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第123話 a.s.a.p.

 レイはコリントがマルキオン教授を連れて出て行ったのを見送ってから数秒間、張っていた気が緩んで立ち尽くしていた。眼鏡を外し、顔全体を揉むようにして擦り上げる。精神的な爆発を鎮めようと努めても、なかなかに収まらない。ゆっくりと深呼吸を繰り返すが、それでもどうしようもなく胸の奥が震えてしまう。 「……どうしよう」  ぽつりとこぼれてしまった言葉が情けない。嫌な考えが頭の中を駆け巡り、ため息が出た。そんなことを考えている暇など無いことはよく分かっている。とにかく手を動かさなければいけない。  振るった粉が入ったボウルを覗き込みながら、加工手順を反芻する。今回の煙幕は、通常の破裂させて使うような構造では作れない。アースドラゴンを安全な西の森まで案内するにあたり、万一イレギュラーが発生して誘導に人員が裂けなかった場合に、アースドラゴンだけで分かるよう『誘導弾』型にしなければいけない。加えて、飛んでいる最中にアースドラゴンの姿が幼体に戻ってしまう場合も考え、飛んでいる間も煙幕で隠しておく必要がある。  つまり起点となる発射ポイントと、終点となる着弾ポイントまでの軌道をカバーする誘導機構を組み込んだ煙幕と、ザルハディア王国側の介入があった際に継智の塔の頂で事を構える場合の通常の煙幕。この二種類が望ましい。  レイは先ほどマルキオン教授が作ったふわふわとした綿毛の山を見た。このマジコエセヤマネコヤナギモドキという似非(エセ)なのか擬き(モドキ)なのかはっきりしない薬草の葯部分は、魔力に反応すると飛散した物質を広がり過ぎないように周囲に留まらせる働きをもつ。煙幕にはよく使われる材料だ。傷を負わせられない獣を捕らえる際に散布する麻酔薬を留めるときにも使われる。魔力に反応すると埃すら周囲に留まらせてしまうため、魔法でちぎり取ることができず、全て手作業で下処理をしなければならない。  ふとマルキオン教授が窺うように送ってきた視線を思い出し、レイは手の甲で首筋を擦った。――謝らない。だから許さなくてもいい。でも、必要だったよね。君があの薬を使うなら。――あの視線はそうレイに訴えかけていた。  レイは顎まで下げていたマスクを再び持ち上げた。頭ではわかっているのだ。マルキオン教授にとって、あれは一種の医療行為だ。効率的かつ合理的な処置に過ぎない。そうでなければ、パートナーがいる相手にあんなことをしでかすはずもない。それは、自身のパートナーを裏切る行為でもある。いや、彼の事だ。マルキオン教授にもレイにも、互い以上に相性のいいパートナーがいて、惹かれ合わないことを知っているからこそ、実行に移した暴挙だろう。  調合台に魔力を送る。今回、魔力加工するのは粉の方だ。この粉は一般的に料理にも使われるような薄力粉で、一般薬ならプラセボ薬でなじみ深いものも、魔法薬の分野では処方で使われることはほとんどない。ただ、薬品の散布実験をする際に、飛散範囲を分かりやすくするため用いられたり、こういった煙幕等に使用されたりすることが多い。――実際、以前マルキオン教授のもとに届いた爆弾でも使用されていた。  頭を振る。マルキオン教授のことがどうしても頭にちらつく。あの行為が、彼の優しさの延長上にあることが腹立たしいことこの上ない。そして、もし逆の立場だったなら、レイも同じように自身の魔力を貯蔵した魔力石を、マルキオン教授に差し出しただろうことも容易に想像がついてしまう。そんな想像をしているのは自分自身でありマルキオン教授のせいでないのは百も承知だが、あんなことが無ければ思い浮かべることもないもしもの事態を想像させているのは、紛れもなくあの麗しの魔術師(ウィルザック・マルキオン)の仕業である。それなのに、どうしても憎み切れない。  集中しろ。気を取り直して、調合台へ手を翳す。ボウルから全量の三分の二程の粉が宙を舞い上がる。さながら空に舞った布切れのように滑らかに調合台の上へ移動した粉へ、レイは手から霧状に魔力を放出した。粉へ魔力を丁寧に纏わせ、そこから一気に魔力加工へ。綿毛への加工ができない関係上、空気への飛散を増した誘導加工は、粉の方へ行うしかない。粉の密集率を高めないと姿は隠せない。だが、飛散させないと煙幕として機能しない。  魔力回路が熱を帯びる。今回の魔力加工には精度の高い調合魔法は要求されるが、二剤の同時調合で無い分、魔力回路の負担は少ない。だがテストするだけの材料も無ければ時間も惜しい。完璧な一発勝負だ。  脳裏にクラウスの顔がちらつく。早く助けに行かなければいけない。そして、赦しを乞わねばならない。そも、赦してもらえるかも分からない。  