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第121話 貞操義務の境界線

 生まれたドラゴンに最初に送られる贈り物、逆鱗。それは、ドラゴンの魔力の継承であった。卵の中で親から魔力と共に自然エネルギーの供給を受け、生まれ出でた我が仔に逆鱗を吸収させることで、殻の代わりに丈夫な鱗を纏わせることができる。そう、地下に閉じ込められたアースドラゴンは語っていた。 「――つまり、ドラゴンには魔力を補填する能力があるということ。それが逆鱗だからなせる業なのか、そうじゃないのかまでは分からないけどね」  コリントが立てた計画はこうだった。  まず、地下で繋がれている親ドラゴンを説得し協力させ、仔ドラゴンへ魔力を供給させる。飛べることを確認した後、西の森へと誘導するというものだ。 「その作戦は、親ドラゴンが協力することが前提じゃねぇか。だめだったらどうする」  ケリーが眉間に皺を寄せると、コリントは同意するように頷いた。 「親ドラゴンには確認しないといけない。でも、できなかったらもう強行突破しかなくなる。煙幕でもなんでも使って、継智の塔で事を構えることになるね」  つらつらと述べた後に、コリントは肩をすくめた。 「一応やりようはあるよ? 煙幕を焚いて見えなくしてから結界を行使、アースドラゴンに魔力ともども返してもらって逃亡する、とか。ただ、その場合は、取り囲まれている魔法使いたちの妨害は覚悟しておかないと。相手はザルハディア王国の国防を担ってる魔法使いと騎士だよ。もしかしたら魔術師もいるかもしれない」  コリントは至って冷静にケリーへの言葉を重ねていく。 「それに対してこちらの戦力は、魔術師三人と疲弊した魔法薬士」 「待って僕を戦力に数えないで!」  マルキオン教授が慌てて口を挟んだ。 「魔術師かつ貴族だからって、なんでもできると思ってない? 僕は根っからの研究オタクだよ。魔法学校での攻撃魔法訓練と非魔法訓練は下から数えた方が早いんだから」  そう言いながら、しなやかな指先をひらひらとさせているマルキオン教授を、レイは冷ややかな目で見ていた。あの乗馬の技量を見るに、確実にマルキオン教授は運動神経は良い方だ。しかし、教授の言が本当ならば、それは本人がやる気を出さなかっただけなのだろう。  マルキオン教授の言い訳を小さなため息一つで受け止めて、コリントは「魔術師二人とひょろい魔法薬士」と訂正した。 「レイ、君には一緒に行ってもらうからね」  コリントが厳しい口調のまま、レイを見た。 「本当に君たちの魔力が吸収されていないのか、魔力を感知する能力がある君じゃないと、外側から判断できない。……そして、レイの魔力とクラウスが吸収されたら、もうあの仔は討伐対象だ。その判断は、君が下すしかない。……僕の言っている意味、分かるね?」  刺すような圧を持って、コリントの澄んだ水色の瞳がレイを射抜く。その視線を追うように、ケリーとマルキオン教授の目がレイへ向いた。コリントの言外の意味をまっすぐ受け止めて、レイはゆっくりと頷く。  ――いざという時には、あの仔を殺す判断をレイが下すことになる。万一嘘を吐こうものなら、人の味を知ったアースドラゴンの餌食となる人間が増える。その責任を、諜報部でもない自分が下さなければならない。  トクトクと、静かに鼓動が鳴るのを感じる。落ち着いているにもかかわらず、呼吸だけは浅い。 「……正体を知らなかったとはいえ」  真意を探るように見るコリントに、レイは口を開いた。 「一度は、命惜しさにあの仔へ引き金を引いたんだ。やれるよ」  静かに紡がれる言葉に、コリントはわずかに眉を顰めた。アースドラゴンの仔が馬車を強襲し、レイが魔法薬弾を撃ち込んだ後も、彼を慕い後ろをついて回ったあのアースドラゴンの幼体。あの仔のことをレイ自身も大切にしていたように思う。その時間さえなければ、コリントも簡単に納得できただろうに。  だが人は、自身の大切なものを害する存在に出会った時、信じられないほどの凶暴性を発揮するものだ。  コリントは小さく息を吐いた。 「ケリー、僕たちは地下へ。レイと教授は、煙幕の代わりになりそうなものが作れる?」  指示が飛び、マルキオン教授は足取りも軽く薬草保管庫へ向かった。その表情は「なにそれおもしろそう」とありありと語っており、緊急時であることを忘れていないか心配になった。  