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第125話 疑わしきは

「だが、早急に取り出すというのは賛成だ。着地後になるべく早めに取り出そう」  そうクラウスが言うと、彼の手がレイの頬から離れる。温かな指の名残が寒空により際立つが、レイはしっかりと頷き、クラウスの目を見た。 「……うまくいくだろうか」 「なんとかする」 「なんとかって……」  何か名案でもあるかのように自信ありげに言うクラウスに、レイは困惑しながら見つめた。しばらく見つめていると、綺麗な形の眉が寄って、クラウスの眉間に皺ができた。 「流石に、この状態で信じてもらうのは難しいだろうか」  クラウスがリュールゥの鱗をトントンと軽快に指で叩く。下半身がリュールゥにめり込んでいる状態で自信満々に言う姿が、なんとも格好つかないことを気にしているようで、レイは半ば呆れながら笑った。まったく、こちらに心配を掛けまいと冗談交じりに語られると、なんとかなってしまうのではないかと思えてくるから不思議だ。 「わかった。一緒に考えよう」  笑顔でそう言うと、クラウスも優しく目を細めた。  その時だった。突然足元がぐらつく。慌ててクラウスがレイに手を伸ばし、レイもその手を取った。急に風の向きが変わり、しなったループタイの紐が顔に当たって痛みが走った。  なびくリュールゥの鬣の中、一気に視界が開ける。誘導煙幕弾で作られた行路をそれ、リュールゥが急激に森へ落ちていく。  色を失った透明な鱗がばらばらと視界を舞い散り、リュールゥの体が一回り小さくなった。 「リュールゥ!」  レイが叫ぶ。返事もなく、先ほどまでリュールゥの体から感じられていた新緑のような強い魔力の香りも感じない。  眼下に迫る森を見て、クラウスの魔力が瞬時に練り上がった。リュールゥの巨体を綺麗な結界が包み込む。それを見て、今度はレイが魔力を練り上げた。  水牢魔法の応用。結界に分厚い水を纏わせ、そのまま多量の水を着地地点に零すように流した。普段なら行使できないような大規模な魔法。すんなりと言うことを聞く魔力と魔力回路に、レイは胸中でため息を吐いた。――今なら何でもできそうな気がする。そんな危険な万能感が、時限式であることに、嫌気がさした。  結界に包まれたリュールゥが、水流の上を直滑降していく。レイとクラウスはしっかりと身を寄せ合い、衝撃に備えた。すさまじい速さで迫る木々に思わず目を瞑りそうになる。  垂直落下で無くなった分、リュールゥはザルハディア王国の西に位置する深い森の木々をなぎ倒しながら地面を滑り、ほどなくして止まった。不時着した場所は市街地からある程度距離があるものの、予定の着地地点より大幅にずれてしまっている。  レイはクラウスの手を解いて駆け出した。身体能力強化を解いていないため、一瞬でリュールゥの顔の前に到達する。 「リュールゥ! おい、しっかりしろ! リュールゥ!」  リュールゥの顔の周りには、すでに鱗がなくなっており、地肌が見えてしまっている。金色の虹彩は瞼の裏に隠れており、微動だにしない。ぐったりと横たわった巨体からは、かろうじて浅い呼吸音が聞こえるだけだった。  レイははっとして、先ほど乱雑にポケットに突っ込んだ林檎の果汁が入った採取用パックを取り出した。鞄の中に入れておいたリュールゥから止血用に譲られた鱗を果汁にくぐらせ、リュールゥの口の前に持っていく。 「お前の鱗! 俺の血はきちんと洗い流してあるし、取り込んでしまっても大丈夫なはずだ! お願いだから口をあけてくれ!」  鼻先に鱗を持っていっても、リュールゥは口を開こうとしなかった。もしかしたら、こちらの声すらもう届いていないのかもしれない。ひやりと背筋が凍った。 「レイ!」  自分を呼ぶクラウスの声が聞こえる。レイは逡巡しながらクラウスがいる方とリュールゥの顔を交互に視線を走らせると、歯を食いしばってクラウスの方へと戻った。  クラウスは自力でリュールゥの体から抜け出そうとしていた。両手でリュールゥの体を押し、自分の体を持ち上げようとしている。レイはクラウスを引っ張り出そうと手を差し伸べたが、クラウスが(かぶり)を振った。 「レイ、自分の魔力の回収に専念してくれ」  クラウスの言葉を受け、レイはクラウスの周りをよく観察した。