138 / 149

第129話 閃光 -レイ-

 流星が如く駆け出して行ったクラウスを見送り、レイは小型通信魔法機器を耳に装着してから、木々よりも背の高いアースドラゴンの背を登った。大事そうにリュールゥを抱えたアースドラゴンは、レイが登りやすいように頭を揺らさないようにしてくれている。 「いーなー」  眼下のマルキオン教授が羨ましそうに声を上げたが、レイは構わずアースドラゴンの頭に登頂した。ザルハディア王国の街が見える。西エリアと森の境に佇むドラゴンゾンビは、空っぽの眼窩をこちらに向けていた。 「よっ……と」  アースドラゴンの頭の上に立ち、レイは携帯していた攻撃用魔法薬入りの弾丸ケースの封印を解いた。ケースの中にある二十四発分の弾丸に浮遊魔法をかけて浮かすと、邪魔な空のケースは地上にいるマルキオン教授に向かって(ほう)った。  ドラゴンゾンビの周りに光の粒が舞う。粒が光度を増して光の槍へ変じると、そのままドラゴンゾンビ目掛けて突き刺さっていった。閃光が走り、爆発が起こっているのを遠目に見ながら、レイは自身のループタイを外した。  ループタイについているチャームに視線を落とす。これは以前、レイが魔法薬士資格試験に合格した時に、祖母ルミアから贈られたものだった。S級魔力石に調合台にも刻まれている調合用の魔法陣が封じられていて、魔力を通すことで魔法陣を照射し、簡易調合台とすることができる。  視線を上げると、クラウスが無数の風刃をドラゴンゾンビ目掛けて放ち、周りの木々を切り倒しているのが見える。――タイミングまで、あともう少しだ。  レイはポケットから、リュールゥより止血用に贈られた小さな鱗を手に取った。牙が食い込んだ手の穴を塞ぐように貼られた鱗は計四枚。その内二枚は、ケリーの足とレイの手を治すためのポーションと、レイのリミッター解除薬の強化に使われ、もう一枚はリュールゥの回復のために返された。レイの手の中にある鱗は、最後の一枚になる。  クラウスの攻撃が止む。レイの足の下にいるアースドラゴンは、あらん限りの力を振り絞って咆哮をあげた。ドラゴンゾンビの足元がアースドラゴンとクラウスの魔法により、どんどん高くなっていく。  様々な音が入り乱れる中、レイの心の中はとても静かだった。自分の心臓の音さえも聞こえてきそうな程、神経が研ぎ澄まされている。  レイは、両袖をそっと捲り上げた。――やれる、やってやる。魔法薬士としての、矜持をかけて! 『……やれ、レイ』  クラウスの声が耳に届く。レイは手の中のループタイを天高く放り投げた。切り離され漂っていた魔力を操り、チャームの中を通して空へと魔法陣を描いた。  鮮やかに青緑色の魔法陣が光り輝いている。その魔法陣に向かって、レイは調合魔法を行使した。  浮かせていた銃弾が綺麗に分解され、中に入っていた攻撃用魔法薬が反応し、魔法陣に集約する。手の中にあったリュールゥの鱗も、光に照らされて幻想的な色を放ちながら魔法陣の中へ吸い込まれていった。  魔法陣の輝きが増すにつれ、攻撃用魔法薬の色の透明度が増していく。秋空の下にある空気が冷えあがる。あらゆるものを凍てつかせんとするかの如く、清々しいまでに圧縮された魔法薬は、自然界の熱すらも奪いつくそうとしていた。  レイは中級攻撃用魔法薬の格を上げていった。上級魔法薬の、更に上へと。  ――ヴァアアァァッ!  ドラゴンゾンビの叫び声が響く。空っぽの双眸が、宙にある魔法薬を見ていた。  恐れている。呪怨の化け物が、今まさに自身に降りかかるだろう力を、恐れている。ドラゴンゾンビはぐっと身を屈めると、その背が盛り上がり、歪な翼が生えたのが見えた。 『……吾の鱗を吸収したか』  足元でアースドラゴンが呟いた。先ほどの戦闘で抉り取られた首元の鱗を、ドラゴンゾンビは吸収し、糧としたのだろう。  ドラゴンゾンビが、飛び立とうとしている。おそらく、レイの調合を阻止するために。歪な翼を大きく広げ、赤黒い体液を撒き散らしながら、ドラゴンゾンビの体が宙に浮く。  