133 / 136
第124話 大逃走劇
継智の塔の屋上に着いた瞬間、レイは乱暴に転がされた。その音で不信に思った騎士たちの目が一斉にレイの方へ向く。隠密魔法は解除されていない。まだ姿は見えないはず。だが、焦点が合わない視線が確実にレイに向いている。
「――うっ!」
レイから遠く離れた騎士が呻き声をあげて体勢を崩した。それを見た瞬間、隣にいたケリーが駆け出した。隠密魔法をかけた者とかけられた者同士は、互いを認識することができるが、コリントはケリーの姿を見ることができない。つまり、ケリーはコリントにこちらの場所を伝えるために、わざわざレイを乱暴に転がし、音を立てた。加えてその音で意識をこちらに向け、陽動に使ったのだろう。まったく、合理的とはいえ、なんて人使いの荒い……いや、人の荒い使い方をする奴だ。
「敵襲ッ! ――ぐぁっ」
先ほど呻き声を上げた騎士を見て、警戒の声を上げた騎士がケリーに殴り倒された。見えない敵に対し、騎士たちが一斉に展望スペースの中央へと向かい始める。
継智の塔の屋上は展望スペースが広くとられている。六角形の塔の展望台には、中央に階下から上がってくるための階段があり、その階段を覆う屋根の上に伸びた避雷針の切っ先が根元から折れていた。その避雷針を折った犯人は、折れた避雷針を止まり木のようにして佇んでいる。
ザルハディア王国の騎士たちは、虚ろな目をしたアースドラゴンに見えない敵を近付けさせまいと、展望台の中央に集結した。
「放て!」
階段付近にいたザルハディア王国の国章を付けた魔法薬士たちが、号令と共に周囲へ一斉に魔法薬を散布した。これは魔力の着色剤で、触れた魔力を一時的に蛍光色に染め上げる効果を持つ。隠密魔法を使用してきた相手に対するもっとも初歩的かつ効果的な対処法だが、屋外ということもあり、風魔法で容易に吹き飛ばせてしまうだろう。
しかし、ケリーたちはそうはしなかった。コリントが瞬時に展望台の落下防止柵に沿って、結界が展開する。同時に、ケリーが煙幕を折れた避雷針目掛け投げつけた。アースドラゴンの足元で、白い粉が爆発的に飛散する。薄力粉と共に飛び散った綿毛が反応し、展望スペースに煙幕が留まるように展開した。煙幕がザルハディア王国の魔法薬士が散布した魔力着色剤を取り込み、周囲に蛍光ピンクの煙幕が広がる。そう、魔法薬も魔力を帯びたもの。魔力の着色剤は反応してしまう。
「狼狽えるな!」
冷静に声を張り上げ、ザルハディア王国の魔法使いが煙幕を吹き飛ばそうと風魔法を展開するも、コリントが張った結界に阻まれ、煙幕は吹き飛ばなかった。むしろ逃げ場を失った風が、周囲の人を巻き込みながら空気をかき混ぜてしまう。
騎士や魔法使いたちが、飛ばされないように身を屈めた瞬間、レイは身体能力向上魔法を行使した。
ケリーと魔法使いたちの視線が、魔法の気配を察知してこちらに向く。だが、正確にレイの場所を捕らえていたのは、レイに隠密魔法をかけたケリーのみだった。
飛び上がり、展望台の中央にある屋根を蹴り上げ、レイは項垂れるアースドラゴンの大きな鼻先に飛び乗った。
「……リュールゥ」
レイは語り掛けるように静かにアースドラゴンの名を呼んだ。視点が合わないアースドラゴンの仔・リュールゥの瞼が僅かに持ち上がる。反応はあるが、どこか虚ろだ。
肩掛け鞄から採取用の袋を取り出す。中に入っているのはすりつぶした林檎の果汁に浸した鱗だ。そのまま袋を破り、鼻先に持っていく。
「口を開けて。好きだろ、林檎」
優しく声をかけるが、反応がない。頼む、開けてくれ。これしか方法がない。頼むから。もう一度促そうと口を開いたとき、リュールゥの口がそろりと開いた。口の奥からちろりと舌が伸びてくる。レイは落とさないように袋から鱗を取り出し、逸る気持ちを抑えて慎重に舌の上へ置いた。
林檎の果汁と共に鱗が舌の上にのり、口の中に引っ込んでいく。
一瞬の間の後、辺りが濃い新緑の匂いに包まれた。リュールゥの鬣が艶を帯び、風を纏ったかのようになびき始める。瞳に光が灯り、鼻先に乗っているレイを視線が捉えた。
「飛べッ!」
レイは叫んだ。応じるようにリュールゥが身を屈め、翼を大きく広げる。コリントが張った結界が解かれると同時に、レイは誘導煙幕弾の瓶底を割り、浮遊魔法をかけて空へ放り投げた。
瓶底から煙幕が広がる。瓶先に付いた魔法陣が光を帯び、マルキオン教授が持っている着弾点用の魔法陣へと引き寄せられるように、西の森へ緩やかな弧を描きながら飛んで行った。
刹那、継智の塔の下からサーチライトの光が天へ伸びる。その光は塔を囲み、誘導煙幕で作られた道しるべを遮断するように結界が張られた。このままでは飛び立てない!
