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第120話 後悔を希望で塗り替えろ
精神世界を染める夕空と濃い群青色の夜空を分断し、猛き風が天から落ちるように乾いた大地へ吹き下ろされる。そのあまりの強さに、クラウスはとっさに地面に手を着いた。砂埃が舞ったのは一瞬。もともと細い目を更に細めて目を守るが、次の瞬間、驚いて目を見開いた。
乾いた大地が、まるで生命力を注ぎ込まれたかのように新緑に包まれた。瑞々しい草が香り立ち、輝いている。
――飛べッ!
声が響く。焦がれる強く芯のある響きが木霊する。あぁ、来たのか。それが分かって、安堵と心配が頭をよぎる。
響き渡る声に応えるように、大地が弾みをつけて隆起した。アースドラゴンの仔が地面を蹴り上げ、下降流をものともせずに力強く空へと飛び立つ。長く伸びた尾がクラウスの胴にぐるりと巻き付き、夕空と夜空を割いて出来た亀裂めがけ、まっすぐに。刹那、支えを失った大地が崩れ始めた。夕空と夜空の魔力が、アースドラゴンを持ち上げるように後押しする。吹き荒れる風の中、アースドラゴンは光と闇の狭間を突き進んでいった。
アースドラゴンの仔が目指した先は白い光に包まれていた。しかし、瞬き一つの間に世界は一変する。クラウスとアースドラゴンは、白い煙の中を飛んでいた。状況を把握するよりも早く、クラウスはこれが外の世界であることを理解した。自分の身体の感覚が完全にもどっている。浴びるように当たる風圧が、遠くに聞こえる人々の驚愕の声が、左耳に付いている小型通信魔法機器から流れる聞きなれた声が、それを実感させた。
先ほどまでは、アースドラゴンの尾が胴を抱えて飛んでいたのに、今はクラウスの胴より下は大きなアースドラゴンの体の中に埋まっていた。いつからこうなっていたのかは分からないが、外に露出していた上半身も、アースドラゴンの仔が成竜に化けた時に生やした立派な鬣 で、うまく隠れていたらしい。
「このまま西の森へ! 煙幕から出ないように気を付けろよ! ……頑張れ! もうちょっとだ!」
クラウスは、はっと顔を上げた。白い煙と鬣のおかげで視界が悪い中、風の流れる音に混じりながら、すぐ近くで聞こえた声の主を探した。
「レイ!」
流れる空気に負けないように、クラウスは必死に声を張り上げた。風に流れる鬣をかき分け、風上に目を向ける。白濁の視界の中で煌めく銀灰色。クラウスの声が聞こえたのか、その主は振り返ってこちらを見てきた。
そして、目が合った。見慣れた淡い青緑色ではなく、血に染まったような赤黒い瞳を宿した、己の最愛の姿と。
強化し終えたリミッター解除薬のカートリッジを、すぐさま自己注射用の注射器にセットして打とうとしたレイの手を、マルキオン教授が押さえた。
「馬鹿! 大変な調合終えたばかりのぎりぎり状態でそんなの打ったらどうなるか、ちょっと考えたら……いや考えなくても分かるでしょ!」
注射器の先にある剥き出しの針に気を付けながら、マルキオン教授が乱暴に注射器を奪った。それを取り返そうとレイが必死に手を伸ばすのを、今度はケリーが背後から羽交い絞めにして拘束した。
「ケリーだって回復した! 俺も大丈夫です! 早くしないと、クラウスが!」
無事に調合を終えられたことによる達成感と疲労により、押し込めていた焦燥感が一気に噴き出した。必死にケリーから逃れよう手足をばたつかせるが、レイを羽交い絞めにするケリーの腕はびくともしない。
「落ち着け! 救出方法も見つかってねぇだろうが!」
羽交い絞めにしたままレイを持ち上げ、マルキオン教授と距離を取るケリーの言葉に、レイはぐっと押し黙った。
「状況を確認するよ」
コリントが凛とした声で有無を言わさずに口を挟んだ。
「まず、あのアースドラゴンの仔は継智の塔のてっぺん。周りには民衆と騎士と魔法使いがうじゃうじゃいる。近付くには隠密魔法が必須。でも、近付いたところであの巨体を動かすことなんてできないし、あそこでひと悶着起こすわけにもいかない」