ケリーは黙って地下へ通じるドアを開け、レイを一瞥してから部屋を出て行った。その後ろを追うようにコリントも地下へと向かう。  レイはただ、重い胸中のつかえをとるように大きく息を吐くと、のそりと椅子から立ち上がった。 「……レイ君」  マルキオン教授が仕方なさそうに笑いながら、自身の胸ポケットを探り、ひょいと何かを投げてきた。  握りこぶし一個分ぐらいの大きさの淡く光る薄紫色の鉱石が、緩やかな弧を描きながら、立ち上がったレイの元へ落ちてきた。 「え、わっ!」  慌てて宙で掴み取ると、耳の奥に小さくキィンと共鳴音が響いた。訳が分からず、レイは手の中の鉱石に目を落とす。見たことのない色艶のその鉱石に、レイの魔力がそわそわと反応している。 「……これ、まさか」  レイが答えようと顔を上げた時には、マルキオン教授は既に薬草保管庫に足を向けていた。先ほどまでの重い気分も消え、足早にマルキオン教授を追いかける。 「これ、魔力石ですよね!? 教授の魔力しか感じないんですけど、いったいどうやって――」  通常、魔力石は天然の物だ。魔力石の質が高ければ高いほど、内包する魔力の容量も質も良い。人工的に魔力石を作り出す研究はなされているものの、自然から採掘される最低ランクのB級をさらに下回るC級が関の山である。だが、マルキオン教授が投げてよこしたこの薄紫色の魔力石の質を見るに、A級に匹敵する。 「A級魔力石に入ってる魔力を限界まで引き出して、毎日ちょっとずつ自分の魔力を充填する。天然の魔力石と人間の魔力は混ざりやすいから、できる技だよね」  マルキオン教授は簡単に言ってのけるが、魔力石に込められた魔力を限界まで引き出せば、『石』という器が保てず普通は割れてしまう。割れや欠けのある魔力石は、そこから魔力が漏れ出てしまうため、充填などできなくなってしまう。だからこそ魔力石のカッティングは、凄腕の技術者しかできない所業であり、貴重な魔力石が更に高値になる理由でもある。  レイは集中して薄紫色の魔力石を観察した。一片の濁りもなく、気持ちのいいほど綺麗なマルキオン教授の魔力が薄紫色の魔力石の中に内包されている。アースドラゴンの仔に魔力が奪われたために研究室に置いてあった魔力石で補充した魔力も、先ほど行った調合のために今は底を尽きかけているレイにしてみれば、空腹の状態でごちそうを眼前にぶら下げられているような気持ちになる。 「な、なんでこれを……」  誘惑の塊から目を逸らすように、レイは魔力石を手で覆いながら、薬草保管庫を漁るマルキオン教授の後ろ姿に話しかけた。高身長の麗しき魔術師は、背伸びもせずに棚から使えそうな薬草類を取り出しては腕に抱えながらも、平然と言ってのける。 「僕がそれを作った理由ぐらい、分かるでしょ?」  使えそうなものがないかを探すように、薬草庫の引き出しに貼られたラベルを綺麗に整えられた指で宙をなぞるマルキオン教授に、レイは少し苛立ちを覚えた。  レイが聞きたかったのは、これを作った理由などではない。これを作った理由など、どう考えてもマルキオン教授のパートナーであるサルベルト教授のためだろう。教授職という忙しい身の上で、互いの時間をなかなかとることができない相手のために、自身の魔力を少しずつ充填して作った魔力石を贈ろうとしたのだろう。いや、もしかしたら既にサルベルト教授の手元に既存のものがあり、これは次に渡す用に充填を繰り返しながら持ち歩いているものかもしれない。  沈黙したレイを一瞥して、マルキオン教授は呆れたように口元を歪ませた。 「クラウスさんがいなくなったら、僕は君の分もそれを作る羽目になるんだよ」  レイが視線を上げた時には、マルキオン教授の顔は再び薬草保管庫に向いていた。 「魔力の相性が最高にいいパートナーと出会ったらね、離れられないんだよ。それはもう、僕らで実証済み。僕らの場合は、大体二か月で魔力が言うことを聞かなくなってくる。三か月目に突入すると、身体的な不調と精神的な異常を起こし始めて、半年で動けなくなる。……うん、保管状態も良好だし、きちんと管理されてるね。すばらしい保管庫だ」  棚の下段まで確認して、マルキオン教授は腕一杯に薬草類を抱えながら、レイの方に向き直った。飄々としながらも、レイと視線が合うと、マルキオン教授はおどけた態度を見せなかった。 「……この魔力石があるから、サルベルト教授はマルキオン教授と離れていても、問題なく生活できているんですね」 「そういうこと。