レイは袖を捲り上げた。腕に巻かれたベルトに固定された小型の41口径二連発ピストルを素早く引き抜くと、塔を囲むように張られた結界に銃口を向けた。
リュールゥが折れた避雷針を蹴って飛び上がったと同時に、レイは引き金を引いた。乾いた発砲音と共に、巨大な結界が一瞬にして粉々に砕け散る。――これは、今年の夏、レイがクラウスに対抗するために開発した、古代魔法による解除魔法を封じてある弾だった。万一弾薬を回収されて分析されたところで、分かるのはS級魔力石を使ったということぐらいだ。
きらめく結界の破片をものともせず、リュールゥは飛び立つ。その反動で、レイはリュールゥの鼻先から額の方へと転がった。白い煙幕の中を飛行するリュールゥの鬣に捕まり、何とか体勢を整える。ゴウゴウと空を切り、服がはためく音に負けないように、声を張り上げた。
「このまま西の森へ! 煙幕から出ないように気を付けろよ! ……頑張れ! もうちょっとだ!」
驚くほどのスピードで煙幕の中を切るように飛ぶリュールゥ。レイは必死に鬣に捕まっていた。身体能力強化魔法が無ければ、空から真っ逆さまに落ちていただろう。
――レイッ!
その声が聞こえたのは、奇跡にも近かっただろう。流れる風に負けないように上げられた声が、レイの耳に届いた。
胸が震える。強風の中、振り返る。後ろでまとめられていた横髪が、風に煽られて落ち、顔の横に纏わりつく。白く煙 い視界も、自身の銀灰色の髪もレイの邪魔をする。それでも尚、アースドラゴンの立派な鬣の中で目立つ白金髪が、藍色の瞳が、こちらを向いているのが見えた。
喜びと安堵が入り混じって言葉にならない。生きている。クラウスが、生きている。
クラウスの名を呼ぼうとした瞬間、レイの髪を結っていた藍色のリボンが解けた。吸い込まれるように後方へと飛ばされるリボンが視界の端に映る。
「あ」
――クラウスがくれたリボンが。
間に合う訳もないのに、レイは手を伸ばした。体勢が崩れ、捕まっていた鬣が指からするりと離れる。
死ぬ。浮遊感。全身が固まる。クラウスを遺して死んでしまう、恐怖。
一瞬にして駆け回る感情。――あぁ、良かった。自分が死ぬことよりも、自らの死でクラウスが悲しむことを考えられる。ちゃんと自分は、クラウスの愛情を受け取れていた。自分の死を目前にして、レイはそれが何よりも嬉しかった。
刹那、体中が拘束されたかのように動かなくなった。クラウスの手から瞬時に伸びた魔力が、これでもかとレイに巻き付いている。普段はスマートに過不足なく伸ばす魔力の縄が、数えられないほど伸ばされている。魔力の縄の一本一本がレイを締め上げるかのように力強く、身体能力強化をかけているレイの体でさえ、ぎしりと音を上げた。
絶対に離さないという強い意志が伝わってくる。レイは空中でクラウスを見た。吹きすさぶ風の中、白金髪をなびかせ、細いはずの目から眼球が零れ落ちるのではないかと思うぐらい、目が見開かれていた。
「……ははっ!」
もう感情がぐちゃぐちゃで、思考もまとまらない中、レイは笑った。安堵で全身から汗が噴き出す。問題なく魔力を操れるぐらい、クラウスは無事だ。自然と涙が滲む。リュールゥの魔力の中にいた時から、彼を失う絶望を押し殺して至った今に、涙腺が刺激される。
ぐんっと引き寄せられ、レイの体は跳ね上がるようにクラウスの元へと引っ張り上げられる。強風に逆らって行うには、魔力の強度が無いとできない芸当だ。
体が空を舞う。下半身がリュールゥの体の中にめり込んだ状態で、クラウスは両手を広げてレイを迎え入れようとしていた。それに応えるように、レイも目一杯両手を広げてクラウスの首に抱き着いた。
彼の体温と形を確かめるように、ぎゅっと腕の中のクラウスを抱きしめる。
「心配かけさせやがって!」
「毎度のことながら、胆を冷やしたのは私なのだが!」
