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第130.5話 我慢比べは終わらない ※

 マルキオン教授が部屋から飛び出すように出て行ったのを確認してから、クラウスは『結界のない防音機構装置(アレ)』を起動した。自分を引き寄せたレイの腕は、離さないという意思を込めて首の後ろに回り、クラウスの後頭部へと添えられている。  クラウスは伸ばされたレイの足を踏まないようにベッドに腰かけた。調律を始めるにあたり、前準備の魔法を行使はしていない。普段はレイが自身で行使しているものだが、今回ばかりはクラウスがしなければいけないだろう。だんだんと深く貪るような口付けを交わしながら、クラウスは頭の中で洗浄魔法の構成を組み立てた。  あとは行使するだけだった。クラウスがレイの腹に手を添えようとした瞬間、レイの手がそれを阻む。思わず目を開いたが、レイの目は依然閉じられたままだった。瞬時にレイの魔力が練り上がり、レイ自身の手で洗浄魔法が行使された。呆気に取られて唇が離れる。僅かに開いた濡れる唇が離れて行き、レイがゆっくりと瞼を持ち上げた。  視点が微妙に合わないレイの瞳は、赤黒く染まっている。レイのリミッター解除薬は、まだ効果が持続しているのか? クラウスには魔力の状態を感じ取る能力はないが、纏う魔力量も平常時と変わらないように感じる。前回も、その前も、レイはリミッター解除薬の副作用が強く出ている時は、魔法を使えるような状態ではなかったはずだ。何かがおかしい。  レイはうっとりと何かを眺めているようだが、クラウスを見ているようで見ていない。違和感に眉を顰める。レイに触れられて嬉しいと感じるのに、心の奥底が乾いていくような、よくわからない焦燥感だけが募った。  ベッドの上で膝立ちになると、レイはそのままクラウスを押し倒した。レイの細く軽い体は、やろうと思えば容易に押し返すことができるが、クラウスはそのままレイの観察に努めた。  体の接触面を多くするようにクラウスの上に覆いかぶさり、首元に唇を這わし始める。上がってくる感覚に、気持ちとは裏腹に血がたぎり、自然と体に調律のスイッチが入る。  自分の中に芽生える何とも言えない感情。その正体が分からないまま、クラウスはレイの髪を撫でた。レイがその手に反応し、嬉しそうに顔をすり寄せていく。もっと触って欲しいと、態度で示してくる。  そういえば、レイもよく自分の愛撫を受けながら、髪を撫でてきていた。愛でる最中にレイから触れられるのは、クラウスも好きだった。彼の指は、いつも愛しいと伝えてきてくれていたから。    レイの指がクラウスのシャツにかかり、たくし上げるようにして手を服の下に差し込んできた。脇腹を撫で上げながら、顔が徐々に下がっていく。レイの柔らかな唇が直接肌に触れると、素直に体が反応する。その度に浮かべるレイの柔らかな笑みが、クラウスの記憶の中のレイと結びつかない。  普段の営みで、こうやって攻守が逆転することは過去にもあった。確かに、クラウスが反応を返すたびに、レイは笑みを深めていた。だが、今のような恍惚とした笑みではない。悪戯が成功した時のような、してやったり顔という方が近い。次はどんな手で行こうか。そう考えながら触れ合うその時間が、クラウスは好きだった。  だが、今はどうだ。本能のままに接触を求め、快楽を求め、欲求のままにクラウスに手を伸ばす。普段とはあまりにもかけ離れた姿を見せるレイに、魔力が惹かれたとしても心が動かない。  クラウスは、自身に触れるレイの手を取り、強引に組み敷いた。クラウスからレイに触れたことで、少し手荒い攻守交替も、レイは嬉しそうに受け入れた。  レイの両手首を掴み、そのまま馬乗りになってレイを見下ろす。そして、それ以上の行為を、クラウスはしようとしなかった。そのために、嬉しそうに続きを待っていたレイの表情が、徐々に曇っていく。 「……ぁ、あー! ァあー!」  言葉を失ったように、レイが抗議の声を上げた。足をばたつかせ、放してほしいと腕を動かそうとするが、クラウスの手はびくともしない。赤黒く染まったレイの瞳が悲愴に歪む。その様子を、クラウスは触りたい欲求を抑え込みながら見ていた。  自分を欲しがる恋人の姿を見下ろしながら、クラウスは悔しそうに唇を噛む。いつものレイは、こんなに素直に欲しがってはくれない。