「もし手を出した俺らがオルディアス王国の人間だってことがバレたら、国際問題になりかねん」
冷静に物事を分析しているコリントとケリーの声を聞きながら、レイは唇を噛んだ。二人が言っていることを理解できるだけに歯痒い。ではどうするのか。そこを教えて欲しいのに。
「ということは――」
コリントが億劫そうに言う。
「あの仔が自ら動くように仕向ける必要がある。だけど、あの仔が継智の塔の頂上に居座る理由が分からない以上、手の打ちようがない。何かを待っているのか、あるいは何かをしているのか」
「もしくは、動けないか」
ケリーが大人しくなったレイを床に下ろし、丸椅子に押し付けるように座らせながら付け加えた。両肩に手を乗せられ、絶対に立ち上がらせないという強い意志を感じる。そんなことをされなくても、流石にもう飛びかかったりなどするつもりはないが、それほどに今自分は危うく見えているのかと思うと、レイは情けなさに顔を覆った。
コリントはケリーの一言を吟味するように視線を下げた。
「……動けないほどの外傷があったなら、もっと騒ぎは大きかったはず。ドラゴンに傷を負わせるほどの敵がいるのか、それとも犯人は人間なのかってね」
コリントの視線がすっと上がり、俯いてしまっているレイに向けられた。
「動けないとするなら、その理由は?」
「知らん」
「そう言うと思ったから最初からケリーには聞いて無いよ」
コリントの問いにあっけらかんと答えるケリーを切って捨てたコリントは、改めてレイに視線を向けた。
「思い当たる理由はある?」
問われているのが自分であると分かり、そこでやっとレイは顔を上げた。思い当たる節など聞かれても、アースドラゴンの仔と継智の塔の関係と言ったら、自然エネルギーの供給のために、塔の周りにある雑木林へ連れて行ったことや、継智の塔で開催している魔法薬学集会シーズンのために中へ入ったことぐらいだろうか。
そこで、ふとレイは新たな疑問を浮かべた。
「……そもそも、何故あの仔はペリスコット公爵家の場所へ向かった……?」
あのアースドラゴンの仔が、西エリアと中央エリアの狭間にある喫茶店から、北エリアにあるペリスコット公爵家のタウンハウスへ向かったのは間違いないだろう。だが、レイとクラウスを本当に吸収するつもりだったのなら、そんなところへ向かう必要などない。何か理由があり、わざわざペリスコット公爵家に向かったはずだ。
「二人とも解放するつもりだったんじゃないの?」
マルキオン教授がレイから奪った注射器を机の上に遠くへ置きながら口を挟んだ。それを見届けた後、レイは視線を下げつつ再び考える。
「もし、俺とクラウスを解放するつもりだったのなら、そのままペリスコット公爵家の敷地内へ降りればよかったはず」
「つまり『解放するつもりはなかった』、もしくは『解放したかったのにできなかった』ってこと?」
レイの疑問に対し、今度はコリントが整理する。それに頷くレイに代わり、次に口を開いたのはケリーだった。
「だが実際に、レイはアースドラゴンの中から抜け出してるわけだろ?」
「クラウスに弾き出されたんだ」
レイが苦々しく答えると、ケリーの手がそっと肩から離れた。動けるようになり、レイはため息を吐いてから背後に立っているケリーを見上げた。当のケリーは、珍しく難しそうな顔をしながら続ける。
「なら、それ自体があの竜にとってはアクシデントだったってこった」
「つまり?」
マルキオン教授が呟くように続きを促すと、ケリーが静かに首を振る。
「解放するつもりだったかどうかは、この際どうでもいい。だが、あの竜にとって不測の事態が起こったことで、ペリスコット公爵家に降りられなくなっちまったって考えるのが、一番妥当だろ」
ケリーが言い放った言葉を、コリントは唖然とした表情で受け止めていた。ありありとその顔に、信じられないものを見ているかのような驚愕が浮かんでいる。
「け、ケリー? 大丈夫? 中級ポーションって思考回路まで研ぎ澄まされる効能あるの?」
「うるせぇ! 俺がいつも能天気に構えてると思ったら大間違いだかんな!」