非難と心配を綯 い交ぜにしたクラウスが、レイをしっかりと抱きしめながら反論してくる。顔に当たるクラウスの髪を見て、レイはふと思ったことを口にした。
「髪の色が戻っている」
白く濁る視界でも煌めくクラウスの白金髪を押さえつけるようになでると、クラウスも気付かなかったと謂わんばかりの表情を浮かべていた。アースドラゴンの濃い魔力に晒されたことで、魔法薬が分解されてしまったのだろうか。
「……やっぱり、お前はその色がいいよ」
そうぽつりと呟いて、レイはクラウスの頭に唇を押し付けた。お返しとばかりにクラウスの顔が寄ってくるが、レイはぱっと体を引き離して、クラウスの状態を確認する。
「下半身はどうなっている?」
クラウスの鳩尾から下はリュールゥの体内に埋まったままだった。とにかくクラウスが生きていることがわかり、レイの思考は再会を喜ぶよりも、やらねばならないことにシフトしていた。有事であるにも関わらず、クラウスは一瞬不服を滲ませたが、すぐに感情を引っ込めて答えた。
「問題ない。レイの魔力が私を守ってくれている。むしろ、レイの方は大丈夫なのか?」
すっと頬に手を添え、目尻を流れた涙の痕を指で拭われる。クラウスの指がそのあとも目尻に留まったままなのは、恐らくレイの目がリミッター解除薬の副作用で色が変わってしまっていることが原因だろう。
レイはどう答えようか逡巡した。脳裏にマルキオン教授がちらつくが、すぐに思考を押し込む。こんなところで話すべきことではない。
「……大丈夫だ」
答えるが、クラウスの目はじっとレイの目を捉えていた。本当なのかどうかを探ろうとしている。嘘を言ったわけではない。だが、悠長にこんなことをやっている場合でもない。
「出られそうか?」
「おそらく。……状況は?」
話題が保留にされたのは分かったが、レイはとりあえずクラウスの思考がやるべきことに挿げ変わったことに安堵した。
「リュールゥ……アースドラゴンの仔が継智の塔から西の森へ飛行中。ケリーとコリントは継智の塔でザルハディアの騎士たちと一戦交えている。マルキオン教授が協力してくれて、西の森で着地地点の安全確保と誘導を担ってくれている」
風の音で消えないように声を張りながら端的に説明すると、クラウスは一瞬吟味するような表情を浮かべた。
「この仔の力の回復はどのように?」
「ベイストン先生の研究所の地下に囚われていたアースドラゴンが協力してくれた。この仔の父親だ」
「呪いの根源か」
「そうだ。今は解呪してくれている……だが、おそらく、もう――」
暗い洞 の中、衰弱した体で言葉を紡ぎ、諦めながらもこちらに協力してくれたアースドラゴンの姿が思い出される。少なくとも半年間、広範囲にばらまいた呪いを維持し続けるのは、例え人間を超越した存在であろうとも簡単ではなかっただろう。それほどまでに人間を憎みながらも、最後まで惜しまず協力をしてくれたあの竜には感謝しかない。
そして、諦念を滲ませながらも、絞り出した声で教えてくれた。ドラゴンが人間の魔力を吸収するのにどれくらいの時間がかかるかも分からない。急ぐに越したことはない、と。
「早くリュールゥから俺たちの魔力を取り出さないと。もし喰われていたら――」
「大丈夫だ」
不安で締まっていた喉が緩む。即座に返された否定の言葉に、レイは目を見開いた。風の音が邪魔をするが、クラウスの自信のある声に心が震える。
「リュールゥ、と言ったか? この仔は、君の魔力を吸収できなかったそうだ。君に守られていた私の魔力も無事だ」
信じられない、と思ったことが顔に出ていたのか、クラウスはそう付け加えた。
会話をしたのか。そうリュールゥが言ったのか。それは本当なのか。言いたいことは多々あったが、目尻をそっと撫で、レイの顔にかかる髪を押さえる彼の手はとても優しかった。
ともだちにシェアしよう!