しかし、それだけだった。ドラゴンゾンビの体中に、魔力の鞭が絡み、飛び上がることを許さなかった。  ――あぁクラウス。お前、ホントにかっこいいよ。  レイは高揚感を抑えることなく、笑みを溢した。  澄みきった魔法薬は、もう輪郭しか分からないほど透明だった。展開された魔法陣が、調合完了に伴いかき消える。  木々に邪魔されないようにしたくて、わざわざクラウスとアースドラゴンに協力してもらい、標的の高さを上げてもらったのに、自分から当たりやすくしてくれるとは、なんと都合のいい。  レイがまっすぐにドラゴンゾンビを指し示した刹那、無色透明の魔法薬は、夕日に照らされ光を乱反射させながら、空を翔け抜けた。  すでに脳は機能していないはずだった。だが、その朽ちた身が恐怖を覚えていた。  そう、自分はまだ若かっただけだ。自制というものを知らず、意味の分からない掟なぞ、そこら辺にいる魔物の餌にでもしてしまえばいいと思っていた。他の種族など知ったことか。自分たちこそ最強の種であり、配慮などしてやる必要なんてないだろう。それではまるで、媚びるようじゃないか。そう思っていた。  エルフが管理する森に行ったら、魔物が逃げ惑い、人間を襲う? だからどうした。それだって、自然の摂理じゃないか。そんなことよりも、我欲を発散できないことのほうが問題だ。だって自分にはまだ、(つがい)がいないんだから。  好奇心と、反抗心と、抑えられない欲求。それに突き動かされて、エルフの森へ出た。エルフの張った結界を砕いて進むのは、とても気持ちがよかった。魔物を追いかけ回すのも、胸がすくようだった。自分の強さを弱者に誇示する爽快感。堪らなかった。  “ドラゴンが力を弄ぶ時、裁定者が現れる”などという言い伝えが実なら、その裁定者とやらに出てきてもらおうじゃないか。そんなことすら考えていた。  ただ、それだけだった。若気の至り。だが、それがいけなかった。  銀灰色のくせ毛を風に靡かせ、奴はあの時、自分をまっすぐに指差した。今のように。  何かが胸を突き抜けていった。だが、それが何なのかを認識できなかった。痛みなど感じないはずなのに、胸が痛い。体が中心から壊れていくような、不思議な感覚だけを残して通り過ぎていった。  ドラゴンゾンビが、自身が置かれている状況を理解した時には、すでに体が内側から凍り付き始めていた。まるで体の組織を一つひとつ丁寧に凍らせているかのような、抗いようのない重い痛みが体全体に広がっていく。  あぁ、今度こそ死ぬのだ。いや、死ぬのか? 堕ちた身でも死ねるのか? あぁ、帰りたい。もう一度故郷へ。あぁ、帰りたい。――還りたい。  ドラゴンゾンビは、無念を叫ぼうとした。だが、それすらも叶わず、体は凍り付き、地へと落ちていった。  ザルハディア王国の空を、星よりも速く光が突き抜けて行った。四十年前の恐怖を知っている者は、空を仰ぎ見た瞬間、当時に思いを馳せたことだろう。あの時も、同じように光が空を翔けて行ったのを、彼らは見ていた。ベイストンも、その一人だった。  魔法使い用の手枷は外されなかったが、足枷は外され、公爵家の私兵に連行されていた。護送車を降り、怠い体を引きずるようにして歩いていた時、ふと見上げた空を一筋の光が翔けて行った。  四十年前も、同じように空を切るような勢いで光が走っていた。そして、ザルハディア王国を救ったのが、自分より年下の、留学中の魔術師だったという報道が流れ、皮肉なものだと思ったのを覚えている。  魔術師であっても、格が違う。だが、魔術師嫌いの国が、魔術師に救われたのだ。これを皮肉と言わず何というのか。人知れず声を上げて笑った。実に愉快だった。  時が経ち、研究に身を置いている自分のところに、一通の手紙が届く。オルディアス王国の伯爵位から、一人の少年の疾患について知恵をお借りしたいと、丁寧に書かれた依頼文。その少年の名がヴェルノットでなければ、きっと心が動くこともなかっただろう。何せ、自分の専門は呪いの治療だったのだから。