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第127話 危機的状況
ケリーは煙草の火を灰皿に押し付けると、首元がよれたシャツの前を閉じた。簡単に洗浄魔法を全身にかけながら手早く靴を履き終えると、適当に着替えをひっつかんでから隠密魔法と身体能力強化魔法をかけ、隠れ家を飛び出した。トンッと軽く地を蹴るだけで、軽々と民家の屋根の上に降り立つ。飛び石の如く屋根の上を渡り、向かう先は西エリア。
遠くからでも、ドラゴンゾンビがよろけながら西の森へ向かっているのが見える。先ほどの通信で、コリントは正確にアースドラゴンの不時着地点を把握していた。ドラゴンゾンビの出現場所も把握しているとなれば、今アイツは西エリアにいるに違いない。
逃げるときに、服を脱いで先に燃やしたのはコリントだ。不時着した場面を見ていたのなら、継智の塔からまっすぐ西エリアに向かったのだろう。
西エリアを抜けると、エルフとアースドラゴンが住む森がある。その森と貴族のタウンハウスの間に広大な薬草畑があるわけだが、魔物 も多く生息している森を見張るための監視塔も建っている。ケリーはこの立地を地図で確認した時、合理的な配置だと揶揄した。敢えて危険なエリアの隣に貴族を配置すれば、自衛のために彼らは戦うしかない。そして彼ら貴族は、そのもしもに備えて、森との間に広大な薬草畑を開拓したのだ。――最初に死ぬのは、薬草畑で働く平民たち。彼らが餌になっているその間に、現場に騎士を向かわせ、貴族たちはさっさと逃げおおせればいいわけだ。
だが、今回ばかりはそうも言っていられない。西エリアに突如現れたドラゴンゾンビに、現場は混乱に陥っているだろう。
ケリーはまっすぐ監視塔を目指した。だが、何本か建っている監視塔のどれにコリントがいるかは分からない。
「コリント! どこにいる!?」
逃げろと言った本人は、確実に事の顛末を見届けるために残る。ケリーがコリントを放っておけない理由は、その合理的過ぎるコリントの性質にあった。その生に執着しない危うさを、唯一ケリーは嫌っていた。
『逃げろって言っただろ馬鹿!』
小型通信魔法機器から流れるコリントの罵声を浴びながら、ケリーは遠くに見える三本の監視塔の内、異常事態を知らせる警告ランプが唯一ついていない右端の監視塔へと急いだ。おそらく中の人員を無力化し、隠密魔法で見えない自分は優雅に監視を決め込んでいたのだろう。――全裸 で。
ドラゴンゾンビは西エリアの薬草畑を踏み倒し、付け根しかない脚を柔らかい土にとられながら、まるで這うように西の森をまっすぐ目指していた。だが、その進路には真ん中の監視塔がある。
ケリーが西エリアの薬草畑に到着した時、ドラゴンゾンビはちょうど中央に聳えていた監視塔をなぎ倒したところだった。人々の悲鳴が監視塔の倒壊する音にかき消される中、ケリーはベイストンの地下研究室を隠していた倉庫の屋根に立っていた。しかし、その倉庫すらも半分以上消し飛んでしまっている。まさにドラゴンゾンビが現れた穴は、ベイストンの地下研究室の目と鼻の先だった。
半壊した屋根から穴の底を覗くことはできない。屋根自体がぼろいということもあるが、それだけ穴から少し離れているためだ。ドラゴンゾンビが穴から飛び出た時の衝撃が、少し離れたこの建物を半壊する程の威力を持っていたということに他ならない。それだけ力があるドラゴンゾンビが、ずっと地中に埋まって息をひそめていたという事実に、驚きを隠せない。
――まさか、あの親ドラゴンじゃねぇだろうなぁ……?