僕も彼の魔力が込められたものを持ってる。それでも、調律しなくていいってわけじゃないんだ。魔術師としてはこの魔力の不調はとても気持ちが悪い。この魔力石の効果なんてね、単に、ちょっと眠りやすくなる程度だよ」  レイは、ふと今年の夏に起こったことを思い出した。二か月弱クラウスに会わなかっただけで、魔力が不調を起こしていた。そして、いざクラウスと戦闘となった際には、互いの魔力が求めあうように絡み合い、持ち主の制御を外れてしまったあの現象。――マルキオン教授の言葉の信憑性は高い。 「僕と君の相性なんて、クラウスさんと比べれば雲泥の差なんでしょうよ。特に君の場合は、調律できる相手がクラウスさんを除くと、まだ僕しか候補がいないんだ。その魔力石の効果だって、きっとたかが知れてるよ。……その魔力石を君に渡すことだって、浮気に近いんだからね。絶対調律なんかしないからね?」 「俺も望んでませんよ」  レイは手を広げ、マルキオン教授に魔力石を取るように促した。 「うん、“持っていてくれてありがとう”」  持ってもらっただけ、浮気じゃない。そう互いに言い聞かせるように言って、マルキオン教授は魔力石を持ち上げた。レイの魔力が名残惜しそうにその魔力石を追いかけたが、レイは理性でその魔力を引き戻した。 「相性なんて、一種の呪いさ。片割れがいなくなったら、死ぬ呪い。君、今、死にかけてるの。分かる?」  レイの顔の前に魔力石を掲げながら、マルキオン教授は言い放った。 「クラウスさんを取り戻すためなら、あのアースドラゴンの仔は殺しなさい。そして、クラウスさんを取り戻せなかったら君は死ぬ。……肝に銘じなさい」  冷たい口調と裏腹に、マルキオン教授の瞳は揺らいでいた。レイは、感謝に目を閉じた。覚悟を固めろ。そのために、レイに身をもって思い知らさせてくれたマルキオン教授の優しさを胸に刻んでいた。 「はい」  レイはきちんと返事をした。いつまでも甘ったれな自分に言い聞かせるように。小さくマルキオン教授が息を吐き、「よろしい」と呟いた。 「だからね、これは、事故だよ。いいね?」 「……は?」  レイが目を開けた時、目に入ったのは落下していく薄紫色の魔力石だった。宙でそれを掴もうと慌てて手を伸ばすも間に合わず、マルキオン教授の指先から滑り落ちた魔力石は、重い音を立てながら床に着地した。  魔力石にヒビが入る。そして、そこから充填されていた魔力が勢いよく噴き出した。 「な、教授っ!?」  足元から噴き出す魔力がレイの首筋を撫でる。さながら愛撫のような感触のそれに、レイの魔力は一気に群がった。  魔力は、魔力だけでは存在できない。器の中に入っていないと形を保てない。その器の質により、入れておける量が変わる。そして、天然の魔力石に内包されている魔力は、人間の魔力と混ざりやすい性質がある。それを利用して魔法使いは魔力石から魔力を吸い上げ自分のものとする。  ――その器が壊れた時、魔力はその形を保つため、新たな器に群がる。そしてそれは、より相性のいい方へと向かいやすい。 「くっ! は、ぁ……教授ッ!」  レイの魔力を通して自分の中へ流れ込んでくるマルキオン教授の魔力に、レイは身もだえして床に転がった。恨めしそうにマルキオン教授を見上げるが、教授はじっと観察するようにレイを見下ろしていた。 「うん、魔力枯渇気味の器で、かつ僕の魔力と相性がよかったら、本人よりもそっちに向かうね。なんだか自分の魔力なのに情けなくなる結果だけど、まぁ予想通りだね」  冷静に分析するマルキオン教授の声に、レイは奥歯を噛み締めた。レイの魔力とマルキオン教授の魔力が混ざり合う。研究室にあった天然の魔力石から吸い上げた魔力よりも相性のいい魔力が、レイの魔力として吸収されていく。乾いた大地に川の如く清流が流れるような乱暴さをもって、レイの魔力が回復する。  レイの魔力が魔力石から噴き出した魔力をごっそり吸収し終えると、床に転がった魔力石は色を失い、ただの石くれとなった。 「……気分は?」  床に転がった石を拾い上げながら、マルキオン教授は面白そうにレイに尋ねる。レイは息を整えながら、動かしやすい体を起こし、服に付いた埃を掃いながら立ち上がった。 「最高で、最悪ですね」  そう言いながら、レイはマルキオン教授に中指を立てた。

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