レイの小さな胸の中は、マルキオン教授の魔力を喜んで吸収した自分への嫌悪感と、それによってクラウスに捨てられてしまうのではないかという不安でいっぱいだった。  ぐっと全身に力を込める。そうしないと、心が折れてしまいそうだった。  魔力加工により、白い粉の粒子が乱反射を繰り返す。粉の量の少なさを、魔力の淡い光の拡散で補う。それをぎゅっと圧縮し、魔力加工品の品質を保持する特殊布で包み込んで、粉への加工は終了。これを、マジコエセヤマネコヤナギモドキの綿毛を大量に詰め込んだバレット型の瓶の中央へそっと収めた。瓶の先へ誘導ポイントへの魔法陣を貼り付ければ誘導煙幕弾の完成だ。  もう一つの通常の煙幕は、誘導分の魔力加工を失くしたもので問題ないだろう。その分、飛散率はもう少し上げ気味に調整する。レイはマスクを一度下ろし、ふと魔法薬が保管されている棚へ目をやった。引き出しにメスなどの道具も入っていたガラス戸棚の中に、麻酔薬が見える。  レイの足がふらりとその棚へ向いた。薬棚のガラス戸にそっと手をかけると、小さな蝶番が軋む音を上げながらガラス戸は容易に開いた。  眼前の麻酔薬に手を伸ばし、軽く瓶に魔力を流して解析魔法をかける。問題なく使用できる品質の魔法薬で、明らかに人間用のものだった。おそらくベイストン先生は、これを使って人間を深い眠りに落としてから、人体実験を行っていたのだろう。一滴でも体内へ入れば、瞬時に眠りに落ちる魔法薬による麻酔は、魔法薬士でさえ“許可を得た場所”で“魔法麻酔医による指示”が無いと調合ができない。加えてその使用は、本来なら魔法麻酔医しか行ってはならない。 「……」  レイは引き出しを漁り、サンプル収集用のパッキング袋を一枚拝借した。マスクで口元を覆い、ポケットの中から自身のハンカチを取り出しておもむろに麻酔薬をしみこませ、パッキング袋の中へ放り込む。きっちり空気を抜いて封を閉じ、再びポケットの中へ突っ込んだ。  その過程で、先ほどマルキオン教授により自分から遠ざけるように置かれたリミッター解除薬を見た。以前あの薬を使用した時には、魔力に働きかけ急激に意識を深く落とす作用を持つ乾燥したエルヴァンローズが手元にあった。エルヴァンローズはほぼ流通していない上に扱いが難しいため一般的に使用することが無く、魔法加工前の効能が軽い鎮静作用のため、取扱注意指定はされているものの、魔法薬士の采配だけで使用ができるものだ。だが、今それは手元にはない。  強化されたリミッター解除薬の副作用が、どのようにでるか分からない。いざというときには、レイは再び自ら意識を落とす必要がある。決して褒められた手段ではないが、既に事故を装って“褒められない行為”は受けているのだ。というより、これはマルキオン教授自身を守るための手段でもあるのだ。文句は言わせない。  レイは踵を返し、何食わぬ顔で調合に戻った。コリントたちが戻ってくる前に、煙幕を完成させなければならない。 「……よし」  雑念を振り切るようにして、レイは袖を捲り上げた。  実動部隊はケリー、コリント、レイの三人。マルキオン教授は西の森へ向かい、安全な着地ポイントの確保と誘導煙幕弾の着弾誘導役だ。コリントは地下にいるアースドラゴンの親から鱗の提供を受けた際、地下空間からの脱出について提案もしたらしいが、ただ一言「捨て置け」と言われたらしい。それを聞いたとき、レイは何とも言えない気持ちになったが、小さく「そうか」と零すだけに留めた。  研究室を出る際、コリントは「先に行く」と告げると同時に隠密魔法と身体能力強化魔法を行使して出発してしまった。これは、レイの運搬役をケリーが押し付けられたことに他ならないが、ケリーとしてはもとよりそのつもりだったので、押し付けられたとは思っていなかった。 「クラウスじゃなくて悪ぃけど」  そう一言おいてくれたケリーの優しさが、レイには少し沁みた。 「なら、コリントじゃなくて悪かったとでも言っておこうか?」 「おっと、こいつぁ笑えねぇ冗談だな」  軽口を叩き合いながら、レイはケリーに()ぶさった。隠密魔法が行使されるのを感じる。ケリーが地を蹴ると同時に、すさまじい速さで視界が流れていく。レイは眼鏡のつるの端同士をゴムで縛って落ちないように固定しておいて心底よかったと思った。動く視界の速さを見る限り、マルキオン教授と移動した馬のスピードよりも速い。  夕方近い時間帯ということもあり、人や馬車の往来が激しいため、ケリーは建物の屋根を走っていた。そのため視界は良好で、遠目でも中央エリアにある継智の塔が小さく見えた。  継智の塔の頂上に止まるようにして、アースドラゴンが鎮座していた。迫りくる夜に備えてか、サーチライトのような眩しい魔力照明が項垂れるように下を向いている巨躯に当てられ、鱗が異様な輝きを放っていた。 