こういう時に限って、見せつけてくるように振る舞われるのは、ある意味拷問に近い。 「レイ……意識が戻ったら、覚悟しておけ……」  言葉を知らない赤子のような発音で、訴えかけるようなレイの声を聞きながら、クラウスは苦々しく呟いた。  レイが首を振るたびに、白く細い首筋が目に映る。悶えるように動く肩がなまめかしい。声を上げるレイの激しい吐息が自身の芯を熱くする。目に毒なのも程がある。  突如、レイが首を伸ばすようにして顔を近付けてくる。熱い吐息が感じられる距離まで詰められて、クラウスは少し顔を逸らした。もう少しで唇が触れそうなところで距離をとられ、レイが諦めたようにベッドに体を戻すと、目を閉じて、自分の手首を押さえつけているクラウスの右手に額をこすりつけた。  レイがズッと鼻をすする。僅かに開かれた瞳は潤んでおり、そのまま再び静かに閉じられた。  ――レイを傷つけた。  クラウスの思考は止まった。そのままレイの白い首筋に顔を埋める。もう頭の中には、傷つけてしまった後悔しかなかった。 「すまない、レイ……すまない」  許しを請うクラウスの顔に、レイの柔らかな頬が寄った。開かれた瞳は未だ赤黒く、やはりきちんと視点は合わない。一体、レイは何を見ている?  クラウスは片手を離し、レイの顔の前に掲げた。そのまま右に左にゆっくりと手を動かすと、それをレイの視線は追って行った。次に、顔の前に手を留めたまま、手に纏っている魔力だけをゆっくりと右に動かすと、レイの視線も右に動いて行った。  レイの行動の意味が分かり、クラウスは自身が感じていた感情の正体に気が付いた。 「そんなに、私の魔力が好きか……レイ」  今、求められているのが自身であるというよりも、自分の魔力という事実。それに、クラウスは怒りを覚えていた。――あぁ、これはレイじゃない。レイだけど、レイじゃない。  クラウスの腹は決まった。レイでないのであれば、やはり抱けない。抱きたくない。体を起こし、全身の魔力でそのままレイを包み込む。レイの顔が一気に蕩けて、体をくねらせ始めた。  自身の魔力に包まれて、口からだらしなく喘ぎ声を漏らすレイを見下ろしながら、クラウスは歯噛みして自身の胸に爪を立てた。 「……レイ、今回の根競べは、私が勝たせてもらうぞ」  そう口に出しながらも、クラウスは自身の息が知らずに上がっているのを自覚していた。相性がいい魔力同士が触れ合い続ければ、こちらに影響がないわけがない。ましてや、正常な状態ではないとはいえ、好きな相手が目の前で気持ちよさそうに悶えている姿をまざまざと見せつけられている今、自身の欲望が昂らないわけもない。  生殺しではないか。クラウスは大きく息を吐いて、魔力操作に意識を傾けた。  マルキオン教授は慌ててレイの部屋を飛び出し、隣の部屋に入ろうとした。ドアノブを握り、いやいや違うここじゃないともう一つ隣の部屋へと移動する。理由は一つ。アースドラゴンの仔が飛び立ったことで、割れた窓が修繕されていないからだ。  まさかこの自分が「何もしてないのに割れました」という言葉を使うことになるとは思わなかった。明らかに内側から力がかかったことで外に飛散した破片を眺めた後、使用人たちに白い目を向けられる始末である。しかし、主賓であるマルキオン教授に問い質すようなことはできず、そのまま荷物を移動し、別の部屋をあてがわれたわけだ。  本当に、今日はツイてない。マルキオン教授はため息交じりに部屋に入り、ベッドに突っ伏した。今頃、二つ隣の部屋では、濃厚な調律が始まっていることだろう。 「……」  寝返りを打って、天井を見る。最初にあてがわれていた部屋のベッドにはついていた天蓋は、この部屋にはついていなかった。客室に天蓋が付いていないことで怒り狂うようなチープな感覚は持ち合わせていないので、正直何も問題はなかった。強いて言うなら、ベッドにカーテンを引けないので、もし使用人が入って来ても視線を遮ることができない程度のものだ。  だが、今この瞬間だけは、マルキオン教授も天蓋が付いていないことを悔いた。相性が悪いわけではないレイの濃厚な口付けをまざまざと見せつけられたせいで、少々、あてられている。 「こっちはしばらく調律なんてしてないのに……羨ましい」  マルキオン教授は懐から一つの魔力石を取り出した。