クラウスが身をよじると、僅かに開いた隙間から、レイの魔力が漏れ出てきていた。だが、そのままレイの元へ戻らず、またリュールゥの体内へ戻ろうとしてしまう。 「俺の魔力が戻ろうとしない。相性のいいお前の方に行くならまだしも、リュールゥの中へ入って行ってしまう」  クラウスにそう告げると、クラウスは冷静に「あぁ、なるほど」と呟いた。 「なら、脱出して私の魔力を回収しなければだめだな」 「……どういうことだ?」  まるでレイの魔力が回収できない理由に心当たりがあるかのような言い方に引っかかりを感じ、レイはクラウスの腕を掴みながら聞き返した。レイが身体能力強化魔法を使っているため、クラウスの魔力も練り上げられ、クラウス自身も身体能力強化魔法を行使した。これをしてもらわないと、レイがクラウスを引っ張り上げようとした瞬間、クラウスの腕を握りつぶしてしまうことになる。 「レイの魔力は、私を守ろうとしている」  レイに引っ張り上げられながらも、クラウスは淡々と説明しはじめた。 「故に、保護対象がリュールゥの中にある限り、レイの魔力はレイの元へ戻ろうとしない」  クラウスの足が地面に付いた途端、リュールゥの体からクラウスの魔力が押し出されるように噴き出した。勢いよく飛び出たクラウスの魔力は、宙を旋回し、レイの方へと伸びていく。クラウスが手を翳した途端、レイに触れる寸でのところで魔力はピタリと動きを止め、すごすごとクラウスの方へと戻っていく。まるで魔力が熱を帯びていたかのようなあたたかさだけがレイの頬を掠めて行った。  クラウスの魔力が出てくると、徐々にリュールゥの体もしぼんでいく。クラウスの魔力に続けと謂わんばかりに、役目を終えたレイの魔力がひゅるりとその後を追ってリュールゥの中から出てくると、リュールゥはキュウと苦しそうな声を上げた。  白い湯気のようなものを上げながら、リュールゥの体はどんどん小さくなっていく。色を失った鱗がばらばらと地に落ち、しぼんだリュールゥの体を覆っていく。レイはリュールゥに駆け寄ろうとしたが、クラウスに肩を掴まれその一歩が出なかった。 「レイはそのまま魔力を」  言い終わる前に、レイの代わりにクラウスが山となったリュールゥの透明な鱗をかき分けながら進んでいく。レイの魔力がリュールゥの体内から抜けきった時には、クラウスが透明な鱗の山の中でリュールゥを抱えられるほどの大きさになっていた。  レイの魔力が、まるで行き先を失ったかのようにクラウスが張った大きな結界の中を浮遊している。レイの体内には既にマルキオン教授により魔力が補充されているため、入る場所が無いようだ。行使した魔法により消費した分は吸収できたが、それ以外がクラウスの方に行きたがり、でも今は行けないと彷徨っていた。このままだと、遠からず霧散して自然に還ることになるだろう。  クラウスが体に付いた透明な鱗を気にも止めず、リュールゥを抱えてレイの方へと歩いてきた。その表情は悲痛に歪んでおり、レイも胸が締め付けられた。  レイは小さなリュールゥの口先を強引に抉じ開けた。牙に触れないように気を付けながら、手の中にある林檎の汁に浸した色鮮やかな小さな鱗を、口の奥へと指で押し込んだ。指が細い舌に触れた瞬間、手を引っ込める。  リュールゥの口が力なく閉じられると、ふわりと葉が萌えるように小さな鱗の付け根が生えた。やはり、幼い自身の鱗一枚では、枯れかけた魔力を充分に補給できるものでなかったようだ。されど、少し呼吸が楽になったのか、リュールゥの表情が和らぎ、纏う空気が緩んだ。  小さなアースドラゴンの顔を覗き込んでいた二人は、互いの顔を見合わせ、ほっと一息をついた。レイが続けて最後の鱗を林檎の汁に浸そうとしたところで、左耳にはまっている小型通信魔法機器が音を発し始めた。 『……あー。テスト。マイクのテスト中』  いかにも疲れたと言いたげな声色のケリーの声が聞こえる。 「状況は?」  目の前でクラウスが自身の耳にはまっていた小型通信魔法機器を剥ぎ取り、ついているダイヤルをカチカチと回しながら素早く口を開いた。 『よぉ囚われの王子サマ。ご無事で何より』  ケリーはけらけらと笑い、煙草でも吸っているのか素早く息を吸い込んだ音の後、続けてフーッと大きく息を吐いたのが聞こえた。 『とりあえずこっちは無事だ。