浮かんできた嫌な考えを振り払うように、ケリーは屋根を蹴って監視塔に向かった。腐臭が漂う大穴の横を通り過ぎ、ドラゴンゾンビが這って行っただろう赤黒い跡が残る道を避け、右端の監視塔の側面を駆け上がった。
グォォオオンッ
背後から聞こえた咆哮に、ケリーは窓枠に捕まって監視塔にへばりついた。振り返ると、先ほどの大穴から一体の竜が飛び出した。緩やかに回転しながら、伸び上がるように空へ一直線に飛び上がったアースドラゴン。その緑とも茶とも言い難い揺らめく鱗が夕日に照らされ、周囲に光を纏って見えた。
ゆっくりと弧を描くように旋回し、ドラゴンゾンビ目掛けて一気に下降する! ぐしゃりと粘度のある音を立てて、アースドラゴンがドラゴンゾンビに飛びかかるが、ドラゴンゾンビは悲鳴一つ上げなかった。いや、上げたくとも上げられなかったのかもしれない。ごぼごぼと詰まった空気が漏れるような不快な音を立てながら、ドラゴンゾンビは自身の上に乗っているアースドラゴンを振り払おうともがいていた。
腐った体液に混じった泥が跳ねあがる。巨体同士がぶつかり合うたびに響く振動が、監視塔を揺らしていた。
「――あぁ、クソ!」
ケリーは苛立ちを吐き散らすようにそう言うと、監視塔の窓枠を蹴り、ガラス張りになっている監視塔の頂上へ一気に登りきると、監視塔に付いているライトの根元に捕まって、勢いよく突入した。砕ける分厚いガラスと共に着地し、監視塔の中をぐるりと観察した。
「……塔内を監視するモニター類は、全部解除してあるよ」
ため息交じりに言うコリントの声が聞こえ、ケリーは苦笑しながら声がした方に持参した服を投げた。ふわりと舞った服が引き寄せられるように移動し、視界の端に消えるのを確認してから、ケリーは自身の隠密魔法を解除した。
念のため身を低くしながら外を覗く。遠くに建っている左端の監視塔の中で、騎士服の男が双眼鏡を片手にドラゴンゾンビを観察し、通信魔法機器で状況を報告しているようだった。
アースドラゴンがドラゴンゾンビに向かって吠える。その声に呼応するように土が隆起し、ドラゴンゾンビを覆うように動いた。地中に引きずり込もうとしているようだ。
ドラゴンゾンビは口から泡立った体液をまき散らしながら大きく口を開け、アースドラゴンの喉元に噛みついた。まるで死なば諸共と謂わんばかりの行動に、たまらずアースドラゴンが身をよじる。ドラゴンゾンビを呑み込もうとしていた土が動きを止めた瞬間、ドラゴンゾンビは首を捻り、勢いをつけてアースドラゴンの巨体を放り投げた。
刹那、空気が幾重にも波打つように歪んだ。耳が劈 くような衝撃波が、空中に投げ出されたアースドラゴンが体勢を整えるよりも早く、ドラゴンゾンビの大きく開けた口から放たれる。防ぐ間もなくアースドラゴンの体が弾かれ、森の木々をなぎ倒しながら転がった。
アースドラゴンの姿が木々に隠れて見えなくなる。舞う木々の枝葉と、空に広がる誘導煙幕弾の煙が視界に入り、ケリーはガラス張りの窓を覗き込むように空を見上げた。既にまとまりは無くなりつつあるものの、誘導煙幕弾が通った道筋は、先ほどアースドラゴンがぶっ飛ばされた方向に伸びている。
「……おい、あの方向……誘導煙幕弾の予定着地地点のすぐ近くじゃねぇのか?」
首を引っ込め、隣で同じように身を屈めて状況を確認していたコリントがケリーの方を向く。さぁっと血の気が引いていくコリントが、すぐさま小型通信魔法機器を押さえた。
「状況報告! アースドラゴンの親とみられる個体が誘導予定地点の近くに着地した模様! 至急マルキオン教授の安否確認!」
コリントが言い切る前に、外でドラゴンゾンビが再び動き出した。短い足を着く重い音と、巨体を引きずるように這って進む振動が、監視塔をわずかに揺らしている。ケリーは再び顔をそっと覗かせ、外の様子を見た。倒れた監視塔の瓦礫の上を器用に移動し、ドラゴンゾンビは西の森へと進行しようとしていた。
「奴は一体、何が目的なんだ……?」
