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第128話 かえりたい

 駆け寄ったアースドラゴンの体は、近付くだけで感じるほどの熱気を帯びていた。こちらを警戒するような目を向けるアースドラゴンも、レイの腕の中のリュールゥに目を向けると、その痛々しさに目を細めた。 「……すまない」  レイが起き上がろうとしているアースドラゴンの顔の前にそっとリュールゥを置くと、アースドラゴンの親は荒い呼吸を抑え、鼻先をリュールゥに優しく添えた。緩く目を開けるリュールゥがぴくりと反応し、頭を擡げる。  枯れた声を絞り出そうとしたのだろう。リュールゥの喉から乾いた空気が漏れるような音が出た。リュールゥが何を謂わんとしたのかを察したように、アースドラゴンはゆっくりと目を閉じた。 『……裁定者よ、そなたが気を病むことはない。吾が仔は過ちを犯した。本来ならこの仔は、死ぬはずだったのだ』  人の声を模した魔力の波動が響く。その声は弱々しくも気高く、そして、感謝に満ちていた。 『ありがとう、翡翠の魔女の系譜よ。そなたが()の愛し仔でなかったら、この国を滅ぼしたのは、呪怨に堕ちたアレではなく、この仔だったかもしれぬ』  遠くから大きなものが這う音が聞こえる。得体のしれない、悪寒が走るような魔力の塊が、ゆっくりとこちらに向かってきているのを感じる。アースドラゴンは震える体を鼓舞するように持ち上げた。 『森に着いたことで体が回復に集中している。休ませてやればこの仔は問題ない。……だが、アレはだめだ』  アースドラゴンの目がドラゴンゾンビの方へ向く。その瞳に殺意や憎しみはなく、ただ呆れと寂しさを湛えていた。 『アレは、森を侵す。もう、故郷には戻せん』  レイはアースドラゴンの首元にある、痛々しい噛み痕を見ていた。肉ごとこそげ取られるように鱗が剥がれており、血が溢れ出していた。アースドラゴンに付着しているドラゴンゾンビの死臭が、訴えかけるように深い無念を伝えてくる。  ――帰りたい。その一心で、あのアースドラゴンだったものは、森へ向かっている。このアースドラゴンが、あの地下研究室の奥深くから出ようとしなかった理由、それは、もしかしたら。  レイは頭を振って雑念を捨てた。今は、そんなことに思考を割いている暇はない。そして、アースドラゴンの様子を窺いながらも、レイの後ろへ移動してきたクラウスとマルキオン教授に振り返る。 「止めよう」 「止めるって、何を?」  唯一、状況を知らないマルキオン教授が呑気にそんなことを言ってくるが、クラウスはただ眉を顰めただけだった。レイを見つめる目が険しい。 「……承服しかねる。君の薬の効果が、あとどれくらい効いていてくれるかも分からない。それに、例の副作用が出てきたら――」 「副作用? 聞いて無いんだけど? レイ君……ってちょっと、どうしたのその目! それが副作用!?」  レイはぎくりと身を震わせた。確かに副作用についてマルキオン教授には話していないし、魔法薬士としては聞き流せない話だろう。そして明らかに普段とは違う瞳の色をしていたら、これが副作用だとあたりを付けるのは普通のことだ。  長身の二人から問い詰めるように距離を詰められ、思わずレイは視線を右往左往させた。そんなレイに構わず、クラウスは続ける。 「加えてあのドラゴンゾンビについては、ザルハディア王国の問題だ。我々の関知するところではない」 「……今、ドラゴンゾンビって、言った?」 「レイ、ここが退き時だ」  マルキオン教授をまるでいないかのように扱うクラウス。しかしレイもまた、マルキオン教授の視線を無視して、こちらに訴えかける藍色の瞳をじっと見ていた。言い聞かせるようにしている癖に、その瞳の持ち主は、そうやって自身にも言い聞かせている。クラウスも、あのドラゴンゾンビへの対処法がないのだ。そう、これは、勝てる勝てないの問題ではない。  ゾンビ、リビングデット、死を許されざる者。呼称は多々あれど、本来ならばそのまま朽ちて終わるはずのものが、深い悔いの感情のまま死を受け入れずに、動き回ってしまう存在だ。一度死んだはずの者を殺すには、その器を破壊しつくすか、“神の御業”の代行者である司教が浄化するしか方法が無い。  