ザルハディア王国の中で唯一認められた魔術師。その自負と驕りがあった。  最初は、ルミアに対するお礼のような気持ちだった。ザルハディア王国に一泡吹かしてくれたお礼を、少しぐらい返してもいいか。何、長い道中の、気まぐれのようなものだ。その程度の気持ちだった。  研究を重ね、形にして、返す。ただそれだけのことだった。それに対して、あんな気持ちの籠ったお礼の手紙が、返ってくると思っていなかった。  下手な字。書いたことなどないだろう、ザルハディア王国の言葉。きっと何度も練習して、送ってきた一文。――「べいすとんせんせい、ありがとう」  本人の声が聞こえてきそうなその手紙は、ベイストンの価値観を揺るがした。自身の研究の先には、誰かの笑顔がある。今までの研究にも、もしかしたらあったのかもしれない。自身が直接患者を診ることはないが、それでも、彼の研究に体温が宿った瞬間だった。 「まさに、閃光(レイ)か……皮肉なものだ」  ベイストンはぽつりと呟いた。既に空には鮮烈な光はもういない。だが、ベイストンはその光を探すように、空を見上げ続けた。  ザルハディア王国は、オルディアス王国を越えんと欲し、悪に手を染め、そして、オルディアス王国の民に再び救われた。だが、ベイストンが言いたかったのはそれではなかった。  魔術師である自分がザルハディア王国の滅亡を謀り、それを、魔術師ですらない者が救った。そしてそれは、かつて自分が救ったはずの患者だった。  これを皮肉と言わず、何と言うのか。ベイストンは人知れず、声を上げて笑った。  レイは、アースドラゴンの頭の上で、くったりと横たわった。疲れた。だが、それだけではない。やりきったという達成感、多幸感、そして、リミッター解除薬の副作用が、レイの体に押し寄せていた。 「はは……まだ一時間も経ってないはずなのに、もうだめか」  体を(よじ)って丸くなりながら、レイは荒くなりはじめた呼吸のまま独りごちた。だが、今までのような魔力回路を流れるざらついた魔力の感触はない。まだ魔法は行使出来そうだ。なのに、もう調律したくて体が疼きだしている。服が肌に当たる感触すら、甘やかな愛撫のように感じられて気持ちが悪い。  アースドラゴンが、ゆっくりと頭を地へと下げていく。あぁ、まずい。下にはマルキオン教授がいるのに。  レイはゆっくりと体を起こした。もう、体の芯が熱い。慰めるように、自身の腕を擦り上げて感覚を誤魔化そうとするが、焼け石に水だ。  アースドラゴンの顎が地に着いた。このまま頭の上にいるわけにもいかない。レイは降りようと下を覗き見る。気を利かせて、マルキオン教授がこちらに手を差し出しているのが見えた。今のレイには、非常に目の毒だ。  本能が手を取れという。感情がダメだと警鐘を鳴らす。レイは両腕に爪を立てながら、滑り降りるようにアースドラゴンの頭の上から降りた。  着地の衝撃をいなすために、膝を曲げる。身体能力強化魔法を解除していないとはいえ、衝撃を無かったことにできるわけではない。  視界が陰り、レイは見上げた。目の前にマルキオン教授が立っている。レイが行った調合を見て興奮気味のマルキオン教授は、満面の笑みだった。  興奮のまま、何かを言いかけ、マルキオン教授の表情が真剣身を帯び始める。 「……レイ君、大丈夫?」  心配されている。それを見たくなくて、レイは俯いた。マルキオン教授の意識が自分に向いているというだけで、頭がどうにかなりそうだった。  マルキオン教授の手が伸びてくるのが分かる。レイは意を決してポケットに手を入れた。採集用の袋の感触が指にあたり、それをそのまま引っ張り出す。  採集用の袋を引きちぎるようにして、中に入っていた魔法麻酔薬が浸されたハンカチを手に取った。 「く、らうす……っ!」  小型通信魔法機器が、絞り出した声を拾ってくれたかは分からない。だが、レイは迷っている暇はなかった。マルキオン教授がハンカチを取り上げようとするよりも早く、レイはそのハンカチに噛みついた。

ともだちにシェアしよう!