「……ちぃっとばかし、厄介だな」  ケリーの口から漏れた言葉に、レイは何も言わずに同意した。  継智の塔へはまだ距離があるにもかかわらず、既に交通規制が敷かれていた。加えて、騎士を乗せて来ただろう馬車が完全に道を塞ぎ、通行人すらも通そうとしない。観光名所であるピトル広場でさえ客の一人もおらず、代わりにザルハディア王国の紋章を掲げた騎士が立ち、周囲に目を光らせていた。 『一般人が、完全に締め出されている。継智の塔の周りにある雑木林を魔法使い部隊が等間隔で包囲している。これはさっさとしないとまずいことになる』  耳につけた小型通信機器からコリントの声が流れる。レイたちにとって群衆の目は厄介でもあったが、ザルハディア王国側の動きを抑止する最も重要なものでもあった。 『ザルハディア王国はアースドラゴンを捕獲するつもりだろうね』 「けっ! とことん腐ってやがるな」  レイたちは雑木林の端に降り立った。ここからは屋根なんて便利なものはない。歩いて近付くにしても既に騎士や魔法使いが配置されている。ケリーはレイを下ろし、手を繋いだ。真剣な目で、ケリーが唇を指で横に撫でた。――絶対しゃべるなよ。そう伝えてくるケリーに、レイは静かに頷いた。  足音を立てないように、細心の注意を払いながら歩く。すぐそばにはザルハディア王国の騎士も、魔法使いもいる。レイは全身から汗が噴き出していた。呼吸の音さえも聞こえてはいけない。そう思うと緊張で全身が震えた。警備と捕獲準備で動く騎士と魔法使いたちの横を、ケリーはゆっくりとだが堂々と通っていく。隠密魔法があるとはいえ、その鋼のような精神状態は一体どうなっているのか。  繋いだ手から震えが伝わったのか、ケリーが肩越しにこちらを見た。すれ違った魔法使いの欠伸の音でさえビクつき、口元を押さえているレイの汗ばんだ手をぎゅっと握り直し、再び前を向いて歩いていく。  継智の塔を囲むように、巨大なサーチライトが設置されていた。雑木林から太い管が地面を這い、そのライト同士を繋いで一つの大きな輪を形成していた。  ライトの周りには魔法使いと騎士以外にも、彫金士とみられる者もいる。おそらくライトの魔法機構の調整に駆り出されているのだろう。レイは逸る心音をどうか聞かれないようにと祈りながら、その管につまずかないよう、ゆっくりと跨いで行こうとした。 「……っ!?」  それが目に入ったのはほんの偶然だったのだろう。レイは繋いでいるケリーの手を引っ張って歩みを止めた。驚いてケリーがこちらを向いたので、レイは口を押えていた手を離し、地を這う管の一部分を指で示した。  管の黒い塗料が一部分剥げ落ちており、もともとの素材の色がむき出しとなったそこには、小さな文字が彫りこまれていた。塗料のせいでよく見えないが、管を目を凝らして見ると、彫り込まれた文字はさながら一本の線のように長く続いており、全部の管に彫り込まれているようだった。  ――塔をぐるりと囲むサーチライトへの魔力供給に見える管。それに施された文字による結界。まだ結界は起動していないようだが、これがどのような効果を生む結界かも分からない。  嫌な予感がした。数十年前、伝説の魔術師ルミアの一撃により手負いだったとしても、ザルハディア王国は人知れずアースドラゴンの捕獲に成功しているのだ。もしこれがその手段だったとしたら――。 「最終チェック急げ!」  チェックシートを持った魔法使いが声を上げた。ばたばたと走り回る彫金士たち。ケリーとレイは顔を見合わせた。おそらく、もう時間がない!  ケリーはレイを乱暴に引き寄せ抱きかかえると、そのまま地を蹴った。継智の塔の側面を勢いを殺さずに駆け上がっていく。 「コリー、時間がねぇ!」  小声でコリントに呼びかけるケリー。敵に聞かれた場合へ備えての呼び方なのか二人の時の愛称なのか分からなかったが、すぐにコツコツと小型通信魔法機器をノックする音が響き、コリントが反応を返した。その内容はレイには分からない。だが、ケリーの顔がどんどん険しくなっていくのを見ると、少なくともいい情報ではなさそうだ。  レイは大きく息を吸って、ぐっと肺に留めた。事前の打ち合わせで、声が出せない状況で作戦を実行する場合、レイはとにかくアースドラゴンにくっついて作戦を実行するように指示されていた。例えコリントとケリーの姿が見えなかったとしても、信じろ、と。  ポケットからペン型の自己注射器を取り出し、自身に打ち込む。速やかにリミッター解除薬が体の中に広がっていくのが分かる。塔の頂上へ着いたら、作戦開始だ。  信じる。ケリーとコリントを。――そして、クラウスを。

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