コリントの軽口にケリーが噛みついているのを他所に、レイは分かっている事実を基に頭の中で組み立てていた。
アースドラゴンの仔の中に引きずり込まれた際に流れ込んできた感情は、幼い『隠したい』『怒られなくない』というもの。誰に叱られたくないのかは分からないが、あの仔はそれから逃げる選択をしたのだろう。そして、ペリスコット公爵家へと飛んだ。逃げ場所が仲間のいるはずの西の森ではなく、何故ペリスコット公爵家だったのかが分からないが――。
「……え?」
そこで、レイは思い至った事実に声を上げた。その声に、素早く反応したのがコリントだった。レイの方へ期待を込めた視線が注がれる。それを受けながら、レイは頭を抱えた。
「何、どういうこと? 何か分かったの?」
コリントがせっつくのを聞きながら、レイは悔いた。あのアースドラゴンの安全を優先するなら、例え人間が危害を加えたと分かる状態だったとしても、なんとしても西の森へ逃がしてやるべきだったのだ。レイの元へ転移させられてきた理由や、西の森で何かがあったのかもしれない可能性など考えずに。そうすれば、少なくともこんな事態にはならなかったのに!
「あの仔は……」
レイは奥歯を食いしばりながら、声を絞り出した。
「継智の塔とペリスコット公爵家、あと、ケリーの隠れ家しか、場所を“知らない”んだ」
その言葉に、ケリーとコリントがはっと顔を見合わせた。
この研究室の地下で生まれ育ち、父親が囚われた状態で、外の世界など知らずに育ったアースドラゴンの仔が、一週間前に突然レイの元へ転移させられたのだ。土地勘などあるはずもない。しかも人間の生活圏を、道中はほぼ馬車の中で過ごしていたアースドラゴンの仔が知っている場所などあるはずもない。その中で、彼が安心して過ごせる場所は、レイとクラウスと過ごしたペリスコット公爵家以外になかったのだろう。
そんなペリスコット公爵家に辿りついた瞬間、魔力を残してレイだけが宙に投げ出された。クラウスの水牢魔法のおかげで助かったが、あの仔にしてみれば、自分が引き起こすきっかけとなった事故のように思えただろう。そして、ペリスコット公爵家に降り立つこともできず、拠り所を失ったあの仔が次に向かったのは、もしかしたら南エリアにあるケリーの隠れ家だったのかもしれない。
全員が良かれと思った行動が、全て裏目に出てしまっている。その事実に、レイは再び目を覆った。
「どこに向かうべきかも分からず、隠れなければいけないはずのドラゴンが、そんな目の付くような真似をするとしたら」
「継智の塔で、『動けなくなってしまった』と捉えるべきだね」
「もともと、あそこの雑木林でエネルギー補給してたんだろ? それで動けねぇってことは、補給が間に合ってねぇってことか」
マルキオン教授、コリント、ケリーがレイの言葉を受けて、次々に仮説を立てていく。一呼吸おいて頷き合うと、ケリーはレイの肩にしっかりと手を置いて言い放った。
「ポジティブかつこちらにとって非常に都合のいい解釈だ。その域は越えてねぇ。だが、それ以外にも見当はつかん。時間も惜しい。一旦その線で動くぞ。――コリント」
「はいはい。指示を出すよ」
行動指針を示された後に名指しされ、コリントは軽い口調のままてきぱきと指示を出し始めた。
「奪ったレイとクラウスの魔力があるにもかかわらず、アースドラゴンの仔が動けないなら、理由は分からないけど、レイの言ったとおり二人の魔力は吸収されていないとするよ。なら、僕らがやらなきゃいけないことは、『アースドラゴンの仔の補給を助ける』ことと、『西の森への案内』の二つ」
上げられた指示の内容に、レイとマルキオン教授はぱっとコリントの方に目を向けた。
「ドラゴンの補給を助けるって」
「自然エネルギーがいったいどういうものかもわかってないのに」
口々に疑問を投げると、コリントは至って平然と、人差し指の先で机をトントンと叩いた。
「いるでしょ? 地下に。協力してくれそうな“親”が」
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