魔力の着色剤と煙幕が混ざったモンを全身に浴びたせいで口の中までまっピンクでよ。戦線離脱時に水ひっかぶって、着ていた服は途中で燃やした。隠密魔法を使ってるからって、外を全裸(フルチン)で走ったのは流石に初めての経験だったぜ』  一仕事終えた後の清々しいほどの一服。その聞こえてきた内容に、レイは我に返って自分の姿を確認した。強風に曝されたためか、蛍光ピンク色の煙幕はほぼ飛ばされていたが、それでも衣服の端々にしぶとく残ったピンク色の薄力粉が付いている。痕跡を残さないという点では、自分も帰るときには何かしらの対策を取った方がいいだろうか。全裸になるのは避けたいところだが。 『んで? そっちの状況は?』  笑いながら、おそらくまた煙草に口を付け、煙を吐き出しながらケリーが聞いてくる。レイは自分の体から、クラウスの腕の中で目を瞑っているリュールゥへと視線を移した。 「アースドラゴンの仔は、無事だ。空に残存している煙幕の軌道を見るに、予定着地地点からは大幅にずれてしまっているが」 『……そうか』  クラウスの言葉に、歯切れ悪く言うケリー。双方がその後に続く言葉を待っているように、沈黙が下りる。聞くべきか、言うべきか。その迷いを破ったのは、綺麗な響きのテノールだった。 『僕としては、殺すべきだと思うよ』  コリントの声が響く。その言葉の重みに、レイの首筋にじわりと汗が滲んだ。 『レイを噛んだ上で、二人を体内に取り込んだ。その事実は覆らない。実際に魔力が食われた云々の話じゃないんだよ。今大丈夫でも、将来どうなるかの保証もない。そんな状態で、野放しになんてできない』  合理的な言葉に、レイは言葉を失った。クラウスの視線がレイに刺さる。だが、こちらの状況などお構いなしに、淡々とコリントは続けた。 『実際にレイは、魔力だけアースドラゴンの中に取り残されていたわけ。で、レイも“奪われた”と言っていた。魔力の感知能力が高く、自分の魔力がどうなったのかを感覚的に表した。つまり、アースドラゴンの仔は、レイの魔力を食べようとして引き剥がしたことに変わりない』 「コリント。だが実際魔力は吸収されていない。将来的に人に害を成すと決まっているわけでもないドラゴンに手をかけることが、いかに危ないことか分かっているだろう」  クラウスが反論した。レイはクラウスの目を見ようとしたが、クラウスの視線はリュールゥに注がれ、合うことはなかった。 「現に、私の方がアースドラゴンの中に留まっている時間が長かったが、私の魔力は喰われてなどいない」 『それは結果論に過ぎない。もう少し救出が遅かったら、どうなっていたか』 「だが、間に合っていただろう」 『その“間に合った”かどうかの判断を、現状下すことはできないって言ってるんだよ! アースドラゴンの仔は、自身の意思を持ってレイを食べようとしたことに変わりない! そして吸収しようと試みた。結果的に“吸収できなかった”だけ。そう言ったのは、他でもないクラウスだよ』  コリントの言葉の後、クラウスの顔が一瞬強張った。 「……“もし”や“仮に”で手を下したことにより、アースドラゴンからの報復を招けば、それこそただでは済まない」 『アースドラゴンの仔が墜落した場所は、エルフの管轄よりも外れている。そこはまだ人間の管理区域だ。不要な目が無い以上、やるなら今だ』  コリントの言葉を最後まで聞き、クラウスは小さく息を吐いた。そして、次の瞬間にはいつもの“あの顔”が張り付いていた。たった一呼吸の間の後、クラウスはただ冷静に、しっかりと声に出した。 「手を下さねばならない確実な証拠が欲しい」 『……なんだって?』  驚愕に満ちたコリントの声は、にわかに信じられないと語っていた。 『墜落したってことは、もうアースドラゴンは反撃するだけの力もないんだろう? その好機を、捨てるって? 回復してしまったら誰が――』 「そのときは――」 「そのときは」  レイはクラウスの言葉を遮った。クラウスの視線がやっと合う。澄んだ藍色の瞳の奥に、驚きと戸惑いが見えた。何を言うのかと問うてくる瞳をまっすぐ見据えて答えた。  その責任を、クラウスだけに背負わせるのは、筋が通らない。 「俺がこの仔を殺すよ」

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