ケリーはぼそりと呟いた。ベイストンがあのドラゴンゾンビを封印していたとして、その目的は皆目見当もつかない。少なくとも、貴族のタウンハウスがある区域からドラゴンゾンビが飛び出してきた事実は、多数の人間が目撃している。糾弾は免れないだろう。魔術師蔑視の強いこのザルハディア王国で、こんなことをしでかした魔術師の末路など、考えずとも分かっているだろうに。
ケリーは眼下に広がる惨状を見下ろした。崩れた監視塔の下に埋まった者たちを助け出そうと、騎士や平民が力を合わせて瓦礫をどかそうとしていた。肩を貸して歩く姿や、即席で担架を作ろうとしている者もいる。
「……ったく。はた迷惑な死にたがり野郎が」
胸糞悪い。そう吐き捨てるかのように、ケリーは独りごちた。
コリントの焦る声が小型通信魔法機器から爆音で流れた時、クラウスとレイは既にマルキオン教授と合流を果たしていた。十数メートル先の木々をなぎ倒しながら転がったアースドラゴンにレイが駆け寄ろうとした時、クラウスがすぐさまレイの手首を掴んだ。振り返り見上げるクラウスの顔は、こちらを一切見ておらず、鋭い眼光は目の前にいるマルキオン教授を射殺さんとしているかのようだった。
クラウスは、こちらへ視線を移すこともなく強引に手を引き、レイを腕の中へすっぽりと収めると、怒りに震えるクラウスの指先が、レイの左耳についていた小型通信魔法機器を静かに外した。
「――無事だ」
ただ一言そう伝えて、クラウスはレイの小型通信魔法機器の魔力石をトンッと叩いた。力を失うように手の中の小型通信魔法機器が音を発しなくなる。レイは自分を離そうとしないクラウスの手から逃れようともがいたが、身体能力強化魔法を互いに使用しているためか、包み込むような逞しい腕はびくともしない。そんな中、レイに視線を移さない――正確には移すことができなかった――もう一人の人物であるマルキオン教授は、冷や汗を垂らしながらも、黙ってクラウスを見つめ返していた。むしろ、このタイミングでレイを見ようものなら、命はない。少なくともマルキオン教授はそう思っていた。
事の発端は数分前。
マルキオン教授と合流するように指示が飛び、すぐさまレイとクラウスは走り始めた。
「薬の……制限時間は?」
「分からない」
素早く聞いてきたクラウスに、レイはすぐさまそう答えた。その答えにクラウスは一瞬驚いたようにレイを見たが、すぐに前へ向き直った。
「どういうことだ?」
「リュールゥの鱗で、薬を強化した。そろそろ二十分程経つが、今のところ切れる様子はない」
今度こそ、クラウスは眉を顰めながらきちんとレイの方へ顔を向けた。
「危険性もだが、あの薬には副作用があるだろう! マルキオン教授は何故そんなことを……」
眼前に迫る木の枝をすんでのところで躱しながら、クラウスは苦々しく言う。レイはクラウスの言い草を聞きながら、首を傾げたあとに納得した。なるほど、クラウスはリミッター解除薬の強化をマルキオン教授が行ったと勘違いしているらしい。
「違う。俺が強行した」
レイの言葉に、クラウスは分かりやすく非難じみた目を向けてくる。だが彼は口を開かず、一瞬黙した。ぐっと我慢するように唇に力が入っているのが見える。
「……君は、魔力の大半をリュールゥの中に置いていたはずだ。残り僅かな魔力で調合ができたとしても、それだけ強い魔法薬を投与するには、それなりに魔力が回復している必要があるはずだ。今度は一体どんな無茶をした?」
静かに紡がれる怒りを感じ、レイは閉口した。言うか、言うまいか。言った場合に、この男がマルキオン教授を視界に入れた瞬間、殺しにかかったりなどしないだろうか。しかし、保留にしたところでこの男が納得するか分からない。
逡巡し、レイはため息を一つ零して、口を開いた。
「話してもいい。だが、マルキオン教授に危害を加えるようなことをしたら許さない。……いいな?」
そう前置いたことで、クラウスの眉がぴくりと跳ね上がったが、渋々了承されたのを見届けて、レイはベイストン先生の研究室で起こった『事故』について話した。