弱っているとはいえ、アースドラゴンを吹き飛ばすだけの力を持つドラゴンゾンビを、人間如きが破壊しつくすことができるか。クラウスは、勝算があるなら提案しただろう。それがなかったのは、レイを巻き込みたくないからなのか、それとも本当に対処のしようがないのか。  ふと、レイは空を見上げた。先ほど不時着した地点で張っていた結界の中にあったレイの魔力が、何故か霧散せずにクラウスの頭上をふよふよと浮遊している。自分の魔力ながら、愛しい魔力に群がる性質は見ていて少し恥ずかしくなる。……いや、むしろ何故まだ霧散していない?  レイは空へ手を翳し、そっと自分の魔力を呼び込んだ。宙をくるりと旋回し、上機嫌でレイの手元にやってきた魔力は、すぐ近くにいるクラウスが気になるのか、そわそわとしながらもレイの言うことを聞いてくれた。 「……それ、レイ君の魔力? ドラゴンに取られたって言ってた」 「そう、ですね」  マルキオン教授の質問に、レイは生返事をしながら手元の魔力を観察していた。快活な魔力は、まるで調律したかのように艶々としている。くるりと回してみて、レイは理解した。切り離されたレイの魔力から、クラウスの香りがする。長い時間、相性の良いクラウスにくっついていたために、魔力が水を得た魚のように活きが良く、そのために霧散せずにクラウスについて来られたようだ。  レイは意を決して、魔力越しにクラウスを見つめた。レイの魔力を観察していたクラウスも、レイの視線にすぐさま気付き、視線を合わせてくる。レイは魔力を纏った手で指を一本立てた。 「クラウス、一回でいい。俺にチャンスをくれ」  はっきりとそう告げると、クラウスの瞳の奥が光ったように見えた。一度眉があがり、そのままふと下がる。優しい微笑みを挟んで、苦笑へ。 「……私は、何をすればいい?」  呆れたようにも聞こえるその言葉に、レイは「そう来なくっちゃ」と笑顔で応じた。 「おい、クラウス! ……クソッ!」  コリントが監視塔の床を叩く。何度呼びかけてもうんともすんとも言わなくなった小型通信魔法機器を、ケリーはやれやれと言いながら外した。焦って張り上げたコリントの声量に耐えた耳に指を突っ込み、軽く中を掻いてから再び装着した。とにかく、クラウスたちの無事は確認できた。クラウスは馬鹿じゃない。例え知らない間に婚約者が受けた処置(セクハラ)を知って、はらわたが煮えくり返っていたとしても、緊急事態であったことが分からない奴でもないし、修羅場で修羅場を繰り広げるような奴でもない。  クラウスたちがいるだろう場所を見ると、アースドラゴンがゆっくりと上体を起こしたのが見えた。明らかにあのアースドラゴンは満身創痍だ。ドラゴンといえど、大規模な呪いをまき散らし、半年もの間維持していたのだ。平気そうに振る舞っていても、体に負っているダメージは相当のものだろう。  変わらず、巨体を引きずるようにして這うドラゴンゾンビは、赤黒い跡を残してゆっくりと森へと進行していた。騎士たちは警戒しつつも、遠巻きにその厄災の動向を窺っていた。このまま森へ行っても、人間に牙を剥かないとも限らない。  人々は、思い出すだろう。ザルハディア王国は四十年程前に、発情期により荒れ狂ったアースドラゴンの暴走で、モンスター・スタンピードの危機に直面している。森は人の生活を豊かにもしたが、恐怖に突き落とす存在ともなりうることを。まだ記憶にも新しく、当時をよく知る者にとって、今この瞬間の恐怖は計り知れない。何故なら、四十年前のザルハディア王国には伝説の魔術師ルミアがいたが、今、彼女は北の霊峰ヘイムディンズにいる。 「コリント、行くぞ」  ケリーが声をかけるが、コリントは苦々しい表情を浮かべるだけで何も言わない。それを見て、ケリーはため息を吐きながら続けた。 「お前の心配も分かる。アースドラゴンを生け捕りにできる技術力を持ったザルハディア王国が、あんなバケモンを見逃すわけがねぇ。むしろアレの存在自体、ザルハディア王国が把握してたもんなのか、それともあのイカれたベイストン(マッド・サイエンティスト)の仕業なのかも分かんねぇ以上、ザルハディア王国がどう動くのか確認すべきだっつーこともな」  そう語り掛けている間も、ケリーたちがいる監視塔は、ドラゴンゾンビが移動するたびに細かく揺れていた。その振動も、ドラゴンゾンビが離れて行っているために、心なしか小さくなっているように思える。