷物を軽く掲げて見せてくる。レイはそれを受け取ると、バッグの中身を確認した。無くなっているものはなさそうだ。
「……あのアースドラゴンは?」
ケリーが先ほどまで折れていた足の爪先でトントンと床を叩くように靴を履きつつ、コリントに尋ねた。コリントは口の端をわずかに引き上げ、苦々しく口を開く。
「ちょっと大変なことになってるよ。突然現れたアースドラゴンは、その……」
言い淀みながらも放たれた言葉に、一同は目を見開いた後、深くため息を吐いた。
「継智の塔のてっぺんで鎮座して、民衆の目を釘付けにしているらしい」
重い沈黙がその場を満たす中、レイはビーカーに残った中級ポーションを自身の手の甲に垂らした。アースドラゴンの仔に噛まれた傷に薬液が触れた瞬間、白い湯気のような煙を上げながら再生されていく。内部組織が急激に活性化されたことにより、疼くような痛みが走るが、流石に折れた骨をくっつけるよりも重症ではないため、些末な痛みで済んだ。
「どうすんだよ……いったい」
「どうもこうもないよ。人間は法によりこちらからドラゴンに手出しはできない。国の騎士団と魔法部隊がそろって継智の塔を包囲して、森へ帰るように要求しているけど、ナシノツブテ」
ケリーとコリントが真剣な面持ちで話し合っている中、レイは調合台の前に座っているマルキオン教授の前に、鞄の中からそっと一本のケースを取り出して置いた。マルキオン教授が素早くケリーとコリントに視線を走らせた後、レイを非難するように鋭い眼光を浴びせる。――約束が違う。その目が訴えている。
以前レイはマルキオン教授と、この封印された品質保持ケースの中身に対して、ある約束をしていた。「そのレシピは墓までもっていく」と。
その中身を魔術師に見せることが、どれほど危険なことなのか、わかっているはずだろう。マルキオン教授の言いたいことは尤もで、合理的で、いつだって正しい。だが、レイは今回、これについて譲ることはできなかった。
全ては、クラウスを助けるために。
「……教授、知恵を貸してください」
レイは止血のために貼られていたたアースドラゴンの鱗を丁寧にはがし、マルキオン教授の顔の前へ掲げた。
「鱗の魔力を使って、“コレ”をブーストしたいんです。今のままじゃ、持ってもニ十分。せめて一時間は持たせたいんです」
ケリーとコリントが、こちらに視線を向けている。それを感じながらも、レイはまっすぐにマルキオン教授の薄紫色の瞳を見つめた。歯をぐっと噛み締め、硬い表情のままのマルキオン教授が、強い意志を宿して見つめ返してくる。
「……僕に、悪事の片棒を担げって?」
その一言に、レイは思わず目を伏せた。マルキオン教授は、レイの性格をよく分かっている。他を巻き込むことを嫌い、自分で完結させようとする思考の癖。こういえば、レイは引き下がるだろう。その魂胆がよく分かる一言だった。
だが、レイはそれに対して答えない。譲れない。もう一度ゆっくりと瞼を上げると、マルキオン教授の目を真摯に見つめた。それに反発するかのように、マルキオン教授は頬を一瞬ひくつかせた。
「分かってるよね? それは、毒のようなものだ。今は影響がないにしても、そんなものを強化しようものなら――」
「持続力だけでいいんですッ!」
マルキオン教授の言葉尻を奪うように、レイは口を挟んだ。だが、マルキオン教授はバンッと机を叩きながら立ち上がる。
「そんな毒を体の中に強制的に留まらせることが、どれだけ負担になるか考えろっつってんだよこのバカ!」
温厚な口調すらも外れ、マルキオン教授が捲し立てる。感情的な発露の後、冷静になろうとマルキオン教授は大きく息をはいた。
「……『ダメだったなら、教授なら無理やりにでも辞めさせる』って言ったのは、君だよ。死に急ぐようなバカな行為は、止めさせてもらう」
マルキオン教授は固く拳を握りながらも、努めて冷静にそう言った。勢いに押されながらも、レイは唇をぎゅっと引き結び、震える足に力を入れて耐えた。
クラウスのために調合した頬の傷跡を癒す塗り薬を調合するために、ブラックヘモホッグの成分を抽出していた時に、レイは確かにマルキオン教授にそう言った。あれは、アレンジした抽出工程に対する苦言について、レイが述べた見解だった。それを引き合いに出してくるのも、マルキオン教授らしい。
マルキオン・ゼミに所属しての数年間、とても充実した毎日を送っていたあの日々を思い出される。自身の懐に入れた人に対する無茶ぶり具合に、フォルトンと共に悪戦苦闘しながらも、確実にこちらの気付きや経験を重ねてくれた恩師に、レイは懇願するように唇を開いた。
「……教授は」
緊張で声が掠れる。それでも、レイは続けた。
「サルベルト教授を失ったら、生きていけますか?」
絞り出した声に、マルキオン教授の呼吸が止まった。怒りに唇が震え、拳が振り上げられる。
「ちょ、待――っ!」
コリントが慌てて手を伸ばすが、そのままマルキオン教授の拳は振り下ろされた。
――トッ
軽い音を立てて、レイの左胸の上に拳が置かれた。攻撃的な威力もなく、ただ静かに。感情の重さだけが、マルキオン教授の拳からずっしりと伝わった。
マルキオン教授の表情は、苦しげだった。倫理観と感情を天秤に掛け、ぐらついているのがよく分かる。
マルキオン教授がレイのことをよく知るように、レイもまた、マルキオン教授という人物をよく理解していた。恋人であるサルベルト教授を引き合いに出せば、折れざるを得ないことを。
暗い表情のマルキオン教授は、ぎゅっと唇を噛んだ後、ただ辛そうに目を閉じた。
「……わかったよ」
ぽつりと呟かれたマルキオン教授の言葉に、レイはただ感謝を伝えることしかできなかった。
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