研究室中の魔力石から魔力をかき集め、リミッター解除薬の強化を行ったこと。その後、マルキオン教授が自身の魔力を込めた魔力石を意図的に破壊し、レイに吸収させたこと。これは、リミッター解除薬を使うことを決めていたレイにとっては、必要な処置だったのは明白であったこと。全てを、淡々と話した。
話している最中、彼は一度も口を開かなかった。むしろ、彼の表情が見る見るうちに凍っていき、話し終えた時には、彼の表情は完璧な“鉄仮面”になっていた。感情を横に置き、情報の処理に徹している。それはクラウスにとって、レイに言われたことを守るための、防御反応だったのだろう。
レイはその様子を見て、内心不安でいっぱいになった。――不可抗力とはいえ、マルキオン教授の魔力を受け入れてしまった自分を、彼はどう思っただろうか。今は、マルキオン教授に対する怒りしか見えないが、彼の中ではどのように気持ちが渦巻いているのか、判断ができない。
だが、その一見完璧に見える彼の防衛線も、マルキオン教授の呑気な「おーい」とこちらを呼ぶ声で一気に決壊する。
「教授! 撤収しま――」
声を掛けながらマルキオン教授に近付いていくレイの前に、クラウスが強引に割り込んだ。まるでレイを隠すかのように前に立つクラウスの背に顔面を打ち付け、レイは半歩引いた。ずれた眼鏡の位置を直しつつ、クラウスの影からマルキオン教授の顔を覗くと、その麗しい表情が引きつっていた。
「あー……もう、聞いた感じ、ね。行動の早いこと……」
硬い笑顔を浮かべるマルキオン教授。その直後、轟音と共に地面が揺れる。音の方向へ顔を向けると、アースドラゴンの巨体が、まるでボールのように一度跳ね上がり、そのままの勢いで木々をなぎ倒しながら地面を抉り、レイたちがいる場所から十数メートル先で停止した。
そして、今に至る。
「――おいッ!」
レイはクラウスと自分の間に挟まるようにいるリュールゥを、クラウスの腕の中から奪い取りながら声を上げた。
「こんなことやってる場合か!」
怒鳴られたことで、クラウスの顔はやっとレイの方を向いた。相変わらずの表情だったが、腕の力が緩む。その隙をつくように、レイはクラウスの腕から逃れると、呻き声の代わりに喉を鳴らすアースドラゴンの元へと走って行った。
レイを引き留めた癖に見送るようにレイの後ろ姿を見ているクラウス。それを見ながら、マルキオン教授は静かにため息を吐いた。視線はこちらに向いていなくても、意識ははっきりとこちらに向いている。本当ならレイの元へ飛んで行きたいだろうこの男は、そうするよりも、自分の動向を監視することを選んでいる。それほどまでに、レイに自分を近付けたくないらしい。
「お気持ちは、痛いほど分かります」
目だけがこちらを向いているクラウスに気圧されながらも、マルキオン教授は両手を軽く上げながら、クラウスを刺激しないように言葉を選んだ。
「言い訳を聞いてもらえるかは分からないけど、彼は貴方を助けるために手段を選ぼうとしなかった。黙って見てたら、レイ君は確実に“あの薬”に殺されてたよ。貴方を失うかもしれないと、冷静を装いながらも憔悴しきっていた」
一度言葉を切り、マルキオン教授はクラウスの動向を観察した。変わらない表情、変わらない沈黙。読もうとしても読めない完璧な無表情。これが、あのレイの婚約者だというのが本当に理解できない。
「……僕を許せなくても、いいです。でも、とにかく、一旦、横に置いてもらえると――」
「分かっている」
言葉尻を奪うように、クラウスはそう言ってレイの後を追って行った。その後ろ姿をじっと見つめた後、マルキオン教授は肺の中の空気が底をつくまで、息を吐いた。とりあえず、この瞬間は生きながらえた。しぼみ切った肺の苦しさで生を実感するように、胸をなでおろしたのだった。
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