ドラゴンゾンビが完全に森へ移動したら、この無事な監視塔にも騎士たちはやってくるだろう。そういった意味でも時間はない。 「もともとの任務を思い出せ。俺たちが命ぜられていたのは、ザルハディア王国の行く末を見守ることじゃねぇ」  ケリーの言葉を聞いても、コリントは渋い表情を浮かべるだけで、納得はしていないようだった。無理はない。このコリントという男は、故郷を戦争で失くしている。人の悪意により破壊される様を見て育ち、大きな力に翻弄されて生きてきた。目の前にある人の業が生み出したものが、更なる悲劇を生まないのか。それは、コリントにとって捨てておけない部分だろう。  沈黙が支配する空間に、低い地響きが木霊する。たっぷりと深呼吸するだけの時間が経っても、コリントは答えを出せずにいた。あと一回呼吸をしても反応が無いなら、抱えてでも離脱する。ケリーがそう判断した瞬間だった。  左耳につけていた小型通信魔法機器にノイズが入った。 『ケリー、コリント』  クラウスの声が響く。走っているのだろう、風を切るような音も混ざっていた。コリントがムッとした表情をして、クラウスに食って掛かろうとしたが、それよりも早く、クラウスが声を発した。 『西エリアにいるなら離脱しろ。少々、手荒くいく』  その一言に、ケリーとコリントは素早く顔を見合わせた。慌てて外を見ると、森に差し掛かろうとしていたドラゴンゾンビの周りに、無数の粒が散っていた。粒の一つひとつが、照りつける夕日に負けないほどの光を帯び始めたところで、ケリーは声高に叫んだ。 「やべぇ!」  今まで自分を生かしてきた勘が、逃げろと警鐘を鳴らす。ケリーはそのままコリントを抱えると、隠密魔法を行使して自身が割ったガラス窓から飛び降りた。  背後で閃光が走る。粒が瞬時に光の槍と化し、一斉にドラゴンゾンビを串刺しにした。その瞬間、光が爆ぜた。一拍遅れて、辺りを衝撃波が襲う。監視塔や近くの建物の窓ガラスは悉く砕け散り、地面が捲り上がった。身体能力強化魔法を発動しても数メートル飛ばされる程の威力を受け、ケリーとコリントはその勢いを利用して建物の影に体を滑り込ませた。 「仲間の攻撃で死ぬとか、冗談じゃ済まされねぇぞ!」  ケリーが肩で息をしながら悪態をつき、建物の影にコリントを下ろす。自分と同じような表情を浮かべたコリントは、すぐさま様子を窺うために建物から顔を覗かせていた。  ゴアァァッ! とドラゴンゾンビの気色の悪い叫び声が響く。だが、それは悲鳴ではなかった。クラウスの攻撃は、ドラゴンゾンビの表面を焦がしたようだったが、それだけだった。その後も、恐らくクラウスが幾重にも放っている鋭い刃状の風も、斬撃音だけが響き渡るがドラゴンゾンビの体を通過して行ってしまう。ドラゴンゾンビを通過した刃は、近くの木々をまるで丸太のようになぎ倒している。  効いていない。あのクラウスの攻撃にすら耐えうるドラゴンゾンビに対抗する手段を、ザルハディア王国が持ち合わせているわけがない。  クラウスだって分かっているはずだ。だが、奴は攻撃をやめようとしない。そんな無駄なことをするような奴ではない。それは分かっていた。何かを狙っている。だが、何を狙っているかが分からない。  クラウスの攻撃が止んだ瞬間、なぎ倒されていた木々が宙に浮きあがった。  ――ォォォオオン  遠くから響く、アースドラゴンの咆哮。それに呼応するように、ドラゴンゾンビの足元の土が、隆起し始めた。その隆起した土を補強するように、切り倒された木々が隆起した土を固めていく。  建っている監視塔よりも高く、即席で作られた土と木の櫓のような山の頂きに、ドラゴンゾンビは担ぎ上げられた。  逃げおおせた人々も、何かが起こっている西エリアを遠くから眺めていた人たちも、全ての者がその頂きにいる存在が確認できるほど高い位置に、ドラゴンゾンビは立たされた。 『……やれ、レイ』  疲れの滲むクラウスの声が、小型通信魔法機器から流れた。  応えるレイの声は聞こえない。だが、人々は見た。魔法薬士王国と言っても過言ではないこの国では、非常に見慣れた魔法陣。それが、西日に照らされながらも、大きく空に描かれた瞬間を――。

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