深い青色が仄かに揺らめいているように見えるそれには、自身の恋人であるサルベルト教授の魔力が満たされている。これがあるために、マルキオン教授とサルベルトはしばらく調律していなくても、何とか通常の生活を送ることができていた。  そっと魔力石にキスを落とし、そのまま抱え込むようにして横になった。そっと自身の首筋を撫で、そのまま胸を通過し、下へ下へと撫でおろしていく。ただの妄想で、自身の昂りを慰めながらもう何日過ごしただろうか。 「……つらい」  そして空しい。やめたやめた。こんなことしたってすっきりもしない。酒だ酒。酒を飲もう。こういう時は酒に限る。  マルキオン教授が勢いをつけてベッドから降りると、部屋の隅にあるワインセラーに足を向けた。せっかくザルハディア王国まできたのだ。せっかくならご当地ワインを堪能しなくては。何度も来ているザルハディア王国ではあるが、こんなにいいワインを取り揃えてくれているところになど、今まで泊まったことはない。公爵家万歳!  そんなことを考えながら、ワインセラーの扉に手をかけた。  どれくらい時間が経ったか分からない。クラウスはじわりと滲む額の汗を指で拭った。しばらく魔力と戯れていたレイが、より深い接触を求め始めた。レイがクラウスに手を伸ばすたびに、クラウスは魔力を操作して、魔力のみでレイの体を撫でまわした。  最初の頃はあまり気持ちよさそうにしていなかった胸の先端さえも、調律を重ねたことにより徐々にいい反応をするようになっていっていたレイは、今日に至っては甘やかな声を上げるほどになっている。これが、副作用に溺れていない時のレイで見れたなら、天にも昇る気持ちになっただろうに。  自ら服を脱ぎ、あられもない姿でクラウスの魔力と絡まるレイを眺めながら、熱くなる芯を慰めることもできず、かといって目を逸らすこともできず、クラウスはベッドの上で座っていた。羨ましい。自分の魔力が、羨ましい。そんな意味の分からない感情が、脳内を支配していた。  レイがふらりとベッドの上に倒れ込んだ。体をひくつかせながら、赤黒いままの瞳だけが誘うようこちらに向いている。だが、クラウスは分かっていた。レイがこちらを見ているのは、クラウスの魔力の源がそこにあるからだ。  クラウスは、その誘いには乗らない。ただじっと、レイの目がいつもの綺麗な青緑色を帯び始めるのを待っていた。初めてレイがリミッター解除薬をクラウスの前で使用し、副作用があるからとクラウスから距離を置こうとした時、ここまでレイが調律に囚われるようなことにはなっていなかった上、会話ができるほどに回復してきた頃には、目の色は戻り始めていた。どう考えても、レイが施したリミッター解除薬の強化が原因だとしか思えない。  息が上がる。芯がはち切れてしまいそうなほどに熱い。いつまで続くか分からない拷問に、強く理性を保っている自分を褒めて欲しい。しかし褒めて欲しい相手はレイであり、そのレイが自分を翻弄している事実が気に食わない。  不意に、レイがよろけながらも、濡れたベッドの上を這ってこちらに向かってきた。クラウスは冷静に魔力でレイが好きそうなところを撫で上げたが、逆にレイはその魔力を愛でるように撫で始めた。レイに触れるために魔力の密度を高めていることが、裏目に出た。頭が痺れるほどに甘い感覚が体を走り、逡巡する。魔力の操作をやめるか、このままレイがクラウスのそばに来るのを阻止するために続けるか。決めあぐねている間も、レイは魔力に触れるのをやめない。 「ぁ、レイ……やめ……ッ」  弱い懇願も空しく、レイは魔力を撫でながらもゆっくりとクラウスに近付いてきた。あぁ、いけない。離れなければ。そう思っているのに、先ほどのレイの涙が脳裏をかすめる。  クラウスは、魔力の密度を高めるのをやめた。拒絶できない。レイの涙は、見たくない。ただ、クラウスの濃い魔力に包まれただけのレイが、きょとんとした表情を浮かべた後、嬉しそうにクラウスの方へ寄ってくる。  頬に添えられた手は温かく、我慢に我慢を重ねた自分には刺激が強かった。寄ってくる濡れた唇に応えるように、クラウスは覚悟を決めた。 「いいだろう、レイ……。だが、そううまくいくと思うなよ」  強請るように薄く開かれた唇に、クラウスは自ら噛みつくように唇を重ねた。

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